劇画「拳児」の秘伝技を分析 その2 最大秘伝で最大のナゾ。站樁の秘密に迫る! | 山田英司の非officialブログ 利用客の多い武道駅 マニアックだからホントに迫れる

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樁は中国武術修行者だけでなく、空手修行者にもよく知られた鍛錬法です。

しかし、その割には站樁が、何の為に行うのか?どうして中国武術に必要な能力を養えるのか?を正しく理解されていないようです。

果たして、ただ立つだけで気の力は本当に養えるのか?神秘の力は手に入るのか?今回は武術マニアなら一度はぶつかるこの疑問に切り込んでいきましょう。



「拳児」では、拳法の習い始めに、馬歩站樁を徹底してやらせるシーンが何度か出てきますね。

一度目はもちろん拳児の練習始め。

拳児は夏休みにじいちゃんの田舎で本格的に拳法を学び始めます。


じいちゃんは「これから教えるのは李書文の拳法だ」と言って八極拳の小架と馬歩站樁を教えます。

ただし、小架は李書文系ではなく、馬家の型でした。







馬歩站樁は、正しい姿勢を保つと数分で足がプルプルしてきます。

拳児は夜明けから馬歩になり、日が登るまでやっているので、少なくとも数十分はこの姿勢を保っていたのでしょう。


少し腰が高くなると「もっと腰を落とせ!」とじいちゃんの檄が飛びます。

あまりの辛さに拳児は泣きながら「もう いやだよ」と膝をついてしまいます。

本格的な拳法修行がいかに厳しいものか、拳児が初めて悟るシーンですね。


また、当の李書文自身が幼い劉月侠に八極拳を教えるシーンでも全く同じ描写が出てきます。


こちらは夜明けまでではなく、時間経過を表す木の様子だと冬から葉の茂る春、葉が落ちる秋までずっと馬歩站樁。

ほぼ一年間、馬歩站樁を続けさせたようです。当然腰が高くなった劉月侠に、「もっと腰を落とせ!」と李書文も檄を飛ばします。





こう見るとじいちゃんの言っていた言葉の意味もわかってきます。

じいちゃんの言う「李書文の拳法を教える」とは、型ではなく、馬歩站樁を教えることを指していたと思うと納得がいきます。


それほど、李書文は馬歩站樁を拳法の基本として大切にしていたようです。そう、馬歩站樁には、実は深い意味があるのです。


拳児は暑い日差しの中、じっと站樁をさせられ、顔中汗ビッショリになってましたが、この辛さは私は良くわかります。


実は私も中学生の頃、真夏の土手で何時間も腰を低くする練習をさせられたことがあります。近所の佐藤金兵衛道場の師範代だったK先生になぜか毎週マンツーマン指導。

K先生は厳しい基本の指導をするので、道場では生徒がついてこないので、何も知らない私に、拳法の基礎を叩きこむ実験をしたかったようです。



さて、佐藤金兵衛先生の先生は、あの有名な王樹金先生。

王樹金先生は意拳の王向斉先生から站樁を学んだわけですが、この派の站樁は腰が高く、ほぼ棒立ち。なぜ、私だけあんなに低くやらされたんだろう、と不思議に思ったものです。



王樹金先生の站樁。




澤井健一先生の立禅



姚宗勛先生の站樁



王向斉先生から学んだ澤井健一先生の太気拳の立禅は少し腰を落としますが、姚宗勛先生はほぼ棒立ち。

日本では澤井先生の影響で站樁と言えばこうした姿勢で行うものと思われてますが、これは私がやらされてきた站樁とは違うようです。


そもそも拳児で表現されているように、站樁は学び始めの子供が行うもの。拳児も劉月侠も、私もそうでした。

しかし、太気拳の立禅は澤井先生のイメージが強すぎるのか、老人や壮年が行うイメージがあります。


太気拳や意拳では、ゆったりと全身の力を抜き、自分のイメージと身体との関係を少しずつ探っていく。

今流行りのマインドフルネスを重視する練法ですね。イメージを重視するので意拳と名乗ったのでしょう。


しかし、実はこうした練法を重視するのは養生法としては昔からありましたが、武術では、決して大勢ではなかったと思われます。

だからこそ、当時、王向斉先生の意拳が画期的と思われた訳です。


その理由は色々ありますが、最大の理由は、武術は伝統的に意念を通す時、必ず動作を伴うようにしてきたからです。

今サラリと書いてしまいましたが、これは相当の秘伝です。


我々は五行の気で意念、動作、身体内部を結びつけますが、呉式太極拳の沈剛先生によると、呉式太極拳でも身体を動かさずに意念を操ることはせず、必ず動作を伴なわせるそうです。


むしろ、近年の中国で文革以降にたくさんあらわれた気功法が意念を重要視しますが、本来の武術の練法とは違い、偏差や自己暗示の危険性が常に伴います。


ちなみに沈剛先生が都内の気功法指導者を訪ねたところ、ほとんど?だったようです。


意拳の站樁も、それだけで不思議な気の力を得られると思っていると、こうした落とし穴に陥る危険性はあります。

それを避けるために、澤井先生は練りや這などの意念と動きを一致させる練法も必ず併修させたのでしょう。


いずれにしろ、李書文が伝えた馬歩站樁は意念を重視するものとは違うようです。


その注意点を松田先生の「中国拳法入門」から見て見ましょう。

要約すると「意識を丹田におき、舌先を上あごにつけ、鼻で呼吸し、下肢を鍛えます。膝が震え出したら静かに中止します。」というもの。



松田先生の馬歩站樁の解説


本の解説なので大分優しめですが、私が松田先生に馬歩站樁の時間の目安を聞いたら、「長くやる人は2時間くらい。30分はできないと話しにならんだろ」という返事で本のように優しくはありませんでした。


先日、八極拳のオンラインクラスの撮影で、私も馬歩站樁の解説をしました。

じいちゃんがそう思ったように、その解説がないと李書文伝の八極拳にならない。それほど大切な練法です。



実際に姿勢を守って腰を落としてみましょう。

大体皆さん5分でギブアップですね。そう、馬歩站樁には5分の壁があります。

逆に言えば、5分までは筋力と根性があればできます。


しかし、それだけでは5分の壁は越えられません。

筋肉がプルプルになり、腰を高くしようとすると、じいちゃんも李書文も「もっと腰を落とせ!」と拳児や劉月侠に檄を飛ばしていました。


そう、本当に大切なのはここから。決して「膝が震え出したら静かに中止します」を行ってはいけません。松田先生は最大の秘伝ポイントを本で隠していたわけです。

 

筋力で馬歩を支えられなくなったら、人はどうするか?筋力では支えられないのですから他の方法で支えなければなりません。

骨で立つのです。


力をぬいて、自分の身体の骨に如何に自分の身体の重さを分散させて乗せるか。自然と身体が模索します。これは言葉で伝えられるものではなく、各自が自分の身体と向き合う中でしか発見できません。


骨での立ち方は本来は各自が探すべきで、あまり答えを書かない方がいいのかもしれませんが、今回は、特別に少し紹介します。

まず、左右の感覚は、「両足親指側で立つ」。

これは足の親指側に重心を置き、二本の棒で上体が支えられているイメージ。内側に張りができ、太極拳で言う円襠が作れます。



八極拳オンラインクラスでの馬歩站樁。左右の親指側の骨で立つと楽。



また、前後の感覚は「上体の直立は仙骨を入れて後ろに寄りかかる」ようにします。太極拳で言う立身中正ですね。



前後には仙骨をいれて後ろの壁に寄りかかるイメージ。まさに空気イスです。


このように、武術の身体操作を行う基礎である姿勢が嫌でも身につくのがこの練法。

姿勢の基礎ができた上で技を覚えていかねば、技が身体に浸透していきません。


だから若い頃や学び始めに徹底して行うのが、李書文の教えでした。

むろん、その先に強烈な発勁を学ぶ前提があるからこその姿勢作りです。

昔の武術家は時間がかかっても、確実な方法を弟子にとらせていました。

ある意味とても合理的で科学的な方法ですね。

これが伝統武術の知恵。馬歩站樁の秘密だったのです。






李書文の練法をより詳しく学びたい人はこちら

https://youtu.be/ztTXre0osNo



http://budo-station.jp/page-2793/