gcc01474のブログ -15ページ目

gcc01474のブログ

ブログの説明を入力します。

太古の自然に還る*


【はじめに】
 SSRI(Selective serotonin reuptake inhibitor)によって強迫性障害49)、恐慌性障害50)などが寛解するという。しかし筆者は未だかつてSSRIにより強迫性障害、恐慌性障害などが寛解した症例を一例も持たない(筆者が社会恐怖の患者を中心に治療に当たっているからかもしれない)。すべてほとんど無効のままSSRIの投与中止に至らざるを得なかった。ほとんどの患者がSSRIによる全身倦怠感、そしてそれによる社会的退隠の増大という症状の憎悪に陥った。それは8例中7例に達し、1例はSSRIの一種である fluvoxamine maleate の極量服薬にも拘わらず、全身倦怠感も出現せず、そしてそれによる社会的退隠の増大という症状の憎悪に陥ることもなかった(この患者は結局SSRIの極量服薬を7カ月間続けたが症状の軽快は全く見られなかった)。筆者はそれ故、それらの疾患の患者に対するSSRIの投与を中止し、投与する薬剤は全て benzodiazepine 系の薬剤に変更した。SSRIは東洋人少なくとも日本人には合わないのかもしれない。または東洋人少なくとも日本人の食生活ではSSRIは効果が出現しないのかもしれないという結論に達している。
 筆者はそれらの疾患に罹患している患者に対し、玄米自然食およびジョギングなどの運動を熱心に勧め、それによる治療を目指している。そしてその治療法による成績は非常に良い成績を納めている。

【key words】back to the old day, social phobia, panic disorder, obsessive compulsive disorder,

【方法】玄米食は100%玄米、もしくは玄米粉を用いる。できる限り、有機栽培の自然な玄米を用いる。家族の中で一人のみ玄米とするときはやや高価となるが玄米粉が用いやすい。
 野菜をできる限り多量に、しかも毎日食することを義務付ける。また、茸(とくにマイタケ)をできる限り毎日大量に食べるようにする。
 酒は一日、日本酒換算2合を上限とする。酒に関しては強い制限はしない。
 ジョギングまたは早歩き歩行を義務づける。ジョギングや早歩き歩行はできる限り長時間行う。またできる限り毎日行う。
 
【症例】
(症例1)
 38歳、男性。虚証、熱証。研究職。
 酒は元より機会飲酒。しかし甘いものが好きで、週末にはシュークリームを400円ほど2合ほどの酒と一緒に食していた。
 以前より運動を心掛け、2日に1度ほど50分ほどのジョギングと、頑なな100%の玄米食は行っていた。問題は週末のシュークリームなど甘いものが好きであることと言っても良かった。そのシュークリームなど甘いものも今回一気に中止する。その厳格な食生活へ改めるためには以前より行っていた宗教への没頭が必要であった。
 大量のbenzodiazepine系のクスリが必要であった強い自律神経失調とそれに伴う対人緊張は次第に軽快。強い対人緊張は強い自律神経失調に由来していると思われた。
 しかし宗教への没頭が不完全であった故か、シュークリームを絶つことはできず、それ故か自律神経失調は完治せず、それ故か対人緊張も軽度の軽快のみで留まっている。

(症例2)
 21歳、男性。小柄で虚証。無職あるいはフリーアルバイター。
 主訴は対人緊張。対人緊張ゆえに当脳外科受診。虐めがあったのか、勉学が苦手だったのか、中学までしか学校に行っていない(高校中退なのかもしれない)。 fluvoxamine maleate 25mg 6T 1×(0,0,6) 服薬しても全身倦怠感などの副作用は出現せず。それ故、 fluvoxamine maleate 25mg 6T 1×(0,0,6) の服薬を7カ月続けたが、対人緊張は少しも軽減しなかった。
  fluvoxamine maleate は効果がないと服薬を中止し、インターネットより fluoxetine hydrochloride を購入、20mg 1T 1×(0,0,1) 服薬する。 fluoxetine hydrochloride ではかなりの副作用(激しい全身倦怠感)が出現し、結局、3日に1錠の服薬に留めなければならなかった。これを3カ月続ける。運動は行わず。症状(対人緊張)はほとんど軽快せず。
 しかし空手を始め、薬は全く服薬しないようになり、空手に熱中してアルバイトを休むほどになった。アルバイトから正社員に登用させてもらえるようにアルバイトは決して休まないように忠告するも週3回しかアルバイトには行っていない(アルバイトは土日は休みである)。空手を始めて性格が明るく積極的にはなっている。

(症例3)
 45歳、男性。背が高く、やや虚証。市役所勤務。
 主訴は2カ月前からの不眠と軽度の対人緊張、3年前からの軽症の書痙。
 頭部CT施行、特記すべき所見なし。性格は非常に真面目である。『ウコンを今度から飲もうと思っている。』と言って抗不安薬の投与を断る。抑肝散 2.5mg 3P 3× のみの投薬を開始する。また運動を勧める。性格が非常に真面目であり、運動を行う。3カ月後にはほぼ完治状態となり、現在2年を経過しているが、再発は見られない。

(症例4)
 21歳、男性。やや虚証。フリーアルバイター。
 高校の時には陸上部に1年間のみ入っており、県の新人戦では800m、1分54秒で優勝したこともある。しかし、練習をほとんど行わないのに一生懸命練習している他の陸上選手に勝つことに罪悪感を感じ、陸上を辞める。
 祖母が精神分裂症の診断の下、長年、精神病院に入院し、その精神病院で死亡している。血縁は神経が繊細で不安障害が多いという。1年ほど前、両親の離婚があった。患者は福岡ドームのビール売りと試合後またはほとんど毎日の清掃のアルバイトをして、病弱で臥床を続けている母親と17歳の高校生の弟を養っている。
 心気症的傾向強く、2日に1度は電話を掛けてくる。深夜2時に掛けてくることも良くある(意識がボーッとする、足先が痺れる、目眩、胸がモヤモヤする、手足の力が抜ける、頭の中央部分が燃えているような感じがする、頭全体が痺れる、頭の芯がギュッと締め付けられるような痛み、身体全体が痺れる、など)。心電図上、頭部CT上、胸部X線上、血液検査上、すべて特記すべき所見なし。脳波上、やや異常あり。レキソタンとレキシンを同時に服薬すると良く効くという。
 症状はてんかん小発作にも分裂病の体感幻覚にも似ていたが、 risperidone にはほとんど反応せず、 carbamazepine にある程度反応する、 bromazepam に良好に反応する。『sulpiride で心が落ちつく、ethyl loflazepate は効かない、 aleviatine は何も感じない、 bromperidol は合わない、 risperidone は眠くならない、 diazepam 5mg錠は効かない。』という。病院に来ると緊張する、緊張で神経が張る、と言う。
 bromazepam 5mg 4T 4×(1,1,1,1)の処方で最も落ちつくため、保険上の診断名は強迫性障害とした。社交性は良い。
 症状は一進一退を繰り返し、次第に bromazepam に対する耐性が付いてきたため、マイタケを水炊きして食することを勧める。夜勤開けの食事の時、マイタケを300円分、3パック食するようにする。効果は劇的であり、てんかん小発作にも分裂病の体感幻覚にも似ていた症状は最初に食した日から大部分消失する。完全な消失ではないため、現在も bromazepam 2mg 2T 2×(1,0,0,1) の処方は続いている。

(症例5)
 26歳、男性。小柄で虚証。フリーアルバイター。大学入試に落ち、その後、経済的理由から予備校に通わずアルバイトをし、大学進学は諦める。
 23歳時より不潔恐怖が始まる(人が触ったノブに触ることが非常に困難で、ノブにはティッシューペーパーかハンカチを使い、決して直接素手では触らない。また仕事場などで、共通のタオルを使うことができず、常に自分のハンカチで手を拭いている。)。発病より3年を経過していた。様々な医療機関を巡り歩く。筆者のところに来たときは森田療法に熱心であった。前医からは fluvoxamine maleate 25mg 3T 3×、 sulpiride 50mg 3T 3×、bromazepam 2mg 3T 3× を投与されていた。
fluvoxamine maleate および sulpiride を中止し、benzodiazepine系のクスリと漢方に統一する。bromazepam 2mg 10T 3×(3,3,4)、抑肝散 2.5mg 3P 3×に変更する( bromazepam はできる限り服薬しないよう自己管理とする。実際、 bromazepam は処方された3分の1ほどしか服薬せず、余った薬は薬箱に保管しておく。薬が余分にないと不安になると言う。)。また、食生活の改善とジョギングなどの運動を勧める。真面目であり、また家族の協力も得られ、運動を真面目に行う。3カ月後にはほとんど不潔恐怖は消失。1年半経過したが再発は認められない。

(症例6)
 20歳、女性。中間証。家事手伝い。
 高校1年の時、虐めに遭った。父親はアルコール中毒気味であり、反社会的人格障害が著しい。アルコールに酔うと、家人に暴力を振るう。アルコールを飲んでいないときも、些細なことで怒り、家人に暴力を振るう。そのためもあり、離婚が2回あり、3回結婚している。現在の夫人である3度目の夫人も、今まで4回、家出をした。父親由来と思われる反社会的人格障害が存在している。全く太ってはいないが痩せることに異常に執着し、昼食は取らない。しかし夜、暴食をする。頭部CT上、特記すべき所見なし。
 初診時、時間外になる6時頃母親とともに来院(本院は夕方5時で受付は終わる)。母親の顔には憔悴しきった表情が見られた。これは若い女性に非常に多く見られる病態でそれほど心配することはないことを母親に説明したが、母親の憔悴しきった表情は変わらず。最初から笑顔で聴いていた娘が口を開く。『お腹が空かないクスリ有りませんか?』 
 今までのパターンとは異なることに気付く。比較的多量の抗不安薬を処方する。
 2回目の診察時、抗不安薬のみでは対処不可能と判断し、抗精神病薬を勧めても服薬しないと言い張る。保険に通る最大量の抗不安薬を処方せざるを得なかった。
 自然食を行うよう�齔eに説得し、また運動をすると痩せると言い、運動を本人に強く勧める。しかし本人は自然食も運動も全く行わず、夜、ファーストフードの店に何度も行き、一夜で5千円分のファーストフードを一人で食したこともあった。
 3回目の診察時、茸とくにマイタケを食べるように促す。茸はノーカロリーであり、痩せるのに最適であることを患者自身良く知っており、毎日マイタケを3袋(300円分)夜に食べるようになる。すると体の調子も良くなり、抗不安薬を絶つことも痩せることもでき、寛快と言っても良いようになった。
 ほぼ寛快状態にあった頃、一度、自ら進んで、筆者が名義上責任者となっているデイケアにボランティアとして来る。9時頃来院し、仕事を始め、12時の昼飯の時には本院の処方箋の大部分を扱っているすぐ近くの薬局へ行き、そこで200ccの牛乳を飲むだけであった(これはデイケアに居ると病院の昼食を食べさせられるのを避けるためであった。つまり痩せ願望が以前ほどではないにしても依然として残っていた。)。外向的な性格も昼飯時になると急に静かになった。しかし昼飯時が過ぎると再び一生懸命にボランティアの仕事を行った。(午前中もかなり熱心にボランティアとして働いた。今までコンビニエンス・ストアなどで働いたときも、仕事はかなり真面目に行ったが、いつも1週間あまりで燃え尽きたように自分から辞めていったという。)
 翌日も元気一杯にここのデイケアにボランティアを行うために来る。しかしこのデイケアの実質的なオーナーである00夫人より(この患者が一日中働いた初日の時はオーナーの00夫人はいなかった。)『精神科の患者をデイケアでは働かせない。何を行うか解らない。』という精神科への激しい偏見に満ちた言葉で翌日は働かせてもらえず、患者は泣き泣き帰り、この日以来、急激に状況悪化。
 自殺未遂を中三の頃から今までに2回行っている。3度目の自殺未遂をこのデイケアでの事件の8日後に大量の抗不安薬の服用により行う。3度目の自殺未遂は土曜の夜に行われた。金曜の夜、両親に『自殺する』と言う。両親は何故自殺しようとするのか全く見当がつかず、今まで2度自殺未遂を起こしたこともあり心配し、お酒を飲みに連れて行くとストレスが発散し、自殺を思いとどまると思い、両親と3人で焼鳥屋へ行く。そこから筆者のアパートへ何度も電話したが筆者はその夜は当直であり、電話に出ることはできなかった。
 軽度の抗不安薬中毒になっており、benzodiazepine系のクスリがあまり効かなくなり、次第々々に夜の不眠が強くなっていた(故にベゲタミンA の投与を始めた)。デイケアの事件以来、オーナーの00夫人に対する激しい憎しみは殺人衝動にまで高まっていた。玄米自然食と運動を強く勧めるも、それを行おうとする意思は見られない。現在は入院直前の状態で両親の強い監視の下にアルバイトも全く行おうとせず、厳しい状況が続いている。

(症例7)
 42歳、男性。実証。無職。整体業を行っていた(中国整体)。正義感はかなり強い。
 平成11年1月、整体所にて患者と性行為を起こす(受付も付けず、全て自分一人で行っていた。また不完全ながらも予約制としていた。)。またその頃、腰痛(左側)発現(大腿外側皮神経)。またその頃より恐慌発作(心臓頻拍など)も発現。何度か心臓頻拍により近くの内科医院に救急車にて運ばれる。そこでは恐慌性障害と診断される。(患者と性行為を行った罪悪感故かとも思われたが、すでにその頃、夫婦間の仲は冷え切っていた。)
 平成11年2月、T精神クリニックを受診する。sulpiride 50mg 1T 1×(1,0,0)、maprotiline hydrochloride 25mg 2T 2×(1,0,1)、alprazolam 0.4mg 3T 3×、flunitrazepam 2mg 1T 1×v.d.sの処方を受ける。初診時のこの処方が全く変化無く7カ月続く。(平成11年5月には fluvoxamine maleate が発売された。)症状は軽快せず、却って少しづつ悪化する。
 平成11年3月、整体院の営業を正式に停止し、9月には借りていた不動産屋に賃貸し停止を申し出、受理された。
 平成11年9月、T精神クリニックへの通院を中止し、Y病院精神科に通院を始める。処方は alprazolam 0.4mg 3T 3×、flunitrazepam 2mg 1T 1×v.d.s となる。 Y病院精神科に於いても少しも改善傾向は見られず、却って症状は少しづつ悪化する。
 平成11年12月、筆者の勤務する医院来院。 alprazolam 0.8mg 4T 4×、抑肝散 3P 3×、flunitrazepam 1mg 4T 1×v.d.s の処方にする。(flunitrazepam が3mg、2mg、また1mgでも眠れることが頻繁にあり、また運動療法中など、恐慌発作が出現したとき、flunitrazepam を口に含み、口腔粘膜より吸収させると、その恐慌発作が頓挫することが頻繁に有る故に(このとき半分に割って服薬することも多かった)、2mg 錠は使用し難いという本人の希望もあり、敢えて flunitrazepam は1mg 錠を使用した。また、その恐慌発作が発生したとき、alprazolam など、他のbenzodiazepine系の薬では全く効果が無いという。 flunitrazepam を発作時に口腔内で溶解させると発作はよく頓挫するという。
 患者は整体師であるため歩くことなど運動の重要性を弁えており、ジョギングや早歩き歩行を一日1時間ほど行っていた。しかし次第に体力は弱まってゆき、ジョギングができなくなり、早歩き歩行のみに変えたが、それも次第に長時間はできなくなり、平成12年2月には一日40分程しかできなくなり、そして2カ月後の4月には一日20分ほどしかできなくなった。それ以上行うと、恐慌発作が起こり、道端に倒れ、それを見た通行人が救急車を呼ぶことが続くようになった。よって早歩き歩行は一日15分とし、自然食を徹底的に行うよう指導した。しかし夫婦仲が良くなく、奥さんは玄米自然食は決して作らず、子供向けの食事しか作らず(中学1年の息子と小学2年の息子が居る)、本人も自然食を行なう意思は無く(これは奥さんが玄米自然食を決して作ろうとしない故である)、状態は更に悪化。7月の現在では全身倦怠感は更に激しくなり、それ故に flunitrazepam を全く服用しなくとも眠れるようになっている。そして運動もゆっくりとした足取りで10分近く歩行するのが限界となっている。
fluvoxamine maleate は処方しても全身倦怠感が発現すると言い、服薬しない。sertraline hydrochloride をインターネットより購買することを示唆しても購買しない。

(症例8)
 43歳、男性。やや虚証。営業マン。
 C型肝炎によりインターフェロン療法を受けているときに脳内出血を起こし、筆者の勤務する脳神経外科に運ばれてきた。出血は少量(右視床部)で入院の必要性も無かったが、観察入院として7日間の入院とする。退院後1カ月ほどして、社会復帰し、以前の会社に勤める。営業の仕事をしていた。人柄は非常に良い。『退院後、今まで考えも付かなかった処に行こう、という閃きが湧き、営業の成績がものすごく良くなって、びっくりです。閃いた処に行くと、必ず大口の契約を得られるようになりました。その閃く処は常識では絶対に不可能な処ばかりですが、何故か必ず大成功するのです。』本院入院中、退院時、多少精神的に不安定なところがあった。しかし、ethyl loflazepate 1mg 1T 1×(0,0,1) と苓桂朮甘湯 3P 3×のみの処方で抗精神病薬は投与しないでいた。
 退院後1カ月間だけでなく、以前の会社勤務を始めてからも、1日1時間の歩行を行っているとい�、。アルコールを摂取すると出血傾向が高くなると脳外科の医師から言われたことよりアルコールは全く摂取しなくなり(またアルコールを摂取すると動物性蛋白質を摂取しないと身体が苦しくなるということもあり、これは菜食主義に反すると、患者本人の判断でアルコールは全く摂取しなくなった。食事も野菜を中心とした菜食主義に変えたという。しかし筆者はこの患者に菜食主義を勧めたことはない。また、玄米食を行っているかを問うたこともない。
 抗精神病薬は投与せず、ethyl loflazepate 1mg 1T 1×(0,0,1) 、苓桂朮甘湯 3P 3×のみの処方を続けた。
 営業の成績は以前と比べ極めて良く、社内で2位以下を大きく引き離して営業成績第1位の営業マンとして過ごしている。社会復帰してから3カ月が経過しているが、今も以前では考えられない閃きとともに営業成績が圧倒的に第1位の営業マンとして仕事を行っている。

(症例9)
 27歳、男性。大人しい、真面目。母親から分離していない。
 大学卒業後、どの仕事にも就いていない。(大学は自宅から電車で通っていた。)
 大学4年次の4月頃よりアパートの隣人に対する被害関係妄想とも取れる念を抱き始める(70歳ほどの老人がアパートの隣に一人暮らしで住んでいたが、その老人が自分に呪いを掛けている、などと思い始める。しかしこれは確かに隣人の70歳ほどの一人暮らしの老人は常に呪術者的な非常に奇妙な服装をしている。それだけでなく、患者の処の玄関先に訪問人が来たときなど近くに立って聞き耳を立て、訪問人が非常に奇妙な思いをしている。筆者もその経験が何度かある。それ故、そう考えるのも無理はない、と判断した。)。5月頃より、同じ大学の友人・知人たちは就職活動を始めたが、元来の内向性な性格と社会恐怖のため、就職活動は行わなかった。両親は人口6万の福岡市の外れにある前原市で父と母で鮮魚店を営んでいる。患者は大学こそ留年や卒延なしに卒業できたが2流の大学であり、本人は鮮魚店を継ぐことを考えている。3歳年下の弟が居るが、その弟は外向的で、また少なくとも真面目な性格ではない。弟は兄に親が買ってあげたスポーツタイプの自動車で毎日仕事に通っている。
 筆者の処に来たとき(平成11年8月16日)はA 診療クリニックに通っていた。そこでは sulpiride 50mg 3T 3×、 fluvoxamine maleate 25mg 6T 3×、 alprazolam 0.4mg 6T 3×、 flunitrazepam 2mg 1T 1×v.d.s であった。 sulpiride を処方されるようになってから、強い空腹感に襲われるようになり、この4カ月間で35kg太ったという。体重は97kgになっていた。
 処方を(筆者初診;平成11年8月16日) fluvoxamine maleate 25mg 6T 2×(1,0,0,5)、bromazepam 2mg 6T 3×、抑肝散 3P 3×に変更する。
(fluvoxamine maleate は眠くなるということで眠前に集中させた。前医から投与されていた alprazolam は全く効果を感じないと言うため投与せず。)
(免許証の更新も行くことができない、診断書を書いてくれるよう、電話で依頼があったが、更新に行くことを引き延ばしても結局行くことができない、それ故、 bromazepam を4Tでも5Tでも服薬して良いし、みんなから離れたところに座って講習を受ければ良いから行くよう、考える暇がないよう更新の直前15分前に電話し強く説得し行かせ、免許証の更新は無事できた。)
 最近、急激に体重増加したことと、気分転換のため、母親が仕事の終わった夜10時頃より、30分ほど母親とジョギングをしていた(薬は母親が取りに来るか、筆者がアパートまで持って行くか、患者はほとんど病院まで来ることはない。病院に来ると強く緊張するためと本人は言い訳をする。また最近はジョギングは母親が疲労するためと思えるが、10分間に短縮されていた。)。26歳にもなって母親としかジョギングしない、母親が疲労し病気になるから自分一人で走れ、と言うと電話を切る。母親にも同じことを言うとここでも同じく『私の息子は病気ですから。』と電話を激しく切る。母親自身が息子を重症の病気にしていることを理解しない。また自然食は少なくともこの時点では行っていない。
『10分しか走らなかったら、この病気は治らない。30分は走らないといけない。』と厳しく言うも『母親が疲れてしまう。』と弁明する。その弁明に著者は何も言うことができなかった。
 fluvoxamine maleate 25mg 6T 2×(1,0,0,5) 投与は昼間眠くなるということで最初の2回のみの処方にする。3回目の処方より fluvoxamine maleate 25mg 5T 1×v.d.s に変更。昼間の眠気こそ軽くなったが、しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため(僅かでも息子が具合悪くすると、母親はヒステリーを起こし、訴えるなどと逆上する。治療の課程で薬の試行錯誤は必要であること、また薬には必ず副作用があることを説明しても理解しようとしない。また息子も薬の副作用の小さな苦しさを母親に言う。)、平成11年10月8日より fluvoxamine maleate 25mg 3T 1×v.d.s に変更。しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため10月22日より fluvoxamine maleate 25mg 2T 1×v.d.s と更に減量。この処方で落ち着くかに思えたが、これでも苦しいと訴え、結局、平成12年2月9日の処方を最後に fluvoxamine maleate の投与を中止した。
 また、一番良く効果があると患者自身が言っていた bromazepam を服薬すると夢幻様状態になる、精神的に高揚する、故に bromazepam の投与を中止して欲しい、と言うため、 bromazepam も中止した(平成11年11月24日)。そして bromazepam の代わりに clonazepam の投与を始めた。
 平成12年2月23日の処方は clonazepam 1mg 6T 2×(3,0,3)、抑肝散 3P 3× のみの処方となった。
そしてこの処方が続いた後、平成12年6月28日、患者自ら、抑肝散のみの処方を希望し、抑肝散 3P 3× のみの処方となる。夜、母親と軽いジョギング(10分ほど)は続けているが、食事療法は行っていない(しかし、夜のジョギングを疲れ果ててできないように昼間仕事に励むよう指導している。)。現在、父親が経営している、父親と母親で行っている(主として父親が行っている)魚屋の手伝いをしている。客と接すると緊張してしまうため(緊張して顔が強張ったりして客から変に思われるようだ、と言う)、できる限り店の奥の力仕事をし、客と接しないようにしている。最初は2日に1度午前または午後のみ、働いていたが、筆者が毎日働くよう強く説得し次第に一日中しかも毎日働くようになってきた。魚市で朝、魚を選ぶのが楽しいと言う。
 ところが7月19日、『息子が調子が悪くなった』と母親が来院し、 clonazepam 1mg 6T 2×(3,0,3) 14t.d. を受付で貰って行く(調子が悪くなったのはbenzodiazepine系の薬を一気に絶ち、漢方薬のみにしたことと、例年にない暑さのためと考える。体重が最近急激に6kg 減ったという。)。21日、たまたま患者に掛けた電話で調子が悪いことを知り、(またこのとき母親が19日に clonazepam を取りに来たことを知る) etizolam 0.5mg 6T 3×, flunitrazepam 1mg 2T 1×v.d.s (非常に調子が悪いとき) haloperidol 0.5mg 1T 1× 6回分、以上3種類の処方をつくり患者のアパートへ持って行く(etizolam も flunitrazepam も普段は服薬せず、人中に出て行くとき、飴のように口に入れるよう指導しておく。)
2日後、電話すると、 flunitrazepam を飲むと鬱状態になる、という。それは flunitrazepam は精神を落ちつかせる作用が極めて強いため自宅で服薬するとそういう状態になる、flunitrazepam は人中に出てゆくときのみに服薬するよう flunitrazepam を最初渡したときのように説明する。
 最近は漢方薬も切れているはず、それでも薬を取りに来ない、故に仕事を始めて非常に調子が良くなったものと考えていたのは間違いであったことに気付く。
 再度、甘やかさず、家の魚屋の仕事を毎日行わせるのが一番の薬であることを強調しておく。また、玄米自然食を行うことも強調しておく。また、少なくとも茸(特にマイタケ)を多量に食べることを勧める。(玄米自然食については本人は非常に乗り気であったが、母親は乗り気でなく、おそらく行わないように思えた。)
 7月28日、電話あり。flunitrazepam を1mg 働く前に口腔内で飴玉のように溶かして服薬したところ、抑えが効かなくなった、つまり燥状態になった、と言う。そして現在は clonazepam 1mg 6T 2×(3,0,3)、抑肝散 3P 3× のみの処方で定着している。 flunitrazepam と bromazepam で軽度の夢幻様状態、精神的抑制の解除(精神的高揚)が起こることから軽症の分裂症または境界例を疑っている。自然食は母親が乗り気でなく、白米を玄米に変更したのみであったが、ある日、森下敬一医師の著作を患者のアパートへ持ってゆく。それ以来、母親は息子の病気が治るのならばと非常に真面目に玄米菜食を行うようになった。それ以来、内服薬は変わらないが、精神状態は非常に良くなってきている。


【考察】
 玄米菜食主義を主に森下敬一医師の著作に従って行った。甲田光雄医師のそのあまりにも厳格な少食菜食主義は実行極めて困難と判断した。症状の軽重に関わり無く、性格的に真面目な人は、症状が軽くとも真面目に実践した。しかし症状が重く、苦しみが大きくとも、性格的に真面目でない患者は自然食療法をほとんど実践しない傾向があった。それは性格的に真面目な人は症状による苦しみを強い苦しみとして捉え、性格的に不真面目な人は症状による苦しみを弱い苦しみとして捉えるのではないか、と推論した。
 これら不安障害は真面目な性格の人が主に罹患する病気と定義されている。しかし、少なくともこの脳外科の医院に来院する患者は決してそういう傾向は見られない。
 脳外科に来院する不安障害の患者はその不安障害を脳の障害と思い頭部CTを希望して来院する(脳への責任転嫁と言える)。
 性格的に真面目な不安障害の患者は、一般の書店に販売してある不安障害について書かれた本、または図書館にて不安障害について書かれた本を読む。そしてそれが自らの真面目な性格と記憶にある発病のきっかけとなった事柄を思い起こす。そのため脳外科に頭部CTを撮影に来ることはせず、一般の心療内科、精神科を受診する。
 不安障害の患者は性格が真面目不真面目に拘わらず、感受性に富み、神経が繊細である。神経が繊細すぎるが故に不安障害に罹患し、寛解しないでいる。神経が繊細でないにも拘わらず不安障害に罹患した患者は比較的簡単に寛解して行く者が多い。
 できる限り激しいスポーツ(症例2は最近、空手を始めた。また症例4は自衛隊に入隊した。)を勧める理由は、その繊細すぎる神経を丈夫にするためである。(症例2は現在、抗不安薬などを全く服薬していない。)
 上記の症例9例の中の特に数例の非常に繊細な神経を持つ患者を社会生活に於いて支障の無いように強くすることは不可能に近い。しかし自然食、運動および薬剤により社会生活を幾分とも差し障りのないように送れるようにすることのみ現在道は残されていないようである。

【最後に】
 この玄米自然食は家族の強い理解と本人の強い自覚無しには行うことが困難である。1人暮らしの場合は本人の強い自覚のみである。本院を受診した患者は本院が田舎に位置するためか、1人暮らしの患者は1人も居なかった。玄米自然食に慣れると白米は味気なくなる。ファーストフードもまた味気なくなる。そしてこの玄米自然食は自律神経を安定化させる。5~48)
 この治療法は『太古の自然に還る』ことを目的としたものである。太古の昔、不安障害は少なかったと思われる。ファーストフードや白米を普通の食物としている現代人(特に若者)にとって菜食は厳しいと思われる。しかし現代の若者は玄米食にはあまり抵抗感を持たない。太平洋戦争を経験している老人は玄米食に抵抗が強い。しかし玄米食の効用は特に東洋人・日本人にとって大きい。5~48)
 西洋など、遥か昔から肉食を行ってきた腸の短い人種にも、玄米食は非常に良い影響を与える。腸の長い東洋人や日本人には西洋人より更に良い影響を玄米食は与える。西洋の食生活の指導は西洋に合い、東洋にはあまり合わない。東洋人や日本人には西洋人と異なる食生活と栄養学がある。5~48)
 玄米自然食も運動も血糖値を安定させる作用がある。甘い食物は血糖値を急激に上昇させインシュリン分泌を昂進させ、その反動として反応性低血糖を招く。低血糖(特に反応性低血糖)は交感神経の働きを活発にさせる。それによる交感神経過緊張は椎骨に沿う筋肉の攣縮を招き、督脈の流れの停滞を起こし、不安障害を悪化させる。玄米は白米と異なり、血糖値の急激な上昇は起こさない。それ故に反応性低血糖は起こさない。運動は血糖値の変動を緩やかにしか行なわせないように運動する人の身体を作り替えて行く。血糖値の急激な変動は脳に悪影響を与える。その最も悪影響を与えるものとして反応性低血糖がある。反応性低血糖が交感神経過緊張を生み、それが筋肉の攣縮を再び生む。整体療法または星状神経節ブロックなどにより攣縮を解いた筋肉も反応性低血糖による交感神経過緊張により再び攣縮を起こし、“気”の流れの停滞が再び起こり、症状が再発する。玄米自然食はミネラル・ビタミンの供給が優れている。加工されたものを好んで食している人は、やがてミネラル・ビタミンの慢性的不足状態となり、自律神経失調を起こしやすくなる。5~48)
 太古の自然に還れば、不安障害、気分障害は激減すると確信する。しかし、それを阻止しているものとして誤った現代栄養学が一つの大きな障壁になっている。欧米の栄養学は日本人など東洋人には当てはまり難い。日本人など東洋人は欧米人とは異なり、肉食の人種ではない。日本人など東洋人は欧米人と異なり、腸が長く、草食向きにできている。そして腸内細菌叢のメカニズムの仮説は現代栄養学を大きく変革させる。5~48)
 また茸の特にマイタケが不安障害および境界例に特効があることも発見した。(分裂症にも特効が有るとも思われる。)
 自然療法により不安障害などの寛解する機序は『筋肉の攣縮により澱んだ“気”の流れが円滑化すること』による。5~48)またこれは分裂症にも効果があると確信する。


【文献】
1)阿久津邦男;歩行の科学;岩波新書;1975
2)石河利寛;スポーツと健康;岩波新書;1978
3)王極盛、梁蔭全;気功の科学;星和書店;1995
4)太田竜;天寿への自然医学;柏樹社;1988
5)甲田光雄;断食療法の科学;春秋社;1973
6)甲田光雄;断食・少食健康法;春秋社;1980
7)甲田光雄監修、生菜食研究会編;生菜食健康法;春秋社;1984
8)甲田光雄;アレルギー性疾患の克服;創元社;1986
9)甲田光雄;白砂糖の害は恐ろしい;人間医学出版社;1987
10)甲田光雄;根本から治すアトピー・アレルギー;せせらぎ出版;1988
11)甲田光雄;少食が健康の原点;たま書房;1991
12)甲田光雄;生菜食ハンドブック;春秋社;1991
13)甲田光雄;冷え症は生野菜で治る;文理書院;1992
14)甲田光雄;心身症治療のコツ;光雲社;1992
15)甲田光雄;肝臓病克服の決め手(増補・改訂版);菜根出版;1994 
16)甲田光雄;あなたのための少食療法(上);菜根出版;1994
17)甲田光雄;あなたのための少食療法(下);菜根出版;1994
18)甲田光雄;食欲の向こう側の物語;菜根出版;1995
19)甲田光雄;驚異の超少食療法;春秋社;1995
20)甲田光雄;背骨のゆがみは万病のもと;創元社;1996
21)甲田光雄;アトピーは必ず克服できる;東方出版;1997
22)甲田光雄;慢性疲労症候群克服への道;東方出版;1999
23)甲田光雄監修;アトピーの健康合宿に学ぶ;創元社;1999
24)甲田光雄;あなたの少食が世界を救う;春秋社;1999
25)森下敬一;自然食健康法;潮文社;1980
26)森下敬一;ガンは恐くない;生命科学出版;1980
27)森下敬一;子供の病気は食事で治せる;ペガサス;1981
28)森下敬一;ガン『消去法』;自然の友社;1982
29)森下敬一;慢性病は食べ物で治る;経営実務出版;1983
30)森下敬一;自然医食による育児教室;ペガサス;1983
31)森下敬一;百歳突破の長寿食;潮文社;1983
32)森下敬一;ガン 治す食べ物/ならない食べ物;経営実務出版;1983
33)森下敬一;牛乳を飲むとガンになる!?;ペガサス;1984
34)森下敬一;薬効食;柏樹社;1986
35)森下敬一;浄血健康法;時事通信社;1988
36)森下敬一;クスリにかわる食べ物;ペガサス;1989
37)森下敬一;健康的にやせたい人が読む本;三笠書房;1990
38)森下敬一;クスリをいっさい使わないで病気を治す本(知的生き方文庫);三笠書房;1990
39)森下敬一;生まれてからでは遅すぎる(増補改訂新版);文理書院;1991
40)森下敬一;健康と美容の食生活(増補改訂版);文理書院;1991
41)森下敬一;シルクロード長寿郷;出版芸術社;1992
42)森下敬一;クスリを一切使わないでガンを防ぎ、治す本;三笠書房;1993
43)森下敬一;自然医食療法;文理書院;1994
44)森下敬一;消『癌』作戦;文理書院;1995
45)森下敬一;クスリをいっさい使わないで病気を治す森下健康法;三笠書房;1996
46)森下敬一;宝石の気能;美土里社;1997
47)森下敬一;浄血すればガンは治る!;白亜書房;1998
48)森下敬一;クスリをいっさい使わないで病気を治す本;三笠書房;1999
49)中島照夫、工藤義雄、山下格、他;選択的セロトニン再取り込み阻害薬 Fluvoxamine maleate(SME3110)の強迫性障害に対する長期投与臨床試験;臨床医薬12巻4号;p679~p700;1996
50)筒井末春、長田洋文、村中一文、他;選択的セロトニン再取り込み阻害薬塩酸セルトラリンの恐慌性障害に対する臨床評価ーー前期第二相試験ーー;神経臨床薬理19巻;p625~p637;1997


*Back to the old day

http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html

【研究報告】 

    丹田呼吸法によりうつ病性障害を2度寛解させた1症例

                                *

【抄録】

 丹田呼吸法により自らのうつ病性障害を2度寛解させた症例を経験した。

 丹田呼吸法の奏功機序は交感神経過緊張の緩和と,その他に現代医学で説明困難な東洋医学的な経絡を中心とする他の機序が関与していると推測する。

 症例は大学時代に神経症性抑うつを癒すために丹田呼吸法を研究し実践した経験があった。大学時代,丹田呼吸法はほとんど効果はなかった。大学時代,神経症性抑うつを癒したのは宗教および宗教活動であったと主張する。

 そして今回,症例は大学時代に行った丹田呼吸法を大学在籍中より行っていた祈祷中に思い出したように行う。効果は一日にして劇的に現れ,一日にして寛解。しかし,数ヶ月後,激しい過労に依り再発する。このとき,丹田呼吸法を心懸けた祈祷を行う気力が現れず。4ヶ月間、うつ病性障害は続く。しかしある日,夜,一日目3時間,二日目2時間半の丹田呼吸法を心懸けた祈祷を行う。そして2度目のうつ病性障害の寛解が起こった。

【key words】tanden respiration,depressive disorders,neurotic depression

【はじめに】

 丹田呼吸法を行うことにより呼吸数・心拍数は減少してゆき交感神経過緊張状態は緩和され,全身の自律神経は安定化する。丹田呼吸法を実践することにより必要とする抗不安薬,抗うつ薬,抗精神病薬の量は減少して行く。

 古来より,丹田呼吸法は健康法の要とされてきた。丹田呼吸法を行うことにより,様々な疾病が治癒するとされてきた。 武道に於いても,丹田呼吸法は重要視され,意識を丹田に置いて勝負に臨むように指導されてきた。これは真剣勝負の世界に於いては特に重要視されてきた。意識を丹田に置かないと手下の相手から不覚をとる,と言われてきた。命を懸けた決闘に於いて,勝つ側は丹田に意識を置いており,負ける側は意識が丹田より上に上昇している,と言われる3)。

 一般に“腹が据わっている人”というのは丹田呼吸を習慣化して行っている人を指すことが多い。丹田呼吸法を習慣化すると,心変わりが少なくなる,平静心を常に保てるようになる,と言われる6)。

 

【方法】

 筆者は現在,この症例により丹田呼吸法の有効性を認識し,うつ病性障害を代表とする精神的疾患の患者に次のようなパンフレットを渡している。院内で指導する故,椅子に腰掛けさせて行っている。帰院してからもこのパンフレットに従い,自習するよう勧めている。

---------------------------------------------------------

(第一法)          丹田呼吸法

 坐位,または椅子に座って,行うのが好ましい。立位にて行っても良いが,疲労するという欠点がある。また,歩きながら,走りながら行っても良い。(歩きながら走りながらのときは声は出さない。歩く,または走るリズムに合わせて胸を大きく張り深い呼吸を行う。)

 吸気は鼻から比較的早く行う。鼻が詰まっているときは口からでも構わない。しかし鼻から吸気することが好ましい。(このとき,舌尖を上歯の裏側より僅かに内側の上顎部に付けていること,と書かれている書籍が多い。)

 吸気のとき,胸を張ること。胸を大きく張ること。弓なりに体を伸ばしながら吸気する方が良い。下腹部を吸気の終わりの頃,膨らませること。

 吸気のときも吐気のときも胸を張っていること。吸気の終わりの頃,胸を横に広げ,更に吸気するという方法を採っても良い。

 ゆっくりと発声しながら吐く。呼気は丹田(下腹部中央)から声を出すように意識しながら,ゆっくりとできるだけ長時間で出す。丹田に響かせながら発声するよう意識すること。

 声は小さな声で良い。声を出すのは吐気をゆっくりと出すためである。声を出さないと吐気をゆっくり出すことが困難である。

 吐気は最初20秒ほどしかできない。しかし,上達するにつれ,25秒,30秒,更に40秒,50秒以上と延びてゆく人もある。

 吐気に重点を置く。吐気はできるだけ長く,できるだけ完全に吐ききるよう努力すること。

 吐気の終了時,体を少し倒しても構わない。しかし,原則として吐気の終了時も,胸は張ったままで,体を前に曲げることは行わず,ただ下腹部を凹ませるだけであること。

 これらを行えば自然と日常生活に於いても丹田呼吸を行うようになってゆく。

 丹田呼吸法の練習時には下腹部を締め付けない,ゆったりとした服装が望ましい。それは日常生活時に於いても同様である。

 外出時に於いても,できるならば,下腹部を締め付けないよう,下腹部を膨らませるときに邪魔とならならないよう,ベルトでなくサスペンダーが望ましい。

 呼吸にも力を入れてはいけない。下腹を凹ますようにして吐けるだけ吐けば自然と吸気する。

 体全体の力を抜いて行うこと。

 体を風船と思うこと。

----------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------

(第二法)          丹田呼吸法

 椅子に座って,坐位にて,立位にて,臥位にて,どれでも構わない。目を瞑って行った方がこの第二法では非常に効果が高い故に立位にて行うのは辞めた方が良い。

 片方の手首を片方の手で握るときに吐き,弛めるとともに吸う。このときは手首の上下方ではなく,手首の側方(片側でも両側でも構わないが両側が良い)を圧迫し離す,というように行った方が行い易い。しかし上下方でも良い。

 声を出す必要はない。ゆっくりと鼻から吐く。鼻が詰まっているときは口から吐いて構わない。また弱く圧迫するのみで充分である。

 下腹を凹ませ,ゆっくりと吐けるだけ吐く。吐けるだけ吐いたら圧迫を辞め,一気に鼻から吸う。これを繰り返す。つまり圧迫するときに吐く。圧迫を辞めるとともに吸う。

 吸気は鼻から一気に行う。もちろん鼻が詰まっているときは口からで構わない。

 片方の指が疲れたら今度はもう片方の指を使う。右が疲れたら左へ,左が疲れたら右へ,というように交代して続ける。

 手首から5cmほど肘よりの『外関』を他方の手の指で緩く指圧しながら吐く。また,親指と人差し指の間の『合谷』でも良い。または他のツボでも良い。その人その人に合う適当なツボで良い2)。

-------------------------------------------------------------

-------------------------------------------------------------

(第三法)          丹田呼吸法

 第一法と第二法を併せた方法である。

-------------------------------------------------------------

-------------------------------------------------------------

【症例】

 症例は36歳,男性。33歳時,突然,朝の起床困難と倦怠感を自覚。しかし「抑うつ気分」「無力感」は無し。症例は大学時代,神経症性抑うつを経験しており,そのときに有った「抑うつ気分」「無力感」が無い故と「発熱・リンパ節の腫脹」が無い故に自身の病気を慢性疲労症候群(疑)と自己診断していた。なお、この神経症性抑うつの発症は失恋によるものであった。

 本院受診。症例は慢性疲労症候群(疑)に対してうつ病性障害と同じく抗うつ薬の投与を行うことをインターネットより情報入手していた。発売されたばかりの fluvoxamine の投与を開始。しかし fluvoxamine の副作用に過敏に反応する。眠前服用のみにしたが,それでも副作用に過敏に反応。三環形抗うつ薬の眠前服用にても副作用にも過敏に反応。四環形抗うつ薬の眠前服用にても副作用にも過敏に反応。trazodone 眠前服用にて副作用をほとんど感じることなく服用できる。trazodone の服用を続ける。trazodone にても眠前に服用しなければ眠気・倦怠感に襲われ仕事ができなくなる故,眠前服用を続ける。また,milnacipran,paroxetine が発売される毎に処方,眠前服用したが,副作用強く,服用は服用開始しばらくして中止する。

 症例は大学時代に神経症性抑うつを癒すために丹田呼吸法を自ら研究し実践した経験があった。大学時代,丹田呼吸法は神経症性抑うつにほとんど効果はなかった。神経症性抑うつを癒したのは宗教および宗教活動であったと主張する。

 薬物療法,運動療法にほとんど反応を示さず。症例は自ら丹田呼吸法を始める。効果は一日にして劇的に現れる。3年間,薬物療法,運動療法,認知療法にて全く軽快傾向を見せなかったうつ病性障害は一日にして寛解。その後,両親の面倒を見るため故郷に帰省。しかし今まで勤めていた福岡の勤務先を急に辞めることができず,長崎の勤務先と二つの勤務先を掛け持ちで3ヶ月半,一日も休み無しで働く。そしてその二つの仕事は夜遅くまでの仕事であり強い過労によりうつ病性障害再発する。丹田呼吸法を心懸けた祈祷を実践するも倦怠感により,祈祷は一日僅かしか行えないでいた。うつ病性障害は軽快傾向を見せず。

 しかしある日,同じ宗教の同志からの信じられないような反論・中傷をインターネットのホームページに書かれてあるのを見る。それはうつ病性障害にて起床することができず,仕事を休み,午後7時まで布団に横たわっていた日のことであった。煩悶しながら仏壇の前で祈祷を始める。いつものように丹田呼吸法を心懸けながら祈祷を行う。祈祷は煩悶しながら3時間に亘った。翌日も夜,その煩悶にて仏壇の前にて2時間半の祈祷を行う。その2日間にてうつ病性障害は再度,寛解。一日目の3時間の丹田呼吸法を心懸けながらの祈祷でほとんど寛解したのかもしれないと症例は言う。

 しかし,この寛解も3ヶ月で終わる。再発は離婚問題であった。離婚問題の心理的圧迫により再発し,今度は不眠性障害をも伴う。朝の起床困難,倦怠感は軽かったが,今度は祈祷を行いながらの丹田呼吸法では軽快傾向を見せず。また,今まで2回のうつ病性障害と異なり,朝の起床困難,倦怠感はほとんど存在せず,うつ病性障害の再発よりも神経症性抑うつの可能性が高かった。

 また今まで体力減退がうつ病性障害に良くないと考え,2日に一度の程度で仕事が終わってからの真夜中の15分ほどのランニングを行っていた。しかし,それはうつ病性障害にはあまり効果はないようであることに以前から症例は気付いていた。ただ,体力減退を逃れるために真夜中の15分ほどのランニングを行っていた。

 症例は祈祷しながらの丹田呼吸法も実践し続けたが,大きく丹田呼吸法を行いながらの早歩きのヲーキングを始める。それはランニングと異なり体力の消耗は少なかった。それ故,一日1時間の早歩きのウオーキングを行えた。症例は短距離走が非常に得意であり,長距離走は非常に苦手で,ジョギングが困難であった。

【考察】      

 古代,中国では心は腹に宿る29)と言われていた。古代,中国の人は腹腔神経叢を現代の脳のように考えてきた6)。

 丹田呼吸法は少なくとも鎌倉時代までは僧侶の一般的心得としてほぼ全ての僧侶が行っていた。それが忘れられたのは室町時代からと推測される12)。

 僧侶の修行は少なくとも鎌倉時代までは極めて厳しく,現代で言う“うつ病性障害”“不安障害”“急性精神病状態”などの精神的疾患は多発していた。しかしそれらはほとんど全て先輩僧侶の指導による丹田呼吸法により寛解していたと言われる12)。

 丹田呼吸法では『下腹を凹ませるまで息を吐き出す』ことが重要である。呼吸数は減少し,心拍数も減少する。下腹を凹ませるときと下腹を凹ませないときでは減少度が異なる。慣れてくると意識せずに下腹を凹ませるようになる。そしてこれは腹部交感神経叢への圧迫による効果と言われている13)。

 丹田呼吸法は交感神経過緊張を緩和させ副交感神経を賦活化し自律神経のバランスを取る効果がある26)。

 文献的に『吸気は交感神経を緊張させ,吐気は副交感神経を緊張させる。吸気は速めに短く,吐気はできるだけゆっくりと長くすること。15)』とある。つまり長吐気が副交感神経を亢進させるために重要である。

 呼吸法は釈迦の時代にすでに存在していた。釈迦の時代,息をできる限り行わない(断息)という苦行が存在していた。これは食を断つ,睡眠を断つ,それら以上の苦しみを伴っていた。この修行法は遠くバラモンの時代から存在していたらしい。そして釈迦はその苦行の矛盾を釈迦独自の呼吸法の確立として教典に残した25)。それは中国に伝わり,気功として独自の発展を遂げるようになる。そして気功法は様々な流派が乱立した。天台の著作には呼吸法の詳述な記載が見られる21)。

 呼吸法の行い方も流派により様々となる。しかし様々な呼吸法の効果は各流派ともに同一的見解を示している23)。

 例えば,この反対に長吸短呼の呼吸法がある27)。吸気に重点を置いて,吸気をできるだけ長く行うようにする。この呼吸法は交感神経亢進作用があると言われる。しかしストレスの多い現代社会に於いてはこの呼吸法の必要性は極めて少ない。現代社会に於ける病気の大部分は交感神経過緊張による故である29)。

 中世に於いては現代のようなストレスフルな社会ではなかったと思われる。また食生活も粗末なものであった。それ故に交感神経亢進を促す呼吸法が存在する価値があったと推測される27)。

 そして足芯呼吸14)というものが存在する。これは呼吸するとき,足の裏または足の先から息を吸い,足の裏または足の先から息を吐く,というイメージによる呼吸法である。これは“気の上衝”を下げるのに非常に有効な呼吸法とされている3)。過労・ストレス・悲哀により“気の上衝”を来すことがしばしば起こる5)。その“気の上衝”は精神疾患を引き起こす4)。修行僧は極めて激しい修行により“気の上衝”を来すことが多発していた12)。抗不安薬の存在しなかった古代に於いてそれら交感神経過緊張を抑える呼吸法は唯一の治療法であった7)。

 症例が大学時代に罹患したのは「軽症のうつ病性障害ではなく神経症性抑うつ」と大学病院精神科にてはっきりと言明された。内分泌的検査らしいものも幾つか行われた、と言う。そして大学時代、丹田呼吸法は症例の神経症性抑うつに全く効果が無かった。

 現在,インターネット上に丹田呼吸法によりうつ病性障害が寛解したとの報告が多数見られる。すべて代替医療として行われたものである。そしてそれらは全て一日または二日で寛解している。うつ病性障害で苦しみ悩んでいる人々は無数に存在する。我々は決してそれらを非科学的と見捨てることは許されないと思われる。

 

【文献】

1)有田秀穂,高橋玄朴:セロトニン呼吸法,地湧社, 東京,2002.

2)入江正:経別・経筋・奇経療法,医道の日本社,東京,1988.

3)幡井勉:アーユルヴェーダ,ごま書房,東京,1994.

4)鎌田茂雄,帯津良一:心と身体の鍛錬法,春秋社,1999.

5)干永昌:気の養生法,春秋社,東京,1998.

6)小高修司:中国医学の秘密,講談社,東京,1991.

7)帯津良一:究極の調和道呼吸法,祥伝社,東京,1996.

8)帯津良一:現代養生訓,春秋社,東京,1997.

9)帯津良一:命の場と医療,春秋社,東京,1998.

10)帯津良一:気と呼吸法,春秋社,東京,1999.

11)龍村修:深い呼吸でからだが変わる,草思社,東京,2001.

12)田中成明:瞑想と呼吸法,朱鷺書房,東京,1991.

13)津田優:超呼吸法,ごま書房,東京,1996.

14)成瀬雅春:ヨーガ奥義書<第2巻>呼吸法の極意,出帆新社,東京,1992.

15)西野皓三:人生は呼吸で決まる,実業之日本社,東京,1998.

16)原久子:ヒーリング呼吸法,春秋社,東京,2002.

17)春木豊,本間生夫:息のしかた,朝日新聞社,東京,1996.

18)藤田霊斎:調和道丹田呼吸法,調和道協会,東京,1998.

19)ファーリD:自分の息をつかまえる,河出書房新社,東京,1998.

20)ヘンドリックスG:気づきの呼吸法,鈴木純子訳,春秋社,東京,1999.

21)本間祥白:難経の研究, 医道の日本社,東京,1983.

22)松尾心空:歩行禅,春秋社,東京,1998.

23)村木弘昌:健心健体呼吸法,祥伝社,東京,1995.

24)村木弘昌:丹田呼吸健康法,創元社,東京,1997.

25)村木弘昌:釈尊の呼吸法,春秋社,東京,1998.

26)村木弘昌:丹田呼吸法,春秋社,東京,2001.

27)寥赤虹,寥赤陽:気功,春秋社,東京,2000.

28)ローゼンバーグL:呼吸による癒し,井上ウィマラ訳,春秋社,東京,1997.

29)楊名時:太極拳による深長呼吸法の神髄,海竜社,東京,1980.

-----------------------------------------------------

A case of depressive disorder, which occurred the remission two times by tanden respiration.

“ 速歩”により寛解した外傷性顔面神経麻痺の一例
          
    
{要旨}               
 顔面神経麻痺はベル麻痺であれば放置していても自然寛解する率は高い。しかし外傷性顔面神経麻痺の場合は星状神経節ブロックを繰り返しても寛解へ導くことは困難なことがしばしば存在する。
 今回、筆者は星状神経節ブロックが無効であった聴神経腫瘍術後顔面神経麻痺の患者に対しπ-water 生理食塩水頭皮直注療法を施行。しかしこれも5日ほどの効果しか得られず、“速歩”により寛解した症例を経験したのでここに報告する。

{key words}facial palsy、stellate ganglion block、meridian、π-water injection, walking,

【始めに】
 顔面神経麻痺には特発性と外傷性があり、特発性は放置しておいても自然緩解してゆくことが多いが、外傷性の顔面神経麻痺は非常に難治であり、星状神経節ブロックを繰り返しても寛解へ導くことは困難を極める。始めは耳針を使い、耳の対応点へ皮内鍼をするという方法を取っていた。長さ3mm の皮内鍼を麻痺の存在する側の耳に裏表70本使ったこともあった。皮内鍼は3日程そのままにして置く。しかし皮内鍼の効果は強くなく、麻痺の寛快の見込みはなかった。

【症例】
 患者は51歳、女性。この患者は聴神経腫瘍の術後であり、筆者が初診したときはその手術から1年8カ月が経過していた。筆者は最初は耳の反射療法に従い耳朶に皮内鍼を多数打ち(1回平均20本前後)3日間ほどの軽度の軽快を認めていたが4日目には再発を繰り返していた。耳朶に皮内鍼を打つこと7カ月、状態は一進一退を繰り返し改善の傾向を見せないため、耳朶への皮内鍼を中止し、星状神経節ブロックを開始。開始後、2回目に何故か劇的に奏功し、2年余り味わったことのない顔面麻痺の寛解状態を経験したがそれは3日半しか続かなかった。3回目以降、21回に及ぶまで星状神経節ブロックのみを行う。しかし効果はやはり3日ほどしかなかった。
 22回目より星状神経節ブロックにπ-water 生理食塩水頭皮直注療法(1回の直注の量は約60ml)を併用を始め、その併用療法が20回に渡った。その間、星状神経節ブロックが効いているのかπ-water 生理食塩水頭皮直注療法が効いているのか、6日間の寛快状態が得られるという状態が続いていた。そのとき同時に星状神経節ブロックの方法を第6頚椎を指標としたものから第7頚椎を指標としたものに変更したため、どちらが効いているのか鑑別が付かなかった。
 星状神経節ブロックをいったん中止しπ-water 生理食塩水頭皮直注療法のみに変更したところ同じく6日間の寛快状態が得られた。このことから星状神経節ブロックが奏功していたのではなくπ-water 生理食塩水頭皮直注療法が奏功していたものと判断し、そののちはπ-water 生理食塩水頭皮直注療法のみを続けた。6日間の寛快状態が得られるようになったため注射の施行は週に1回に変更した。
 π-water 生理食塩水頭皮直注療法のみに変更して32回、患者は一日1時間ほど近所の人と夕刻に
“速歩”(近所の人が健康のために行っていた)を開始。“速歩”を開始した日から顔面神経��モヘほぼ寛快状態となる。時折、“速歩”を中断したとき、顔面神経麻痺が再発するが、“速歩”を行うと再び寛快状態となる。

【考察】
 頭皮直注療法は比較的に痛みの少ない方法であるが、患者が頭部に注射されることに恐怖感を抱くという欠点がある。毎回 50~60ml ほどの直注を行った。最初の頃はこれに麻酔薬を混注することも行っていたが、すると痛みは軽くなるが効果も弱くなることに気付き、途中からはπ-water 生理食塩水のみで行った。12ccの注射器で4~5回の直注であった。12ccを1カ所にそのまま直注する方法と6ccずつに分けて行う方法の通りの方法を用いたが痛みはどちらもほとんど差はないといった感じであった。液体を12cc注入する場合、後半の6ccのときかなり痛みを感じるが、注射針を頭皮に挿入するときもかなりの痛みを生じるため、どちらが患者に苦痛を与えないかは差はないようであった。

 頭部を通る経絡として膀胱経、胆経、督脈などがあるが正中線を走る督脈は用いなかった。膀胱経、胆経を主として用いた。右顔面神経麻痺であるため右頭部に集中的に注射した。生理食塩水を注入する部位は顔面に現れないように髪生え際に隠れるよう注意して注射した。
 この患者は右聴神経腫瘍であったため、右後頭部への注射は極力避けた。そのためもあり枕を用いると注射しにくくあったため枕は用いずに注射した。原因不明の重度の貧血があり、1年前、右後耳介下を切開し排膿手術を行ったこともあり(右聴神経腫瘍摘出手術後、1年後に当たる。)、今でも恐らく手術部位からの出血が起こっているものと思われた。現在も少量ながら鉄剤の服薬を行っている。鉄剤の服薬を行わないと貧血が起こり血圧の低下と疲労感・倦怠感などが起こる。
 π-water 生理食塩水というものを用いたが、π-water とは名古屋大学の山下助手が発明した14)もので、その中では海水魚と淡水魚が一緒に生活できるということで有名である。またその液体を飲用すると難病も治ると言われている。(π-water の原液を1000分の1に薄めて用いる。千倍に薄めないと調和反応が起こりにくく効果がないと言われている。)
 π-water の効果が有ったのか、それともπ-water の効果は無かったのか、それは比較試験を行っていないため不明である。

【終わりに】
 “速歩”は最近ジョギングとともに健康に良いとして広く行われている。“速歩”が顔面神経麻痺に効果があることは(この患者の右側の経絡の流れは悪く、左側の経絡の流れは悪くなかった。----右足および右手は浮腫がちであり、左足および左手は浮腫がちになることはなかった。この患者は右側の顔面神経麻痺であり、また右聴神経腫瘍摘出手術後であった。)よって右脳または左脳の運動領域の活性化では説明不可能であり、経絡の概念でしか説明不可能である。

 
(fast walking for facial palsy)

【参考文献】
1)本間祥白;  難経の研究; p675, 1983, 医道の日本社
2)芹沢勝助;  人体ツボの研究; p254, 1986, ごま書房
3)李 丁;   針灸経穴辞典; p514, 1986, 東洋学術出版社
4)郭 金凱;  鍼灸奇穴辞典; p432, 1987, 風林書房
5)深沢 要;  レーザー鍼と光灸療法; p548, 1994, 谷口書店
6)柳泰佑; てのひらツボ療法; p187, 1986, 地湧社
7)小高修司; 中国医学の秘密;    p209, 1991, 講談社 
8)神川喜代男;  鍼とツボの科学; p192, 1993, 講談社
9)神川喜代男; レーザー医学の驚異; p184, 1992, 講談社
10)幡井勉;  アーユルヴェーダ健康法; p184, 1994, ごま書房
11)首藤傳明;  経絡治療のすすめ;   p259, 1983, 医道の日本社
12)張仁;     難病の鍼灸治療;   p206, 1996, 緑書房
13)入江正;    経別・経筋・奇経療法;  p273, 1988, 医道の日本社
14)山下昭治;  生命科学の原点と未来;   p163, 1986, 緑書房



http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html