ピンカス・ズーカーマン 平和への懸け橋 |
放送日 :2010年 3月15日(月)
放送時間 :午前3:03~午前4:00(57分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
音楽>クラシック・オペラ
(バイオリン/指揮)ピンカス・ズーカーマン
(パレスチナ国立音楽学校)スーヘイル・フーリ
カナダ・ナショナル・アーツセンター・オーケストラ
ほか
[ 制作:2000年, ロンバス・メディア (カナダ) ]

2000年9月、中東和平への展望は明るく、イスラエル生まれの音楽家ピンカス・ズーカーマンは、 故郷イスラエルを初め、パレスチナ自治区やヨルダンを訪れる演奏旅行を企画する。 ピンカスはユダヤ人とアラブ人の「音楽による対話」を目指し、 音楽によって民族間の溝を埋めたいと願っていた。 しかし9月28日、パレスチナ人とイスラエルの自治部隊が衝突、パレスチナ情勢は急激に悪化する。 今まさにパレスチナ自治区の子供たちに会いに行こうとしていたピンカスだったが、 やむなく中止することになった。 10月、パレスチナ人はインティファーダを続け、イスラエル当局は武力による制圧に出て、 事態は戦争の様相を呈する。 ピンカスは、イスラエルでのコンサートは成功させたものの、 念願のヨルダン訪問は確保できないと大使館から延期を勧告され断念。 ピンカスの願いであった「音楽の対話」は実現されるのか—
昨日は栁澤寿男氏を取り上げましたが、その流れで今日はピンカス・ズーカーマンです。この番組は2007年に放送されたものの再放送だったようです。ズーカーマンはポーランド系ユダヤ人ですが、中東はイスラエルの生まれです。1967年、エドガー・レヴェントリット国際コンクールで同門のチョン・キョンファと同時に第1位を取得し、以後、欧米各地でソロ活動を行っています。巨匠と呼んでもいい一人なんですが、欧米での人気に比して日本での人気は今ひとつです。宮崎音楽祭には頻繁に登場しているんですがねぇ。で、これは2000年に制作されたドキュメント番組です。当時の世界情勢を考えると、このズーカーマンのパレスチナ自治区やヨルダン訪問は、時期的に一番困難な状況であったように思われます。
2000年9月、当時常任だったカナダ・ナショナル・アーツセンター・オーケストラを引き連れてピンカス・ズーカーマンは中東でのコンサートを計画していました。このとき、彼は故郷イスラエルを初め、パレスチナ自治区やヨルダンを訪れる演奏旅行を企画していたのです。音楽によって、民間人レベルでの和平が深まればよいと思ったということです。しかし、事件は9月28日に起きました。
9月28日、リクード党首シャロン氏が、 イスラム教の聖地エルサレムの「神殿の丘」への訪問を強行します。何といってもこの地は、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の聖地ですからね。パレスチナ人とイスラエルの自治部隊が衝突し、パレスチナの若者が石を投げます。そして死者の発生。これで状況は最悪の局面を迎えてしまいます。パレスチナ情勢は急激に悪化し戦争状態に突入します。
こういう状況の中でのズーカーマンのイスラエル訪問となったわけです。これは、まずいわな。こうしてドキュメントでは刻々と変化していく情勢の中で翻弄されるズーカーマンの苦悩を描いていきます。音楽で平和に貢献したい。音楽で壁を取り除き人々の共存を図ろうとする試みはりそうですが、現実は政治に翻弄されます。ドキュメントはパレスチナ自治区の音楽学校の校も登場して、この訪問計画を実現させるべく連絡を取り合う様が描かれます。この校長、音楽によって戦意高揚をしようとして逮捕されたことがあるということが語られます。
テレビでは人々が殺し合っている様がニュース画面を挿入して淡々と描写されます。ズーカーマンの訪問を心待ちにする音楽学校のこどもたちの練習風景がそれにかぶさります。ズーカーマンは、その人脈を利用して何とか実現の道を探りますが状況は好転しません。オーケストラのメンバーも到着して、イスラエルではコンサートが開催されます。番組ではコンサートで演奏された彼の指揮でのモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」が全編に渡って流されます。この曲がこれほど悲しき聴こえたことはありません。
破壊される街が映し出され、街にも武装した兵士が……。ヨルダンのコンサートも危険で中止せよと勧告があり、止むなく中止。結局、ズーカーマンの目指した「音楽による対話」は実現しないまま終了してしまいます。昨日のNHKの制作した栁澤寿男氏のドキュメントは明日に繋がる希望がある構成でしたが、カナダが制作したこちらのドキュメントは希望が開けないまま終わってしまいます。むなしいドキュメントですが、これが世界の現実なんでしょう。