ピリスのモーツァルト | geezenstacの森

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ピリスのモーツァルト

曲目/モーツァルト
ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調《トルコ行進曲付き》KV331
1.第1楽章 14:35
2.第2楽章 6:24
3.第3楽章 4:31
ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 KV310(300d)
4.第1楽章 5:28
5.第2楽章 6:32
6.第3楽章 2:44
ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 KV545
7.第1楽章 3:05
8.第2楽章 4:22
9.第3楽章 1:45
ピアノ・ソナタ 第16番 変ロ長調 KV570
10.第1楽章 5:36
11.第2楽章 6:17
12.第3楽章 3:30

 

ピアノ/マリオ・ジョアオ・ピリス
録音1974/01-02、イイノホール、東京
P:結城亨
E:林正夫
DENON COCO-6790 

 

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 ピリスは好きなピアニストです。といっても、そのすべてのCD所有するほど熱狂的なファではありません。たまたま、ショップで見つけると手に入れる程度です。ピリスのCDは以前ピアノ協奏曲を紹介していますが、今回はソナタです。此所では4曲のピアノソナタが収録されているThe Classics 1300 というシリーズの中の一枚として1990年に発売されたCDです。ピリスはモーツァルトのピアノ・ソナタ全集を2度にわたり録音していますが、これはその1回目の、彼女が29歳の時のものです。とっくに廃盤になっていますが、個人的にはグラモフォンへの録音より彼女の若々しい感性が見事に表出されたものとしてこちらの方が気に入っています。

 

 小生がCDというメディアで、一番最初に購入したのは交響曲ではなくてピアノ曲でした。この録音は古くてもデジタルで録音されたもので1974年の1月から2月にかけて一気に録音されています。当時はデジタルという言葉は一般的でなく、PCM(パルス・コード・モデュレーション)録音といわれた商標で発売されていました。最初機の録音は16ビットではなく、13ビットという独自のレートで、コロンビアの技術陣はほとんど手作りに近いD/Aコンバーターで収録していました。パソコンに例えるなら、WindowsパソコンとPC8001(実際にはこのパソコンも当時は登場していませんでした)ぐらいの違いで非力な能力で音声信号をアナログからデジタルに変換処理していました。しかし、後に16ビットにコンバートされたマスターが使われこうして改めてCDで発売されています。元々の録音が優秀なのか、今聴いてもスタインウェイのピアノの響きのニュアンスを見事に捉えた録音で音の粒建ちは明瞭です。

 

 最初はK.331の「トルコ行進曲つき」とよばれる作品です。ピリスの演奏は音は美しく、第1楽章は落ち着いたテンポで、フレッシュさと清潔さを感じさせるものです。第3楽章が有名ですが、この変奏曲形式の第1楽章も捨てたものではありません。アンダンテの蕩々と流れる音楽の中に、変奏曲のそれぞれの性格がきれいに描き分けられ楽想・音色の変化が楽しい仕上がりです。ペダリングが巧みで、しかもニュアンスに富んだ演奏は心地よい流れを作り出しています。

 

 第2楽章のメヌエットもテンポは中庸で、ピリスの穏やかな温かみのある角の取れた柔らかい音色でモーツァルトの世界へ誘ってくれます。圧巻は第3楽章のトルコ行進曲でしょう。最初聴いた時はこのテンポにビックリしました。テンポが遅いのです。全く遅い。手持ちの遅いので有名なグールドの演奏に比べても更に遅いのです。タイミングを調べると以下のようでした。

 

演奏者  第1楽章  第2楽章  第3楽章
マリア・ジョアオ・ビリス'74 14:35 6:24 4:31
マリア・ジョアオ・ビリス'90 14:12 5:43 3:41
グレン・グールド 7:56 6:36 4:03
内田光子 13:49 6:34 3:32
ダニエル・バレンボイム 14:02 6:30 3:32

 一般にはアップテンポで快活に演奏されるのが常ですがビリスの演奏はひと味違います。哀しみの漂う悲愴な行進曲です。そして、引きずるような展開です。グールドの遅い演奏に慣れている耳にもこの響きは異色に感じますが、何度も聞いていると耳になじんでくる演奏で、ここにいつもは明るいモーツァルトの交響曲第40番に通ずる哀しみがあります。こういう解釈もあり得るのだという新しい発見があります。この演奏は一聴の価値があります。

 

 

 続いては、実はお気に入りはその少し前の、KV310のイ短調のソナタ。第1楽章の主題はアレグロ・マエストーソですがmaestoso(荘重に) というよりは疾風怒濤のように駆け抜けていきます。K.331の後では更に疾走感もともなう印象があります。こちらは幾分強いアタックでぐいぐい押していくピリスの別の面を聴くことができます。一転して、アンダンテ、カンタービレ・コン・エスプレッシオーネ
の第2楽章は切々とした情感の漂う演奏で、それでいて答えの見つからない逡巡を感じさせる不思議な空間を作り出しています。第3楽章は速いテンポで、答えの見つかった光のさす咆哮へ歓びにみちて駆け出していく情景が目の前に浮かびます。

 

 

 15番のKV545も愛らしいテーマが印象的な第1楽章から慈しみの表現に溢れた音楽が流れます。「初心者のための小さなピアノ・ソナタ」とも称されるこの作品、大音量の中で聴くよりもBGM的に適量のボリュームで聴いた方がいいのかも知れません。こぼれるメロディに耳を傾けながら愛読書に目を落とすのがいいのかも知れません。生理的に幸せを感じる演奏です。

 

 アルバムの最後を締めくくる16番の変ロ長調 KV570です。ピリスのピアノは音色が曲によってきらきらと変化し、ここではしっとりとした落ち着いた感じのトーンで始まります。それが途中からキラキラ輝く音色に変わるという風に千変万化に彩られています。聴いてる分には面白くて飽きません。ビリスの音楽性を知る上では格好のアルバムではないでしょうか。素晴らしいモーツァルトの音楽が鳴っています。