昨日は風があって体感的にはやや肌寒かったのですが、今日は雲一つない青空に風もないと来て絶好の行楽日和になりました。そんなことで今日は名古屋城にお出かけです。とは言っても今日は自転車でお出かけです。そう、名古屋城までは我が家からだと直線で3kmぐらいしか離れていません。そんなことで、サイクリングをしました。途中、スーパーでお弁当を買っていざ出陣です。道は全くの一本道です。ゆっくり走ってもものの15分で付いてしまいます。まあ、上り坂があるのでちょいとペダルを漕ぐのには難儀しますけどもね。
さて、今日は週末と入っても平日ですから、こんな日に無料開放しても観光客は少ないのではと思っていたのですが、いやいや思った以上の人出でした。でも、休日とは違いますからね。今日は正門ではなく東門からの入場です。ここは地下鉄の市役所駅が近いので結構入場者は多いです。普段はまっすぐお城を目指しますが、今日はのんびりとそれこそ城の中を隅から隅までじっくりと見て回ります。まずは二之丸庭園です。恥ずかしながら今まで一度も足を踏み入れたことがありませんでした。この時期花は望めませんが紅葉は美しく、二之丸茶亭付近からの眺めは格別見事でした。

しばし散策の後、現在開催されている「名古屋城菊人形」と「第63回名古屋城菊花大会」を鑑賞しました。昨年は徳川宗春をメインにした展示でしたが、今年は開府400年ということで、尾張徳川家初代の徳川義直とその正室の春姫を中心とした展示です。昔はこの菊人形がメインで翌親に連れられて見に来た記憶がありますが、今は菊人形展とは言わずただのシンボルとして展示されているだけです。それより、「第63回名古屋城菊花大会」の方が盛大で見るものを圧倒します。この地方では最大級の菊の展示会で、名城菊の会による約500点の菊を展示しています。大輪の菊が見事に咲き誇っています。メインの展示は水車小屋や合掌作りのミニチュアの箱庭に咲き乱れる菊をバックに天守閣が映えていました。







さて、いよいよ天守閣の見学ですが、その前に現在建設が始まっている本丸御殿の復元工事の現場を見学です。現在は御殿の大屋根の部分を制作しているようでその骨組みの部分がほぼ完成している様を見ることが出来ます。今の時代は江戸時代のように資金が潤沢ではないのと、工法も当時の技術を再現しながら行うということで復元工事は実際の建築よりも時間のかかるスケジュールです。でも、完成が楽しみです。さて、ゆっくり見て回ったらもう昼を回ってしまいました。そんなことで、天守閣の入り口の前で昼食です。ここは、野外に無料休憩所があるのでそこで買ってきた弁当を食べます。今日は江戸時代でもあったであろうちらし寿司です。食事をしながら見上げる秋晴れの天守閣はまた格別です。


外国人の観光客も大勢いて、彼らの多くは半袖でも平気なのには驚きです。それだけ小春日和だと言うことなんでしょうけれど、こちとらジャンバーまでしっかりと着込んでいるのはやはり年のせいでしょうか(^▽^
天守はちょっと楽してエレベーターで昇り上から攻めることにしました。なんでも、今の川村七曜はこのコンクリート製の天守を本丸御殿と一緒の木造に造り替えるぞーと息巻いているようです。減税はありがたいけれど両立できるのかな?天守閣からは雲一つない空のもと抜群の眺望です。セントラルタワーやミッドランドスクエア、スパイラルタワーなど名古屋駅方面が一望です。北に目を向ければ眼下には名城公園が広がります。超高層マンションの「ザ・シーン城北毛がひときわ目立っています。


今日はじっくり展示物を見て回りましたが、その中で千両箱の展示が目を惹きました。普段時代劇でお見かけするタイプはどうも三千両は入るもののようで、葵の御紋付のこの形が正式なようですね。復元される本丸御殿のミニチュアを見るに付けふすま絵なんかも豪華絢爛で完成が待ち遠しいものです。


城外で目を惹くのはやはり石垣でしょう。名古屋城の石垣には先の加藤清正を始め黒田長政、福島政則など
数多くの刻紋が見られますが、一番は「団子三兄弟」のマークの加賀藩の前田利常でしょうかね。そして、不明門には忍者返しの仕掛けも見られます。一番びっくりしたのは、その門から直ぐ北にある天守閣礎石の脇にある石棺式石室です。なんでこんな処に?と思い説明書きを見ると、それは島根県松江市の団原古墳の石室で古墳時代後期の横穴式の石室であると記されていました。しかし、その団原古墳をwikiで調べてもそれ以上の情報はありません。ですが捜索してみるもんです。ネットで調べたらその経緯を調べてくれた人がいました。詳しい経緯は下記をご覧下さい。やはり、疑問に思う人はいるもんですね。
数多くの刻紋が見られますが、一番は「団子三兄弟」のマークの加賀藩の前田利常でしょうかね。そして、不明門には忍者返しの仕掛けも見られます。一番びっくりしたのは、その門から直ぐ北にある天守閣礎石の脇にある石棺式石室です。なんでこんな処に?と思い説明書きを見ると、それは島根県松江市の団原古墳の石室で古墳時代後期の横穴式の石室であると記されていました。しかし、その団原古墳をwikiで調べてもそれ以上の情報はありません。ですが捜索してみるもんです。ネットで調べたらその経緯を調べてくれた人がいました。詳しい経緯は下記をご覧下さい。やはり、疑問に思う人はいるもんですね。
時間も押してきたので、次は「西北隅櫓」へ向かいます。ここは普段は公開されないところですが、11月23日までは特別公開されています。西北隅櫓は名古屋城の天守閣や本丸御殿などが完成した数年後の1619年(元和5年)頃建てられたもので、昭和37年から39年にかけての解体修理で清洲城などの他の建物の古材を再利用していることが判明しています。そんなことで別名「清洲櫓」と呼ばれています。そんなことでトップの写真はこの西北隅櫓の最上階から移した名古屋城の写真を使いました。この櫓の特徴は名古屋城の堀に突き出した構造になっていることで、櫓の西側と北側には石落としがつくられています。確かに天井の梁は年代物を使っているのが分かります。この日はもう一つ「乃木倉庫」も特別公開されていました。建物自体は明治時代のものですがこの倉庫が合ったおかげで名古屋大空襲の時に貴重な文化財が焼けずに済んだそうです。



さて、見学が終わって帰りすがら武将隊に出会いました。後でホームページで確認したら今日は前田利家と立三の出陣の日でした。名古屋おもてなし武将隊のスケジュールは彼らのホームページで確認した上でお出かけください。