人生の岐路で、ある選択してしまいましたとさ。
チャンチャン
時空のクロスロードシリーズを読んでいたので、
ふと鷹見さんの本に手を出してみた。
自分が高校のころと感性が代わったのか、
はたまた今回のキャラクターが問題なのか。
クロスロードシリーズとは、また違う趣で読み終えた。
関係ないけど、
自分にはやはりSFが合ってるような気がするので、
その辺を重点的に巡りますかね。
姉が海を越えていったので家の中でお引っ越し。
心機一転。
本に対する心の整理もできたし、よかったよかった。
さて、「慣れ」を実感していきましょ。
心機一転。
本に対する心の整理もできたし、よかったよかった。
さて、「慣れ」を実感していきましょ。
罠にはまりました。
どうやら私にはカフカの長編小説が合わないよう。
以前は図書館で借りてきた「審判」を貸し出し期限により断念。
今回は買ってきた「城」が 進まない。
ほかの本と進むペースはそんなに変わらないかもしれないけれど、
どうしても面倒くさい。
「変身」と「断食芸人」は好きな部類だったんですが。
訳者の相性も考えられるけど、今回は作品の性質のようだし・・・。
読みかけを放り出すのはあんまり好きではないのでどうしたものか。
箸休めで読み始めた絵つき小説も、チョイスが悪かった。
興が乗らないという最悪の事態に。
我が読書ライフには、ふわりふわりと白い埃が積り始めるのであった。
どうやら私にはカフカの長編小説が合わないよう。
以前は図書館で借りてきた「審判」を貸し出し期限により断念。
今回は買ってきた「城」が 進まない。
ほかの本と進むペースはそんなに変わらないかもしれないけれど、
どうしても面倒くさい。
「変身」と「断食芸人」は好きな部類だったんですが。
訳者の相性も考えられるけど、今回は作品の性質のようだし・・・。
読みかけを放り出すのはあんまり好きではないのでどうしたものか。
箸休めで読み始めた絵つき小説も、チョイスが悪かった。
興が乗らないという最悪の事態に。
我が読書ライフには、ふわりふわりと白い埃が積り始めるのであった。
焚書を題材にしたSF。
まさにいつの時代でも読むべき一冊。
序盤の少女で啓蒙するきっかけを与え。
中盤のフェイバーで具体的な現状を糾弾、
本の引用をもちいたビーティからの圧力。
終盤に思想。
読んでいて、次のような思いが背をひやりとさせた。
「物語や思想など、圧縮され、要約された一文を聞き満足する」
実際、本に手を伸ばすか否かは、私たち次第である。
グラース家を描く円周上の一点。
内容は「フラニー」と「ゾーイー」の連作。
さて今回の「フラニーとゾーイー」、
グラース家前作の「ナイン・ストーリーズ」と同様、
考え方を変えてくれる力をもっている。
最後の3ページを心して待て。
小市民シリーズ4冊目。
うん、しかしほんとうに嫌みなことをさらりと言ってくれる。
もちろん、そこがおもしろいんだけれども。
<小市民シリーズ>
米澤穂信さんの新刊。
特に目立つ事の無い小市民を目指す2人、
小鳩君と小佐内さんが、
前作で互恵関係を解消してしまった。
これはその続きのお話。
帯にある文が内容を端的に表しているのではなかろうか。
以下に引用。
「去年の夏休みに分かれたというのに、
なんだかまた、小佐内さんと向き合っているような気がする。
僕と小佐内さんの間にあるのが、
極上の甘い物を乗せた皿か、
連続放火事件かという違いはあるけれど—」
小佐内さんは連続放火事件を追う新聞部部員とつきあい始めるが、
その行動理由を、マロングラッセを用いて語る。
妙に迫力のあるシーンで、
小佐内さんのとらえどころの無い特徴をよく表した題材、内容、道具、口調であった。
今回も後ろで何やら動いてるらしい。
余談ではあるが、今回の題名に入ったスイーツは「栗きんとん」だったが
一時期「マロングラッセ」を予定していたらしい。
(米澤さんの旧HPに、変更した理由がおもしろくおかしく仄めかされている。)
果たしてこのシーンと題名ではどちらが先に書かれたのだろうか。
一方、小鳩君。
推理癖は無くならないが、
対人の会話術を模索しているようである。
といっても、1巻時点とそう代わり無いようにも思える。
ある意味成長の無い2人なのだ。
小鳩君と小佐内さんの特徴は、
小説の書き方で際立っていて、
小鳩君目線の文章は多用され、
思考の流れも推理として読みやすくなっているのに対し、
小佐内さんの思考は文章中に出てくる事はほとんどなく、
何を考えているのか底が知れない。
内容も日常の事件を大げさにしたもの程度なので読みやすく、
わざとらしさもそこまで感じない。
なにより事件を挟んで垣間見える、
(あえて言おう)キャラクター性が
読みやすさに寄与し、
さらにおもしろく読めるのではないだろうか。
まさにミステリー入門のシリーズと言えるだろう。
「ライ麦畑でつかまえて」で知られているサリンジャーの短編集。
地の文では濃密な空気感が漂っていて、
短編とは思えない重量感を感じる。
そのなかにおいても会話は薄れる事がなく、
ずっしりとした存在感を主張している。
それが何を意図して描かれているかとなると、
残念ながら僕には書き記し事はできません。
(ライ麦畑でつかまえてと同じように)
たとえがんばって表現しようとも、
何処か闘牛のようにひらりとかわされてしまうような、
何を言っても確信をつけないようなイメージ。
ぜひとも自分で読んでいただいて、感じていただきたいですね。
笑い男は主人公の最後の心情
小舟のほとりでは頑さ
エズミに捧ぐは汚辱の話が好きな少女
がそれぞれ印象的。
テディは後一歩で隻手の
音声を聞く所でした。







