コバケンのショスタコ/交響曲第5番
曲目/ショスタコーヴィチ
交響曲第5番ニ短調 Op.47
1. Moderato - Allegro non troppo 17:49
2. Allegretto 5:25
3. Largo 14:10
4. Allegro non Troppo 11:10
指揮/小林 研一郎
演奏/名古屋フィルハーモニー交響楽団
演奏/名古屋フィルハーモニー交響楽団
録音/1999/02/18、愛知県芸術劇場コンサートホール
P:江崎友淑
E:江崎友淑
E:江崎友淑
オクタヴィア・レコード EXTON OVCL-00001


この18日の深夜、NHKで、『ディープピープル選「スーパー指揮者」』という番組が放送されました。再放送ですが、なかなか興味深い内容でした。そこでは71歳のコバケンこと小林研一郎氏、26歳で「キリル・コンドラシン国際指揮者コンクール」優勝を果たして世界に羽ばたいた広上淳一氏、そして昨年のサイトウキネンで抜擢された下野竜也氏の3氏のトーク番組でした。世代こそ違え、日本の楽団のみならず世界を股に活躍している指揮者たちです。その話しの中で、どうしてもコバケンだけは話しの口調とそこから導きだされる音楽に一番違いを感じました。
本番のその一瞬に掛ける気迫は、やはり若手指揮者とは別世界の物で、実演に接した人なら彼の気迫に満ちた指揮姿に圧倒されるでしょう。まあ、小生もそんな一人で、十八番のチャイコフスキーの交響曲第5番は何回聴きに出かけた事でしょう。コバケンと名フィルは今でも、「コバケンスペシャル」というプログラムを開催しています。コバケン/名フィルの録音では先にサンサーンスのオルガン交響曲を取り上げていますが、その一年後の録音となるこのショスタコを取り上げないわけにはいかないでしょう。名フィルは1996年に飯森泰次郎とのコンビでショスタコを録音していますが、指揮者が変わるとこうも音楽が違うのかという見本ぐらいこちらの方が格段に充実した演奏になっています。
このCDの解説にも書かれていますが、コバケンのショスタコの5番は1991年に日本フィルと1992年にはハンガリー国立交響楽団とライブ収録していますが、どちらも完成度の点で今一という事でお蔵になっています。多分コバケンサイドからO.K.が出なかったんでしょうな。ハンガリー国立交響楽団とはベートーヴェンの交響曲全集もお蔵入りになっています。そういう点ではこの名フィルとのライブは相性の良さも合って初めてリリースにゴーサインが出たものなんでしょう。確かにそれだけの聴き手に迫る気迫と指揮者の熱い息吹きが感じられる演奏になっています。ライブものという事で多少の傷があるのは仕方のない事です。名フィルの演奏ではどうしてもホルンが弱いのは何時ものことです。音が不安定、出だしの音飛びなんかしょっちゅうです。でも、ここに記録された演奏はそういう弱点を覆うだけの音楽が宿っています。
第1楽章のモデラートの主題は渾身の力を込めた指揮棒の振り下ろしが感じられます。もうこの部分から指揮者のうなり声が混じっています。それだけ緊迫感のある主題が演奏されます。前半は遅いテンポでがっちりとした構成の中で音楽が紡ぎだされています。展開部となるピアノが登場する部分からは、徐々にテンポは加速しクライマックスでの爆発では最高潮の早さになります。ここでのトランペットの咆哮は、これが本当に名フィルかとびっくりするほどの炸裂音です。こりゃあ聴く側も何時もよりテンションが上がるはずです。静と動の対比がくっきり描き出された演奏で、記載はありませんが、多分この時はコンサートマスターは朝枝信彦ではなかったかと思いますが、コーダのヴァイオリンソロも見事に決まっています。この第1楽章の燃焼度だけとればバーンスタイン、ニューヨークフィルのライブに匹敵する出来です。
演奏/録音年 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 | 第4楽章 |
バーンスタイン/NPO(79) | 17:40 | 5:18 | 15:59 | 10:11 |
ハイティンク/コンセルトヘボウO | 18:02 | 5:22 | 15:41 | 10:35 |
ヤンソンス/オスロPO | 14:02 | 4:50 | 11:54 | 10:12 |
プレヴィン/シカゴSO | 16:57 | 4:55 | 15:49 | 9:57 |
第2楽章は既に第1楽章の終結部分が一般の交響曲の第2楽章の様な静寂の中で終わるので、快活なアレグレットを持って来ています。この主題は第1楽章の変形を持って来ています。なぉかつ、中間部は舞曲風なリズムになっていて、それを第1楽章のコーダと同じようにヴァイオリンのソロなどを盛り込んでいて統一感を持たせています。音の纏まりとしてはこの楽章が上でしょうが、リズム感がちょいと重い様な気もするところが僅かなマイナス要素でしょう。3拍子ですから、踊る様な要素がやはり、前面に出ていないと曲の趣が生きて来ませんものね。
弦楽器と木管楽器だけで演奏されるこの楽章は、ショスタコの作品の中でも特異です。何時もならコラール風の旋律が金管で朗々と歌われるのにそれが出現しないからです。まあ、それがこのライブにとってはプラスに作用しています。深く心に染み入る旋律の祈りの音楽が、滔々と流れていきます。木管のひなびた響きは、人々の啜り泣きにも似ています。コバケンの作り出す音楽は、外国の曲ではありながら何処か浪花節的な音の揺らし方で日本人の共感を呼び込むように響きます。そこに、うなり声がかぶさるのでまさに浪花節的に聴こえます。
さてさて、問題の第4楽章です。結論から言ってコバケンの解釈は冒頭は速いテンポで、コーダはどちらかというと遅いテンポで演奏するタイプです。ただし全体のテンポが遅いので早いといっても感覚的には中間ぐらいに位置するテンポ設定です。ハイティンクの演奏では冒頭ー遅い、コーダも遅いというパターンがはっきり示されていますが、コバケンの演奏はそんな事ではっきりしません。そんなことで、この楽章だけ聴くとなんだか煮え切らない様な解釈です。実際のコンサートでは、大いに燃えた演奏であったそうで、終演後、興奮した聴衆に応えるために、終楽章のコーダの大詰めの部分がアンコール演奏されたそうです。で、個人的にはコバケンのショスタコというよりは、名フィルのショスタコという感覚で聴いてしまいました。
そうそう、このCDの解説の全文は下記のサイトで見る事が出来ます。