チャック・マンジョーネ「ファン・アンド・ゲームズ」 | geezenstacの森

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チャック・マンジョーネ「ファン・アンド・ゲームズ」

 

1. 栄光をめざして-1980ウィンター・オリンピックのテーマ-
2. ユー・アー・ザ・ベスト
3. ピナ・コラーダ
4. つのる想い
5. 栄光をめざしてパートII
6. ファン・アンド・ゲームス

 

パーソネル:
チャック・マンジョーネ/フリューゲル・ホルン、エレクトリック&アコースティック・ピアノ、ボーカル
クリス・バダラ/フルート、ピッコロ、ソブラノ&アルトサックス
グラント・ゲイスマン/ギター
チャールズ・ミークス/ベース、ハーモニカ
ジェームス・ブラッドリィ,ジュニア/ドラムス
トランペット/ジェフ・テツィック
トロンボーン/ビル・レイヘンバッハ
録音:1979,1980 ウェストレーク・スタジオ、ロス・アンジェルス
 
プロデューサー/Ckuck Mangione
エンジニア/ Mike Guzauski

 

A&M D18Y4105

 

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 77年に発表した「フィール・ソー・グッド」がインストゥルメンタルの作品にも拘わらず全米アルバム・チャートで最高2位まで上がり、大注目を浴びたというチャック・マンジョーネが80年に放ったヒット作です。

 

 1980年にアメリカはニューヨーク州のレイクプラシッドで開催された冬季オリンピックのテーマで、シングル・ヒットにもなった「栄光をめざして」を収めたこのアルバムは登場3週目でトップ10入りと大健闘し、当時の人気の高さを物語ったものです。この頃、レコードを買わなくてもいいほどFMラジオからは彼の透き通るようなフリューゲルホーンが心地よく響きわたっていました。それまで、フリューゲル・ホルンなんざ全く知らない楽器だったのでその響きが新鮮に聴こえたものです。

 

 1曲目はアップテンポ、5曲目はスローバラードで同じ曲を料理しています。タイトルから分かるように、かなりこのオリンピックをイメージした作品が散りばめられ、2、6曲なんかもその延長線上にある作品です。アルバム・タイトルにもなっているファン・アンド・ゲームスはベースとドラムスを主体にしたリズムを刻むファンキーなサウンドが心地よい響きを醸し出しています。公式アルバムではありませんがアメリカ人に録ってはメモリアルアルバムなのではないでしょうか。

 

 
 オリンピックをテーマにした曲でのヒット曲というと古くはフランシス・レイの「白い恋人たち」に止めを刺すでしょうが、札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」も懐かしいところです。前者が1968年、後者は1972年にヒットしました。このレイクプラシッド大会ではアイスホッケーで常勝ソ連チームに勝つという奇跡を成し遂げた大会でもあります。夏のオリンピックでは何といっても東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」でしょう。そして、1984年のロス五輪の「オリンピック・ファンファレとマーチ」も記憶に新しいところです。このオリンピックは商業主義と揶揄されましたが公式アルバムなんかも発売されてけっこう話題になりました。

 

 

 話が脱線しましたが、このアルバム各パーソネルが複数の楽器を使いこなしていて、オーバーダビングの手法を使っているのでしょうが豊かなサウンドです。3曲目の「ピナ・コラーダ」だけはアフリカンティストのボーカルの掛け合いで始まり異色の仕上がりとなっています。4曲目もスローのブルースです。アコースティク・ギターがシャウトしチャックのフリューゲルホルンがそれを包み、クリスのソプラノサックスに繋ぎます。しっとりとしたいいナンバーです。この4、5曲目がスローナンバーのためによけい最後のタイトル曲が映えます。

 

 

 当時のフュージョン、クロスオーバーの流れに乗って心地よいサウンドが体を吹き抜けていきます。

 

プロフィール
 1940年11月29日米国ニューヨーク州西部のロチェスター生まれ。幼少からトランペットを始め、その後イーストマン音楽大学で学ぶ。ジャズメンたちとのジャム・セッションを重ねた後、60年から実兄であるギャスパー"ギャップ"マンジョーネと、ザ・ジャズブラザーズというハード・バップ・ジャズ・バンドを結成し、5年ほど活躍した。
 解散後の65年より、ウッディー・ハーマンとメイナード・ファーガソン・バンドでトランペットを担当。その年の後半にはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに参加し、67年までプレイした。ジャズ・メッセンジャーズを去った後は、母校で教鞭をとりながら再び小さなバンドを結成。その頃からトランペットに代わり、陽気な音色を奏でるフリューゲル・ホーンでの演奏をするようになった。
70年から80年初めまでのレコーディングは大成功を収め 、多くのコンサートをこなしつつ、幅広いリスナーを獲得。彼のラテン・テイストをふんだんに取り入れたメロディアスで心地よいナンバーは多くのヒットを残している。確かにコアなジャズ・ファンには当時好意的にされなかったが、今までジャズというジャンルに気後れしていたリスナーをスムーズに導いた功績はやはり高く評価すべきだろう。また、彼の作曲は多くのミュージシャンに取り上げられているが、パーシー・フェイスやキャノンボール・アダレイといった全くタイプの異なるミュージシャンにも演奏されているのは意外と知られていないかも知れない。
 マンジョーネのナンバーのなかでも「Feels So Good」「Land Of Make Believe」といったナンバーは非常にポピュラー。特に前作は、全米チャートでトップ5入りを果たし、同タイトルのアルバムは、Billboard 200のトップ2を獲得した。
 また、しばらくの間表立った活動をしていなかった彼だが、90年後半には再びツアーを開始。――98年にはアルバム『The Feeling's Back』で心にしみるリリカルなフリューゲル・ホーンを粋でシンプルなアレンジと共に披露している。