カラヤン 映像美の追求 | geezenstacの森

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カラヤン 映像美の追求


 この4月5日はカラヤンの生誕100年の記念日でした。

 1955年に世界最高峰に位置するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。以来、89年4月健康上の理由で退くまで、長期にわたりベルリン・フィルを率いた。日本でも、ベルリン・フィルの音楽監督に就任する前から来日、以来11度、日本で指揮棒を振り、日本とのつながりは深い。番組では、他の指揮者と異なり映像へのこだわりを見せたカラヤンの姿を追う。カット割、別テイク映像など、様々な手法で多くの演奏を映像化したカラヤン。映像制作会社をも設立した彼を貴重な映像や関係各所へのインタビューで追う。貴重な初来日時の演奏の模様も必見。

 という番組のうたい文句に魅かれて、WOWOWの「カラヤン 映像美の追求 」をやはり見てしまいました。別にカラヤン命というわけではないのですが、今だに小生の部屋には、壁にカラヤンのパネルが飾ってあります。

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      部屋に飾ってあるカラヤンのパネル。右側からの珍しいスナップです。講談社版の「世界音楽大全集」のおまけでした

 WOWOWで放送されたドキュメンタリーでは、カラヤンがなぜ自分の演奏を映像として後世に残そうとしたか、そしてその情熱がいかに凄まじいものであったかが、実際に映像作品の政策に関わった人達や当時のベルリン・フィルのメンバーやカラヤンの側近達の証言により明らかにされていました。なつかしい元ベルリンフィルのトーマス・ブランディスやプロデューサーのギュンター・ヘルマンすなどが登場し興味深い証言をしていました。


 ただ、個人的にはNKHのコンサートを自然に撮る映像に慣れていたためか、カラヤンの映像をメインでクローズアップするユニテルやテレモンデアルの映像には抵抗がありました。どうしても、音楽が映像に従属してしまっているような気がしたからです。そこら辺の映像に関するカラヤンのこだわりと葛藤がこのドキュメントでは映像監督のクルーゾーやフーゴ・ニーベリング監督との作品の確執に現われています。やがて、カラヤンは映像技術を身につけて自身が映像にも関与するようになります。学院の髭は禁止し、髪の薄い人にはカツラを着けて演奏させたといいます。あくまでも、映像美を追求するということでとった措置らしいのですが、これはちょっと行き過ぎですね。 

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 最初懐疑的だった映像としての音楽に、日本で放送されたコンサートが何百万人に試聴されたことを知って映像作品に興味を示したという下りは興味深かったです。そして、このことが生涯映像録音技術や音楽フォーマットの進展という側面で日本のソニーと大きくかかわり合っていたこともこのドキュメンタリーで明らかにされていました。なかでも、CDというフォーマットを誰よりも早く興味もを持って期待していたのです。この辺の下りはウィキペディアの「カラヤン」の項目に書かれていますが、このドキュメンタリーでもCDのフォーマットにカラヤンが大きく関わっていたことを示唆しています。2年ごとにベルリンフィルを率いて来日していたのも、このソニーの技術を吸収する側面もあったようです。

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 カラヤンの映像には嘘があります。つまり生演奏の記録ではなく音に合わせて演奏してる映像をいろいろなアングルから何度も撮影し編集した作り物なのです。このドキュメントの中でもさまざまな証言が飛び出しています。録音に合わせて指揮をする自分の姿を撮影したり、楽章ごとにステージの床の色を変えたり、楽団員の影が邪魔になるので椅子の下に電球をともしたりと、音楽を記録するのではなく、それとは別物の映像作品を作っていたのです。オケのメンバーが「演奏家として大音響に合わせて演奏するふりをするのは苦痛でした」と語っていたのが印象的です。しかし、収入になるのですから彼らもあからさまには抵抗出来なかったのですね。

 やがて、ビデオではなく、生の中継の時代がやってきます。それでも、カラヤンは事前のリハーサルで入念にカメラ割りの指示をするのです。徹底しているのですね。まあ、それがカラヤンのスタイルなのですから・・・

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 カラヤンは指揮者としての自分が忘れ去られるのを恐れており、後世に自分の姿を残すために映像作品の製作に非常な執念を燃やしました。番組の中でも、バーンスタインが「ヤング・ピープルス・コンサート」のような優れたTV番組で大きな成功を収めたことにも刺激されたという事が語られています。カラヤンはバーンスタインを最大のライバルと見ていたようですね。ドキュメンタリーの中ではスキーを楽しむ姿や、スポーツカーを運転し、ジェット機を操縦する姿も流されていました。しかし、晩年のカラヤンは必ずしも幸福ではなかったようで、体は脊髄がぼろぼろになっていたと証言されています。確かにその死は突然やってきました。死の当日、カラヤンは彼の個人秘書のローレ・ザルツブルガーに電話をして
「いつも私の世話をしてくれてありがとう」
と語ったそうです。運命的な最後の言葉だったそうです。運命的と言えば、最後の一日についてもウィキペディアに書かれていますが彼の死を看取ったのはカラヤンの夫人では無く、ソニーの大賀氏でした。 ソニーに移籍する直前のことだったのです。

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 カラヤンとエリエッテ夫人

 ただ、彼ほどのクラシック界のスーパースターは今後現われることは無いのではないでしょうか。過去の人となった指揮者の中で、同時期に日本であれほど人気が高かったカール・ベームが忘れ去られようとしているのに比べるとカラヤンは多くのレコーディンクを残し、録画作品を残し今でも、メディアで話題を提供しています。今年はまだまだ盛り上がるでしょうね。