叔父の作品は無審査の委嘱作品として会場入り口の第1展示室の入って右側に展示してありました。タイトルは「里」という作品で昨年に引き続き農家を題材とした作品に仕上がっていました。師譲りのモノトーンを基調に色彩の変化で農家の伝統と歴史の重みを見事に描いています。? 東海展では日本画、 洋画 111点、彫刻86点、工芸美術131点、書134点の計?573点が展示されていたのですがどれも見事な作品でさすが日展の底力と改めて感心させられました。毎年同じ題材で出品する作家や、一つのテーマを老い続ける作家、表現方法は多種多様でまさに日本の工芸美術作品の縮図を見るようで壮観です。? 中でもやはり絵画は一番の人気で売店でも絵はがきサイズの作品が飛ぶように売れていました。そのような作品の中からここではもう1作品、中路融人氏の「耀」という作品を取り上げて掲載してみました。構図といい色調といい引き込まれるものがありしばし見入った作品ながら写真にするとその魅力は10分の一も伝わらないのが残念です。? やはり、絵画は現物を直接見て鑑賞しないとその魅力は分からないものです。
日展とは
「我が国も公設の展覧会を開き、文明国として世界に誇れるような芸術文化を育成しようではないか」当時オーストリア公使だった牧野伸顕は日本の美術の水準をもっと高めたいという夢を抱いていました。? この夢が実現するのが明治39年です。文部大臣になった牧野はかねてより念願の公設展開催を決め、明治40年に第1回文部省美術展覧会(略して文展)が盛大に開催されたのです。? この文展を礎とし、以来、時代の流れに沿って「帝展」「新文展」「日展」と名称を変えつつ、常に日本の美術界をリードし続けてきた日展は98年の長きに渡る歴史を刻んできました。? 最初は日本画と西洋画、彫刻の3部制で始まりましたが、昭和2年の第8回帝展から美術工芸分野を加え、昭和23年の第4回日展からは書が参加して、文字通りの総合美術展となったのです。? 昭和33年からは、民間団体として社団法人日展を設立して第1回日展を開催し、さらに昭和44年に改組が行われて今日にいたっています。