フィリピンと梅屋庄吉が唱え続けた「世界兄弟主義」を今こそ! | 海外(アジア)の豆知識 & ちょいとした話 〜 jintottyのブログ

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長崎出身の実業家、梅屋庄吉は1895年に香港で孫文と出会い、意気投合して中国革命支援を約束しました。

庄吉はまた、香港亡命中のフィリピン独立運動指導者エミリオ・アギナルドとも会い、これまた意気投合しました!



《フィリピンの独立運動》

独立を求める人々はまず、古くからの支配者スペインと闘い、次に新たな支配者アメリカと闘いました!

アギナルドが闘争継続のため帰国する際、庄吉も同行しています。

なぜ庄吉はこんなにも革命家に共感しえたのか


ともかくも、庄吉は独立軍の軍服を着たり、兵士とくつろいでいる写真を残していますから、フィリピンを思う気持ちは相当深いものでした。



《戦後までの苦しみ》

アギナルドは1899年に独立を宣言し初代大統領に就任しますが...アメリカに鎮圧されてしまいます。

太平洋戦争が始まると日本軍が乗り込んできて、今度は抗日闘争が広がります。このとき、日米戦闘の巻き添えで110万人ものフィリピン人が亡くなりました。

結局、真に独立を果たすのは戦後のこと...



《皇太子夫妻の訪問》

1962年、皇太子(現在の天皇)夫妻はフィリピンを親善のため訪問し、93歳のアギナルドとも会っています。



《罪を憎んで人を憎まず》

フィリピンにはたくさんのヒーローがいます。それに加えて、外国人である日本人もフィリピンでのヒーローになっています。
戦争で迷惑をかけたはずなのに・・・なぜ?

 

フィリピンでは、恨みの連鎖を未来に引きずらないように断ち切って、「日本は有色人種であるアジア諸国を欧米諸国の植民地から開放したヒーローなんだよ」と教育しているようです。

私は、独立記念日頃にフィリピンの映画館へ行ったことがありますが、映画の本編が始まる前のCM映像を見(植民地になるところから日本軍が来て独立に至り現在のフィリピンになるまでの流れ)が数分流れました。



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「罪を憎んで人を憎まず」by 大岡忠相



《しかしながら...》

今では親日のイメージがあるフィリピンでは一方で、多くの日本人が拳銃で殺されています。フィリピンでは殺人依頼が珍しくないのです。僅か数万円程の報酬で殺人依頼を受け、日本人を殺害...

これがもし窃盗目的での犯行だとしても恐ろしい話です。

日本人が海外で殺害される一番の国は、なんとフィリピンなのです。確かにフィリピンの治安は、世界的に見てあまり良くないことは知られていますが、これは異常な数字です。親日国と言われているものの、個人レベルでは戦時の植民地支配に対する恨みを持っている人が少なくないのではないかと感じてしまいます。

勿論、反日感情を持っていたとしても一般人は犯罪起こしません。ごく一部の犯罪を起こす素質のある人物が、それを動機に日本人をターゲットにする可能性があるということなのかもしれません。


《日本人の意識を変えることが大事》

いくら親日国と言っても、それはあくまで国が親日という方針なだけであり、個人がそうだとは限りません。逆に反日国にも同じことが言えます。国というのはただの箱であり、箱で中身が決まるわけではありません。大事なのは、個人にきちんと目を向けること。まずは日本人が意識を変えていくことが大切だと思います。そうすればきっと、反日国の意識も変わっていくのではないでしょうか。


《庄吉の信条》

梅屋庄吉の信条は、「世界兄弟主義」でした。この理想を世界が共有していれば...


善良なフィリピンの人々の気持ちに習い、今こそ、未来に向けて掲げるべき理想なのではないでしょうか



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