星に願いを~羽田健太郎のポップスコンサート | geezenstacの森

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星に願いを~羽田健太郎のポップスコンサート

曲目/
1.ブランデンブルク協奏曲第3番より第1楽章(J.S.バッハ)[7:42]
2.亡き王女のためのパヴァーヌ(ラベル)[6:19]
3.愛のあいさつ(エルガー)[2:54]
4.ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537「戴冠式」より第3楽章(モーツァルト)[12:01]
5.ラヴ・ストーリー・メドレー[11:04]
6.ワルツィング・キャット(アンダーソン)[2:48]
7.プリンク・プレンク・プランク(アンダーソン)[2:55]
8.忘れられた夢(アンダーソン/羽田健太郎編曲)[2:35]
9.イン・ザ・ムード(ガーランド/羽田健太郎編曲)[1:57]
10.シング・シング・シング(プリマ/ボブ佐久間編曲)[5:47]
11.星に願いを(ハーライン)[3:36]

指揮、ピアノ/羽田健太郎
演奏/新星ポップス・オーケストラ

録音/1994/10 東京芸術劇場

PHILIPS PHCP-1435

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 クラシックからポップスまで幅広い活躍をしていたハネケンこと羽田健太郎氏の絶頂期の録音です。このころには当時流行していたフックト・オン・シリーズの録音もしておりメディアにも頻繁に顔を出していました。地元ではメガネのキクチのCMにも登場していました。

 コンサートのライブ収録ですが、前半はクラシックを後半はポップスの名曲を自身のピアノ演奏を交えて繰り広げています。冒頭はバッハで、ここではチェンバロを披露しています。ゆっくりとしたテンポで厳粛なバッハの世界にいきなり放り込まれます。ポップス調のの明るい演奏を期待していると裏切られますが、小生としてはこういう演奏で満足しています。乗りがイマイチという批評(CDジャーナル)がありますがクラシックを理解していない人の批評ではないでしょうか。次の「亡き王女のためのパヴァーヌ(」ではホルンのソロが不安定で冷や冷やものですが何とか崩壊せずに持ちこたえています。この曲を取り上げた意味がちょっと理解に苦しみます。それに比べて、3曲目の「愛の挨拶」はコンサートに相応しい曲でしっとりとした味わいのある演奏になっています。モーツァルトはハネケンの独壇場です。モーツァルトの弾き振りはよくコンサートでも見られますが、通常のクラシックのコンサートとして聴いても遜色の無い演奏です。氏はN響とソリストとして共演した事もある実力の持ち主なんですから。この演奏を聴いていると本格的なクラシックの録音も聴いてみたかったなぁという気がします。

 さて、ポップスのメインは「ラヴ・ストーリー・メロディ」です。慕情/愛情物語/ゴースト〜アン・チェイント・メロディ/ラブ・ミー・テンダー/華麗なる賭け/涙のトッカータ/ウエストサイド物語〜トゥナイト/カサブランカ/ある愛の詩/等々を盛り込んだナンバーでハネケンの編曲のセンスが生かされた内容です。華麗なタッチのピアノはよく動く指に支えられてブリリアントに響きます。クラシックとポップスを同じレベルを保って演奏出来る貴重な存在であった事が伺い知れます。ルロイ・アンターソンの曲が3曲も占めているのが特徴ですが、親子で楽しむ演奏会としてはこういう曲がいいのでしょうね。最初の「ワルツィング・キャット」では最後のところでイヌの吠え声も披露して笑いを誘っています。「忘れられた夢」は氏がピアノ用に編曲してちゃんと登場シーンを用意しています。やはり、弾き振りの方が合っているみたいですね。

 ベニー・グッドマン楽団の名演で知られる「シング・シング・シング」では名フィル・ポップスの音楽監督のボブ・佐久間氏の編曲ですが、オケがジャズのリズムに乗り切れていないのが玉に傷です。でも、まだこちらは聴ける方で、その前の「イン・ザ・ムード」は映画「スウィング・カールズ」の学生にも劣る演奏で、カットした方が良かったのではと思われます。最後は「星に願いを」です。しっとりとしたピアノ・ソロがこの名曲を引き立ててくれています。羽田健太郎氏は、アンコールでよく「星に願いを」を弾かれたそうです。故人の演奏をこうしてCDで聴くことができるのは我々の楽しみでもありますが、星の上で安らかに眠られていることを祈ります。

羽田健太郎
1949年1月12日、東京都生まれ。ピアニスト、作・編曲家。桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業と同時にミュージシャンとして音楽活動を開始。クラシック・リサイタルのほかポップス、映画、TV、舞台、ゲーム音楽なども多数手がける。80年の映画『薔薇の標的』では日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。『題名のない音楽会21』の司会者を務めるなどテレビ出演も多く、マルチ・アーティストとして活躍した。2007年6月2日、肝細胞癌のため死去。享年58。