うつ病性障害に対する「歩くこと」の重要性*
<抄録>
うつ病性障害は最近、日本など先進諸国に著明に増加してきている疾患である。現代社会はストレスが多く、それ故に増加していると考えられている。しかし、過去にもストレスは多くあった。それは現代社会以上のストレスであったと思われる。原始社会は常に猛獣の出現を怖れなくてはならなかった。また毒ヘビも居た。原因不明の難病に対してしても神殿での祈祷が行われるだけであった。また、核家族化が進み、嫁姑の問題など明治・大正時代に比較するとかなり緩和されている。
そして現代はクルマやバイクなどの普及・発達のため歩くことが極端に減って来ている。大正・明治、これらの時代にもストレスが強く有った。うつ病性障害の増加は人間が歩くことが少なくなった故と考える。
【key words】Depressive disorders, Episodes, Exersize, Stress, Walking
【始めに】
現代社会でなく古代社会に於いてもストレスは多かったと思われる。常に野獣との抗争があった。また明治・大正時代を考えると、現代社会と明治・大正社会は徴兵制・貧困・女性の身売りなど、ストレスは現代以上に多かったと思われる。
では現在、何故、うつ病性障害がこれほど増加してきたかを考えると「ウイルスの変化による」とも考えられる。現代の女性はクルマに乗って食料品などの買い物をする。エレベータやエスカレータが日常化している。それも家に大きな冷蔵庫がある。嫁姑の問題にしても最近は核家族化が進んでいる。
【症例】
[症例] 43歳、女性、主婦。
[診断名]
(B総合病院精神科通院時)
軽症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Mild)296.21, DSM-Ⅳ-TR
アルコール依存(Alcohol Dependence)303.90, DSM-Ⅳ-TR
原発性不眠症(Primary insomnia)307.42, DSM-Ⅳ-TR
(本院来院時)
中等症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Moderate) 296.22, DSM-Ⅳ-TR
アルコール依存(Alcohol Dependence)303.90, DSM-Ⅳ-TR
原発性不眠症(Primary insomnia)307.42, DSM-Ⅳ-TR
[家族歴] なし
[性格] 明るい、外向的、少し人見知りするところ有り。
[生育歴]
鉄工所を経営する親の元に4人姉妹の長女として誕生。幼い頃より重病の経験無し。
一家挙げてのW会の熱心な信者。
23歳時、同棲を始めるも3ヶ月ほどで周囲の強い反対などで別れる。この頃より不眠症発症。
35歳時、漠然とした不安に囚われるようになる。また、無気力感が現れる。この頃、友人の紹介で3歳年下の男性を紹介される。
[来院前処方] sulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/日(以上の3剤は一日3回服用)。
zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日、rilmazafone 2mg/日、zopiclone 15mg/日(以上の4剤は眠前服用)。
[現病歴]
【考察】
結婚前は原発性不眠症および軽症のアルコール依存19)のみであったが、結婚後、うつ病性障害が加わっている。症例には人格的歪みは全く存在しない。
うつ病性障害は姑との激しい諍いにより発症した。症例は非常に責任感強く、真面目であり、嫁ぎ先の姑と諍いあうことを大きな罪悪と考えていた。
症例は極めて宗教心が篤く、結婚前は盛んに行っていた宗教活動を朝の起床困難、倦怠感故に、結婚後はほとんど行っていないという宗教的罪悪感を強く抱いていた。それは涜神恐怖というべきほど強いものであった。
症例は若い頃、S会の宗教活動を過度に行い「燃え尽き症候群」(「一生懸命、走り抜いて走り抜いて疲れ果てて走れなくなること」と症例は定義している。症例はこの「燃え尽き症候群」という言葉を非常に頻繁に使用する。)のような状態に何度も陥ったと言うことから、うつ病性障害に罹患しやすい性質であったと推測される。そして結婚後の姑との極めて激しい諍いが症例のうつ病性障害の発症要因で間違いないと推測される。姑は当時57歳。精神科受診を行ってなかったが、当時より統合失調症あるいは統合失調症に類する精神的疾患に罹患していたと推測される。少なくとも十年ほど前から、こういう状態であったことを考えると、遅発性統合失調症の可能性が高いと思われる。後に姑は統合失調症(疑)と診断され現在も通院中である。
23歳の原発性不眠症発症時より症例は眠前に女性としては比較的多量のアルコール飲用を始めるが、これも症例のうつ病性障害発症および遷延化に関与したと考えられる。アルコールは気持ちを沈み込ませる薬理作用がある7,8,19)。
症例は23歳から結婚する35歳までは眠前に約1合から2合の飲酒を続けていた。そして結婚後、姑との激しい諍いのため、軽症うつ病性障害を発症する。そして眠前に約3合飲酒しないと就眠困難となる。
【考察】
現代社会でなく古代社会に於いてもストレスが多かったと思われる。常に野獣との抗争があった。また明治・大正時代を考えると、現代社会と明治・大正社会は徴兵制・貧困・女性の身売りなど、ストレスは現代以上に多かったと思われる。
では何故、うつ病性障害がこれほど増加してきたかを考えると「ウイルスの変化による」という学説も存在する。現代の女性はクルマに乗って食料品などの買い物をする。エレベータやエスカレータが日常化している。それも家に大きな冷蔵庫がある。嫁姑の問題にしても最近は核家族化が進んでいる。
太古の原始時代の生活に戻ると不安障害など精神的疾患が激減することは確実なことである。
走れば軽症化する。また治癒することも有り得る。これは西洋医学的には自律神経が整うためと説明される。東洋医学的には全身の“気の流れ”が円滑化するためと説明される。
運動療法にも限界があり、脊椎の強い歪みなど原因が他に依るものならば、効果は弱い。しかし運動不足が大きな原因を占める不安障害は治癒しやすい。
20分程度の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用は弱く、50分以上の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用が強い。歩いて良いからできるだけ長時間を心懸ける。
走る(歩く)ことには交感神経過緊張を平常状態へ導く作用が存在する。
そして運動、および玄米自然食を心掛けることにより、中国医学的に言う全身の“気の流れ”の円滑化が起こり、自律神経が安定化してゆく。
今までレセプターの過剰によると推定されてきた病態も、また中国医学的に“気の上衝”として捉えられてきたものも、単なる運動不足および不健康な食生活に由来することであることが判明する。
ほとんどの精神的疾患は不安障害のみでなく感情障害・精神統合失調症をも“気の流れ”の円滑化を図ることにより治癒または軽快に向かってゆく。
必要とする緩和精神安定剤の量は次第に減って行き、最後には必要でないようになる。世の中には様々な健康法がある。しかし最高の健康法は“歩くこと走ること”である。そしてまた玄米自然食を心掛けることが第二に必要である。
精神科の病気は治らない、一生付き合ってゆく覚悟が必要だ、と一般に言われている。しかしそれは“歩くこと走ること”により寛解する。また玄米自然食を行うと更に寛解しやすくなる。それは全身の“気の流れ”の円滑化によるものと信じる。
以上の6症例のうち、1症例も玄米自然食を行おうとはしなかった。玄米自然食を行うことにより、それのみでも血糖値は大幅に安定化し、『反応性低血糖』によると想定される自律神経および精神状態への悪影響を避けることができる。『反応性低血糖』と呼ばれる症候群が存在するはずである。それは精製された白米・小麦を摂取することにより起こる現代病である。しかし玄米自然食より“走ること歩くこと”の方が自律神経の安定化への寄与は大きいと思われる。
太古の原始時代の生活に戻ると不安障害は激減することは確実なことである。しかし精神統合失調症はあまり減少することはない、と考える。それは精神統合失調症は大脳基底核の先天的な病変に由来するものがほとんどであると筆者は推測しているからである。
整体療法を併用した。急性期の精神疾患の患者には後頚部の激しい凝りが非常に頻繁に見られ、その患者は頚部だけでなく胸椎部もまた石のように固くなっている、よって整体療法を行った。この整体療法には大部分の患者が従った。この整体は肘による圧迫を用いる。カイロプラクテック的手法は用いない。日本古来の指圧に則って行う。患者は始め(初回)は強い痛みを訴えるが、凝りが解れてゆくと痛みはほとんど訴えなくなる。しかし凝りが極めて強い患者(特に精神統合失調症急性期に多い)は初回は痛みを訴えず、2回目以降より筋肉が解れてゆくとともに痛みを訴えるようになることが頻繁にある。
不安障害などが治癒するのは東洋医学的には全身の“気の流れ”が円滑化するためと説明される。
1回の走る時間はできる限り30分以上が望ましい。短時間で終わらせる者は治癒することは少ない。そのため、30分以上走る(歩く)ように指導している。
毎日行う必要はない。週に2回から4回で充分と思われる。週に1回でも効果は強い。若く体力の有る患者以外、毎日のように行うと疲弊し、1回の走る時間歩く時間が短くなる傾向がある。1回の走る(歩く)時間が長いことが重要である。週に何回走る(歩く)かは年齢などの要素のよって決めて良い。
早く走る(歩く)と交感神経が過度に緊張し、ゆっくり走る(歩く)と交感神経が適度に緊張する故と思われる。ゆっくり走る(歩く)ことにより交感神経過緊張が解消して行き、病気が治癒して行くと考えられる。
1回に1時間以上走る(歩く)者は驚くほど早く治癒してゆく。小さい頃からの頑固な不安障害さえ、1回1時間以上のジョギングにより治癒した例も存在する。
そのときの状況、状態などにかなり左右されるが、一般に走り(歩き)始めて20分を経過するとランナーズ・ハイの状態になってくる。様々な過去のことが思い浮かんできたりする。そしてそれは何故かその不安障害を起こす直前の出来事が非常に多い。
走る。その途中で脱落して行く者は多い。それは長距離走(マラソン)のようなものである。走り抜いて病気を克服する者は確かに少ない。筆者の指導に従順に従う者はやがて治癒してゆくことが多い。しかし筆者の指導に従わず、走ることを怠り、不安障害が慢性化する者は非常に多い。走る(歩く)ことは全身の“気の流れ”を円滑化し、精神統合失調症にも効果があると確信する。
寒い季節になると室外を歩く(走る)のが非常に億劫になる。そのときは防寒着を着るなど耐寒対策を充分にして歩く(走る)方法がある(特に手先が冷たくなる。他の部分は走るにつれて次第に暖かくなってゆく。自動二輪車を運転するときの長いグローブを着用して走ると非常に効果的である。)。また室内施設のあるところでは室内施設を積極的に利用するのも良い。その他にも寒い季節には自宅で自転車漕ぎをするのも1つの方法である。また喉頭や気管支などの弱い人では寒い季節に室外を走ると喉頭や気管支の炎症を起こしてしまうことが非常に頻繁にある。
自宅でのトレーニングは気分転換が不充分になりやすい欠点がある。また室内での運動ではランナーズ・ハイの状態に成り難い。しかし防寒着を着て走る方法を用いても寒さに億劫になる場合、および室内施設も無い場合、自宅での自転車漕ぎを行うことなどは仕方のないことと思われる。その自転車漕ぎも長時間行うことが重要である。3日に1度、4日に1度でも良い。不安障害、感情障害、精神統合失調症の患者の交感神経過緊張状態を改善するためには緩やかに長時間行うことである。
運動療法は太古の自然に還ることを目標とする治療法であり、強い克己心(あるいは家族の協力)が必要であるかもしれない。しかし、習慣性など副作用のない自律神経の平衡を整える最良の治療法と思われる。
現在は、心疾患患者など走ることを避けなければならない患者および40歳以上の患者には丹田呼吸法を勧めている。丹田呼吸法も自律神経の安定化に非常に効果が高い。それは“走る”以上の効果を持っていると言っても過言ではない。丹田呼吸法の効果は別稿をもって報告する。
【おわりに】
現在、症例自ら「歩くこと」を雨の日以外は欠かさずに行っている。「雨の日、歩くことも多い」と言う。
この症例のうつ病性障害、原発性不眠症、アルコール依存の寛解には「歩くこと」が極めて大きく寄与したと考えられる。
今、ここに症例から渡された一冊の本にも出来る日記形式のノートがある。症例の真面目さ、几帳面さ、信仰の篤さなどが凝縮されてある。これを見ると、症例は結婚して間もなく姑との激しい諍いにより「軽症うつ病性障害」を発症したことが記載されてある。
【文献】
1) Dahlitz MJ、Alvalez B、Vignau J et al:Delayed sleep phase syndrome response to melatonin.Lancet 337:1121-1124、1991
2) 林公一:擬態うつ病.宝島社新書、東京、2001
3) 本間祥白:難経の研究.日本の医道社、東京、1997
4) 井上猛、小山司:難治性うつ病の治療.我が国における現状と治療アルゴリズム.
精神医学 39:6-14、1997
5) 井上猛、小山司:Augmentation の有効性のエビデンス.精神科 1:123-132、2002
6) 笠原嘉:軽症うつ病.講談社現代新書、東京、1996
7) 加藤信勝:アルコール依存症と感情障害.日本臨床:1350-1354(vol.52)、1994
8) Keeler M:Are all recently detoxified alcoholics depressed? Am. J. Psychiatry 136:586-588、1979
9) 松橋俊夫:漢方による精神科治療.金剛出版、東京、1988
10) 松橋俊夫:一般外来診療のためのうつ状態の漢方治療.医歯薬出版、東京、1994
11) 松橋俊夫:サフランの入眠効果について.新薬と臨床:123-125(vol.48)、1995
12) 大野裕:「うつ」を治す.PHP研究所、東京、2000
13) 洲脇寛:うつ病とアルコール依存を合併する症例の治療.精神科治療学 7(1):35-40、1992
14) 洲脇寛:アルコール依存、ライフ・サイエンス、東京、1995
15) 高見敏郎:走る---太古の自然に還れ---.治療の声 5(1):77-83、2003
16) Thase ME、Rush AJ:Treatment-resistant depression.In: Psychopharmacology
: The Fourth Generation of Progress, ed by Bloom FE, Kupfer DJ.Raven Press、New York、1995
17) 山寺博史、本間房恵、石橋恵理、遠藤俊吉:心理検査による睡眠後退症候群患者の心理特性についての研究.臨床精神医学 32(3):305-310、2003
18) Thorpy MJ、Korman E、Spielman AJ et al:Delayed sleep phase syndrome in adolescents.J Adolesc Health Care 9:22-27、1988
19) Weismann MM、Meyers JK:Clinical depression in alcoholism.Am. J. Psychiatry 137:372-373、1980
A case of "Depressive Episode", the Prolongation is caused by "Religious Guilt", and obteined the Remission has been acquired by Walking and taking Herbal Medicine.
【原著】original article
O-ringによる漢方方剤の決定
漢方方剤を決定するとき、0-リングテスト(以下、“O-ring”と略する)は非常に有効な方法であることは広く知られている。しかし、その使用法は混沌としており、有効性の低い使用法が頻用されている。
筆者は被験者をベットに横たえさせ、腹部に漢方を乗せ O-ringを行っている。その正確度は極めて高い。症例を交えて報告する。
【key words】O-ring, kampo, herbal medicine
【方法】
筆者は始めは片方の手に漢方方剤を握らせる方法を採った。しかしこの方法では余分な力が入ってしまい、うまく行かなかった。そのため片方の手の平に乗せるだけの方法を始めた。しかしそれでも被験者が意識してしまい、うまく行かなかった。できる限り被験者をリラックスさせることが重要であることに気付いた。そのため今度は被験者に目を瞑らせ片方の手の平に漢方方剤を乗せて施行した。正確度は増加したが、目を閉じることに被験者が力を入れてしまう。そのため目にマスクをして行うようにした。更に正確度は増加したが、手の平に乗せるとどうしても力が入ってしまう。そのため手の裏側に漢方方剤を乗せるようにした。正確度は更に向上したが長い時間の施行に被験者が疲労する。被験者は病人であるため疲れを招く方法は中止し、被験者をベットに横たえさせて行うようにした。またこの方法を始めて被験者の協力性も向上した。
方剤はすべてツムラ漢方エキス顆粒を用いた。それらはアルミの袋の中に入っている一般に最も頻繁に用いられているものであり、そのアルミの袋の中に入れたまま用いる。アルミの袋から取り出し薄い紙の袋の中に入れ直しても正確度が高くなることはなかった。アルミの袋が3個繋がったもの(すなわち一日分の量)を頻用している。それが3個でなく2個になっても正確度が低下することは少ないが、それが1個になると被験者により異なるが、正確度は低下する。よって3個繋がったものを用いている。
O-ring を被験者の右手で行うならば被験者の右側に位置し、また方剤は被験者の腹部の中央に置く。経絡の流れから考えると右手で行うならば腹部の右側寄りに置いた方が効果的に思えるが、右側寄りに置いても正確度は高くならない。反対に左側寄りに置いても正確度は低くならない。
また、一人で行う場合は、膝の上の東洋医学で言うところの“血海”の辺りに検査する方剤を置き、O-ring を行う(これを左側に置くか右側に置くかは結果に全く関係しない)。
【症例】
(症例)男性。昭和58年3月29日生まれ。野上00。2年前より頭痛有り。このとき目がボーッとする。これは午前中に多い。高校受験が迫っている。試験中にこうなるのではないかと心配である。頭痛は疲労が有るときに多い。運動した後に多い。早退するのは午前中ばかりである。頭痛時、処方された呉茱萸湯を飲んだら3時間ほど眠ることができる(初診時、呉茱萸湯を処方した)。両下腿を触診すると右下腿上部に硬桔有り。左下腿には硬桔は無し。母親は外見上、中間証。子は外見上、やや虚証。平成10年2月28日、O-ring 施行。小青竜湯、甘麦大棗湯、大柴胡湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、川きゅう茶調散、桂枝加朮附湯、防風通聖散、黄連解毒湯、半夏白朮天麻湯、八味地黄丸の順。小青竜湯は圧倒的に良く反応した。小青竜湯を 3 pack/day 処方。
(症例)男性。昭和57年10月1日生まれ。西山00。1週間前から、昼の12時ぐらいになると左睫の上の周辺に鈍痛が起こる。この痛みは3時ぐらいまで続く。耐えられないような痛みではない。頭部CT上、左後頭部に中隔に密着した小さな脂肪腫らしきものあり。最近、ストレスになるようなことは思いつかない、という。神経質な傾向無し。平成10年4月11日、O-ring 施行。川茶調散、甘麦大棗湯、酸棗仁湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、越婢加朮湯、防風通聖散、よく苡仁湯、柴胡桂枝湯、大柴胡湯、呉茱萸湯、抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、黄連解毒湯、防已黄義湯、八味地黄丸、牛車腎気丸、釣籐散、麻黄附子細辛湯、葛根湯の順。川茶調散と甘麦大棗湯を 2 pack/day ずつ処方。
(症例)女性。昭和52年10月12日生まれ。山崎00。昨日、筆記試験の始まる直前、全身硬直発作出現。意識も消失する。今までに痙攣発作は高校の頃と小学生の頃に1回ずつ有るが、小学生の頃のは意識消失もなく、軽い痙攣発作であった、と言う。頭部CT上、異常なし。
平成10年1月24日午前11時、O-ring 施行。柴胡加竜骨牡蛎湯、桂枝茯苓丸、女神散、加味逍遥散、八味地黄丸、半夏厚朴湯の順。柴胡加竜骨牡蛎湯、桂枝茯苓丸、女神散は僅差であった。柴胡加竜骨牡蛎湯を処方。
(症例)男性。昭和51年11月1日生まれ。7カ月ほど仕事をしていない。自宅に閉居している。少なくとも8カ月ほど前に発症した精神分裂病。自発性低下。トラックの運転手をしていた。
平成10年1月5日午後4時半、O-ring 施行。川きゅう茶調散、抑肝散加陳皮半夏、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、抑肝散、帰脾湯、補中益気湯の順。川きゅう茶調散を処方。しかし風邪気味であった可能性もあるため、抑肝散加陳皮半夏を処方すべきだったと思われる。外見上、色白、痩せ型で虚証。
(症例)女性。昭和49年11月12日生まれ。力丸00。23歳、社会人。平成10年1月23日、会社の同僚と酒を飲んでいて頭部を強く打ち、来院。頭部CTおよび頚椎単純X線撮影を施行するも異常なし。5日後の28日、左耳後部に直径8mmほどの腱のようなものが走っているのを訴えて来院。この部分が痛むという。2日前(26日)と本日、嘔吐があった。神経学的検査上、やや腱反射が昂進しているものの異常はない。少し風邪気味である。しかし鼻水が出る程度の軽い風邪である。
平成10年1月28日午後1時半、O-ring 施行。小青竜湯、加味帰脾湯、柴朴湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、八味地黄丸、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、麻黄附子細辛湯、よく苡仁湯、葛根湯加川弓辛夷、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、女神散の順。小青竜湯を 2pack/day 処方。中肉中背。目は大きく、外見上、中間証。風邪気味であったため小青竜湯が良く反応したのであり、加味帰脾湯あるいは柴朴湯または柴胡加竜骨牡蛎湯を処方すべきであったと思われる。
(症例)女性。昭和48年7月30日生まれ。永翁00。平成6年7月5日、交通事故にて右手の肘を打撲。このとき第4頚椎から第7頚椎に架けて椎間板の狭窄を認める。頭部CT上、特記すべき所見なし。
平成8年2月26日、右手関節曲げるとき疼痛あり。握力・右12.5kg. 左22.0kg 。疼痛のみでなく、右手指に力が入り難い。後縦靭帯骨化症の疑いにて頚椎MRI施行するも判然とせず。
平成10年3月28日、4日前より後頭部から右肩に架けて疼痛有りて来院。外見上、やや虚証。O-ring 施行。帰脾湯、防風通聖散、女神散、五苓散、よく苡仁湯、釣籐散、桂枝加朮附湯の順。帰脾湯を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和46年1月12日生まれ。幾竹00。21歳時より始まったてんかん発作のため抗てんかん薬を服薬している。そのてんかんは、まず右足が震えてくる、次にそれが右手にも起こってくる。その発作は真夜中か朝にしか起こらない、という。今まで救急車で運ばれるような発作はない。ヒステリーをも疑っている。最近、妊娠したが結局下ろすことに決めたという。今後も抗てんかん薬を飲まなければならないのは厭で、漢方でてんかんを治せないかということであった。平成10年4月11日、O-ring 施行。抑肝散、当帰芍薬散、大柴胡湯、半夏厚朴湯、半夏白朮天麻湯、桂枝加朮附湯、女神散、加味逍遥散の順。抑肝散、当帰芍薬散、大柴胡湯は僅差であった。抑肝散を 3 pack/day 処方。
(症例)25歳、女性。主訴は後頚部と肩の間の痛み、とくに体動時に痛む。肩凝りはない。起立時、下方を向くと目眩が起こる。O-ring にて加味逍遥散、八味地黄丸、葛根湯、桂枝伏令丸、苓桂朮甘湯の順。加味逍遥散を 2pack/day 処方。
(症例)女性。昭和43年7月7日生まれ。三島00。8年前、交通事故で左側頭部を強く打ち、外傷性頚部症候群となり、口が開かなくなるなどの症状を起こし本院にて鍼治療と理学療法を受けた。
平成8年7月22日、頭痛が強く、再び本院来院し鍼治療と理学療法を受けた。このときは顕微鏡を扱う仕事を行っているための職業病のようなものと理解していた。
平成9年末より頭の奥に空漠とした感覚を覚えていた。頭の中が回転しているような感じがしていた。よって平成10年1月28日夕方来院し、頭部CTと頚椎単純X線撮影を行い、異常なし。左側の首から肩に架けて凝りが激しい。外見上、中間証。
その日、O-ring 施行。葛根湯加川弓辛夷、小建中湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、白虎加人参湯、芍薬甘草湯、川茶調散、酸棗仁湯、六君子湯、黄連解毒湯、抑肝散加陳皮半夏、半夏白朮天麻湯、桂枝茯苓丸、柴朴湯、黄連湯、桂枝加朮附湯、防風通聖散の順。小建中湯を 3pack/day 処方。また第1胸椎左側に皮内鍼を1本施行。その1本で非常に軽くなったと言う。葛根湯加川弓辛夷から六君子湯までは僅差であった。
(症例)女性。昭和41年1月17日生まれ。樋口00。2年ほど前、筋緊張性頭痛の診断で外来通院歴有り。2日前、39度台の発熱あり。昨日、夜より今までに経験したことの無いほど激しい頭痛あり。今朝(平成10年2月4日)まで痛みが残っており、いつものとおり仕事に出て午前中仕事をしていたが発熱は全く無いのに頭痛は少しも軽くならず却って強くなるため午後3時に早退し本院来院。頭部CT上、特記すべきことなし。頚椎単純X線上も特記すべきことなし。肩凝りがある。アレルギー性鼻炎有り。耳掻きを扱っていて右外傷性鼓膜穿孔を起こしたことあり。
平成10年2月4日午後4時半、O-ring 施行。甘麦大棗湯、抑肝散加陳皮半夏、当帰芍薬散、五苓散、麻黄附子細辛湯、防風通聖散、白虎加人参湯、小青竜湯、釣籐散、桂枝茯苓丸、苓桂朮甘湯、八味地黄丸、葛根湯、黄連解毒湯、よく苡仁湯、桂枝加朮附湯の順。甘麦大棗湯を3pack/day 処方。
(症例)男性。昭和39年12月6日生まれ。田口00。強い頭痛で来院。しかし腰痛の方が強い。以前、重量挙げをやっていた。身体は大きく、顔は赤い。外見上、実証。しかし、O-ring 施行中、中間証と判断する。平成10年4月17日、O-ring 施行。葛根湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、葛根湯加川弓辛夷、よく苡仁湯、女神散、加味帰脾湯、補中益気湯、酸棗仁湯、小柴胡湯、桂枝加芍薬大黄湯、桂枝加朮附湯、川きゅう茶調散、小建中湯の順。葛根湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、葛根湯加川弓辛夷は圧倒的であった。よく苡仁湯もかなり良く反応した。越婢加朮湯、抑肝散、加味逍遥散、当帰芍薬散、柴胡桂枝乾姜湯、牛車腎気丸、小青竜湯、抑肝散加陳皮半夏、柴胡加竜骨牡蛎湯、甘麦大棗湯は反応悪し。葛根湯と当帰四逆加呉珠楡生姜湯を 3 pack/day ずつ処方。
(症例)男性。昭和39年11月26日生まれ。五船00。強い熱証。また、外見上、虚証。12年前より対人恐怖症のため比較的多量の抗不安薬を服薬している。平成9年11月10日、O-ring 施行。帰脾湯、葛根湯、女神散の順。帰脾湯と葛根湯を 3 pack/day 処方。
過去、漢方がほとんど効かなかったため、1日近く絶食した後、1週間分の葛根湯を飲む。すると体は非常に熱くなり、冬なのに汗が出てどうしようもなくなった。しかし気分は非常に爽やかになる。
翌日、今度は帰脾湯を空腹の中に1週間分飲む。葛根湯と異なり体はあまり熱くはならなかったが常に存在していた激しい背中の凝りはかなり軽快していた(しかし2日後、再発)。
平成10年1月20日午後1時50分、二度目の O-ring 施行。半夏厚朴湯、甘麦大棗湯、抑肝散加陳皮半夏、柴朴湯、釣籐散、当帰芍薬散の順。この日、変薬の手続きできず、変薬せず様子見る。
2月2日午後2時30分、三度目の O-ring 施行。甘麦大棗湯、葛根湯、葛根湯加川弓辛夷、半夏厚朴湯、抑肝散加陳皮半夏、川茶調散、防風通聖散の順。甘麦大棗湯、葛根湯に変薬。
3月5日より、O-ring 施行せず、柴胡桂枝乾姜湯と四逆散 3 pack/day ずつに変薬。柴胡桂枝乾姜湯は葛根湯と同じように非常に良く効くことを自覚。現在、葛根湯と柴胡桂枝乾姜湯がベストの処方としている。これは頚椎の強い配列異常があることと強く関連していると思われる。
(症例)女性。昭和39年3月3日生まれ。小学校教師。受け持ちは6年生。性格は標準。8年前、交通事故に遭い、頚椎捻挫する。右肩から右後頭部に架けて比較的強い凝りあり。不眠もあるが、これは仕事のストレスからであると言う。
平成9年11月8日、O-ring 施行。加味帰脾湯、酸棗仁湯の順。しかし、1週間後、『その頃、不眠症気味だったからでしょう。』と言う。現在の主訴は肩凝りであり、以前、当帰芍薬散が良く効いたので当帰芍薬散を希望するため当帰芍薬散を処方。
(症例)女性。昭和38年1月18日生まれ。左肩から首筋への激しい凝りがある。以前、バレーの選手であり、バレーで痛めたという。変型性頚椎症、頚性頭痛の診断。
平成9年12月17日、O-ring 施行。甘麦大棗湯、葛根湯、柴胡桂枝湯、大黄甘草湯、苓桂朮甘湯、女神散、補中益気湯、越婢加朮湯、桂枝加朮附湯、芍薬甘草湯、六君子湯、白虎加人参湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯の順。甘麦大棗湯を2週間分処方。しかし甘麦大棗湯はあまり効かなかったという。同時に出していた etizolam, ethyl loflazepate(ともに抗不安薬) の方が良いという。そのため今回は etizolam, ethyl loflazepate のみ処方。前回行ったトリガーポイント局注が良く効いたと言うため今回も0.4%キシロカインに少量のステロイドを混ぜたものを局注(11ml)する。バレーの選手であったためか背は高く外見上痩せているように見えるが筋肉質で筋肉は硬い。
(症例)女性。昭和36年10月11日生まれ。大浦00。平成9年9月5日初診。2、3日前より目の前に白いものが飛んだ様になり、意識朦朧となり、転倒した、と言う。打撲はなし。両手に痺れ感がある。加味逍遥散と苓桂朮甘湯を3 pack/day ずつ2週間分処方。10月9日再来し、クスリのみ2週間分貰って行く。それ以来、来院せず。
12月27日、3度目の来院。目眩があり夜眠れないと言う。よってO-ring 施行。芍薬甘草湯、苓桂朮甘湯、酸棗仁湯、加味逍遥散、大柴胡湯、黄連解毒湯、葛根湯加川弓辛夷の順。芍薬甘草湯と苓桂朮甘湯を 3 pack/day ずつ処方。何故、芍薬甘草湯になったのか、内耳か何処かの筋肉が攣縮してこういう症状を呈していたのか、また苓桂朮甘湯と酸棗仁湯を処方するべきではなかったのか、と考える。
(症例)女性。昭和34年10月29日生まれ。小川00。外見上、やや虚証。今年に入ってから右眼から奥に架けて痛みが走る。以前、平成5年7月、坐骨神経痛の診断で当院通院歴がある。第4腰椎と第5腰椎間に狭窄あり。
平成10年2月2日、O-ring 施行。甘麦大棗湯、当帰芍薬散、五苓散、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、半夏厚朴湯、白虎加人参湯、よく苡仁湯、葛根湯、葛根湯加川弓辛夷、柴胡桂枝湯、加味帰脾湯、小建中湯、芍薬甘草湯、苓桂朮甘湯、呉茱萸湯、越婢加朮湯の順。甘麦大棗湯、当帰芍薬散、五苓散は僅差であった。甘麦大棗湯を 3 pack/day 処方。しかし頚椎の変位からこういう状態に陥ったのか、それとも五苓散を処方すべきだったのか、判断に迷う。
(症例)女性。昭和34年9月4日生まれ。井手00。思春期より頭痛持ちであり、市販の鎮痛薬を常用していた。平成7年9月11日に1週間前より耳鳴りがあり、また3日前より下肢のフラツキが出現し、本院受診。受診時、頚部・肩部の凝りが激しい。
平成9年12月12日、2年ぶりに来院。肩凝りが強く、肩凝りの激しいときには頭痛もある。2年前、来院したときに処方された etizolam が非常に効果があったという。etizolam の処方を希望。O-ring にて加味逍遥散、加味帰脾湯、帰脾湯、葛根湯加川弓辛夷、黄連解毒湯、柴朴湯の順。葛根湯と小青竜湯は反応悪い。加味逍遥散を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和34年4月6日生まれ。林000。後頭部にキリキリする痛みが走る、ことを主訴に来院。雨が振る前に痛くなる、と言う。目眩、痺れ、頚や肩の凝りなど無し。血圧が上が102、下が60と低い。平成10年2月12日、O-ring 施行。五苓散、甘麦大棗湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、釣籐散、疎経活血湯、呉茱萸湯の順。五苓散を 3 pack/day 処方。すべて頭痛に効果があるとされている方剤ばかりが候補に挙がったが、五苓散が効かない場合、甘麦大棗湯や当帰四逆加呉珠楡生姜湯などを投与すべきと思われる。
(症例)男性。昭和33年9月25日生まれ。田中00。長年来の頑固な肩凝りが主訴。鍼を希望して来院。しかし鍼は1日ぐらいしか効かないことを説明し、O-ring 施行。麻黄附子細辛湯、葛根湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、苓桂朮甘湯、酸棗仁湯、よく苡仁湯、加味逍遥散、当帰芍薬散、大柴胡湯、半夏厚朴湯、黄連解毒湯、補中益気湯の順。麻黄附子細辛湯から葛根湯までは僅差であった。風邪は引いていないという。以前、葛根湯を処方し、28日分服薬したが効果は見られなかった。よって桂枝加竜骨牡蛎湯を 3 pack/day 処方。漁業をしており、外見上、実証。
(症例)女性。昭和32年3月9日生まれ。田中00。外見上、やや実証。数年前より後頚部の凝り、目眩あり。そのために仕事も辞める。しかし、耳鼻科にてメニエール病は否定される。変形性頚椎症(第3頚椎から第7頚椎に架けての椎間板ヘルニア)の診断。平成9年9月、O-ring 施行。苓桂朮甘湯、葛根湯の順。苓桂朮甘湯と葛根湯を 3 pack/day 処方。数カ月後、職場復帰を果たすほど、状態良くなる。
(症例)女性。昭和31年3月16日生まれ。金田00。外見上、中間証。昨年6月頃から左肘のところが痛む、左第3・第4指の痺れもある、昼間はあまり痛くないが夜になると痛くなる、左耳の奥に膜が張ったような感じがある、しかしこれは1週間前から風邪を引いてからであるような気がする、という。
平成10年2月16日午後5時、O-ring 施行。女神散、抑肝散加陳皮半夏、柴朴湯、半夏厚朴湯、抑肝散、加味帰脾湯、柴胡桂枝湯、防已黄義湯、呉茱萸湯、葛根湯加川弓辛夷、苓桂朮甘湯、補中益気湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、川茶調散、酸棗仁湯、黄連湯、大柴胡湯の順。女神散は圧倒的であった。女神散を 3 pack/day 処方。Neurotropin 錠も同時に処方。
(症例)女性。昭和31年2月9日生まれ。牧瀬00。3カ月程前より頭重感があり、左肩痛、左指痺れ有り。昨年3月中旬に軽い過呼吸発作あり。7月に本格的な過呼吸発作あり。平成10年3月30日午後5時、O-ring 施行。抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、帰脾湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、半夏厚朴湯、川茶調散、よく苡仁湯、疎経活血湯、防風通聖散、補中益気湯の順。抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、帰脾湯、桂枝加竜骨牡蛎湯は僅差であった。抑肝散加陳皮半夏を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和29年7月12日生まれ。鎌田00。診断名・不安神経症。背は高く、痩せており、虚証タイプ。性格は従順。神経質で抗不安薬を服薬していないと日常生活を送ることが困難である。生理痛強く、生理時には市販の鎮痛薬で凌いでいた。
平成9年5月2日、急患センターへ激しい目眩などで受診。メニエール病と診断され抗不安薬の投薬を受ける。しかし2日後の5月4日、再び同じような症状にて同急患センター受診。このときは目眩を軽減するための betahistine mesilate の投薬を受ける。しかし症状は軽減せず。5月6日、当院受診。他医より頭部CT撮影、点滴など施行され、症状軽減。また持病の頭痛に etizolam が奏功することを知る。
5月24日、筆者に初診。 ethyl loflazepate の 1mg 錠の朝夕2回投薬および頭痛に対し釣籐散 3 pack/day 処方。 ethyl loflazepate が奏功したのか症状はかなり軽減し、同年8月25日再受診まで目眩・不眠・言い知れない不安感、および頭痛などは軽減し、小康状態を保つ。8月25日、再び ethyl loflazepate と今度は苓桂朮甘湯を処方。同年10月8日の再診まで小康状態となる。10月8日再診。この日、O-ring 施行。当帰芍薬散、加味逍遥散の順。しかし不眠などは訴えず(不眠、言い知れない不安感は間違いなく存在していたと思われる)頭痛を訴えるため呉茱萸湯を処方。 ethyl loflazepate もいつも通り処方。再び小康状態となる。
平成10年1月26日、症状悪くなり再診。大学受験を控えた娘も神経質で試験が近づくにつれ不眠症気味であるという。そのため抗不安薬を娘に飲ませても良いでしょうかと話してくる。同日午前11時、O-ring 施行。白虎加人参湯、葛根湯、防已黄義湯、防風通聖散、柴胡加竜骨牡蛎湯、甘麦大棗湯、葛根湯加川弓辛夷、麻黄附子細辛湯、疎経活血湯、五苓散、柴朴湯、女神散、桂枝加竜骨牡蛎湯、抑肝散加陳皮半夏、苓桂朮甘湯、半夏白朮天麻湯、補中益気湯、芍薬甘草湯、六君子湯の順。白虎加人参湯、葛根湯、防已黄義湯は僅差であった。葛根湯を処方。「去年からずっと風邪をひいているんです。」と言う。3月4日、診察時にはまだ風邪症状続いており、しかし全身状態は良く、肺胞呼吸音も正常。慢性気管支炎の診断をする。引き続き ethyl loflazepate の投薬は継続する。
(症例)男性。昭和28年
O-ringによる漢方方剤の決定
漢方方剤を決定するとき、0-リングテスト(以下、“O-ring”と略する)は非常に有効な方法であることは広く知られている。しかし、その使用法は混沌としており、有効性の低い使用法が頻用されている。
筆者は被験者をベットに横たえさせ、腹部に漢方を乗せ O-ringを行っている。その正確度は極めて高い。症例を交えて報告する。
【key words】O-ring, kampo, herbal medicine
【方法】
筆者は始めは片方の手に漢方方剤を握らせる方法を採った。しかしこの方法では余分な力が入ってしまい、うまく行かなかった。そのため片方の手の平に乗せるだけの方法を始めた。しかしそれでも被験者が意識してしまい、うまく行かなかった。できる限り被験者をリラックスさせることが重要であることに気付いた。そのため今度は被験者に目を瞑らせ片方の手の平に漢方方剤を乗せて施行した。正確度は増加したが、目を閉じることに被験者が力を入れてしまう。そのため目にマスクをして行うようにした。更に正確度は増加したが、手の平に乗せるとどうしても力が入ってしまう。そのため手の裏側に漢方方剤を乗せるようにした。正確度は更に向上したが長い時間の施行に被験者が疲労する。被験者は病人であるため疲れを招く方法は中止し、被験者をベットに横たえさせて行うようにした。またこの方法を始めて被験者の協力性も向上した。
方剤はすべてツムラ漢方エキス顆粒を用いた。それらはアルミの袋の中に入っている一般に最も頻繁に用いられているものであり、そのアルミの袋の中に入れたまま用いる。アルミの袋から取り出し薄い紙の袋の中に入れ直しても正確度が高くなることはなかった。アルミの袋が3個繋がったもの(すなわち一日分の量)を頻用している。それが3個でなく2個になっても正確度が低下することは少ないが、それが1個になると被験者により異なるが、正確度は低下する。よって3個繋がったものを用いている。
O-ring を被験者の右手で行うならば被験者の右側に位置し、また方剤は被験者の腹部の中央に置く。経絡の流れから考えると右手で行うならば腹部の右側寄りに置いた方が効果的に思えるが、右側寄りに置いても正確度は高くならない。反対に左側寄りに置いても正確度は低くならない。
また、一人で行う場合は、膝の上の東洋医学で言うところの“血海”の辺りに検査する方剤を置き、O-ring を行う(これを左側に置くか右側に置くかは結果に全く関係しない)。
【症例】
(症例)男性。昭和58年3月29日生まれ。野上00。2年前より頭痛有り。このとき目がボーッとする。これは午前中に多い。高校受験が迫っている。試験中にこうなるのではないかと心配である。頭痛は疲労が有るときに多い。運動した後に多い。早退するのは午前中ばかりである。頭痛時、処方された呉茱萸湯を飲んだら3時間ほど眠ることができる(初診時、呉茱萸湯を処方した)。両下腿を触診すると右下腿上部に硬桔有り。左下腿には硬桔は無し。母親は外見上、中間証。子は外見上、やや虚証。平成10年2月28日、O-ring 施行。小青竜湯、甘麦大棗湯、大柴胡湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、川きゅう茶調散、桂枝加朮附湯、防風通聖散、黄連解毒湯、半夏白朮天麻湯、八味地黄丸の順。小青竜湯は圧倒的に良く反応した。小青竜湯を 3 pack/day 処方。
(症例)男性。昭和57年10月1日生まれ。西山00。1週間前から、昼の12時ぐらいになると左睫の上の周辺に鈍痛が起こる。この痛みは3時ぐらいまで続く。耐えられないような痛みではない。頭部CT上、左後頭部に中隔に密着した小さな脂肪腫らしきものあり。最近、ストレスになるようなことは思いつかない、という。神経質な傾向無し。平成10年4月11日、O-ring 施行。川茶調散、甘麦大棗湯、酸棗仁湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、越婢加朮湯、防風通聖散、よく苡仁湯、柴胡桂枝湯、大柴胡湯、呉茱萸湯、抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、黄連解毒湯、防已黄義湯、八味地黄丸、牛車腎気丸、釣籐散、麻黄附子細辛湯、葛根湯の順。川茶調散と甘麦大棗湯を 2 pack/day ずつ処方。
(症例)女性。昭和52年10月12日生まれ。山崎00。昨日、筆記試験の始まる直前、全身硬直発作出現。意識も消失する。今までに痙攣発作は高校の頃と小学生の頃に1回ずつ有るが、小学生の頃のは意識消失もなく、軽い痙攣発作であった、と言う。頭部CT上、異常なし。
平成10年1月24日午前11時、O-ring 施行。柴胡加竜骨牡蛎湯、桂枝茯苓丸、女神散、加味逍遥散、八味地黄丸、半夏厚朴湯の順。柴胡加竜骨牡蛎湯、桂枝茯苓丸、女神散は僅差であった。柴胡加竜骨牡蛎湯を処方。
(症例)男性。昭和51年11月1日生まれ。7カ月ほど仕事をしていない。自宅に閉居している。少なくとも8カ月ほど前に発症した精神分裂病。自発性低下。トラックの運転手をしていた。
平成10年1月5日午後4時半、O-ring 施行。川きゅう茶調散、抑肝散加陳皮半夏、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、抑肝散、帰脾湯、補中益気湯の順。川きゅう茶調散を処方。しかし風邪気味であった可能性もあるため、抑肝散加陳皮半夏を処方すべきだったと思われる。外見上、色白、痩せ型で虚証。
(症例)女性。昭和49年11月12日生まれ。力丸00。23歳、社会人。平成10年1月23日、会社の同僚と酒を飲んでいて頭部を強く打ち、来院。頭部CTおよび頚椎単純X線撮影を施行するも異常なし。5日後の28日、左耳後部に直径8mmほどの腱のようなものが走っているのを訴えて来院。この部分が痛むという。2日前(26日)と本日、嘔吐があった。神経学的検査上、やや腱反射が昂進しているものの異常はない。少し風邪気味である。しかし鼻水が出る程度の軽い風邪である。
平成10年1月28日午後1時半、O-ring 施行。小青竜湯、加味帰脾湯、柴朴湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、八味地黄丸、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、麻黄附子細辛湯、よく苡仁湯、葛根湯加川弓辛夷、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、女神散の順。小青竜湯を 2pack/day 処方。中肉中背。目は大きく、外見上、中間証。風邪気味であったため小青竜湯が良く反応したのであり、加味帰脾湯あるいは柴朴湯または柴胡加竜骨牡蛎湯を処方すべきであったと思われる。
(症例)女性。昭和48年7月30日生まれ。永翁00。平成6年7月5日、交通事故にて右手の肘を打撲。このとき第4頚椎から第7頚椎に架けて椎間板の狭窄を認める。頭部CT上、特記すべき所見なし。
平成8年2月26日、右手関節曲げるとき疼痛あり。握力・右12.5kg. 左22.0kg 。疼痛のみでなく、右手指に力が入り難い。後縦靭帯骨化症の疑いにて頚椎MRI施行するも判然とせず。
平成10年3月28日、4日前より後頭部から右肩に架けて疼痛有りて来院。外見上、やや虚証。O-ring 施行。帰脾湯、防風通聖散、女神散、五苓散、よく苡仁湯、釣籐散、桂枝加朮附湯の順。帰脾湯を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和46年1月12日生まれ。幾竹00。21歳時より始まったてんかん発作のため抗てんかん薬を服薬している。そのてんかんは、まず右足が震えてくる、次にそれが右手にも起こってくる。その発作は真夜中か朝にしか起こらない、という。今まで救急車で運ばれるような発作はない。ヒステリーをも疑っている。最近、妊娠したが結局下ろすことに決めたという。今後も抗てんかん薬を飲まなければならないのは厭で、漢方でてんかんを治せないかということであった。平成10年4月11日、O-ring 施行。抑肝散、当帰芍薬散、大柴胡湯、半夏厚朴湯、半夏白朮天麻湯、桂枝加朮附湯、女神散、加味逍遥散の順。抑肝散、当帰芍薬散、大柴胡湯は僅差であった。抑肝散を 3 pack/day 処方。
(症例)25歳、女性。主訴は後頚部と肩の間の痛み、とくに体動時に痛む。肩凝りはない。起立時、下方を向くと目眩が起こる。O-ring にて加味逍遥散、八味地黄丸、葛根湯、桂枝伏令丸、苓桂朮甘湯の順。加味逍遥散を 2pack/day 処方。
(症例)女性。昭和43年7月7日生まれ。三島00。8年前、交通事故で左側頭部を強く打ち、外傷性頚部症候群となり、口が開かなくなるなどの症状を起こし本院にて鍼治療と理学療法を受けた。
平成8年7月22日、頭痛が強く、再び本院来院し鍼治療と理学療法を受けた。このときは顕微鏡を扱う仕事を行っているための職業病のようなものと理解していた。
平成9年末より頭の奥に空漠とした感覚を覚えていた。頭の中が回転しているような感じがしていた。よって平成10年1月28日夕方来院し、頭部CTと頚椎単純X線撮影を行い、異常なし。左側の首から肩に架けて凝りが激しい。外見上、中間証。
その日、O-ring 施行。葛根湯加川弓辛夷、小建中湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、白虎加人参湯、芍薬甘草湯、川茶調散、酸棗仁湯、六君子湯、黄連解毒湯、抑肝散加陳皮半夏、半夏白朮天麻湯、桂枝茯苓丸、柴朴湯、黄連湯、桂枝加朮附湯、防風通聖散の順。小建中湯を 3pack/day 処方。また第1胸椎左側に皮内鍼を1本施行。その1本で非常に軽くなったと言う。葛根湯加川弓辛夷から六君子湯までは僅差であった。
(症例)女性。昭和41年1月17日生まれ。樋口00。2年ほど前、筋緊張性頭痛の診断で外来通院歴有り。2日前、39度台の発熱あり。昨日、夜より今までに経験したことの無いほど激しい頭痛あり。今朝(平成10年2月4日)まで痛みが残っており、いつものとおり仕事に出て午前中仕事をしていたが発熱は全く無いのに頭痛は少しも軽くならず却って強くなるため午後3時に早退し本院来院。頭部CT上、特記すべきことなし。頚椎単純X線上も特記すべきことなし。肩凝りがある。アレルギー性鼻炎有り。耳掻きを扱っていて右外傷性鼓膜穿孔を起こしたことあり。
平成10年2月4日午後4時半、O-ring 施行。甘麦大棗湯、抑肝散加陳皮半夏、当帰芍薬散、五苓散、麻黄附子細辛湯、防風通聖散、白虎加人参湯、小青竜湯、釣籐散、桂枝茯苓丸、苓桂朮甘湯、八味地黄丸、葛根湯、黄連解毒湯、よく苡仁湯、桂枝加朮附湯の順。甘麦大棗湯を3pack/day 処方。
(症例)男性。昭和39年12月6日生まれ。田口00。強い頭痛で来院。しかし腰痛の方が強い。以前、重量挙げをやっていた。身体は大きく、顔は赤い。外見上、実証。しかし、O-ring 施行中、中間証と判断する。平成10年4月17日、O-ring 施行。葛根湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、葛根湯加川弓辛夷、よく苡仁湯、女神散、加味帰脾湯、補中益気湯、酸棗仁湯、小柴胡湯、桂枝加芍薬大黄湯、桂枝加朮附湯、川きゅう茶調散、小建中湯の順。葛根湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、葛根湯加川弓辛夷は圧倒的であった。よく苡仁湯もかなり良く反応した。越婢加朮湯、抑肝散、加味逍遥散、当帰芍薬散、柴胡桂枝乾姜湯、牛車腎気丸、小青竜湯、抑肝散加陳皮半夏、柴胡加竜骨牡蛎湯、甘麦大棗湯は反応悪し。葛根湯と当帰四逆加呉珠楡生姜湯を 3 pack/day ずつ処方。
(症例)男性。昭和39年11月26日生まれ。五船00。強い熱証。また、外見上、虚証。12年前より対人恐怖症のため比較的多量の抗不安薬を服薬している。平成9年11月10日、O-ring 施行。帰脾湯、葛根湯、女神散の順。帰脾湯と葛根湯を 3 pack/day 処方。
過去、漢方がほとんど効かなかったため、1日近く絶食した後、1週間分の葛根湯を飲む。すると体は非常に熱くなり、冬なのに汗が出てどうしようもなくなった。しかし気分は非常に爽やかになる。
翌日、今度は帰脾湯を空腹の中に1週間分飲む。葛根湯と異なり体はあまり熱くはならなかったが常に存在していた激しい背中の凝りはかなり軽快していた(しかし2日後、再発)。
平成10年1月20日午後1時50分、二度目の O-ring 施行。半夏厚朴湯、甘麦大棗湯、抑肝散加陳皮半夏、柴朴湯、釣籐散、当帰芍薬散の順。この日、変薬の手続きできず、変薬せず様子見る。
2月2日午後2時30分、三度目の O-ring 施行。甘麦大棗湯、葛根湯、葛根湯加川弓辛夷、半夏厚朴湯、抑肝散加陳皮半夏、川茶調散、防風通聖散の順。甘麦大棗湯、葛根湯に変薬。
3月5日より、O-ring 施行せず、柴胡桂枝乾姜湯と四逆散 3 pack/day ずつに変薬。柴胡桂枝乾姜湯は葛根湯と同じように非常に良く効くことを自覚。現在、葛根湯と柴胡桂枝乾姜湯がベストの処方としている。これは頚椎の強い配列異常があることと強く関連していると思われる。
(症例)女性。昭和39年3月3日生まれ。小学校教師。受け持ちは6年生。性格は標準。8年前、交通事故に遭い、頚椎捻挫する。右肩から右後頭部に架けて比較的強い凝りあり。不眠もあるが、これは仕事のストレスからであると言う。
平成9年11月8日、O-ring 施行。加味帰脾湯、酸棗仁湯の順。しかし、1週間後、『その頃、不眠症気味だったからでしょう。』と言う。現在の主訴は肩凝りであり、以前、当帰芍薬散が良く効いたので当帰芍薬散を希望するため当帰芍薬散を処方。
(症例)女性。昭和38年1月18日生まれ。左肩から首筋への激しい凝りがある。以前、バレーの選手であり、バレーで痛めたという。変型性頚椎症、頚性頭痛の診断。
平成9年12月17日、O-ring 施行。甘麦大棗湯、葛根湯、柴胡桂枝湯、大黄甘草湯、苓桂朮甘湯、女神散、補中益気湯、越婢加朮湯、桂枝加朮附湯、芍薬甘草湯、六君子湯、白虎加人参湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯の順。甘麦大棗湯を2週間分処方。しかし甘麦大棗湯はあまり効かなかったという。同時に出していた etizolam, ethyl loflazepate(ともに抗不安薬) の方が良いという。そのため今回は etizolam, ethyl loflazepate のみ処方。前回行ったトリガーポイント局注が良く効いたと言うため今回も0.4%キシロカインに少量のステロイドを混ぜたものを局注(11ml)する。バレーの選手であったためか背は高く外見上痩せているように見えるが筋肉質で筋肉は硬い。
(症例)女性。昭和36年10月11日生まれ。大浦00。平成9年9月5日初診。2、3日前より目の前に白いものが飛んだ様になり、意識朦朧となり、転倒した、と言う。打撲はなし。両手に痺れ感がある。加味逍遥散と苓桂朮甘湯を3 pack/day ずつ2週間分処方。10月9日再来し、クスリのみ2週間分貰って行く。それ以来、来院せず。
12月27日、3度目の来院。目眩があり夜眠れないと言う。よってO-ring 施行。芍薬甘草湯、苓桂朮甘湯、酸棗仁湯、加味逍遥散、大柴胡湯、黄連解毒湯、葛根湯加川弓辛夷の順。芍薬甘草湯と苓桂朮甘湯を 3 pack/day ずつ処方。何故、芍薬甘草湯になったのか、内耳か何処かの筋肉が攣縮してこういう症状を呈していたのか、また苓桂朮甘湯と酸棗仁湯を処方するべきではなかったのか、と考える。
(症例)女性。昭和34年10月29日生まれ。小川00。外見上、やや虚証。今年に入ってから右眼から奥に架けて痛みが走る。以前、平成5年7月、坐骨神経痛の診断で当院通院歴がある。第4腰椎と第5腰椎間に狭窄あり。
平成10年2月2日、O-ring 施行。甘麦大棗湯、当帰芍薬散、五苓散、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、半夏厚朴湯、白虎加人参湯、よく苡仁湯、葛根湯、葛根湯加川弓辛夷、柴胡桂枝湯、加味帰脾湯、小建中湯、芍薬甘草湯、苓桂朮甘湯、呉茱萸湯、越婢加朮湯の順。甘麦大棗湯、当帰芍薬散、五苓散は僅差であった。甘麦大棗湯を 3 pack/day 処方。しかし頚椎の変位からこういう状態に陥ったのか、それとも五苓散を処方すべきだったのか、判断に迷う。
(症例)女性。昭和34年9月4日生まれ。井手00。思春期より頭痛持ちであり、市販の鎮痛薬を常用していた。平成7年9月11日に1週間前より耳鳴りがあり、また3日前より下肢のフラツキが出現し、本院受診。受診時、頚部・肩部の凝りが激しい。
平成9年12月12日、2年ぶりに来院。肩凝りが強く、肩凝りの激しいときには頭痛もある。2年前、来院したときに処方された etizolam が非常に効果があったという。etizolam の処方を希望。O-ring にて加味逍遥散、加味帰脾湯、帰脾湯、葛根湯加川弓辛夷、黄連解毒湯、柴朴湯の順。葛根湯と小青竜湯は反応悪い。加味逍遥散を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和34年4月6日生まれ。林000。後頭部にキリキリする痛みが走る、ことを主訴に来院。雨が振る前に痛くなる、と言う。目眩、痺れ、頚や肩の凝りなど無し。血圧が上が102、下が60と低い。平成10年2月12日、O-ring 施行。五苓散、甘麦大棗湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、釣籐散、疎経活血湯、呉茱萸湯の順。五苓散を 3 pack/day 処方。すべて頭痛に効果があるとされている方剤ばかりが候補に挙がったが、五苓散が効かない場合、甘麦大棗湯や当帰四逆加呉珠楡生姜湯などを投与すべきと思われる。
(症例)男性。昭和33年9月25日生まれ。田中00。長年来の頑固な肩凝りが主訴。鍼を希望して来院。しかし鍼は1日ぐらいしか効かないことを説明し、O-ring 施行。麻黄附子細辛湯、葛根湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、苓桂朮甘湯、酸棗仁湯、よく苡仁湯、加味逍遥散、当帰芍薬散、大柴胡湯、半夏厚朴湯、黄連解毒湯、補中益気湯の順。麻黄附子細辛湯から葛根湯までは僅差であった。風邪は引いていないという。以前、葛根湯を処方し、28日分服薬したが効果は見られなかった。よって桂枝加竜骨牡蛎湯を 3 pack/day 処方。漁業をしており、外見上、実証。
(症例)女性。昭和32年3月9日生まれ。田中00。外見上、やや実証。数年前より後頚部の凝り、目眩あり。そのために仕事も辞める。しかし、耳鼻科にてメニエール病は否定される。変形性頚椎症(第3頚椎から第7頚椎に架けての椎間板ヘルニア)の診断。平成9年9月、O-ring 施行。苓桂朮甘湯、葛根湯の順。苓桂朮甘湯と葛根湯を 3 pack/day 処方。数カ月後、職場復帰を果たすほど、状態良くなる。
(症例)女性。昭和31年3月16日生まれ。金田00。外見上、中間証。昨年6月頃から左肘のところが痛む、左第3・第4指の痺れもある、昼間はあまり痛くないが夜になると痛くなる、左耳の奥に膜が張ったような感じがある、しかしこれは1週間前から風邪を引いてからであるような気がする、という。
平成10年2月16日午後5時、O-ring 施行。女神散、抑肝散加陳皮半夏、柴朴湯、半夏厚朴湯、抑肝散、加味帰脾湯、柴胡桂枝湯、防已黄義湯、呉茱萸湯、葛根湯加川弓辛夷、苓桂朮甘湯、補中益気湯、当帰四逆加呉珠楡生姜湯、川茶調散、酸棗仁湯、黄連湯、大柴胡湯の順。女神散は圧倒的であった。女神散を 3 pack/day 処方。Neurotropin 錠も同時に処方。
(症例)女性。昭和31年2月9日生まれ。牧瀬00。3カ月程前より頭重感があり、左肩痛、左指痺れ有り。昨年3月中旬に軽い過呼吸発作あり。7月に本格的な過呼吸発作あり。平成10年3月30日午後5時、O-ring 施行。抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、帰脾湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、半夏厚朴湯、川茶調散、よく苡仁湯、疎経活血湯、防風通聖散、補中益気湯の順。抑肝散加陳皮半夏、抑肝散、帰脾湯、桂枝加竜骨牡蛎湯は僅差であった。抑肝散加陳皮半夏を 3 pack/day 処方。
(症例)女性。昭和29年7月12日生まれ。鎌田00。診断名・不安神経症。背は高く、痩せており、虚証タイプ。性格は従順。神経質で抗不安薬を服薬していないと日常生活を送ることが困難である。生理痛強く、生理時には市販の鎮痛薬で凌いでいた。
平成9年5月2日、急患センターへ激しい目眩などで受診。メニエール病と診断され抗不安薬の投薬を受ける。しかし2日後の5月4日、再び同じような症状にて同急患センター受診。このときは目眩を軽減するための betahistine mesilate の投薬を受ける。しかし症状は軽減せず。5月6日、当院受診。他医より頭部CT撮影、点滴など施行され、症状軽減。また持病の頭痛に etizolam が奏功することを知る。
5月24日、筆者に初診。 ethyl loflazepate の 1mg 錠の朝夕2回投薬および頭痛に対し釣籐散 3 pack/day 処方。 ethyl loflazepate が奏功したのか症状はかなり軽減し、同年8月25日再受診まで目眩・不眠・言い知れない不安感、および頭痛などは軽減し、小康状態を保つ。8月25日、再び ethyl loflazepate と今度は苓桂朮甘湯を処方。同年10月8日の再診まで小康状態となる。10月8日再診。この日、O-ring 施行。当帰芍薬散、加味逍遥散の順。しかし不眠などは訴えず(不眠、言い知れない不安感は間違いなく存在していたと思われる)頭痛を訴えるため呉茱萸湯を処方。 ethyl loflazepate もいつも通り処方。再び小康状態となる。
平成10年1月26日、症状悪くなり再診。大学受験を控えた娘も神経質で試験が近づくにつれ不眠症気味であるという。そのため抗不安薬を娘に飲ませても良いでしょうかと話してくる。同日午前11時、O-ring 施行。白虎加人参湯、葛根湯、防已黄義湯、防風通聖散、柴胡加竜骨牡蛎湯、甘麦大棗湯、葛根湯加川弓辛夷、麻黄附子細辛湯、疎経活血湯、五苓散、柴朴湯、女神散、桂枝加竜骨牡蛎湯、抑肝散加陳皮半夏、苓桂朮甘湯、半夏白朮天麻湯、補中益気湯、芍薬甘草湯、六君子湯の順。白虎加人参湯、葛根湯、防已黄義湯は僅差であった。葛根湯を処方。「去年からずっと風邪をひいているんです。」と言う。3月4日、診察時にはまだ風邪症状続いており、しかし全身状態は良く、肺胞呼吸音も正常。慢性気管支炎の診断をする。引き続き ethyl loflazepate の投薬は継続する。
(症例)男性。昭和28年
早朝の神秘体験とともにうつ病性障害が寛解した一例*
**
【抄録】
早朝の神秘体験(夢)とともに1ヶ月半患っていたうつ病性障害が寛解した症例を経験した。それは早朝の夢であった。朝方まで眠れず、朝方、2時間ほど眠ったとき、症例は不可思議な夢を見る。ほとんど夢を覚えない症例にとって、あまりにもリアルな夢であった。
この夢を見た後、激しい両口端の口角炎は完全に消失していた。激しい口角炎が僅か2時間の内に消失することは考え難い。しかし激しい口角炎は早朝に完全寛解していた。
そして症例は30年来の痙攣性発声障害(疑)が寛解したように僅かな力で大きな声が出ることを自覚した。
このように医学的に説明困難なことは臨床の現場に置いてしばしば起こっている。その一例を記す。
【key words】depressive disorder, fantasy, sleep disorder
【症例】42歳、男性
人類の誕生のときの光景が見えていた。朝日を浴びて一人の全裸の女性と思われる人間が野原の中央に横たわっていた。人類の誕生のときであった。朝らしい雰囲気と小鳥の囀りが聞こえていた。
その女性の身体は造り上げたばかりと思われ、皮膚、毛細管に至るまで完璧で傷一つ無かった。皮膚を通して血液の流れ・リンパ液の流れ・細胞の一つ一つなどが鮮やかに見えた。
「人間の身体には元々、病気はない」「病気は社会が出来るとともに憎悪、妬みなどから生まれたものである」という思考が閃光の如く閃いた。
ここで覚醒したらしかった。眩しい朝日が部屋の中に入り込んでいた。「自分は誰だ、ここは何処だ」と思った。しかし、しばらくして、自分の存在と名前を思い出し、また、ここが当直室であることも気付いた。
しばらく頭を休めて時計を見た。朝7時だった。5時頃から眠ったらしかった。最近、うつ病性障害のためか睡眠が取れないでいた。抗うつ薬を大量に飲んでも寝付けない。それ故、朝5時になるまで寝付けなかった。
朝8時頃、起床してからも、ぼんやりとした状態は続いた。今、自分が存在しているのが夢なのか本当なのか、解らなかった。8時半になって同僚が来た。症例は同僚に言った。「朝、起きたとき、自分が誰か解らないことがありますか?」同僚は「ない」と言った。このとき自分の声が全く掠れることなく出ることを覚えた。昨日、当直だったので朝の会議には出席しないで帰宅して良かった。
症例はフラフラとしながらも車の処へ歩いてゆき、車のエンジンを掛けた。足元がふらついていた。最近、マニュアルミッシオンからオートマチックの車に買い換えたこともあり、運転が行い辛かった。
ここはこう、ここはこう、と確かめながら慎重に運転しないと危険であった。
慎重に運転しながらも頭がふらつき危険であったが極力安全運転を心懸け運転した。自宅にはいつものように40分掛かって着いた。
車を運転しながらも「人間はもともと健康であり病気は無い」「病気とは後世に人間の悪い想念が造り上げたものである」という朝に経験した夢(思考)が交錯していた。
【考察】
激しい口角炎(写真)が2時間の内に完全に治癒することは考え難い。口角炎の治癒は夜半から起こっていたと思われる。激しいヘルペス性の口角炎が一夜にして完全に治ることは、うつ病性障害では免疫力が下がる、という実験結果から考えられなくはない。症例のヘルペス性の口角炎は一夜にして完全に治癒している。
この朝、症例の幼い頃から熱心に信じてきた信仰と相容れない思考が生じている。症例には当時、幼い頃から熱心に行ってきた信仰を続けるか、棄教するかの煩悶がその頃、存在していた。それは幼い頃から極めて熱心に行ってきた信仰故に激しい煩悶であった。
1ヶ月前からのうつ病性障害の再発であった。2度目のエピソードであった。1度目のエピソードは3年間続いた。しかし丹田呼吸法で一日で寛解した。1年後、福岡から生まれ故郷の長崎に戻るとき、二つの会社掛け持ちで3ヶ月間休み無しのハードスケジュールを行ったとき過労のため再発した。このうつ病性障害の2度目のエピソードは3ヶ月余り続いた。このとき社長がうつ病性障害を理解してくれなく、給料もカットされ、退職寸前にまで追いやられた。症例はこれも丹田呼吸法で一日または二日で寛解させた。
棄教、それはそれまで生きてきた自分の人生を否定するようなものであった。激しい涜神恐怖がそれに伴っていた。このまま弱いながらもこの信仰を続け、棄教しないで残りの人生を送ってゆくという考えもあった。
それは魔による不可思議体験であったのか、神による不可思議体験であったのか、鑑別が付かない11)。
症例はうつ病性障害はその一晩で、あるいはその早朝に完全寛解したが、社会不安障害、痙攣性発声障害(疑)(spasmodic dysphonia suspect)は軽症化しながらも寛解せずに残っていることが1週間2週間と経つ内に解ってきた。
【文献】
9) Watanabe,T.:Lucid dream: Its Experimental Proof and psychological Conditions. Jouranal of International Society of Life Information Science. Vol 21, No1, 159-165, 2003
10) 渡辺恒夫、蛭川立:「明晰夢の心理条件と心理生理学的実証」.日本心理学会第65回大会発表論文集、43:2001
11)日蓮大聖人御書全集:聖教新聞社、p1989,1998
早朝の神秘体験とともにうつ病性障害などが寛解した一例*
A case of depressive disorder, It remissioned with early morning mysterious and fantastic dream
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
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【抄録】
早朝の神秘体験(夢)とともに1ヶ月半患っていたうつ病性障害が寛解した症例を経験した。それは早朝の夢であった。朝方まで眠れず、朝方、2時間ほど眠ったとき、症例は不可思議な夢を見る。ほとんど夢を覚えない症例にとって、あまりにもリアルな夢であった。
この夢を見た後、激しい両口端の口角炎は完全に消失していた。激しい口角炎が僅か2時間の内に消失することは考え難い。しかし激しい口角炎は早朝に完全寛解していた。
そして症例は30年来の痙攣性発声障害(疑)が寛解したように僅かな力で大きな声が出ることを自覚した。
このように医学的に説明困難なことは臨床の現場に置いてしばしば起こっている。その一例を記す。
【key words】depressive disorder, fantasy, sleep disorder
【症例】42歳、男性
人類の誕生のときの光景が見えていた。朝日を浴びて一人の全裸の女性と思われる人間が野原の中央に横たわっていた。人類の誕生のときであった。朝らしい雰囲気と小鳥の囀りが聞こえていた。
その女性の身体は造り上げたばかりと思われ、皮膚、毛細管に至るまで完璧で傷一つ無かった。皮膚を通して血液の流れ・リンパ液の流れ・細胞の一つ一つなどが鮮やかに見えた。
「人間の身体には元々、病気はない」「病気は社会が出来るとともに憎悪、妬みなどから生まれたものである」という思考が閃光の如く閃いた。
ここで覚醒したらしかった。眩しい朝日が部屋の中に入り込んでいた。「自分は誰だ、ここは何処だ」と思った。しかし、しばらくして、自分の存在と名前を思い出し、また、ここが当直室であることも気付いた。
しばらく頭を休めて時計を見た。朝7時だった。5時頃から眠ったらしかった。最近、うつ病性障害のためか睡眠が取れないでいた。抗うつ薬を大量に飲んでも寝付けない。それ故、朝5時になるまで寝付けなかった。
朝8時頃、起床してからも、ぼんやりとした状態は続いた。今、自分が存在しているのが夢なのか本当なのか、解らなかった。8時半になって同僚が来た。症例は同僚に言った。「朝、起きたとき、自分が誰か解らないことがありますか?」同僚は「ない」と言った。このとき自分の声が全く掠れることなく出ることを覚えた。昨日、当直だったので朝の会議には出席しないで帰宅して良かった。
症例はフラフラとしながらも車の処へ歩いてゆき、車のエンジンを掛けた。足元がふらついていた。最近、マニュアルミッシオンからオートマチックの車に買い換えたこともあり、運転が行い辛かった。
ここはこう、ここはこう、と確かめながら慎重に運転しないと危険であった。
慎重に運転しながらも頭がふらつき危険であったが極力安全運転を心懸け運転した。自宅にはいつものように40分掛かって着いた。
車を運転しながらも「人間はもともと健康であり病気は無い」「病気とは後世に人間の悪い想念が造り上げたものである」という朝に経験した夢(思考)が交錯していた。
【考察】
激しい口角炎(写真)が2時間の内に完全に治癒することは考え難い。口角炎の治癒は夜半から起こっていたと思われる。激しいヘルペス性の口角炎が一夜にして完全に治ることは、うつ病性障害では免疫力が下がる、という実験結果から考えられなくはない。症例のヘルペス性の口角炎は一夜にして完全に治癒している。
この朝、症例の幼い頃から熱心に信じてきた信仰と相容れない思考が生じている。症例には当時、幼い頃から熱心に行ってきた信仰を続けるか、棄教するかの煩悶がその頃、存在していた。それは幼い頃から極めて熱心に行ってきた信仰故に激しい煩悶であった。
1ヶ月前からのうつ病性障害の再発であった。2度目のエピソードであった。1度目のエピソードは3年間続いた。しかし丹田呼吸法で一日で寛解した。1年後、福岡から生まれ故郷の長崎に戻るとき、二つの会社掛け持ちで3ヶ月間休み無しのハードスケジュールを行ったとき過労のため再発した。このうつ病性障害の2度目のエピソードは3ヶ月余り続いた。このとき社長がうつ病性障害を理解してくれなく、給料もカットされ、退職寸前にまで追いやられた。症例はこれも丹田呼吸法で一日または二日で寛解させた。
棄教、それはそれまで生きてきた自分の人生を否定するようなものであった。激しい涜神恐怖がそれに伴っていた。このまま弱いながらもこの信仰を続け、棄教しないで残りの人生を送ってゆくという考えもあった。
それは魔による不可思議体験であったのか、神による不可思議体験であったのか、鑑別が付かない11)。
症例はうつ病性障害はその一晩で、あるいはその早朝に完全寛解したが、社会不安障害、痙攣性発声障害(疑)(spasmodic dysphonia suspect)は軽症化しながらも寛解せずに残っていることが1週間2週間と経つ内に解ってきた。
【文献】
9) Watanabe,T.:Lucid dream: Its Experimental Proof and psychological Conditions. Jouranal of International Society of Life Information Science. Vol 21, No1, 159-165, 2003
10) 渡辺恒夫、蛭川立:「明晰夢の心理条件と心理生理学的実証」.日本心理学会第65回大会発表論文集、43:2001
11)日蓮大聖人御書全集:聖教新聞社、p1989,1998
早朝の神秘体験とともにうつ病性障害などが寛解した一例*
A case of depressive disorder, It remissioned with early morning mysterious and fantastic dream
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html