ホルスト・シュタイン追悼番組を聴いて | geezenstacの森

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ホルスト・シュタインさん逝去/2008年7月27日

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 NHKのBS2で8月11日に故ホルスト・シュタインさんの追悼番組が放送されました。氏の死去を知ったのは旅行から帰ってきてからでしたがビックリしました。以前から体調を崩していたことは承知していましたが、この訃報に接した時N響の黄金時代は確実に終演したのだなぁと感じました。当日のプログラムはワーグナーを中心とした下記の内容でした。

1.歌劇「さまよえるオランダ人」 序曲 ( ワーグナー作曲 )
2.歌劇「さまよえるオランダ人」 から 「水夫の合唱「見張りをやめろ、かじ取りよ」 ( ワーグナー作曲 )
テノール : 小林 一男
合 唱 : 早稲田大学混声合唱団 、 二期会合唱団
3.歌劇「タンホイザー」 から 序曲とバッカナール ( ワーグナー作曲 )
合 唱 : 二期会合唱団
[ 以上 収録: 1983年3月9日, NHKホール ]
4.楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲 ( ワーグナー作曲 )
[ 収録: 1980年2月20日, NHKホール ]
5.交響曲 第7番 イ長調 作品92   ( ベートーベン作曲 )
[ 収録: 1996年10月17日, NHKホール ]
6. 交響詩「英雄の生涯」 作品40   ( リヒャルト・シュトラウス作曲 )
[ 収録: 1993年11月6日, NHKホール ]
7.交響曲 第8番 ト長調 作品88 ( ドボルザーク作曲 )
[ 収録: 1987年11月18日, NHKホール ]

 解説にあたっていた音楽評論家の奥田 佳道氏によるとホルスト・シュタイン氏はワーグナーの「パルジファル」だけで生涯200回以上指揮したとのこと、1998年2月の氏の最後のN響公演もこの「パルジファル」だったことを考えると、まさにワーグナー指揮者としての面目躍如の業績です。今となっては氏とN響がワーグナーのアルバムを残してくれたことが何よりの宝です。放送されたのは、録音を残してくれた1983年の公演の模様で録音の後での演奏会ということでこちらの方がはるかに充実した演奏でした。シュタイン氏はやはり実演で燃えるタイプだということを再認識しました。ホルンには懐かしい千葉馨氏の姿も見受けられましたし、当時のコンマスは徳永二男氏が務めていたことも確認出来ました。特に3曲目の.歌劇「タンホイザー」 から 序曲とバッカナールは圧巻でした。巨体を揺すり、あのトレードマークでもある特徴のあるでこっぱちのような額からは汗が飛び散る熱演でした。

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              ベートーヴェンを指揮する晩年のホルスト・シュタイン

 後半のプログラムはオーケストラ作品です。トップはベートーヴェンの交響曲第7番ですが、こちらは晩年ともいうべき1996年の収録になります。第1楽章から重心の低いいかにもドイツ音楽らしい響きがN響から引き出されています。この頃は、もう指揮棒の無駄な動きはなく、巨漢を揺さぶるということもありません。それでも溢れ出てくる音楽は特上のベートーヴェンの響きです。この演奏ではオーボエに茂木大輔氏の姿が確認出来ました。コンサートマスターは山口裕之氏です。シュタイン氏はグルダとベートーヴェンのピアノ協奏曲全集という素晴らしい仕事を残していますが、残念ながら交響曲全集は録音されていません。セッション録音としてはバンベルク交響楽団との交響曲第3番だけです。シューベルトやブラームスの交響曲全集はあるのですが残念なことです。

 英雄の生涯はヴァイオリン・ソロが堀正文でした。骨格のがっちりした緻密な演奏で、ややクールながら堀氏のヴァイオリン・ソロはその演奏に見事に溶け込み曲に厚みを出していました。

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           ドヴォルザークを指揮するシュタイン氏、まだ髪が黒々としています

そして最後はドヴォルザークです。シュタインとドヴォルザークとは何となく結びつかないようですが、番組の中でもこの曲を演奏させてくれるなら何処へでも出かけるというようなことをシュタインが語っていたというだけあってけだしこれは名演です。追悼番組の曲目に選ばれたわけが分かります。第1楽章から確固たるテンポで充実の響きです。この演奏を聴くのは始めてでしたが、この曲を愛するものとしては充分納得のできる演奏で、弦と管の響きのバランスも適切で愛聴コレクションがまた一つ増えました。シュタイン氏もこの頃が一番気力、体力的にも充実していたのではないでしょうか、指揮ぶりにもそれが伺えます。こういうおはこの曲目ががディスクで録音されなかったのが不思議です。

HMVのホームページにウィキペディアよりも詳しい氏のプロフィールが出ていましたので掲載させていただきます。
 ホルスト・シュタイン(Horst Stein)氏は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。
 1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタートさせ、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に「パルジファル」を指揮してバイロイト・デビューを果たしています。こういうこともあって、「パルジファル」は思い入れのある曲なんでしょうね。

 ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にはマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。
 1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。
 1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演し、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク響とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。
 日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどN響との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。
 1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。80歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
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