
東京を横断する大動脈、中央線。八王子から東京駅近くの職場まで通勤快速で通う、41歳のサラリーマン・本間英祐は、そこで中村という25歳の男と知り合う。9月のある日、終電に乗り合わせた二人だったが、その夜、中村が刺し殺される。犯人の顔を知る本間に襲いかかる悲劇の連鎖。果たして、十津川の推理は。---データベース---
2004年1月から8月号の「週間現代」に発表された作品です。果たしてこれが十津川警部シリーズの作品といえるのでしょうか。わざわざタイトルに十津川警部とついているのが白々しいぐらい十津川警部は活躍しません。いつものように事件が発生して警視庁捜査一課が動き出すといったパターンではなくて、主人公のサラリーマン、本間英祐が最初から最後まで登場し、彼を中心に描かれます。そして、この男が中央線の通勤快速の中で知り合った男が殺されたことで事件に巻き込まれます。
2004年1月から8月号の「週間現代」に発表された作品です。果たしてこれが十津川警部シリーズの作品といえるのでしょうか。わざわざタイトルに十津川警部とついているのが白々しいぐらい十津川警部は活躍しません。いつものように事件が発生して警視庁捜査一課が動き出すといったパターンではなくて、主人公のサラリーマン、本間英祐が最初から最後まで登場し、彼を中心に描かれます。そして、この男が中央線の通勤快速の中で知り合った男が殺されたことで事件に巻き込まれます。
本間は中村が殺された時3人のチンピラと連れ立って駅を出て行くのを目撃していたのです。しかし、小心者の彼は目撃したことを警察に連絡しませんでした。面倒なことに巻き込まれるのを嫌ったからです。しかし、これが裏目に出てしまいます。中村には松田裕子という彼女がいました。当日中村は彼女に本間と一緒に八王子に帰ることをメールしていました。ですから、本間が事件のことを知っていると考え、彼に情報提供を求めます。しかし、本間は知らないといって突っぱねます。そこで裕子は匿名で目撃者がいることを警察に通報しようやく十津川警部の登場ということになるのですが、もっぱら彼から事情を聞くだけで事件の捜査は進展しません。そのうち、松田裕子も殺されてしまいます。
本来なら、恋人同士が殺されてしまうのですから、こんな本間に関わっているよりそちらの方の捜査をするべきなのに十津川警部たちはいっこうにそちらの捜査をする気配もありません。
本間は鉄道模型を自作して自宅の庭でSLを走らせるのが趣味です。工具も自分で調達して、位置からパーツを組み立てるのです。この趣味が阿智から生きてきます。
チンピラグループと顔を合わせている本間は事件のことを喋らないように彼らに釘を刺されています。しかし、本間は妻に相談して警察に連絡しようとして逆に彼らから恐喝されてしまいます。そして、正当防衛ながら本間は彼らの一人橋爪という男を殺してしまいます。これで度胸がついた本間は事件の発覚をおそれて死体を奥多摩の山中に埋めてしまいます。
しかし、そのことは残った仲間に知れることになります。本間は妊娠していた妻が襲われ記憶喪失になったことで彼らとの対決姿勢を鮮明にします。さして、工作機器を駆使して自前で拳銃の製作に取りかかります。
そうなんです。ここには警察の介入は表面的な部分だけで、本間の復讐による自己防衛の手段として私刑がテーマになっているのです。警察は彼の周辺を見張りますが、普段は平凡なサラリーマンを通している本間はなかなか尻尾を見せません。というか、ここで描かれる警察側は彼の自宅から密造拳銃すら発見出来ないていたらくとして描かれています。尾行をしても捲かれてしまうし、拳銃を持って動き回る本田に職務質問すらしません。容疑者ではなく、単に目撃者であった本間だけを中心に追い回して、本来の中村殺しや松田裕子御ろ紙の捜査には本腰を入れていないのですから始末に負えません。
本間は最後は捨て身の覚悟でチンピラと対峙します。そこでは手製の拳銃を使い、自身も撃たれながら最後の男には自分の身体に巻き付けた花火を改造して作った改造爆弾を爆発させて道連れにします。
十津川警部たちは彼を監視していたにもかかわらず、すべてが終わってから現場に佇むだけです。事件を未未然に防ぐのも警察の役割のはずなのに、この事件ではそういう行動はいっさいとられていません。あげくは最後に十津川警部は
「全員が死んだんだ。それでよしとしようじゃないか。」とぬけぬけと語っています。はっきり言ってこれは十津川警部シリーズではありません。タイトルから十津川警部を外してほしいものです。こういう展開ですから読み終わったら金返せとでもいいたくなるような結末です。
「全員が死んだんだ。それでよしとしようじゃないか。」とぬけぬけと語っています。はっきり言ってこれは十津川警部シリーズではありません。タイトルから十津川警部を外してほしいものです。こういう展開ですから読み終わったら金返せとでもいいたくなるような結末です。
この小説を読んで、昔見た「わらの犬」という作品を思い出しました。サム・ペキンパー監督の描く前半の静と後半バイオレンスシーンの動の対比、小心者が変貌して行く様はこの小説と同じです。妻が絡み警察に頼らない私刑は見る物を惹き付けます。変に十津川警部ものに拘らなかった方がこの作品が生きただろうにと思うのは小生だけでしょうか。