天気予報は午前中は雨という予報だったので、初めて雨にたたられるかなぁと思って出かけました。しかし、スタート地点の地下鉄日比野駅でコースマップを受け取り地上に出ると、雨はほとんど上がっていました。一応用意した折りたたみ傘を取り出し、歩き出しましたがモノの500mもいかないうちに、傘もいらないぐらいになったのでほっとしました。こんなこともあろうかと、小型の折り畳み傘にして正解でした。
今回のコースは以下のようになっていました。
今回のコースは以下のようになっていました。
【スタート受付】 日比野駅
日比野駅~白鳥公園~断夫山古墳~白鳥古墳~白鳥庭園~宮の渡し公園~熱田神宮~神宮東公園~高座結御子神社~金山神社~名古屋都市センター~金山駅
(約7.6km 約130分)
日比野駅~白鳥公園~断夫山古墳~白鳥古墳~白鳥庭園~宮の渡し公園~熱田神宮~神宮東公園~高座結御子神社~金山神社~名古屋都市センター~金山駅
(約7.6km 約130分)
本当は妻も参加する予定でしたが、雨は嫌だという事で結局一人での参加です。スタートの日比野駅へは9時10分頃到着しましたが既にスタートしていました。同じ地下鉄の車両で降りた人も30人ほどでやはり、雨という事でちょっと参加者は少なかったようです。ただ、雨が上がれば気温はちょうどいいし薄日も徐々に射して来ましたのでコンディションとしては良好ではなかったでしょうか。白鳥公園は1989年、市政100周年を記念して開催された「名古屋デザイン博」の時は、その主会場として使われた所で、会場の北端には国際会議場もあり施設の中にはポップスのコンサートでよく使われるセンチュリーホールもあります。今では白鳥公園として一帯が整備され、南端には博覧会のパビリオンとしても利用された日本庭園もあり、その後「白鳥庭園」として整備されています。


白鳥公園から堀川を渡り対岸の熱田神宮公園に入るとその一角には「断夫山(だんぷさん)古墳」があります。ここの標札で初めて知りましたが、この古墳は東海地方最大の前方後円墳で、全長151m、前方部の幅 116m、後円部の直径 80m、前方部の高さ 16.2m、後円部の高さ 13mという中々の規模です。地元のアマチュア野球の試合で使われる「熱田球場」の過ぎ南にこんな古墳があるとは今まで知りませんでした。そんな事で、しばし見とれてしまいました。上空からの写真で見るとその大きさが分かります。以前は、日本武尊と結婚の約束を交わした尾張の豪族の娘、宮簣媛(ミヤズヒメ)の墓と言われていたことがあります。

この「断夫山古墳」の直ぐ南にも小さな古墳があるのが見て取れます。こちらは「白鳥古墳」です。かつては日本武尊の御陵ともいわれたので別名「白鳥御陵」とも呼ばれています。まあ、今では5世紀末ごろに造られた前方後円墳で、全長47m、最大幅25m断夫山古墳と同様に尾張豪族の墓とされています。白鳥庭園は敷地面積約3.7ヘクタールと市内随一の規模を誇る池泉廻遊式庭園です。中部地方の地形をモチーフにし、築山を「御嶽山」、流れを「木曽川」、池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの「水の物語」をテーマとしています。園内の水琴窟は3種類の音色を奏でる構造で、また1時間1サイクルで汐の満ち干きを演出する「汐入の庭」などを配していて、北にある「徳川園」とは好対照をなしています。


ここからは更に堀川沿いに南に下り、宮の渡し公園まで進みます。ここは江戸時代に旧東海道の桑名までを海路で結んだ「船着き場」として栄えた所です。ここには、1625年(寛永2)には往来の船の安全を願って,成瀬正房によって常夜灯が設置された。4代将軍家綱(いえつな)の時代,1651年(慶安4)の慶安の変(由井正雪の乱)を契機として夕方から翌朝までの出航が禁じられた。そのため旅客の宿泊が激増したそうです。その後、1676年(延宝4)に尾張藩主徳川光友の命により、常夜灯の直ぐ側に時の鐘が設置されています。正確な時刻を知らせるこの鐘は、熱田に住む人々や東海道を旅する人々にとって重要な役割を果たしたようです。安藤広重の「東海道五十三次」にも次の様な宮の渡しの浮世絵が残っています。



そして、常夜灯が灯る夜になると宿場に明かりも入り、さぞにぎやかな事だったでしょう。物の本によるとこの宮の宿は街道一の数の旅籠屋が繁盛していたそうです。
さて、渡しの後はちょいと北に上がるとその熱田神宮です。東海三県では一番初詣でにぎわう神社です。南の大鳥居の入り口脇には名古屋名物のひつまぶしで有名な「蓬?愬軒」があります。そして、見逃しそうですがこの神宮前の店の直ぐ南側には松尾芭蕉の門人の林七左衛門(俳号は林桐葉)の邸宅跡があります。標札には芭蕉がよく立ち寄ったと書かれていました。




当然ルートに熱田神宮があり参拝しましたが、今回は社内に東北大地震の募金箱が設置してありましたのでお賽銭分はすべて募金に回しました。こういう時は賽銭なしでも、神様は怒らないでしょう。参拝後は熱田陸橋を東に渡り、神宮東公園内を散策しながら北上です。公園には梅の花と桜が同時に咲いていて中々の景観を呈しています。ルートはまた東海道線、新幹線、名鉄の線路を歩道橋で西に渡り、高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)に向かいます。ここは子預かりと虫封じにご利益があるとかで、境内にお祀りしている御井社(みいしゃ)の井戸を覗くとカンシャクの虫封じ」になるという信仰があります。



最終ゴールは金山駅ですが、その前に金山南ビルがルートにあります。ここには名古屋ボストン美術館、名古屋都市センター、ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋が入っている建物です。今回は来た事のアルボストン美術館はパスで、名古屋都市センターへ行く事にしました。ビルの11〜14階にある施設で11階は企画展示などが行われています。当日は「のびる・つながる 名古屋の交通ネットワーク」という企画展が開催(平成23年3月8日(火)~5月8日(日))されていました。もともとが街作りに関する情報をアピールする施設で、ナゴヤの街並を俯瞰出来る大パノラマが設置されています。12階は街作りに関する図書を収蔵した専門の図書館があります。最近古地図に興味があるのでそういう史料を捜していたら、やはりありました。思わず図書を数冊引っ張り出して閲覧してしまいました。古地図によると江戸時代は名古屋城と熱田を結ぶルート上が一番にぎわったようで、それをCG化して再現すると書きの様な映像になるようです。




今回はぶらり立寄が多かったので、ゴールしたのは2時近くになってしまいました。まあ、早歩きが目的ではなく名古屋再発見がテーマですからこれでいいんでしょう。次回は4月10日に開催されます。