カルロス・パイタの「英雄」 | geezenstacの森

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カルロス・パイタの「英雄」

曲目/ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」
1 Allegro Con Brio 15:02
2 Marica Funebre: Adagio Assai 16:15
3 Scherzo: Allegro Vivace 05:41
4 Finale: Allegro Molto 11:58
5 序曲「コリオラン」ハ短調 Op.62* 08:00


 

指揮/カルロス・パイタ
演奏/スコッティツシュ・ナショナル管弦楽団 
   ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団*
P:トニー・ダマート、ティム・マクドナルド
 アンソニー・ホッジソン*
E:アーサー・リリー
 クラウド・アッカーレ*
録音/1975/09 グラスゴー・シティホール、スコットランド
   1985 ウォルサムストウ・タウン・ホール、ロンドン 

 

ロディア VDC-1416

 

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 昨日の記事、こてこてクラシックの第3回解答編は100件以上のアクセスがありました。久々の3桁アクセスということで気を良くして早速第4回の問題の作成に取りかかっています。年末までに間に合えばいいけど・・・・何しろ手持ちのソースで作っているのでどうしても内容が偏ってきてしまうんですよね・・・

 

 さて、今日の本題です。このCD、もともとはデッカの録音でしたが、指揮者自らが原盤を買い取り「ロディア」というレーベルを設立してそこからリリースされました。当然デッカとは縁が切れて、一時期ビクター音楽産業が契約していたときに発売されたものです。この組み合わせによるCDはこのビクター盤しかありません。しかも、このCDさっぱり売れなかったと見えて、1992年のレコード協会が主催していた廃盤セールという催しのときに入手したものです。カルロス・パイタは健在のようですが、このロディアというメーカーもつぶれてしまいましたから、現在はすべて廃盤の憂き目という状態でしょう。

 

 さて、このカルロス・パイタなる指揮者、どれくらいの人が知っているでしょうね。1960年代末期から颯爽とヨーロッパ楽団に登場し一時期はデッカがポスト・ズビン・メータとして力を入れて売り出していました。しかし、メジャーオケのシェフに成れなかったために、どうも折り合いが悪かったようで飛び出してしまいました。その後、大手レコード会社からは見向きもされなかったようでしたから本人にとっては誤算だったのでしょう。昔のキャッチフレーズはフルトヴェングラーの再来として騒がれていましたから・・・余談ですが1970年代はポスト・フルトヴェングラーとしてバレンボイムといい勝負をしていました。風貌的には確かにバレンボイムよりは当時は勝っていましたね。ただし、日本ではあまり評価されていなくてレコ芸の「指揮者のすべて1977」でも、小さな扱いでしたし「指揮者のすべて1996」ではもっと小さな扱いでしかありませんでした。売れないわけです。ただ、世の常として熱狂的なファンもいるようでネットで検索するとホームページもありますし、ファンサイトも充実しています。ただ、強烈な支持者でもない小生は「英雄」のみを所有しているにすぎません。

 

ホームページ → http://www.carlospaita.com/
ファンサイト → http://homepage3.nifty.com/svetlanov/paita.htm

 

 元祖爆演指揮者として知られていますが、この「英雄」はそうでもありません。もともとはデッカの録音ですからそれなりのスケールのある音が聴けます。左右いっぱいに広がったスケール感のある録音で低域までしっかりバランスのとれた響きを聴き取ることが出来ます。演奏は至ってユニークです。

 

 第1楽章冒頭からはっとさせられます。最初の和音を実にゆったりと鳴らします。一般の解釈ではきっちりとフォルテでがつんと鳴らすのが常識ですが、ここでは文字で言えば草書体のように崩した表現です。これでまず、俺の解釈は違うぞという点をアピールしているようなところがあります。ラテン気質が時々顔を見せてどちらかというと非常に明るい感じのベートーヴェンです。弦は福よかなヴァイオリンの表情とごりごりしたコントラバスの音が同居していて面白いアレグロ・コンブリオになっています。提示部の繰り返しはカットされていますがテンポを結構揺れ動かして、ここぞというツボの部分はじっくりと聴かせていますからそんなに早いという印象はありません。ロマンティックといえばそうなのでしょう。決してドイツ的な重厚な感じはしません。スコア的にはコーダのトランペットも従来の慣習のまま吹かせていますから目新しさはありませんが、音楽の起承転結ははっきりしていますから聴かせる演奏ではあります。

 

 

 第2楽章はこれまた骨太の演奏で、この楽章のもつ繊細で優美な面はほとんど目をくれず、あくまで力強さを強調した演奏となっています。主要メロディをたっぷりクローズアップして鳴らし、ストリングスはしっかりヴィヴラートをかけて歌わせています。ここでもテンポの揺り動かしは頻繁でそれが劇的効果を生んでいることは確かでしょう。こういうところはまさにフルトヴェングラーを感じさせるところです。ただ、フルトヴェングラーの響きと違うのは音楽が表面的で人の心を感動させる精神性が伴っていないところなのでしょうか。最後なんかはむちゃくちゃ長いフェルマータで延々と音をのばしていて劇的なフィナーレを演出しています。ちょっとやり過ぎの感はありますね。

 

 

 前半2楽章のどちらかというとじっくり曲を聴かせる演奏とは対照的に第3楽章は快速のスケルツォになっています。しかし、これは聴感上の問題で第2楽章のラストが異常にスローなのでそう感じるだけです。実際には5分40秒以上の演奏ですからそんなに早くはありません。

 

 第4楽章もテンポは揺れに揺れています。まあ、単純に演奏すればやや単調ないつも指摘されるように第4楽章に変奏曲を持ってきているのは軽すぎるという曲の構造によるものもありますからね。そういうものをさけるためにはこの揺らしは効果的なのでしょう。そういう意味ではテンポをうまく変化させて単調さを避けている演奏といえるでしょう。そこに爆演型の演奏が繰り広げられるのですからドラマチックな演出は完璧です。特に中間部の舞曲のような旋律はまるで踊りを踊っているようなリズムでポップスを演奏しているような乗りです。いゃあ、これほど個性の強烈な演奏は久しぶりに聴きました。まさに、ストコフスキーも真っ青っていう感じのものです。「英雄」好きにとってもこれは異色の存在ではないでしょうか。

 

 

 日本盤だけのカップリングの「エグモント序曲」は1985年のデジタル録音です。これも、劇的効果を狙った演奏で冒頭の序奏こそはじっくりと鳴らしていますが、その後は緊張感を高めるためか速いテンポで畳み掛けるような演奏で、個人的にはちょっと腰が座りません。そして、さんざんあおっておいて最後はこれまた超スローのテンポで消え入るように終わります。こんな演奏されたらアンコールでは絶対使えないでしょうね。

 

 

 ということで、これらの演奏はドラマチックで激情型の演奏が好みの人には大いに受け入れられるでしょうが、内面的な深みとか音楽性を求める演奏を好む人はちょっと抵抗があるかもしれないですね。
 
 最後に彼のエネルギッシユな指揮姿が映像で残っていたので貼り付けます。