「宗教的罪悪感」の存在が遷延化の要因となり「歩くこと」と漢方治療が奏功した遷延うつ病の一例
*
【抄録】
涜神恐怖的「宗教的罪悪感」の存在および抗うつ薬の副作用に極めて過敏である故に遷延化し、「歩くこと」と漢方投与が奏功し寛解状態に達したうつ病性障害の症例を報告した。この症例は原発性不眠症とアルコール依存を伴っていた。
症例は41歳、主婦。23歳時、失恋が原因で原発性不眠症となり、それ以来、アルコールを比較的大量に摂取した後に睡眠導入剤を服用し、睡眠を取るようになる。
倦怠感と朝の起床困難の発症は35歳。35歳にての結婚後、姑との激しい諍いが発症要因と推察される。このとき、症例の宗教的信念と真面目すぎる性格故の、姑を憎む憎まないとの激しい精神的葛藤が存在していた。
sulpiride を除く抗うつ薬の副作用に極めて過敏に反応し、sulpiride 以外の抗うつ薬は服用できなかった。本院来院時より漢方投与とともに「歩くこと」をできる限り毎日、行うように指導。うつ病性障害は次第に軽症化してゆき、寛解状態に至る。原発性不眠症、アルコール依存も寛解。現在も「歩くこと」を日課としており、うつ病性障害、原発性不眠症およびアルコール依存は寛解状態を続けている。
【key words】protracted depression、religious guilt、walking、primary insomnia、herbal medicine
【症例】
[症例] 41歳、女性、主婦。
[診断名]
(B総合病院精神科通院時)
軽症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Mild)296.21, DSM-Ⅳ-TR
アルコール依存(Alcohol Dependence)303.90, DSM-Ⅳ-TR
原発性不眠症(Primary insomnia)307.42, DSM-Ⅳ-TR
(本院来院時)
中等症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Moderate) 296.22, DSM-Ⅳ-TR
アルコール依存(Alcohol Dependence)303.90, DSM-Ⅳ-TR
原発性不眠症(Primary insomnia)307.42, DSM-Ⅳ-TR
[家族歴] 母親が若い頃(30歳前後)、1ヶ月ほどの精神科入院歴あり。母親は50歳前後にも再び悪化し1年間、通院した。母親は50歳前後に再び悪化したとき「薬を飲むと気分が悪くなる」と言い全く服用せずS会の祈りを夜を徹して行って治したという。少なくともうつ病性障害ではなかったと推測される。
[性格] 真面目、几帳面、完璧主義、責任感強い。
[生育歴] 4人姉妹の長女。一家挙げてのS会の熱心な会員。症例も幼い頃より熱心にS会の信仰を行っていた。
[既往歴] 23歳時、失恋により原発性不眠症発症。それ以来、精神科にて睡眠導入剤を処方される。眠前にアルコール飲用と睡眠導入剤服用を同時に行うようになる。眠前のアルコール飲用のことは数カ所の病院にて医師に相談したが「緊張が高いため多少アルコールを飲んで、その上に睡眠導入剤を飲んで眠れたら良いでしょう」と言われてきた。
結婚前にも仕事とS会の活動による肉体的疲労、精神的ストレスが主因と推測されるうつ病性障害に類似した症状に陥ったことが数回ある。しかし、結婚まで抗うつ薬を処方されたことはなかった。
[来院前処方] sulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/日(以上の3剤は一日3回服用)。
zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日、rilmazafone 2mg/日、zopiclone 15mg/日(以上の4剤は眠前服用)。
[現病歴]友人より、同じS会の会員である3歳年下の会社員の青年を紹介され交際を始める。
1998年3月、交際を始めて1年ほどで結婚する。結婚は35歳時。結婚後、姑との折り合いが悪く、激しい諍いの末、結局、1998年4月、姑と別居する。
1998年4月、朝の起床困難と倦怠感出現したため、通院先をB総合病院の精神科へ変更。ここで「軽いうつ病です」と言われる。また、ここで通院の度に投薬内容が変更されるほど多種類の抗うつ薬を投与される。sulpiride を除く全ての抗うつ薬に激しい副作用を示す。
夫は会社員であり、片道2時間近くの遠距離通勤で、帰宅は毎日夜12時頃であった。夜食を共にする故、夜の就寝は深夜2時過ぎになっていた。
頻繁に37.3℃ほどの微熱ではあるが発熱が起こる。風邪ではなく、産婦人科的な検査も充分受けており、精神的なものから来る発熱であることは症例自身充分理解していた。
症例の起床時間は少しずつ後退してゆく。1998年末には午後にならないと起床できなくなる。
1999年5月、 fluvoxamine を吐き気止めとともに処方される。しかし「天井が回るほどでした」と言う激しい吐き気と頭が割れるように痛くなり、救急車で病院へ行き、頭部CTを撮る。頭部CT上、特記すべき所見なし。
alprazolam も処方されたが「異常に喉が渇き常に水を摂っていないと居られなくて飴を舐めたり、ガムを噛んだりしていた」状態となり、それ以降は処方されていない。
bromazepam を服用しても「異常に喉が渇き、これを服用しても不安感・緊張は取れなかった」と言う。
「常に後頭部がボーッとしている」とも訴える。
1999年8月より2ヶ月間、漢方薬局にて漢方薬の処方を受け服用するがほとんど効果無し。
2000年7月、B総合病院の精神科通院を中止し、 同じS会の会員である医師が経営している近医の内科医院に通院開始。sulpiride 100mg/日、 cloxazolam 4mg/日にて小康状態となる。この処方が2年近く続く。この医院では患者医師関係は極めて良好であった。しかし、sulpiride の副作用と推定される月経停止のため、Cクリニック(精神科)を紹介される。
2002年5月、Cクリニックへ通院開始。最初はsulpiride を抜きcloxazolam 4mg/日にて開始。月経は再開したが、倦怠感が激しくなり寝込むようになる。そしてsulpiride の投与を再開。sulpiride 50mg/日にて月経は停止する。この頃、胃を悪くして1週間ほどアルコール飲用を中止したが、強い緊張感のため眠れず、昼夜逆転しているため何時までも激しい倦怠感で起きることができなかった、と言う。
2003年1月、それまでは朝の起床困難、倦怠感、そして不眠のみであったが、始めて抑うつ気分を自覚。(しかし、日記よりうつ病性障害の発症は35歳時と推定される。35歳時より午前中に強い軽い抑うつ気分、午前中に強い器質的な原因に依らない疲労感の出現などが出現している。35歳時に「いつまでも横になりたい」という記載有り)この時点の投薬内容は sulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/日 (以上は一日3回服用)、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日(以上は眠前服用)。また、この頃、眠前のアルコール量が3合から4合へと増加する。
2003年3月上旬以前は、眠前にアルコール飲用と zolpidem 10mg、triazolam 0.5mg を服用して入眠可能であった。
2003年3月上旬より中止していたS会の活動を真面目さ・責任感の強さ故に週末に3週間連続して行う。これと時を同じくして不眠が強くなる。いつもの量の睡眠導入剤では入眠不可能となる。睡眠導入剤が増量され、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日、rilmazafone 2mg/日、zopiclone 15mg/日の大量処方となる。しかし、この大量処方にても入眠困難であり、また激しい倦怠感のため食事の用意も満足にできなくなる。
2003年4月1日より paroxetine 10mg/日が開始される。しかし、最初の5日間は寝込まずに保てたが、6日目より強い倦怠感のため終日寝込むようになる。その倦怠感は日に日に強くなり、4月14日、 paroxetine 10mg/日服用を中止する。
状態の今までにない悪化と通院当初からのCクリニックの医師への感情的反発心のため、Cクリニック通院中止。以前より知人から聞いていた本院の漢方治療を受けたいと父親に支えられるようにして2003年4月14日初来院。
初診時、症例は『本を読んでも残りませんし、笑えないんです。楽しくないのです。音楽を聴いたりして自分を鼓舞しますが、無理があるようです。ときどき、人から「今日は顔色が良いわね」と言われますが、気分は沈んでいます。』と語る。
初診時の処方はsulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/日 (以上は一日3回服用)、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日(以上は眠前服用)、加味逍遥散 5.0 g/日、サフラン 0.67 g/日(加味逍遥散は昼夜2回、サフランは眠前のみ)。
『アルコールを多量に飲んでいては漢方は非常に効きにくくなる。アルコールは中止してゆくこと。また、午睡を摂って良いから起床時間をできる限り早くしてゆくこと。少なくとも午前中には起床するようにすること。抗不安薬も減らしていった方が良い。あなたには信仰がある。信仰がある人はアルコール依存を克服することができる。』と指導する。
『私も宗教的使命があります。使命を果たすためにも早く病気を克服したいのです。使命を果たしていないという罪悪感が私には有ります。その罪悪感が精神的重圧となって私のうつ病が治らない一番大きな原因になっていると思います。抗うつ薬を飲めないことよりも、うつ病が長引いている大きな原因になっていると思います。本部の会館で「あなたはそんな罪悪感に沈んでいる必要はありません。今は活動を行う必要はありません。早く良くなって以前のように活動できるようになれるように、今は養生に専念するべきです。」と指導されましたが、私にはやはりどうしても罪悪感が抜けません。
アルコールが良くないとは言われたことがありませんでした。幾つかの病院で精神科の医師に眠前の飲酒を話しても「それで眠り易くなるならば良いですね」といつも言われてきました。』と症例は言う。
また「歩くこと」を勧める15)。症例は自宅にて終日臥床状態になったために本院に来院した。しかし状態は paroxetine 服用中止のためと推測されるが改善してゆき、初診より7日後、症例は「歩くこと」を始める。うつ病性障害の日内変動の故と推測されるが、夜にならないと歩くことはほとんど不可能であったため、夜、歩くことを行う。始めは10分間ほど歩いて帰ってきた後、1時間近く横になり、それから夜の食事の用意をするという状態であったが、次第に歩く時間が増加してゆき、50分ほど歩くようになる。歩いて帰ってきた後の横になる時間も次第に短くなってゆく。抑うつ気分も軽減してゆく。また眠前のアルコールおよび睡眠導入剤の量も急速に減少してゆく。
sulpiride 150mg/日の服用であったが、サフランの服用を始めたため月経は1年ぶりに起こる。
状態は更に良くなってゆき、2003年6月末には眠前のアルコールおよび睡眠導入剤は全く必要でなくなる(但し、サフランの眠前 0.67 g 服用は続ける)。
2003年6月末、本院来院時の朝の起床困難、倦怠感、抑うつ気分は完全に消失。sulpiride、cloxazolam、bromazepam および睡眠導入剤を全廃し、漢方薬の服用のみとする。毎日1時間ほど「歩くこと」を続けるようになる。午睡を昼食後に1時間ほど取るものの午前6時に起床し、夫の朝食を造り、夫の出勤を見送るようになる。全く支障なく家事を行えるようになる。
『今まで、どの医院でも運動を勧められたことはありませんでした。』と症例は言う。
【考察】
結婚前は原発性不眠症および軽症のアルコール依存19)のみであったが、結婚後、うつ病性障害が加わっている。症例には人格的歪みは全く存在しない。
うつ病性障害は姑との激しい諍いにより発症した。症例は非常に責任感強く、真面目であり、嫁ぎ先の姑と諍いあうことを大きな罪悪と考えていた。
症例は極めて宗教心が篤く、結婚前は盛んに行っていた宗教活動を朝の起床困難、倦怠感故に、結婚後はほとんど行っていないという宗教的罪悪感を強く抱いていた。それは涜神恐怖というべきほど強いものであった。
症例は若い頃、S会の宗教活動を過度に行い「燃え尽き症候群」(「一生懸命、走り抜いて走り抜いて疲れ果てて走れなくなること」と症例は定義している。症例はこの「燃え尽き症候群」という言葉を非常に頻繁に使用する。)のような状態に何度も陥ったと言うことから、うつ病性障害に罹患しやすい性質であったと推測される。そして結婚後の姑との極めて激しい諍いが症例のうつ病性障害の発症要因で間違いないと推測される。姑は当時57歳。精神科受診を行ってなかったが、当時より統合失調症あるいは統合失調症に類する精神的疾患に罹患していたと推測される。少なくとも十年ほど前から、こういう状態であったことを考えると、遅発性統合失調症の可能性が高いと思われる。後に姑は統合失調症(疑)と診断され現在も通院中である。
23歳の原発性不眠症発症時より症例は眠前に女性としては比較的多量のアルコール飲用を始めるが、これも症例のうつ病性障害発症および遷延化に関与したと考えられる。アルコールは気持ちを沈み込ませる薬理作用がある7,8,19)。
症例は23歳から結婚する35歳までは眠前に約2合の飲酒を続けていた。そして結婚後、姑との激しい諍いのため、軽症うつ病性障害を発症する。そして眠前に約3合飲酒しないと就眠困難となる。
そして2003年1月、明らかな抑うつ気分も出現してからは約4合近く飲酒しないと就眠困難となる。2003年3月、うつ病性障害は更に重症化するが(この時点で、中等症うつ病性障害に重篤化)、4合以上の飲酒は強い自己規制により行わなかった。不眠が続き、体力の減退は極めて激しく、食事の用意も困難となる。
Cクリニックの4月1日からの paroxetine 投与も現状打破のための苦肉の手段としてのものだったと思われる。
この症例に於いて結婚前は極めて活発に行っていた宗教活動を結婚後ほとんど行っていないという「宗教的罪悪感」が涜神恐怖的に精神的重圧として存在していた。抗うつ薬をsulpiride 以外は服用できないこととともに症例のうつ病性障害遷延化にその涜神恐怖的な「宗教的罪悪感」の存在は極めて大きく影響したと考えられる。
夫の帰宅は毎日夜12時頃であり、夜食を共にする故、就寝は深夜2時過ぎになっていた。これが結婚後、症例のうつ病性障害発症および遷延化に大きく関与したとも考えられる。睡眠相の後退はうつ病性障害治療に大きな障害を与える1,17,18)。朝、夫が出社するのは7時前であり、症例は結婚当初は夫の朝食を作るために起床していたが、次第にうつ病性障害の日内変動のためと推測される朝の起床困難のため起床できなくなる。そして起床時間は午後へと移行していく。
2003年の3月上旬より涜神恐怖的な「宗教的罪悪感」と「宗教的使命感」故に3週間連続で行った週末のS会の活動が“過度の疲労”となり、うつ病性障害の更なる重篤化すなわち、中等症うつ病性障害への変遷を招いたと推測される。
症例は漢方治療9,10,11)の効果が明らかには認められなかったが、「歩く」という運動療法が奏功し、症例は蘇生した。うつ病性障害の患者は家に閉じこもりがちになることが非常に多く、大部分が運動不足に陥っている。「歩く」という運動療法を行わせることにより身体に活気が出てくる、身体に活気が出てくると精神にも活気が出てくる、これは古くは仏教思想の「色心不二」という考え方に由来する。適度な運動はうつ病性障害を軽症化・寛解に導く最高の方法であると確信する。
アルコール依存克服は極めて困難である。症例のアルコール依存克服には症例の極めて篤い信仰心故に可能になったと推測される。眠前4合のアルコール飲用は女性としては中等症のアルコール依存と分類される19)。しかしその極めて篤い信仰心故に自らを厳しく律し、渇酒の苦しみを強い「宗教的罪悪感」故に克服できたものと推測する。また「歩くこと」を行った故に涜神恐怖となっていた「宗教的罪悪感」、そして肉体的精神的渇酒を昇華し、それが「宗教的使命感」とともにアルコール依存克服を可能にしたと確信する。
【おわりに】
現在、症例自ら「歩くこと」を雨の日以外は欠かさずに行っている。「雨の日、歩くことも多い」と言う。
この症例のうつ病性障害、原発性不眠症、アルコール依存の寛解には「歩くこと」が極めて大きく寄与したと考えられる。
今、ここに症例から渡された一冊の本にも出来る日記形式のノートがある。症例の真面目さ、几帳面さ、信仰の篤さなどが凝縮されてある。これを見ると、症例は結婚して間もなく姑との激しい諍いにより「軽症うつ病性障害」を発症したことが記載されてある。
【文献】
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3) 本間祥白:難経の研究.日本の医道社、東京、1997
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精神医学 39:6-14、1997
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6) 笠原嘉:軽症うつ病.講談社現代新書、東京、1996
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16) Thase ME、Rush AJ:Treatment-resistant depression.In: Psychopharmacology
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17) 山寺博史、本間房恵、石橋恵理、遠藤俊吉:心理検査による睡眠後退症候群患者の心理特性についての研究.臨床精神医学 32(3):305-310、2003
18) Thorpy MJ、Korman E、Spielman AJ et al:Delayed sleep phase syndrome in adolescents.J Adolesc Health Care 9:22-27、1988
19) Weismann MM、Meyers JK:Clinical depression in alcoholism.Am. J. Psychiatry 137:372-373、1980
A case of "Depressive Episode", the Prolongation is caused by "Religious Guilt", and obteined the Remission has been acquired by Walking and taking Herbal Medicine.
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
神経ブロック療法の精神医学への応用
{要旨}
精神的疾患に対する社会の偏見は少なくとも日本に置いては強い。筆者は今まで精神的疾患と称されるものは交感神経過緊張また中国医学的に言われる気の停滞に由来するとの考えの元に星状神経節ブロックなどを用い様々な模索をしてきた。周囲の理解は得にくく未だ模索段階であるが、ここに発表する。
{キー・ワード}精神医学、神経ブロック、経絡
{第1章}境界例
神経症の患者は第一・第二胸椎に連結する筋肉が異常に硬化している。それが第三胸椎に及んでいることは非常に多い。また第四胸椎に及んでいることも多い。そしてそれは片側であったり、両側であったりする。ほとんどの場合、両側の硬化が起こっていても左右差の著しい場合が非常に多い。そしてその硬結した筋肉に局麻剤を筋注すると交感神経過緊張状態(自律神経失調状態)が劇的に寛解する。
そしてこれは分裂症の初期および悪化時の患者にも全く同じである。
その筋肉の攣縮を緩解するにはその筋肉への麻酔薬直注では効果は一時的であり、星状神経節ブロックが最も効果的である。
たしかに星状神経節ブロックそのものに胸椎に付着する硬縮した筋肉の緩解作用がある。しかし星状神経節ブロックのみではその硬縮した筋肉の緩解が不充分と思われ、このトリガーポイント直注を併用している。
(症例1)
患者は45歳、女性。2年前、会社での上司とのトラブルが原因で不眠症となる。心療内科に通い始め抗鬱剤(トフラニール一日75mg)とlovomepromazine(睡眠作用の極めて強い抗精神病薬)の眠前投与を受け始める。また、抗甲状腺ホルモン剤の投薬も受け始める。不眠が激しく、勤めを辞める。朝方、怪物から追いかけたりする夢をそれから見続けることになる。性格は明るく社交的である。
偏頭痛も存在するため、脳に腫瘍ができたのではないかと考え、4月、当院受診。頭部CT上異常ないが、上背部の凝りが異常に激しく、本人もその激しい凝りを盛んに訴えていた。背部左側の第一第二胸椎に付着する筋が極めて硬く張っていたためその硬穴の最も激しい部分に2カ所、26ゲージ、2分の1インチの注射針にて1%プロカイン10cc直注。その日より2年間続いた激しい不眠症が全快。また抗甲状腺剤の服薬も中止。しかし5日目頃より徐々に再び不眠傾向が再発、また偏頭痛も併発。患者は星状神経節ブロックを拒否していたが7月14日、星状神経節ブロックを開始。左側に行う。星状神経節ブロックと背部硬穴へのプロカイン直注一回でその偏頭痛全快。
たしかに星状神経節ブロックそのものに胸椎に付着する硬縮した筋肉の緩解作用がある。しかし星状神経節ブロックのみではその硬縮した筋肉の緩解が不充分と思われ、このトリガーポイント直注を併用した。
2年間服薬していたマイナー・トランキライザーも漸減。また抗甲状腺剤の内服も中止。その後、ほぼ連日、星状神経節ブロックおよび背部硬穴へのプロカイン直注を施行。 施行20回。 不眠を始めとする様々な不定愁訴は解消し、再就職した。
(考察)
星状神経節ブロックの奏功機序として星状神経節への直接の麻酔効果だけでなく、頚椎・胸椎に付着する筋肉の攣縮緩解により経絡の流れが円滑化しそれによっても自律神経安定化作用がもたらされると推測している。頚椎と胸椎の交わる部分は全身の経絡が多数交わっており、その部分に筋肉の攣縮が生じると経絡の流れは悪化する。その筋肉の攣縮はトリガー・ポイント直注でなくトリガー・ポイント鍼療法などによっても可能と思える。星状神経節ブロック単独で効果が思わしくない場合のみその他の方法を併用する必要性があるのかもしれない。しかし、より効果を確実にするためには他の方法を併用する価値は充分存在すると思われる。
(結語)
交感神経過緊張状態を改善することにより全身の気の流れが円滑になり、そして神経症・自律神経失調症が治癒してゆくものと推測される。そして全身の気の流れを円滑化するためには星状神経節ブロックに背部硬穴への麻酔薬注入療法を併用するのも一つの方法と思われる。
星状神経節ブロックの奏功機序の一つとして攣縮している背胸筋また頚部の筋肉の攣縮緩解によりその部分を流れる経絡の流れの円滑化が大きく関与していると推測している。その経絡の流れの円滑化により自律神経が安定化し、恐慌性障害など神経症が治癒してゆくと推測している。
{第2章}陰稜泉・プロカイン局注により寛解した恐慌性障害の一例
恐慌性障害は様々な薬物療法によっても難治であり、また恐慌性障害の患者は何故か非常に星状神経節ブロックを恐怖し拒否する傾向を持つ。それは治さないという潜在意識の表出ではないかと筆者は考えている。今回、恐慌性障害の患者において星状神経節ブロックを頑なに拒むため、やむをえなく東洋医学で言う経穴に当たる陰稜泉へのプロカイン局注により劇的な治癒を見た症例を経験したのでここに報告する。
(症例)
48歳、女性
主訴;人の居る部屋に入ると圧迫感を覚え苦しい。
家族歴、既往歴;特記事項なし。ただし、診察時、および注射時、非常に神経質的な面が見られた。
患者は3カ月ほど前より人の居る部屋に入ると圧迫感・心悸亢進・目眩などを覚え始め仕事に支障を来し始めた。内科に罹り抗不安薬(alprazoram 一日2、4mg、およびbromazepam 一日15mg)の投薬を受けたがほとんど軽快することもなかった。脳腫瘍ができたのかもしれないと思い当科受診。神経学的に異常の見られないところから脳の器質的なものは否定的と思われたが本人の強い要望により頭部CTを施行。異常は認められず、頸椎X-P上も異常は認められなかった。
陰稜泉に26ゲージ、2分の1インチの注射針を用いて1%プロカイン5ccを2分の1インチの深さに注入。
1週間後、来院したときは前回の神経質的な性格傾向は全く見受けられず朗らかな笑顔を見せていた。病態が完全なほど治癒していた。(この1週間、患者はethyl loflazepate 朝夕2回1mgずつしか服薬しなかった。調子の悪いときに飲むように出していたetizolamは全く服薬していなかった。)
(考察)
恐慌性障害は星状神経節ブロックによっても難治なものが多い。未だこの一例のみしか施行していない。この症例は発病後未だ時間が経っていなかった。
中国の古典には「陽の病は陽綾泉に、陰の病は陰稜泉にとる」という文献がある。筆者はこれを「男性または陽性体質のものには陽綾泉に、女性または陰性体質のものには陰稜泉に」と解釈している。(陽綾泉とは膝窩下外側を差し、陰稜泉とは膝窩下内側を指す)
陰綾泉の部分は脛骨動脈・静脈および神経が走っており、その側をかすめるようにして注射針を進めなければならない。そして今までの経験上、注射針が脛骨動脈のすぐ側をかすめるように通ったとき最も効果が高いと結論している。それはおそらく動脈をかすめるように注射針を挿入するのが気の流れへの影響力が大きいためと推測している。
{第3章}
筆者の研究では下腿は人体の一つの縮図を成す。耳や手や足に人体の縮図が描かれているように下腿にもそれが存在する。脛骨が椎骨となり、例えば左の脛骨周辺の硬結(しこり)があれば、椎骨の左方のその相当する部位(例えば胸椎など)に硬結が存在する。脛骨においてそれを指圧してゆくと自然と椎骨周辺のその硬結も消失してゆく。そしてそれとともに心の硬結も消失してゆく。
これは星状神経節ブロックでも言えると思われる。断酒会・シアナマイドでも治療困難であり、臨床の現場で分裂病よりも治療困難とさえ言われるアルコール中毒は患者の心の中に溜まっている不満を星状神経節ブロックで緩和させることにより始めて治療可能ではないかと思われる。また分裂病に対して筆者は喘息で苦しむ分裂病患者に対し星状神経節ブロックを繰り返し喘息だけでなく分裂病に対しても劇的な緩解を得た経験がある。星状神経節ブロックを施行する以前より抗精神病薬は半量以下でも良好すぎるほどのコントロールを得た。なお、肝機能の低下などは認められなかった。
また、重度で治療困難な薬剤性パーキンソニズムに対し、星状神経節ブロックにより非常に良好な結果を得たことのあることも付け加えておく。
【参考文献】
1)本間祥白; 難経の研究; p675, 1983, 医道の日本社
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5)深沢 要; レーザー鍼と光灸療法; p548, 1994, 谷口書店
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7)小高修司; 中国医学の秘密; p209, 1991, 講談社
8)神川喜代男; 鍼とツボの科学; p192, 1993, 講談社
9)神川喜代男; レーザー医学の驚異; p184, 1992, 講談社
10)幡井勉; アーユルヴェーダ健康法; p184, 1994, ごま書房
11)首藤傳明; 経絡治療のすすめ; p259, 1983, 医道の日本社
12)張仁; 難病の鍼灸治療; p206, 1996, 緑書房
13)入江正; 経別・経筋・奇経療法; p273, 1988, 医道の日本社
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
{要旨}
精神的疾患に対する社会の偏見は少なくとも日本に置いては強い。筆者は今まで精神的疾患と称されるものは交感神経過緊張また中国医学的に言われる気の停滞に由来するとの考えの元に星状神経節ブロックなどを用い様々な模索をしてきた。周囲の理解は得にくく未だ模索段階であるが、ここに発表する。
{キー・ワード}精神医学、神経ブロック、経絡
{第1章}境界例
神経症の患者は第一・第二胸椎に連結する筋肉が異常に硬化している。それが第三胸椎に及んでいることは非常に多い。また第四胸椎に及んでいることも多い。そしてそれは片側であったり、両側であったりする。ほとんどの場合、両側の硬化が起こっていても左右差の著しい場合が非常に多い。そしてその硬結した筋肉に局麻剤を筋注すると交感神経過緊張状態(自律神経失調状態)が劇的に寛解する。
そしてこれは分裂症の初期および悪化時の患者にも全く同じである。
その筋肉の攣縮を緩解するにはその筋肉への麻酔薬直注では効果は一時的であり、星状神経節ブロックが最も効果的である。
たしかに星状神経節ブロックそのものに胸椎に付着する硬縮した筋肉の緩解作用がある。しかし星状神経節ブロックのみではその硬縮した筋肉の緩解が不充分と思われ、このトリガーポイント直注を併用している。
(症例1)
患者は45歳、女性。2年前、会社での上司とのトラブルが原因で不眠症となる。心療内科に通い始め抗鬱剤(トフラニール一日75mg)とlovomepromazine(睡眠作用の極めて強い抗精神病薬)の眠前投与を受け始める。また、抗甲状腺ホルモン剤の投薬も受け始める。不眠が激しく、勤めを辞める。朝方、怪物から追いかけたりする夢をそれから見続けることになる。性格は明るく社交的である。
偏頭痛も存在するため、脳に腫瘍ができたのではないかと考え、4月、当院受診。頭部CT上異常ないが、上背部の凝りが異常に激しく、本人もその激しい凝りを盛んに訴えていた。背部左側の第一第二胸椎に付着する筋が極めて硬く張っていたためその硬穴の最も激しい部分に2カ所、26ゲージ、2分の1インチの注射針にて1%プロカイン10cc直注。その日より2年間続いた激しい不眠症が全快。また抗甲状腺剤の服薬も中止。しかし5日目頃より徐々に再び不眠傾向が再発、また偏頭痛も併発。患者は星状神経節ブロックを拒否していたが7月14日、星状神経節ブロックを開始。左側に行う。星状神経節ブロックと背部硬穴へのプロカイン直注一回でその偏頭痛全快。
たしかに星状神経節ブロックそのものに胸椎に付着する硬縮した筋肉の緩解作用がある。しかし星状神経節ブロックのみではその硬縮した筋肉の緩解が不充分と思われ、このトリガーポイント直注を併用した。
2年間服薬していたマイナー・トランキライザーも漸減。また抗甲状腺剤の内服も中止。その後、ほぼ連日、星状神経節ブロックおよび背部硬穴へのプロカイン直注を施行。 施行20回。 不眠を始めとする様々な不定愁訴は解消し、再就職した。
(考察)
星状神経節ブロックの奏功機序として星状神経節への直接の麻酔効果だけでなく、頚椎・胸椎に付着する筋肉の攣縮緩解により経絡の流れが円滑化しそれによっても自律神経安定化作用がもたらされると推測している。頚椎と胸椎の交わる部分は全身の経絡が多数交わっており、その部分に筋肉の攣縮が生じると経絡の流れは悪化する。その筋肉の攣縮はトリガー・ポイント直注でなくトリガー・ポイント鍼療法などによっても可能と思える。星状神経節ブロック単独で効果が思わしくない場合のみその他の方法を併用する必要性があるのかもしれない。しかし、より効果を確実にするためには他の方法を併用する価値は充分存在すると思われる。
(結語)
交感神経過緊張状態を改善することにより全身の気の流れが円滑になり、そして神経症・自律神経失調症が治癒してゆくものと推測される。そして全身の気の流れを円滑化するためには星状神経節ブロックに背部硬穴への麻酔薬注入療法を併用するのも一つの方法と思われる。
星状神経節ブロックの奏功機序の一つとして攣縮している背胸筋また頚部の筋肉の攣縮緩解によりその部分を流れる経絡の流れの円滑化が大きく関与していると推測している。その経絡の流れの円滑化により自律神経が安定化し、恐慌性障害など神経症が治癒してゆくと推測している。
{第2章}陰稜泉・プロカイン局注により寛解した恐慌性障害の一例
恐慌性障害は様々な薬物療法によっても難治であり、また恐慌性障害の患者は何故か非常に星状神経節ブロックを恐怖し拒否する傾向を持つ。それは治さないという潜在意識の表出ではないかと筆者は考えている。今回、恐慌性障害の患者において星状神経節ブロックを頑なに拒むため、やむをえなく東洋医学で言う経穴に当たる陰稜泉へのプロカイン局注により劇的な治癒を見た症例を経験したのでここに報告する。
(症例)
48歳、女性
主訴;人の居る部屋に入ると圧迫感を覚え苦しい。
家族歴、既往歴;特記事項なし。ただし、診察時、および注射時、非常に神経質的な面が見られた。
患者は3カ月ほど前より人の居る部屋に入ると圧迫感・心悸亢進・目眩などを覚え始め仕事に支障を来し始めた。内科に罹り抗不安薬(alprazoram 一日2、4mg、およびbromazepam 一日15mg)の投薬を受けたがほとんど軽快することもなかった。脳腫瘍ができたのかもしれないと思い当科受診。神経学的に異常の見られないところから脳の器質的なものは否定的と思われたが本人の強い要望により頭部CTを施行。異常は認められず、頸椎X-P上も異常は認められなかった。
陰稜泉に26ゲージ、2分の1インチの注射針を用いて1%プロカイン5ccを2分の1インチの深さに注入。
1週間後、来院したときは前回の神経質的な性格傾向は全く見受けられず朗らかな笑顔を見せていた。病態が完全なほど治癒していた。(この1週間、患者はethyl loflazepate 朝夕2回1mgずつしか服薬しなかった。調子の悪いときに飲むように出していたetizolamは全く服薬していなかった。)
(考察)
恐慌性障害は星状神経節ブロックによっても難治なものが多い。未だこの一例のみしか施行していない。この症例は発病後未だ時間が経っていなかった。
中国の古典には「陽の病は陽綾泉に、陰の病は陰稜泉にとる」という文献がある。筆者はこれを「男性または陽性体質のものには陽綾泉に、女性または陰性体質のものには陰稜泉に」と解釈している。(陽綾泉とは膝窩下外側を差し、陰稜泉とは膝窩下内側を指す)
陰綾泉の部分は脛骨動脈・静脈および神経が走っており、その側をかすめるようにして注射針を進めなければならない。そして今までの経験上、注射針が脛骨動脈のすぐ側をかすめるように通ったとき最も効果が高いと結論している。それはおそらく動脈をかすめるように注射針を挿入するのが気の流れへの影響力が大きいためと推測している。
{第3章}
筆者の研究では下腿は人体の一つの縮図を成す。耳や手や足に人体の縮図が描かれているように下腿にもそれが存在する。脛骨が椎骨となり、例えば左の脛骨周辺の硬結(しこり)があれば、椎骨の左方のその相当する部位(例えば胸椎など)に硬結が存在する。脛骨においてそれを指圧してゆくと自然と椎骨周辺のその硬結も消失してゆく。そしてそれとともに心の硬結も消失してゆく。
これは星状神経節ブロックでも言えると思われる。断酒会・シアナマイドでも治療困難であり、臨床の現場で分裂病よりも治療困難とさえ言われるアルコール中毒は患者の心の中に溜まっている不満を星状神経節ブロックで緩和させることにより始めて治療可能ではないかと思われる。また分裂病に対して筆者は喘息で苦しむ分裂病患者に対し星状神経節ブロックを繰り返し喘息だけでなく分裂病に対しても劇的な緩解を得た経験がある。星状神経節ブロックを施行する以前より抗精神病薬は半量以下でも良好すぎるほどのコントロールを得た。なお、肝機能の低下などは認められなかった。
また、重度で治療困難な薬剤性パーキンソニズムに対し、星状神経節ブロックにより非常に良好な結果を得たことのあることも付け加えておく。
【参考文献】
1)本間祥白; 難経の研究; p675, 1983, 医道の日本社
2)芹沢勝助; 人体ツボの研究; p254, 1986, ごま書房
3)李 丁; 針灸経穴辞典; p514, 1986, 東洋学術出版社
4)郭 金凱; 鍼灸奇穴辞典; p432, 1987, 風林書房
5)深沢 要; レーザー鍼と光灸療法; p548, 1994, 谷口書店
6)柳泰佑; てのひらツボ療法; p187, 1986, 地湧社
7)小高修司; 中国医学の秘密; p209, 1991, 講談社
8)神川喜代男; 鍼とツボの科学; p192, 1993, 講談社
9)神川喜代男; レーザー医学の驚異; p184, 1992, 講談社
10)幡井勉; アーユルヴェーダ健康法; p184, 1994, ごま書房
11)首藤傳明; 経絡治療のすすめ; p259, 1983, 医道の日本社
12)張仁; 難病の鍼灸治療; p206, 1996, 緑書房
13)入江正; 経別・経筋・奇経療法; p273, 1988, 医道の日本社
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
器質性精神障害の3例
*
【症例】
(症例1)
バビンスキー徴候が強陽性と出る一男性患者
【病歴】
患者は中学の頃までは親に手の掛からない学業優秀な模範的な少年であった。しかし高校2年時より学業を怠け、統合失調症様症状を呈し始めた。
高校卒業後、工場に勤めたが22歳時、上司と意見の対立を起こし、それ以来、出社しなくなる。そして自宅閉居を始めたため、親より勧められ精神科受診。父親はこの地方の名士であり、大学病院以外の精神科病院へ転院させることを頑なに拒み、A大学病院精神科に於いて8年と最も入院日数の長い患者であった。
【神経学的所見】
右バビンスキー陽性(3+)および右足首腱反射昂進(3+)。あとは特記すべきものなし。
【他の所見】
知的レベルの低下は見られない。大人しく穏やかな性格である。口数は少ない。発病時のことに触れようとすると彼は慇懃な笑みを浮かべ答え始める。他のことに関しては彼は機械的に答えるのみである。
【検査所見】
22歳時に撮られた脳シンチグラフィ-では左側頭頂部に微かな集積が認められる。しかし(特記すべきものなし)と読映されている。
また、23歳時に撮られたCTで左側頭頂部に微かな異常陰影が認められる。これも(特記すべきものなし)と読映されている。
1990年にMRIを施行。左側頭頂部に明らかな脳炎の後と思われるものがある。しかし、これも(特記すべきものなし)と読映されている。
【考察】
入院以来のカルテを調べてもバビンスキー陽性のことなどは全く記載されていなかった。ただ、入院当初、頭痛の訴えの記載が頻繁に見られる。その頭痛の訴えの記載はカルテ上、年月を経る毎に少なくなって行く。
入院以来、症例は神経学的な検査を受けていないか、神経学的な検査に疎い医師から神経学的検査を受けたのみと推測される。「破爪型分裂症」「破爪型分裂症の典型例」との記載のみ散見された。少なくとも筆者の知る限りの精神科に於いては神経学的検査は今も昔も初診のとき僅かに施行されるに留まっている。
左側頭頂部に脳炎の後と推定される像が精神的変動が起こった高校1年の3学期に起こったものである可能性は極めて高いと思われる。
それまでの学業優秀な模範的な少年から、学業を怠け、統合失調症様症状を呈するようになったことは高校1年の3学期に何かの感染とそれに依る炎症が左側頭頂部に起こったと推測するしかない。
発病時の彼の記憶は錯綜としている。発症は高校1年の3学期と推定される。そして彼は高校2年より、それまでの学業優秀な模範的な少年から脱落していった。
【付記】
すでに14年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
(症例2)
結核腫として長年治療されてきた一症例
今まで tuberculoma として治療されてきた一女性患者の症例を呈示する。
患者は中学時代にツベルクリン反応強陽性(3+)のため、肺結核として1年半入院。昭和55年より撮影してきた現在存在する5枚の胸部単純x線写真のうち昭和56年撮影のもの1枚だけに、肺尖部に微かな陰影が認められる。しかし、ここ2、3年ほどは結核の治療は中断状態であった。
その後、精神病院を外来受診し続けて来た。患者は現在46才。精神荒廃は少しづつ進み昭和55年頃からは精神病院に入退院を繰り返してきた。左側の視力0。右側の視力は手動覚。両耳聾。昭和55年、始めて撮影した頭部CTから左側頭葉に広範な低吸収域が認められる。
また、昭和55年の眼科の診断では左側視神経萎縮と診断された。
今年3月(平成4年)、精神錯乱激しくなりY精神病院入院。ここで内科的疾患を疑われ今年5月、A大学病院の脳神経外科受診。頭部CT上、左側の脳腫脹著しく、即入院となる。
A大学病院の脳神経外科に入院してからはツベルクリン反応強陽性(3+)と過去の病歴のため tuberculoma の診断のもとINF、RFPの投与を再開。
INF、RFPの投与を開始すると血中の好酸球著明に上昇(15%~20%)。
また、A大学病院の整形外科で右膝の蜂窩織炎と診断され、リハビリと抗生物質の投薬を受けていた。しかし、ほとんど効果は認められなかった。これは右膝が拘縮していたものであり、左側頭葉に広範な低吸収域が認められることに由来するものではないかと筆者は考えていた。
【labo data】
---------------------------------------------------------------------
抗体検査(7/11提出)
IgG
風疹 + (1:640)
麻疹 + (1:2560)
水痘 + (1:2560)
単純性ヘルペス + 高値なため後日報告
サイトメガロ + (1:5120)
ムンプス + (1:640)
IgM
風疹 - (1:40↓)
麻疹 - (1:40↓)
水痘 - (1:40↓)
単純性ヘルペス + (1:40)
サイトメガロ - (1:40↓)
ムンプス - (1:40↓)
マイコプラズマ -
クラミジア -
赤痢アメーバ -
C. Difficile -
-------------------------------------------------------------
培養成績 好気培養(-)
嫌気培養(-)
真菌培養(-)
2回行ったが2回ともすべて(-)
------------------------------------------------------------------------------------
抗PPD-IgG抗体価(7/1提出) 237
(参考)
70-250:正常抗体価
250-300:結核の既往の確認が必要
300- :肺結核の可能性が高い
400- :活動性肺結核の可能性が高い
-------------------------------------------------------------------------------------
CRPはA大学病院入院(5/16)とともに次第に低下傾向。
また、脳の腫脹もCT上、次第に軽快していった。
7/21 単純ヘルペス抗体(IgM)陽性のため aciclovir の投与を開始。しかし病状に著明な変化は labo data からも認められず。
8/19 病状安静化のためY精神病院帰院。
-------------------------------------------------------------
【考察】
検査結果からも過去の tuberculoma の診断は誤りであり、他の脳炎が最も疑われる。この症例を考えてみると、中学時代に一年半の結核での入院治療、そして同じ中学時代に4回もの中耳炎の手術。中耳炎の原因が何だったのか、そして結核が本当に結核だったのか、確かにその頃(昭和32年頃)では結核の診断はツベルクリン反応とx線撮影に依るしかなかったと思われる故に非難することはできない。また中耳炎の診断も中耳炎の原因が何であったのか、その頃では不可能であっただろう。結核に全く罹患していなくてもツベルクリン反応に過敏に反応する者は比較的多数存在する。
これは血管造影などによりアスペルギールス脳炎が最も疑われた。脳腫瘍と疑われた眼球突出はアスペルギローマであり、内頚動脈内壁の不整像などはアスペルギールス感染に典型的なものであった。
そして今回の急性増悪は単純ヘルペスの感染に依るものである可能性が高い。
すでに入院より2ヶ月を経ており、aciclovir を投与しても今回の急性悪化がヘルペス感染による急性脳炎であったとしても病状の劇的な改善は見られないのが普通である。
カルテには『7月21日、単純ヘルペス抗体(IgM)陽性のため aciclovir の投与を開始したが、病状に著明な変化は labo data からも認められず』との記載がある。
患者は元の精神病院へ転院となった。昭和30年代の未設備な医療環境の犠牲者であると思われる。稀な症例でもあり、多数の人を救うことには繋がらず、ごく少数の人を救えるのみの症例であった。
【付記】
すでに15年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
(症例3)
microprolactinoma で anorexia nervosa 様症状を呈した一女性例
(病歴)
7年前より、不明熱および腹部痛にて内科を転々とし、1990年(3年前)には血中 prolactine が高いとして prolactinoma を疑われ、A大学病院にてトルコ鞍の造影MRIを施行されたにも拘わらず発見されず(微細に読映すると microadenoma が確実に存在する)そのまま経過観察となっていた患者である。
患者はA大学病院精神科に精神科的アプローチで治療できないかとA大学病院内科より紹介されてきた。そのとき、薬は水を使って飲んでいたが、食物摂取不能のためIVH(intravenous hyperalimentation)が行われていた。
すなわち、内科的になぜ食物摂取不能なのか解らず、精神科へと送られてきた。
面接し病歴を聞くにつれ、こういう体の状態のため少し抑鬱的にはなっていたが、性格は明るく外向的であることが解った。
prolactinoma によりホルモンのバランスが崩れ、それが自律神経のアンバランスを招き、現在の身体的状態に陥っているものであった。更年期障害が極めて激しいものと良く似たものである。更年期でもホルモンのバランスの乱れから自律神経失調症を来す婦人が多数存在するが、その最重症のものと推測された。------prolactine は80ngと正常上限の約6倍。そして乳汁濾出と月経不順が存在する。
下垂体の microadenoma はT1強調で hyperdensity、T2強調で hypodensity でなければならないが、MRI(3年前のもの)を微細に読映すると microadenoma が存在する。これが prolactine を産生しているものと思われた。
また、この患者の不明熱、腹部痛は以下の表で説明できると思われる。
下垂体に microadenoma の存在
⇩
ホルモンの乱れ
⇩
自律神経の乱れ
⇩
不明熱、腹部痛、摂食不能
この患者の prolactine 値は80前後と正常者上限の6倍程度であり、薬剤性にもprolactine 値はそれに近いほどまで上がり得ることは良く知られている。しかしこの患者は prolactine を上昇させる薬は服用していない。
また、この患者の不明熱は37℃台である。腹部痛は軽く、ときどき軽く起こる程度である。
【考察】
このような microprolactinoma に対して bromocriptine または terguride というドーパミンD2受容体作働薬が投与される。直径1~2mm ほどの極く小さなmicroprolactinoma でありドーパミンD2受容体作働薬投与のみで治癒した可能性が高い。例え、 ドーパミンD2受容体作働薬投与のみで治癒しなくても放射線療法を併用する方法がある。また、これにても治癒困難であれば Hardy の手術で有名な経蝶形骨洞下垂体腺腫摘出術などが現在では非常に安全に行われている。
筆者は医師1年目であった前年、脳外科に在籍し、頭部のみは詳細にMRIやCTを読映できていた。そして放射線科から(特記すべきものなし)として帰ってきている精神科の患者のフィルムのなかに、多数、僅かながらも器質的な異常を認められるものが存在した。
これはA大学病院に於いては放射線科に極めて過剰な物理的負担が掛かっている故であった。少なくとも筆者がA大学病院勤務の頃は、放射線科の医局員はその日に撮影した莫大な量の撮影画像の読映を終了しないと帰宅することが許されていなかった。当直の夜など深夜まで掛かって読映を行っている放射線科の医師の姿を頻繁に垣間見た。
精神疾患(とくに統合失調症や不安障害、うつ病)は器質的素因の下に何かの trigger となるものが加わって発症する。器質的素因の薄いものは一過性のものとして簡単に治ってゆく。しかし器質的素因の濃いものは長期罹患となってゆく。
【最後に】
症例は結局「医師2年目の読映を信じるな」と内科の助教授より告げられ、放射線科の読映に従い、原因不明となり、A大学病院より他院へ移った。あれから14年経つ。現在、どのようにしているか、不明である。
【付記】
すでに14年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
【文献】
1)加藤隆勝:青年期に於ける自己意識の構造心理学モノグラフ no.14.東京、有斐閣、1997
2) Rosato F, Garofalo P:Hyperprolactinemia: from diagnosis to treatment.Minerva Pediatr 54:547-552、2002
3) Tsigos C, Chrousos GP:Hypothalamic-pituitary-adrenal axis, neuroendocrine factors and stress.J Psychosom Res 53(4):865-871、2002
4)堤啓:神経性無食欲症---自己感覚不全の再形成を目指して---.精神科治療学 16:349-353、2001
5) Vance ML:Medical treatment of functional pituitary tumors.Neurosurg Clin N Am 14:81-87、2003
6) 山路徹:プロラクチノーマの臨床.ホルモンと臨床 37:1079-1088、1989
7) 山路徹:プロラクチノーマ.日内会誌 83:2069-2074、1994
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
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【症例】
(症例1)
バビンスキー徴候が強陽性と出る一男性患者
【病歴】
患者は中学の頃までは親に手の掛からない学業優秀な模範的な少年であった。しかし高校2年時より学業を怠け、統合失調症様症状を呈し始めた。
高校卒業後、工場に勤めたが22歳時、上司と意見の対立を起こし、それ以来、出社しなくなる。そして自宅閉居を始めたため、親より勧められ精神科受診。父親はこの地方の名士であり、大学病院以外の精神科病院へ転院させることを頑なに拒み、A大学病院精神科に於いて8年と最も入院日数の長い患者であった。
【神経学的所見】
右バビンスキー陽性(3+)および右足首腱反射昂進(3+)。あとは特記すべきものなし。
【他の所見】
知的レベルの低下は見られない。大人しく穏やかな性格である。口数は少ない。発病時のことに触れようとすると彼は慇懃な笑みを浮かべ答え始める。他のことに関しては彼は機械的に答えるのみである。
【検査所見】
22歳時に撮られた脳シンチグラフィ-では左側頭頂部に微かな集積が認められる。しかし(特記すべきものなし)と読映されている。
また、23歳時に撮られたCTで左側頭頂部に微かな異常陰影が認められる。これも(特記すべきものなし)と読映されている。
1990年にMRIを施行。左側頭頂部に明らかな脳炎の後と思われるものがある。しかし、これも(特記すべきものなし)と読映されている。
【考察】
入院以来のカルテを調べてもバビンスキー陽性のことなどは全く記載されていなかった。ただ、入院当初、頭痛の訴えの記載が頻繁に見られる。その頭痛の訴えの記載はカルテ上、年月を経る毎に少なくなって行く。
入院以来、症例は神経学的な検査を受けていないか、神経学的な検査に疎い医師から神経学的検査を受けたのみと推測される。「破爪型分裂症」「破爪型分裂症の典型例」との記載のみ散見された。少なくとも筆者の知る限りの精神科に於いては神経学的検査は今も昔も初診のとき僅かに施行されるに留まっている。
左側頭頂部に脳炎の後と推定される像が精神的変動が起こった高校1年の3学期に起こったものである可能性は極めて高いと思われる。
それまでの学業優秀な模範的な少年から、学業を怠け、統合失調症様症状を呈するようになったことは高校1年の3学期に何かの感染とそれに依る炎症が左側頭頂部に起こったと推測するしかない。
発病時の彼の記憶は錯綜としている。発症は高校1年の3学期と推定される。そして彼は高校2年より、それまでの学業優秀な模範的な少年から脱落していった。
【付記】
すでに14年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
(症例2)
結核腫として長年治療されてきた一症例
今まで tuberculoma として治療されてきた一女性患者の症例を呈示する。
患者は中学時代にツベルクリン反応強陽性(3+)のため、肺結核として1年半入院。昭和55年より撮影してきた現在存在する5枚の胸部単純x線写真のうち昭和56年撮影のもの1枚だけに、肺尖部に微かな陰影が認められる。しかし、ここ2、3年ほどは結核の治療は中断状態であった。
その後、精神病院を外来受診し続けて来た。患者は現在46才。精神荒廃は少しづつ進み昭和55年頃からは精神病院に入退院を繰り返してきた。左側の視力0。右側の視力は手動覚。両耳聾。昭和55年、始めて撮影した頭部CTから左側頭葉に広範な低吸収域が認められる。
また、昭和55年の眼科の診断では左側視神経萎縮と診断された。
今年3月(平成4年)、精神錯乱激しくなりY精神病院入院。ここで内科的疾患を疑われ今年5月、A大学病院の脳神経外科受診。頭部CT上、左側の脳腫脹著しく、即入院となる。
A大学病院の脳神経外科に入院してからはツベルクリン反応強陽性(3+)と過去の病歴のため tuberculoma の診断のもとINF、RFPの投与を再開。
INF、RFPの投与を開始すると血中の好酸球著明に上昇(15%~20%)。
また、A大学病院の整形外科で右膝の蜂窩織炎と診断され、リハビリと抗生物質の投薬を受けていた。しかし、ほとんど効果は認められなかった。これは右膝が拘縮していたものであり、左側頭葉に広範な低吸収域が認められることに由来するものではないかと筆者は考えていた。
【labo data】
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抗体検査(7/11提出)
IgG
風疹 + (1:640)
麻疹 + (1:2560)
水痘 + (1:2560)
単純性ヘルペス + 高値なため後日報告
サイトメガロ + (1:5120)
ムンプス + (1:640)
IgM
風疹 - (1:40↓)
麻疹 - (1:40↓)
水痘 - (1:40↓)
単純性ヘルペス + (1:40)
サイトメガロ - (1:40↓)
ムンプス - (1:40↓)
マイコプラズマ -
クラミジア -
赤痢アメーバ -
C. Difficile -
-------------------------------------------------------------
培養成績 好気培養(-)
嫌気培養(-)
真菌培養(-)
2回行ったが2回ともすべて(-)
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抗PPD-IgG抗体価(7/1提出) 237
(参考)
70-250:正常抗体価
250-300:結核の既往の確認が必要
300- :肺結核の可能性が高い
400- :活動性肺結核の可能性が高い
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CRPはA大学病院入院(5/16)とともに次第に低下傾向。
また、脳の腫脹もCT上、次第に軽快していった。
7/21 単純ヘルペス抗体(IgM)陽性のため aciclovir の投与を開始。しかし病状に著明な変化は labo data からも認められず。
8/19 病状安静化のためY精神病院帰院。
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【考察】
検査結果からも過去の tuberculoma の診断は誤りであり、他の脳炎が最も疑われる。この症例を考えてみると、中学時代に一年半の結核での入院治療、そして同じ中学時代に4回もの中耳炎の手術。中耳炎の原因が何だったのか、そして結核が本当に結核だったのか、確かにその頃(昭和32年頃)では結核の診断はツベルクリン反応とx線撮影に依るしかなかったと思われる故に非難することはできない。また中耳炎の診断も中耳炎の原因が何であったのか、その頃では不可能であっただろう。結核に全く罹患していなくてもツベルクリン反応に過敏に反応する者は比較的多数存在する。
これは血管造影などによりアスペルギールス脳炎が最も疑われた。脳腫瘍と疑われた眼球突出はアスペルギローマであり、内頚動脈内壁の不整像などはアスペルギールス感染に典型的なものであった。
そして今回の急性増悪は単純ヘルペスの感染に依るものである可能性が高い。
すでに入院より2ヶ月を経ており、aciclovir を投与しても今回の急性悪化がヘルペス感染による急性脳炎であったとしても病状の劇的な改善は見られないのが普通である。
カルテには『7月21日、単純ヘルペス抗体(IgM)陽性のため aciclovir の投与を開始したが、病状に著明な変化は labo data からも認められず』との記載がある。
患者は元の精神病院へ転院となった。昭和30年代の未設備な医療環境の犠牲者であると思われる。稀な症例でもあり、多数の人を救うことには繋がらず、ごく少数の人を救えるのみの症例であった。
【付記】
すでに15年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
(症例3)
microprolactinoma で anorexia nervosa 様症状を呈した一女性例
(病歴)
7年前より、不明熱および腹部痛にて内科を転々とし、1990年(3年前)には血中 prolactine が高いとして prolactinoma を疑われ、A大学病院にてトルコ鞍の造影MRIを施行されたにも拘わらず発見されず(微細に読映すると microadenoma が確実に存在する)そのまま経過観察となっていた患者である。
患者はA大学病院精神科に精神科的アプローチで治療できないかとA大学病院内科より紹介されてきた。そのとき、薬は水を使って飲んでいたが、食物摂取不能のためIVH(intravenous hyperalimentation)が行われていた。
すなわち、内科的になぜ食物摂取不能なのか解らず、精神科へと送られてきた。
面接し病歴を聞くにつれ、こういう体の状態のため少し抑鬱的にはなっていたが、性格は明るく外向的であることが解った。
prolactinoma によりホルモンのバランスが崩れ、それが自律神経のアンバランスを招き、現在の身体的状態に陥っているものであった。更年期障害が極めて激しいものと良く似たものである。更年期でもホルモンのバランスの乱れから自律神経失調症を来す婦人が多数存在するが、その最重症のものと推測された。------prolactine は80ngと正常上限の約6倍。そして乳汁濾出と月経不順が存在する。
下垂体の microadenoma はT1強調で hyperdensity、T2強調で hypodensity でなければならないが、MRI(3年前のもの)を微細に読映すると microadenoma が存在する。これが prolactine を産生しているものと思われた。
また、この患者の不明熱、腹部痛は以下の表で説明できると思われる。
下垂体に microadenoma の存在
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ホルモンの乱れ
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自律神経の乱れ
⇩
不明熱、腹部痛、摂食不能
この患者の prolactine 値は80前後と正常者上限の6倍程度であり、薬剤性にもprolactine 値はそれに近いほどまで上がり得ることは良く知られている。しかしこの患者は prolactine を上昇させる薬は服用していない。
また、この患者の不明熱は37℃台である。腹部痛は軽く、ときどき軽く起こる程度である。
【考察】
このような microprolactinoma に対して bromocriptine または terguride というドーパミンD2受容体作働薬が投与される。直径1~2mm ほどの極く小さなmicroprolactinoma でありドーパミンD2受容体作働薬投与のみで治癒した可能性が高い。例え、 ドーパミンD2受容体作働薬投与のみで治癒しなくても放射線療法を併用する方法がある。また、これにても治癒困難であれば Hardy の手術で有名な経蝶形骨洞下垂体腺腫摘出術などが現在では非常に安全に行われている。
筆者は医師1年目であった前年、脳外科に在籍し、頭部のみは詳細にMRIやCTを読映できていた。そして放射線科から(特記すべきものなし)として帰ってきている精神科の患者のフィルムのなかに、多数、僅かながらも器質的な異常を認められるものが存在した。
これはA大学病院に於いては放射線科に極めて過剰な物理的負担が掛かっている故であった。少なくとも筆者がA大学病院勤務の頃は、放射線科の医局員はその日に撮影した莫大な量の撮影画像の読映を終了しないと帰宅することが許されていなかった。当直の夜など深夜まで掛かって読映を行っている放射線科の医師の姿を頻繁に垣間見た。
精神疾患(とくに統合失調症や不安障害、うつ病)は器質的素因の下に何かの trigger となるものが加わって発症する。器質的素因の薄いものは一過性のものとして簡単に治ってゆく。しかし器質的素因の濃いものは長期罹患となってゆく。
【最後に】
症例は結局「医師2年目の読映を信じるな」と内科の助教授より告げられ、放射線科の読映に従い、原因不明となり、A大学病院より他院へ移った。あれから14年経つ。現在、どのようにしているか、不明である。
【付記】
すでに14年前に経験した症例であり、画像を提示することができないことをお詫びしたい。
【文献】
1)加藤隆勝:青年期に於ける自己意識の構造心理学モノグラフ no.14.東京、有斐閣、1997
2) Rosato F, Garofalo P:Hyperprolactinemia: from diagnosis to treatment.Minerva Pediatr 54:547-552、2002
3) Tsigos C, Chrousos GP:Hypothalamic-pituitary-adrenal axis, neuroendocrine factors and stress.J Psychosom Res 53(4):865-871、2002
4)堤啓:神経性無食欲症---自己感覚不全の再形成を目指して---.精神科治療学 16:349-353、2001
5) Vance ML:Medical treatment of functional pituitary tumors.Neurosurg Clin N Am 14:81-87、2003
6) 山路徹:プロラクチノーマの臨床.ホルモンと臨床 37:1079-1088、1989
7) 山路徹:プロラクチノーマ.日内会誌 83:2069-2074、1994
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