月光―松本清張初文庫化作品集〈4〉 | geezenstacの森

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月光―松本清張初文庫化作品集〈4〉

著者 松本清張
出版 双葉書店 双葉文庫  

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 電気会社の出張所に勤める男は、将来に不安を持っていた。しかし上司はそれを顧みることはしなかった。やがて会社は傾く。起死回生を図り社債を発行するが売れずに上司は首を吊る。その時男は…。―著者の自伝的要素の強い「河西電気出張所」、美貌の俳人・橋本多佳子を描いた「月光」、日韓併合を伊藤博文の愛人の視点で綴った「統監」など傑作4編を収録。---データベース---

 初文庫化作品集もこの4集で最後です。この第4集は氏が純文学を目指していた頃の作品集となっていて,推理小説に類するものは収められていません。しかし、氏としては珍しい自伝的内容を含む作品が2編も収められていて興味深いものがあります。

◆河西電気出張所
 最初のこの1編もそういった類いのものです。松本清張は名前こそ違え、川北電気企業社小倉出張所に3年ほど給仕として働いていました。脚色はありますが,そういう点で私小説といえる内容になっています。給仕という仕事はお茶汲みであり,使い走りです。今でいうフリーターのような存在で,事実氏も不況により出張所の閉鎖で懐古されています。現代に置き換えてもあり得るべきエピソードで、先の「潜在光景」の中の「八十通の遺書」のサラリーマンの悲哀を描いたストーリーにも相通ずるものがあり、その根本は変わらないものだとつくづく考えさせられます。

◆月光
 登場人物の名前は変えていますが詩人「橋本多佳子」の晩年の生き様を自伝風に関わりのあった人物(多分清張自身をモデルにしていると思います)の目を通して描いています。ストーリーはこの多佳子と不昴こと西東三鬼との関わりを描くことによって当時の俳界の状況をも描いています。これは、同様の題材を描いた「菊枕」という作品の続きのようなものです。一般にはその橋本多佳子の生き様を記していますが,小生には逆に東西三鬼の評伝記のようにも取れました。この作品は昭和41年、作家が57歳のときの作品で、多数の連載の合間に時間を見つけて執筆したようです。清張としては、長年温めてきた題材で、俳句をテーマとする小説を書きたくなったのでしょう。なお、この小説は『月光』という名前になっていますが、当初は『花衣』として発表されたこともあります。ここら辺りのタイトルの変更は清張本人の勘違いによるものということですが少々ミステリアスです。その経緯は文庫の解説に詳しく書かれていますからここでは割愛します。
 橋本多佳子は「羽島悠紀女」という名前で登場します。多佳子の夫、久女との係わり合い、夫の死後大阪に出て山口誓子に師事するという経歴も、ほとんどそのまま別名の登場人物、別の場所に置き換えて語られています。西東三鬼の記述もそのまま合致します。戦前から昭和60年頃までの二人の関わりを通じて描かれるストーリーが、二人の出会いを目撃した一瞬のしぐさを看破した清張の眼力によって描かれていることに驚異を覚えました。

◆統監
 学生時代に習った日本史は、近、現代に近くなると時間がなくなりかなり端折って教えられた記憶で、自分の中でも欠落している部分です。この一編はその明治時代の政府の要人だった伊藤博文の韓国統監時代を描いた評伝です。しかし、ここでは伊藤博文が女好きだったという視点から一人の芸者の目を通じて語られている点が興味を引きます。それは清張の視点から描いたものですが、当時の列強の植民地政策を模して日本が韓国を植民地化する有様を、当時の資料を注記に使いながら脚色して描いています。庶民の目を通して語られる日韓併合の歴史は生々しく臨場感があり、大きな歴史の事件を裏の部分から浮かび上がらせていてかえって真実みを感じさせます。それにしても,清張の語り口は上手いものです。

◆背広服の変死者

 「河西電気出張所」の主人公は、10代の頃の清張そのまま。電気店の給仕として働きながら、正社員登用への道も見えず、使い捨ての フリーターのような身分で、将来の不安で一杯だった若い頃の清張の青春時代を想像させるものでしたが、「背広服の変死者」は、清張が勤めていた朝日新聞西部支社広告部勤務時代の頃の経験がうかがえる作品となっています。中年になり、今の無感動な仕事に就いたまま人生を終えてよいものか焦燥にかられる主人公の姿に、作家になる前の清張がサラリーマン時代に抱いていた窒息感、絶望感をうかがい知るとができます。校正係というおよそ新聞社の中でも一番マイナーな部署から抜け出すことができない焦り,そして、学卒者に追い越されていく社会構造の厚い壁に絶望を感じた男のストーリーとして投影されています。夢を選ぶか安定を選ぶか、中年期に差しかかった多くのサラリーマンの不安が上手く描かれています。
 実際にはタイトルのようにこの主人公は死にません。現実に氏はそういう苦悩を突き抜けて第2の人生を成功させたのですからその転身はうらやましい限りなのですが,こういう過去を背負っているということは我々サラリーマンの励みになります。