泣きの銀次 | geezenstacの森

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泣きの銀次

著者 宇江佐真理
発行 講談社 講談社文庫 

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 誰がお菊を殺したんでェ。最愛の妹の命を奪った下手人を追って、大店の若旦那の地位を捨てた、人呼んで「泣きの銀次」。若き岡っ引きは、物言わぬ死体の声を聞いて涙する。お侠な娘、お芳の健気な想いを背に受けて、めざす敵は果たして討てるのか?鮮やかな筆が冴えわたる女流時代小説作家の人情捕物帳。---データベース---

 「泣きの銀次」は単行本書き下ろしで発売されました。初登場は1997年12月ですから、デビュー第2作という事になります。こうして見るとデビュー当初は髪結い伊三次の影響か、捕り物関係が目立っています。でも、これも、捕り物らしい形にはなっていますが伊三次ものにちょいと色を添えた男と女の物語と言えない事もありません。

 銀次は八丁堀は地蔵橋付近の裏店に住んでいます。小間物問屋、坂本屋の跡継ぎであった銀次が岡っ引きになったのは、妹のお菊が習い事の帰りに暴漢に襲われて殺されてからです。その時十八だった銀次は身ぐるみを剥がされ大川端に捨てられたお菊の死体の前に身も世もなく泣きじゃくります。この時から銀次の泣き癖が始まったのですが、ちゃんとお菊が舌を噛み切っていたのを見逃していませんでした。また、首に巻き付いていたしごきはわざと水に濡らして締め付けをきつくしてありました。そういう観察眼が鋭く、町民出身なのに、馬庭念流をそれなりに修行している銀次に同心の表勘兵衛は自分の小者になるようにいいます。岡っ引きなのに、死体を見ると大泣きしてしまう銀次。そこから名付けられたありがたくない渾名が「泣きの銀次」なのです。銀次のこのキャラクター、小説の中では次のように語らせています。
「死人の顔を見ていると、そいつが生きて、息をしていた時の、しかも笑った顔がぽっと浮かぶのよ。おいらは、あたいは、三日前まで、十日前までこうしてました、とな。そうすると、もう駄目だ。もういけねェ。気がつくと、泣きの涙で皆んなに笑われているという様よ。」
泣きの銀次は、大店の息子らしく気っぷがよくとても江戸っ子らしい人間的な一本気な男なのです。

 お菊が殺される一年前くらいから、半年に一度くらいの割合で猟奇的な殺人事件が発生していました。夜鷹とおぼしき女が陰部を刃物でえぐられて殺されていたり、顔を滅多切りにされた女が大川に浮かんでいたりと女ばかりが殺されています。いちおう、それらの下手人として無宿のならず者が捕らえられ獄門になりましたが、銀次はそいつが犯人だとは思っていませんでした。

 それから十年、大川にまた女の死体があがります。全身黒ずくめという女の出立ちに銀次には思い当たる点があり、下っ引き政の吉に深川の仮宅で営業をしている大黒屋に小紫がいるかを訊ねてこいといいます。小紫は大黒屋でお職を張っている花魁でした。銀次はもとは若旦那になるべき人物だったので郭内の事は知り尽くしていたのです。事件は一気に解決で、芋づる式にその仲間も御用となります。

 銀次が実家の小伝馬町にある坂本屋を訪ね、何時ものように勝手口から入ると女中のお芳が起きており、銀次を迎えてくれます。お芳は銀次の心の安らぎで、実家に帰ってもゆいいつ気軽に接してくれます。十七のお芳は表勘兵衛が銀次と同じく抱えている老練の岡っ引き・弥助の娘ですが、仕事に掛りっきりで自宅が火事の時も出ずっぱりで、ために母親が死んだ事で父親を憎んでいます。その弥助が夏の暑い日に、不忍池である人物を見張っている姿を銀次と表勘兵衛が見かけます。弥助は叶鉄斎を見張っているのです。この叶鉄斎には銀次が覚えているだけでおよそ五つの事件の疑惑がり、弥助は銀次にお菊の殺しの下手人も鉄斎ではないかともらしていました。しかし、何時も鉄斎にはアリバイがあります。

 若旦那の頃、銀次は番頭新造だった雛鶴と浮き名を流したことがありました。雛鶴は今は新川の酒問屋・丸屋に後妻に入っているのですが、その丸屋の奉公人治助が手引きして賊が押し入りかけます。お内儀の機転で賊は取り押さえますが、気になるのは、賊の一人が奉公人に紛れ込んでいたことです。そのため、銀次は坂本屋の後を継いでいる弟の庄三郎にもあらかじめ注意するようにといっておきます。坂本屋にいる若い手代の粂吉は放免になった治助と顔なじみらしいのです。その粂吉がお芳に言い寄っている所を銀次は見てしまいます。その時、銀次はお芳と所帯を持つことを決めます。

 お芳の父親・弥助にその事を報告に行きます。弥助は喜んでくれますが、暫くして何者かに斬られ亡くなります。その死の間際、「鉄斎の...」と言い残します。銀次は心の底から怒りを覚えた。そんなとき隣に住む青物屋の辰吉から鉄斎の屋敷には食い扶持以上の品物を買ってくれると耳にします。これは大きな手がかりです。そして、表勘兵衛は息子の慎之介が叶鉄斎に関係する膨大な資料を読みとき、気になる事を見つけ出します。過去の鉄斎の絡む事件の起きた日付が、大抵、月の初めか半ばの十五日ということです。

 事件がすこしづつ核心に近づいていく中で、銀次の実家坂本屋が賊の襲われ、母のまつを残して家族が全員殺されてしまいます。助かったのは女中のお芳と番頭の卯の助ぐらいです。賊を手引きしたのは手代の粂吉でした。粂吉が手みやげにした大福での毒殺でした。賊の一味が放免されていたのにこの様は、奉行所の失態のはずですがそういう事にはいっさい触れられていないのがこのストーリーの甘い所です。

 銀次は唯一坂本屋の跡取りという立場になってしまいます。大店の旦那となればお芳との結婚には待ったがかかります。それを後押しするように、銀次は調べのためとはいえ、吉原通いをはじめてしまいます。このために生き残ったお芳は責任を感じて店から姿を消してしまいます。銀次はし歌詞ぶれてはいません。母親の薦める縁談は断りお芳を捜し続けます。

 この小説には山東京伝やら岩窪初五郎こと魚屋北渓なども登場して彩りを添えています。いずれも叶鉄斎の人となりを調べる事に関係しているのですが、左様に鉄斎は頭の切れる人間として描かれています。彼は信濃の姨捨山(うばすてやま)の出でした。そして、彼には年子の弟がいる事が明らかになります。これで、食い扶持の人数が合わない事に合点がいきます。鉄斎の屋敷には大きな蔵があり、そこに鉄斎の弟が隠れ住んでいるのです。この弟は月夜に殺人鬼と化す様なのです。銀次は単身で鉄斎の屋敷に乗り込みます。

 さあ、結末は読んでのお楽しみです。事件が解決して、銀次は同じように鉄斎を追って命を無くした弥助の墓参りを思い立ちます。たまたまその日は弥助の命日で、卒塔婆の前には摘みたての花が手向けられていました。銀次はお芳だと気がつきます。寺男にその女の事を聴き、翌月朝早くにお芳を待ちます。はたして、お芳は銀次の前に姿わ表します。お菊を殺した下手人を追って銀次はさらに父親と弟夫婦を亡くしていましたが、お芳だけは何とか手元に残す事が出来ました。若旦那と岡っ引きの二足のわらじは続きそうですが、銀次の泣き顔は暫くは見られないのでしょうか。