【症例報告】
リュープリン療法により転換性障害および軽度の急性精神病状態を来した一例
【抄録】
子宮内膜症に対する治療法の一つとして0000(Sssss)療法がある。これは月に一度、月経が終わりかけたときに00000を皮下注射し、人工的に月経を止める療法である。副作用の報告として、本剤のエストロゲン低下作用に基づく更年期障害様の重篤な鬱状態を来し自殺企図を行った報告は外国にあるが、分裂病様の状態を来した報告は未だ無い。症例は解離性けいれんを起こし救急車にて本院へ搬入され入院。しかし解離性けいれんを起こす以前より希死念慮を訴え、鬱病として治療されていた。また第5頚椎が後方に変位しており、左手の握力は右側に比べ極めて弱い。このことから頚椎の変位という基盤の元にこのホルモン療法がトリガーとなって発症したものと推測される。
【key words】Sssss, Acute Psychotic State, Conversion Disorder
【はじめに】
この症例はホルモン・アンバランスによる症状としての情緒不安定が昂じて精神障害を来したものと思われる。
外国に“エストロゲン低下作用に基づく更年期障害様の重篤な鬱状態を来し自殺企図を行った報告”があるが、それは鬱状態ではなく急性精神病状態であったと推測する。
ホルモンのアンバランスは中国医学で言う“気”の流れを乱し、精神障害を起こすものと推測する1)。
【症例】
家族歴:特記すべきことなし。
頭部CT:特記すべき所見なし。
神経学的:特記すべき所見なし。
脳波:異常脳波あり?
血液・生化学的所見:特記すべき所見なし。
快活で明るく真面目で、責任感・正義感は非常に強く、短大卒業後、自ら老健施設での仕事を志願した。
12歳時、初潮以来、月経困難症あり。
19歳時、下腹痛(急性腹症)にてK病院受診。卵巣嚢胞茎転疑いにて開腹手術施行。左卵巣チョコレート嚢胞であった。こののち子宮内膜症の診断名のもと通院治療となるが、とくに薬物療法施行せず。
平成6年(22歳時)、別の老健施設に勤めている頃、左目の視力がほとんどなくなり、S医科大の眼科に2週間ほど入院。耳鼻科よりそれは副鼻腔炎から来ているとは言われたものの原因は解らず、職場での人間関係の心労に依るものと推測された。
しかし頚椎X線写真より第5頚椎が後方に変位している像が得られた。左右方向の変位は認められない。左手の握力は右側に比べ極めて弱い。このことから頚椎変位の存在という器質的脆弱性の元に職場でのストレスがトリガーとなって発症した転換性障害と推測される。
元々、仕事は休まず真面目に行い、友人も多く、活発で明るい。
平成8年10月。月経痛主訴にてF病院受診。鎮痛剤服用にても軽減せず内診所見では子宮の可動性極めて不良、可動痛あり。両付属器にも圧痛あり。既往歴・内診所見より子宮内膜症と診断。
6カ月間、鎮痛剤にて経過観察するも症状増悪(月経痛増強)を認め、本年(平成9年)6月より00000(Sssss)療法開始。8月まで3回注。しかし健康保険法改変によりその後、来院せず。1カ月休薬。平成9年10月7日4回目の00000注を行う。11月4日再診時、抑鬱傾向の訴えあり。00000投与せず。低エストロゲンによる鬱状態の発現と産婦人科医は判断し、このとき00000投与せず。エストロゲン投与を行う。しかし、症状改善を認めず。精神的疾患と判断され同産婦人科医より imipramine hydrochroride を処方される。また同産婦人科医より某心療内科を紹介され、11月21日、imipramine hydrochroride 75mg/day, alprazolam 1.2mg/day, flutoprazepam 1mg(眠前)を処方される。
本年9月頃より“クルマに飛び込んで死んでしまったら、と思う”という自殺願望を家族に口にするようになる。しかし鬱的傾向はあまり見られず仕事も休まず行っていた。
10月終旬より母親に自殺願望を口走ることが急に多くなる(以前は時折冗談混じりに言う程度であった)。
11月12日(水曜)、祖母の通院する近くにある心療内科併設の神経内科を祖母とともに受診し、うつ病性障害の診断の下、抗鬱剤の投薬(trazodon、しかし投薬量は不明)を受けている。またその頃より祖母が投薬を受けていたetizolamを1日2mg(朝・夜)ほど服薬し始める(これを飲むと少しは心が安まるが少しだけ休まるだけであったという)。
11月22日(土曜)午前8時半、“けいれん発作”を起こす。そして意識消失状態が一時間続く。
(11月23日は日曜日であるため、また11月24日は振り替え休日であるため、仕事は休みであった。この2日の間、“けいれん発作”は無かった。)
【治療経過】
11月25日(火曜)
朝、普段通り、仕事先に行くが、気分優れず、更衣を終えて意識朦朧としてきたため、ソファーに横になっていた。数分後、歯がガクガクと震え出し、四肢も震えてきた。ここから本人の記憶はない。この状態が続く。そのため本院へ仕事先の救急車にて搬入。搬入持、意識不鮮明。名前、生年月日は言えるが、今日を11月23日と答える。震戦僅かに有り。diazepam 5mg 静注、phenobarbital 1A(100mg) 筋注。入院の運びとなる。
この時点で“解離性けいれん”を疑いながらも“解離性けいれん”であるかどうかは明日午前の脳波測定により判断することにする。
bromazepam 12mg/day(分3朝昼夕), etyl loflazepate 2mg/day(分1夕)、眠前薬として flutoprazepam 4mg/day, brotizolam 0.25mg/day, 不眠時追加分 brotizolam 0.25mg の投薬を開始する。
児戯的傾向が激しい。縫いぐるみを常時ベットの脇に置き、それを可愛がる。母親によると今までこういうことはなかったという。しかし疎通性は阻害されず。幻聴、幻覚は否定。午後9時20分、本日2回目の“けいれん発作”あり。舌を噛んでいるためバイトブロックを挿入。 phenobarbital 1A(100mg) 筋注。また、 clonazepam 1錠内服させる。やがてバイトブロックを外す。
11月26日(水曜)
午前7時、体温36℃。昨日夜9時過ぎの“けいれん発作”は覚えていないと言う。頭痛や気分不良は無いと言う。午前10時、脳波測定。後にそれは正常脳波であると解ったが、異常脳波らしきもの有り。本日昼より zonisamide 300mg/day(分3朝昼夕) の投与開始。
11月27日(木曜)
午前4時、廊下に倒れている。『寂しくて看護婦さんの所に行こうと思って。』と言う。詰め所にて看護婦さんと談話する。午前5時、落ちつき取り戻し、笑顔にて自室のベッドへ行く。
夕方よりzonisamide 投与より来ていると推測される歩行困難に対し歩行器の使用を開始する。
午後6時30分、“けいれん発作”あり。 phenobarbital 1A(100mg) 筋注。午後7時30分、再度“けいれん発作”あり。
zonisamide の投与から発作の頻度は減少していない。しかし、発作時の筋硬直の強さが弱くなる。また、“けいれん発作”時にもバイトブロックを噛ませるだけで充分であり、バイトブロックを噛ませないでも舌を噛むことはないことが、この日2回の“けいれん発作”より明らかとなる。
11月28日(金曜)
午前1時30分、トイレに行くため歩行器で一人よろめきながら廊下まで出てきている。排尿後、ベッドまで誘導する。zonisamide の副作用として、歩行困難だけでなく構音障害も起こっている。これほどの多量投薬であるが、発作の頻度は減少していない。ただ発作時の筋硬直度が弱くなっただけである。
午前2時、看護婦詰め所に『睡眠薬が欲しい』とナースコールあり。内服させる。それにて就眠した模様。しかし、午前5時、他患がナースコールをする音に目を覚まし、涕泣する。
午前5時30分、ベット上で独り言らしきことを言っているのをナースが発見。ナースは“てんかん小発作”と判断し、朝の内服分であるzonisamide 100mg, etizolam 1mg, ethyl loflazepate 1mg をこのときに内服させる。
午前6時30分、入眠している。
ナースよりその知らせを受け症例に問うと、すでに亡くなっている祖父が見舞いに来ていたため話をしていたという。この日の症例は朝から夕方まで目つきが別人のように虚ろであった。
この精神変調は zonisamide の大量服薬による副作用の可能性もあり、昼食後よりzonisamideを一気にcarbamazepine 200mg/day, aleviatine 100mg/day に変薬。
11月29日(土曜)
午後2時、“けいれん発作”が母親の目の前で出現。
11月30日(日曜)
この日、入院2日目に測定した脳波の再検討を行い、異常脳波と解釈していたものを正常脳波と断定する。この日の夕食後をもって抗痙攣薬の投与を中止する。この時点で投薬内容は etizolam 3mg/day(分3朝昼夕), etyl loflazepate 2mg/day(分2朝夕), 眠前薬として flutoprazepam 4mg/day, brotizolam 0.25mg/day, 不眠時追加分 brotizolam 0.25mg となる。
12月1日(月曜)
etizolam 3mg/day を bromazepam 12mg/day に変更。
12月3日(水曜)
午前7時、“けいれん発作”あり。
この日のみ haloperidol 1.5mg/day、trihexyphenidyl 2mg/day(ともに分2昼夕)の投薬を行う。午後7時、唾液様嘔吐あり。
12月4日(木曜)
この日から risperidon 2mg/day(分2朝夕)の投薬開始。
12月5日(金曜)
この日から risperidon 2mg/day(分2朝夕)に haloperidol 0.75mg/day、trihexyphenidyl 1mg/day(ともに夕のみ)の追加投薬開始。また trihexyphenidyl の副作用である便秘を考慮し sennosides 36mg(3T)/day 投薬開始。
午後2時、“けいれん発作”あり。
12月6日(土曜)
朝、綺麗に化粧している。『先生、綺麗?』と尋ねてくる。朝9時より彼氏と友達に伴われ外出。博多の遊園地へ行って来たという。午後8時帰院。外出中、“けいれん発作”なし。しかし深夜、胃部不快を訴える。しかし表情は穏やかである。
12月7日(日曜)
昨日の外出より歩行器は使わずに辛うじて歩行を行っている。しかし歩行はたどたどしい。午前7時、歩行器無しでトイレへと歩いている。動揺感は著明であるが『早く退院したい』と歩行器は使わないと主張する。
午前10時、血圧108/62mmhg 。胃部不快感は無いと言う。
午前12時、嘔気あり。胃液様嘔吐少量あり。昼食は摂取せず。しかし、“けいれん発作”は無し。
午後7時、胃液様嘔吐あり。血圧100/60mmhg とやや低い。
12月8日(月曜)
2日前の土曜の外出以来始めての“けいれん発作”、午前4時に有り。再三の呼び掛けに開眼覚醒するも2回連続発作あり。入眠し始めるも廊下に歩いてきて倒れている。『お母さん、お母さん。』と繰り返し、『お母さんのお腹の中から出てきて良かった。』などと言う。午前5時、ベッドへ行き入眠する。
午後1時、退院延期を言い渡す。すると憤慨する。髪を切りたいのでハサミを貸して欲しい、バリカンを貸して欲しい、と主張して引かない。この後、“けいれん発作”が10分ほど起こる。 haloperidol 1A(5mg), biperiden 1A(5mg) 筋注する。これは血中ハロペリドールの濃度を早く上昇させるためであった。
かなり軽快してきたが11月終順から続いているパーキンソン様歩行(zonisamide による小脳失調で間違いないと推測される)を家族が非常に気にするためもあり、trihexyphenidylを4mg/day (朝夕2mg ずつ)に増量する。この歩行障害に対し口にこそ出されなかったが家族は主治医である筆者に、かなり悪感情を抱いていた。これが後の退院要求、退院後再来院無しに繋がる。
12月9日(火曜)
午前0時30分、便失禁有り。電話を切ったあとボーッとしていた、と周囲の弁。気が付くと便失禁していたとのこと。シャワー浴させ更衣させる。
症例は毎夜のように病棟の公衆電話より仕事仲間などの女友達のところに電話していた。それは一晩に30分以上続くことは普通であった。社交的な面が症例には存在している。
12月10日(水曜)
午後4時頃、渡り廊下より外に向かって大声で叫ぶ行為がある。このとき『ここから飛び降りて死のう』と考えたという。後で聞くとこの日、朝・昼のクスリは全く飲んでいなかったという。診察室にて主治医を激しく罵倒する行為有り。その罵倒する言動は幻聴・幻覚・妄想が症例に強く存在することを証明する内容であった。
『毎日、祖父が見舞いに来て私にいろいろなことを話します。祖父は10年前に死んでいます。でも毎夜、見舞いに来ます。
私のお腹の中で赤ちゃんが動いています。もうすぐ、生まれて来るんだわ。
……
早く退院したい。ここに居ても何にもならない。何のために私を入院させているの。早く働きたい。
私は入院している理由は何も無いはずです。』などの言動であった。
朝より全く食事を受け付けず、この日は全く食事を摂取せず、夜、 brotizolam 0.5mg 飲用するがその夜は一睡もできなかった。(それまではbrotizolam に良く反応し、眠れないときは brotizolam を飲用するとすぐに寝入っていた。)
12月11日(木曜)
午後4時より午後6時まで勤務先である老健施設の敬老会に出席。勤務先の同僚の女性がマイクロバスで連れに来る。この日は朝は全く食事を受け付けなかったが昼食は半量摂取する。夕食はその外出先で食事してくる。この夜はよく眠れたという。
12月12日(金曜)
prolactinoma の可能性を疑い、血中プロラクチンを外注に出そうとする。しかし、準備だけを行い、採血も行わず、外注には出さないことにする。昨日より精神状態は非常に安定してきている。しかしパーキンソン様歩行が軽快してきたものの未だ存在する。
最近は毎日激しい下痢をしている。trihexyphenidyl の副作用を考えてsennosidesを36mg(3T)/day 出している。赤い粘血便が出るという。発熱も腹痛もなく感染症は考えにくく、sennosidesは弱い下剤であり、女性でもこれほど激しい下痢をするとは考えにくい。
12月13日(土曜)
朝8時より夜8時まで再び自宅へ外出。このときは食事は普通通りに食べたという。下痢は下剤を抜いてから全く無くなったという。
12月15日(月曜)
症例が病院の食事を摂取しようとしないため母親が退院を希望する。血中プロラクチン濃度を外注に出す。
12月16日(火曜)
退院。
(血中プロラクチン値 110.0 ng/ml (normal 1.4~14.6) という結果が出た。)
【考察】
00000療法は、黄体形成ホルモン放出ホルモン(LH-RH)誘導体に関する研究の結果、酢酸リュープロレリン(leuprorelin acetate)が強いLH-RH活性を有することを見出されたことに発する。当初はその強いLH-RH活性から不妊症治療への応用が検討されたが、LH-RHアナログの連続投与により性腺機能はかえって抑制され副性器(前立腺または子宮)重量が減少することが明らかになった。
まず前立腺癌治療薬として開発が着手された。その後、子宮内膜症、中枢性思春期早発症、子宮筋腫、閉経前乳癌にも有効であることが明らかとなった。
月経過多、下腹痛、腰痛及び貧血等を伴う子宮筋腫における筋腫核の縮小および症状の改善、には非常に良く作用する。
つまり、00000(Sssss)はLH-RH様作用を有し、投与直後一過性に下垂体ー性腺系を急性に刺激し、下垂体に於いて性腺刺激ホルモンの放出・産生を低下させ、精巣に於いて性腺刺激ホルモンに対する反応性低下を起こさせ、その結果テストステロン産生能が慢性的に低下する。また本剤のLH放出活性はLH-RHの約100倍あり、後投与により性腺刺激ホルモンに対する精巣の反応性低下が強く起こる。
食思不振は妊娠したからではないかと症例は心配していたが、妊娠反応はマイナスであり、精神症状よりの食思不振と推測される。また、交際し始めたのは1ヶ月ほど前からであり性交渉は無い、症例は極めて潔癖性であり、未だ処女であるはず、と彼氏は言う。家族も、彼氏との交際は約1ヶ月前からと極く最近からであり、妊娠であるならば他の男性ということになるが、他の男性との交際は無かった、と言う。症例もまた彼氏と家族の言うことが正しいと言うが、それでも妊娠しているはず、妊娠反応がマイナスなのは間違いであるはず、と主張する。
『処女懐胎』と症例は笑いながら言う。しかし、そういう冗談を言う娘ではない、と母親は強く主張する。
最近たしかに娘は精神的に異常を来している、と家族は言う。ここに入院する数ヶ月前から娘は精神的におかしくなっていた、それは数ヶ月前から少しずつ重症化してゆき、そして今回の“けいれん発作”に繋がった、と言う。
退院後、症例は来院せず、その後の経過は不明である。
Organic Delusional Disorders by Sssss therapy
【参考文献】
1)本間祥白; 難経の研究; p675, 1983, 医道の日本社
2)Harris GM: "Neural control of The Pituitary Gland" Monograph of the physiological society, 1955, E Arnold, London.
3)Ibata Y, Watanabe K, Kinoshita H et al : The location of LH-RH neurons in the rat hypothalamus and their pathways to the median eminence. Cell Tiss Res 198: 381, 1979.
4)Silverman AJ, Krey LC: The luteinizing hormone-releasing Intra-and extra-hypothalamic projections. Brain Res 157: 233,1978.
5)Nikolics K, Mason AJ, Szonyi E et al: A prolactin-inhibiting factor within the precursor for human gonadotropin-releasinghormone. Nature 346: 511, 1985.
6)Yu WH, Seeburg PH, Nikolics K et al: Gonadotropin-releasing activity in vivo. Endcrinology 123; 390,1988.
7)Lechan R, Jackson IMD: Immunohistochemical localization of thyrotropin releasing hormon in the rat hypothalamus and pituitary. Endocrinology 111;55,1982.
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10)Ibata Y, Fukui K, Okumura H et al: Coexistence of dopamine and neurotensin in hypothalamic arcuate and periventricular nucleus. Brain Res 269: 177, 1983.
11)Caron MG, Beaulieu M, Raymond V et al: Dopaminergic receptors in the anterior pituitary gland: correlation of dihydroergocriptine binding with the dopaminergic control of prolactin release. J Biol Chem 253: 2244,1978.
12)Swanson LW, Sawchenko PE: Hypothalamic integration: Organization of the paraventricular and supraoptic nuclei. Ann Rev Neurosci 6: 269, 1983.
13)Vandesande F, Dierickx K: Identification of vasopressin producing and of the oxytocin producing neurons in the hypothalamic neurosecretory system of the rat. Cell Tiss Res 164: 153, 1975.
14)Pfaff DW; Gene expression in hypothalamic neurons: Luteinizing hormone-releasing hormone. J Neurosci Res 16: 109,1986.
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http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
丹田呼吸法の研究
丹田呼吸法とは丹田を大きく膨らませて吸気し、丹田を凹ませながら息を吐いてゆく呼吸法である。吐気に重点を置く。吐けるだけ吐く。それも長時間かけて吐く。吸気はなるべく急速に鼻より行う。胸を大きく張って大きく吸気した方が良い。
丹田呼吸法は万病を癒すと言っても過言ではない。
丹田呼吸法は特にうつ病性障害に特異的に効能がある。それは何故か? 未だ、研究は行われていない。
丹田呼吸法は、吐息に重点を置き、できる限りゆっくりと吐けるだけ吐く。吐けるだけ吐けば、自然と吸気する。吸気は鼻腔よりできる限り一気に大きく行う。
怒りは呼吸を浅くする。ゆっくりと吐息をできるようでなければ(ゆっくりと声を出すことをできなければ)丹田呼吸法とは呼べない。
下腹部を膨らむ限り膨らませ鼻腔より一気に吸気する。下腹部から声を出すイメージをもって、できる限りゆっくりと吐息する。胸は大きく張ったまま。次に丹田へのイメージをもって大きく吸気する。更に次に丹田からのイメージをもってゆっくり吐息して(声を出して)ゆく。
力まずにゆっくりと吐息することは難しい。また声を出さずにゆっくりと吐息することは難しい。故に声を出しながら吐息している。1分間に3回ほどの呼吸になっている。
胸を大きく張って行う。胸を大きく張ったまま大きく吸気する。
胸を張って大きな呼吸を。吸気を丹田に落とし込むように。
力んではいけない。疲れると呼吸が力んでしまう傾向がある。故に疲れたらそこで中止する。呼吸法で心を変えることができる。呼吸法で交感神経過緊張状態を改善することができる。
身体の重心は臍下丹田。
腹部の筋肉の攣縮を取り除き、長年の病を癒すことができる。
第1章(呼吸法との出会い)(丹田呼吸法で自律神経失調症を治す)
筆者は昨年の5月に丹田呼吸法を始め、始めたその日に3年来の“うつ病”が寛解した。そのときは、胸を張って大きな呼吸を心懸け、下腹部(丹田)を凹ませて吐気し、下腹部を膨らませて吸気していた。
少なくとも自分にはその方法が合っていたのだろう。
本により(流派により)丹田呼吸法の行い方、考え方が様々である。本を読むよりも実践し、自分に合った丹田呼吸法の行い方を見つけ出す方が良いと思う。また、実践しながら、本を読み(日本で現在、販売されている丹田呼吸法の本は10冊を簡単に越える)、丹田呼吸法の行い方を学んでゆくのが良いと思う。
しかし、共通して述べられていることは『呼気をゆっくりと、できるだけ長く出す』ということである。
吸気のとき下腹部から膨らませ、そのあと(両腕を拡げ、胸部をも膨らませる)という方法を採っていたことがある。しかし(両腕を拡げ、胸部をも膨らませる)は難しく、現在、行っていない。
『吸気のとき、吸気を丹田に落とす感じで吸気する。』これがコツであることが解った。
例え、その自律神経失調が、脊椎の歪みに由来するとしても、丹田呼吸法により自律神経失調を癒すことができる。そのとき呼吸法により頑固な長年の脊椎の歪みが軽度化または解消していることを知ることができる。脊椎の歪みはその一部分の筋肉の攣縮から来ており、呼吸法によりその部分を流れる経絡の流れを円滑化させると、その部分の筋肉の攣縮が解れる。
以前、ある鍼の先生が言った。『歪んだ身体は歪んだままで一つの恒常性を保っている。それを強制的に歪みを正そうとするのは邪道だ。』これは筆者が当時、熱中していたテンプレート療法を指して言われたことと記憶する。筆者は現在、テンプレート療法を否定している(テンプレート療法の先生方、すみません)。しかし、骨を鳴らさない整体は肯定している。
ストレス、疲労は腹部の筋肉を硬くし、丹田呼吸法を行い難くする。丹田呼吸法を行うときはリラックスすることが非常に重要である。例え、ストレス、疲労が有っても、巧く丹田呼吸法を行えるよう練習を積み重ねることが重要である。また、ストレス、疲労を取り除くものが丹田呼吸法でもある。
深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷が腹部の筋肉を硬くする。深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華するには催眠が最も有効で簡単とされているが、日本には信頼できる催眠療法士が数えるほどしか居ない。しかもどの人が信頼できる催眠療法士かを判断することはインターネットの宣伝では不可能と思う。口コミが信頼できる判断情報と思われる。そして他者催眠は高額である。金銭的に余裕のある人のみに勧める。
自己催眠で深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華してゆくしかない。または丹田呼吸法によりそのストレス、心的外傷を昇華してゆく。丹田呼吸法は気功と同じである。
深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華するのに最も有効な方法は丹田呼吸法と思う。
丹田呼吸法に於いて、疲れ切ったにもかかわらず更に丹田呼吸法を行うことは良くない。疲れたら休むか休憩するか睡眠または仮眠を取るべきである。疲れているのに無理に丹田呼吸法を続けると腹部の筋肉が硬くなり丹田呼吸法ではなくなってくる。毎日少しずつ前進、という考えでゆくべきである。丹田呼吸法は気功と同じく無理は良くない。
呼吸で心と身体を支配する。
胸を弛め腹部を弛め意を丹田に沈めることによって自然に下腹部を充実させてゆくこと。
『下腹部を膨らむ限り膨らませ、(そのあと更に胸を張って)吸気する。』この呼吸法を研究中である。これは伝統的な丹田呼吸法とは異なる。(そのあと更に胸を張って)という項目は伝統的な丹田呼吸法には存在しない。これは『丹力』に現在、興味を持ってきた故である。『丹力』ではこの項目がある。
(これらは実際に行ってみて効いたもののみを書いている。理論的には非常に効くように思える方法も、実際行ってみると全く無効なものが良くある。そういうものはこのページに記載していない。)
インターネットで「丹田呼吸法」を検索してみると200あまりヒットし、その100番目ぐらいに「丹田呼吸法」で“うつ病性障害”が簡単に治った例が多数有ることが書かれてある。そこには“うつ病性障害”のみが治り、他の精神疾患は治ってはいないようである。それほど「丹田呼吸法」は“うつ病性障害”に特異的に効果が有るのであろう。
しかし他の精神疾患にあまり効果が無いという記載もあり、それには失望した。
丹田呼吸法は中国医学的にどの経絡に作用して効果を出すのかは未だ研究されてないようである。全ての経絡は連関している故に、どの経絡と断定することはできないようである。
“うつ病性障害”に対し鍼治療によって完全寛解したという報告を時折、鍼の専門誌で見掛ける。その報告で使用した経絡は様々であり、経絡はお互いに連関している故と思われる。また、どの経絡であっても、“気”の滞りは“うつ病性障害”など様々な疾患を生む。
呼吸のときのイメージとして「両足の先から息を吸い、丹田へと持ってゆく。そして両足の先から息を吐く」とある(これは不眠のときに勧められるイメージ呼吸である)。
丹田呼吸法の要点として少しずつ少しずつ吐いてゆく(吐気する)ことである。これには少なくとも初心者の場合は声を出すこと(つまり声帯という吐気の出る場所を細めること)により可能となる。声を出すこと以外に少しずつ少しずつ吐いてゆく(吐気する)ことは難しい。一回の吐気で40秒以上を目指そう。また、このとき、下腹部に力を入れ、喉に力を入れてはいけない。下腹部より発声する感覚で行う。
第2章(丹田呼吸法についての雑記)
『下腹部を膨らむ限り膨らませ吸気する。下腹部から声を出すようにイメージしてゆっくりと吐気する(声を出す)。胸は大きく張ったまま。丹田を中心として大きく息を吸う。丹田からゆっくり息を出してゆく。』(胸を張って大きな呼吸を。)
中国の気功法では
『意識的に腹圧をかけてゆくのではなく、胸を弛め腹部を弛め意を丹田に沈めることによって自然に下腹部を充実させてゆくこと。
吐息とともに意念や腹圧を力を込めて行えば内臓や自律神経に不調を来すこともある。』と説く。
腕を上げて吸気すると大きく吸気できる。このとき、両手でも片手でも良い。そして腕を振り下げながら、少しずつ少しずつ吐気してゆく。これは『竹刀法』である。
日常生活に於いても、胸を張って大きな呼吸を心懸けるべきである。前屈みになってはいけない。
運動を日頃から心懸け、身体を柔らかくしておき、また身体を丈夫にしておく。すると丹田呼吸法により“うつ病性障害”の劇的な寛解が起こる。
上半身の力を抜くこと。肩、胸、首、背中、それらの力をできる限り抜いて行うこと。すると丹田が充実する。
心を呼吸すなわち丹田でコントロールしようとするのが丹田呼吸法である。心を心でコントロールしようとするのがカウンセリングや催眠療法である。
心を薬物あるいは脳神経外科的手術でコントロールしようとするのが西洋医学である。
どのような種類の動きを行うときも、上半身が虚になっていないと(上半身の力が抜けていないと)“気”が途中に引っかかり、丹田に力が集まってこない。
気合いを込めようと気負うと、どうしても目に力を入れて前方を睨んでしまう。そうすると上半身が力んでしまう。ゆっくりと目を見開きつつ柔らかい視線を投げかけることができるようになると、肩や背中や胸に滞っていた“気”が丹田に向かって流れ落ちる感覚が得られる。
吸気は吸うのではなく身体を拡げる(胸郭・腹部など)ことによって自然に流れ込むようにすることが基本となっている。
肛門を閉めながら深呼吸を数回すると“気”が下がり冷静になれると書いてある本が数冊ある。
笑うことは呼吸筋をリラックスさせ、自然と大きな吐気を行うことができる。それ故に笑うことは健康に非常に良いのであろう。
カラオケも、詩吟も、笛などの管弦楽器も、自然とゆっくりとした吐気を行わせる故に健康に非常に良い。吐気をできる限り細く長くすることが健康の秘訣である。
龍村修氏は深い呼吸を行うためにヨガを行い、呼吸に関する筋肉を柔らかくすることの重要性を説いておられる。
そして龍村修氏は下腹部のみでなく、肋骨を上下・左右・前後に最大限に拡張・収縮するように呼吸することの重要性を説いておられる。これは筆者と同意見である。
呼吸法は食後直ぐや体調の悪いとき、疲労の激しいときは行わない方が良い。このときは呼吸に関係する筋肉がどうしても硬くなるためである。
しかしストレスが掛かっているときは、筋肉は硬くなっているため、呼吸法を巧く行い難いが、筋肉を柔らかく解すためにも呼吸法を行うべきと信じる。
またストレスが掛かっているとき、筋肉を解すため、運動を行うことが良い。走ることや水泳が良い。
ストレスに対し交感神経が過剰に緊張する。そうして自律神経失調症・不安障害・不眠性障害・肩凝り・背部痛など症状を招くことが多い。
細く長い吐気で副交感神経を刺激し、身体をリラックスさせれば症状を緩和できる。
息は必ず鼻から吸う。口から吸ってはいけない。
吐気のときはどちらから出しても良い。
呼吸に関係する筋肉群の柔軟性を高めることにより深く呼吸ができる。そのためには呼吸法の練習のときに動作を入れる(つまり気功法)ことが大切なようである。
また、簡単な筋肉を柔らかくする方法として(歩く・走る)などの運動を行うことである。(歩く・走る)を行うことにより深い呼吸が容易くできるようになるようである。(歩く・走る)は簡単で修練は必要でない。また(歩く・走る)ときに4吸4呼、5吸5呼などの深い呼吸を心懸けると日常生活でも深い呼吸を行えるようになるようである。
気功や呼吸法で運動が必要なくなるまで上達するには少なくとも数年の修練が必要なようである。そこまで上達するまでは運動は身体を柔らかくし、呼吸を深くするためにも欠かせないようである。
吐気に重点を置く。吐気はできるだけ長く、できるだけ完全に吐ききるよう努力すること。
丹田呼吸法の練習時には下腹部(また胸をも)を締め付けない、ゆったりとした服装が望ましい。それは日常生活時に於いても同様である。
呼吸にも力を入れてはいけない。下腹部を凹ませながら吐けるだけ吐くと自然と吸気する。
気功の呼吸は楽な呼吸が基本と言われている。呼吸に力を入れてはいけない。
気功病というものがある。これは気功を行い過ぎて罹る病気である。すなわち疲労し呼吸に関係する筋肉が硬くなっても気功(呼吸法)を行い続けることにより“気の上衝”を来たし精神的疾患に罹患することを言う。
病気とは「気が病む」ということで、身体内部の気が不足したり気の流れが滞ることに原因があると考えられている。
気功(呼吸法)を行うことにより“気”の過不足が調整され、内臓から全身に至るまで“気”が巡る。“気”が巡ると新陳代謝や自然治癒力が高まり病気は自然と消えてゆくという。更に、気功(呼吸法)中の深いリラックスは心身をくつろがせ自律神経を調和させ精神を安定させる。
ストレス病の人や慢性病を病んでいる人の多くは呼吸が速く浅くなっている。これは首や肩、胸、腹など上半身の緊張が原因で、気が上がり上焦(内臓の上部)に滞っていると考えられる。
胸を弛めゆったりと自然呼吸を続けてゆけば、自然と腹式呼吸になってくる。上肺部での浅い呼吸から下肺部を中心とした横隔膜による深い呼吸になる。息を吸ったときに下腹部が膨らみ、息を吐いたときに下腹部は凹む。徐々に腹部の前後動を大きくし、呼吸を長く深くしてゆく。このときに腹部や呼吸に無理な力を入れないように充分に注意する。内臓は横隔膜による上下運動と腹部の前後運動により柔らかくマッサージされる。これによって血液の循環が盛んになり内臓の蠕動が促進される。
呼吸の落ち着きは精神を深い安静状態へと導いてくれる。劉貴珍の内養功は腹式呼吸に意念を集中しながら心身を深いリラックスへ導いてゆく優れた静功である。
『丹田呼吸法は丹田を凹ませながら息を吐くことにポイントを置き。息を吸うときは息をただ入るに任せる呼吸法』となっている。
しかし筆者の場合は『大きく吸気すると効果が大きい』。これは筆者の腹部の筋肉が非常に硬くなっているためではないかと考える。
また、全身の筋肉を弛めるためには運動することが重要である。「走ること歩くこと」でそれは充分である。運動不足およびストレスは筋肉を硬くする。
また、あらゆる書籍には丹田呼吸法を行うときに胸を張ることは記載されていないようであるが、筆者の場合は胸を張ることが大きな効果を生む。これは筆者が猫背であることに由来すると思われる。
瞑想と呼吸法を一緒に行う方法(瞑想呼吸法)が書籍に多く記載されているが、筆者が唱える(丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題)もほとんど同じようなものと思われる。
一日千回、丹田呼吸法を行うと非常に効果が有ったと記載されている書籍があるが、それを行った著者は身体が硬くなかったため、一日にそれだけの回数を行うことができ、また、非常に効果が有ったのであろう。筆者は体が硬いため一日千回(10時間)行うと逆効果を生むようである。
丹田呼吸法を心懸けていると自然とタバコを止めることができると書かれている書籍が多い。その理由については、しかし書かれていない。
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第3章(様々な呼吸法)
(最も勧められるのを7つの☆。☆が少なくなるに連れあまり勧めない。しかし、人によりどの方法が向くかは様々である。呼吸法は個人差が大きい。また、人により、どの方法が行いやすいか、かなり別れる。)
【唸る丹田呼吸法】☆☆☆☆☆☆☆
最も勧めるものの一つ。
『吸えるだけ吸い、できる限りゆっくりと、声を出せるだけ出す』
言葉は何でも良い。『ウ』でも何でも良い。胸を張って上体をできる限り仰け反りながら(上体を仰け反らなくても良い)下腹一杯(そして胸一杯)息を吸う。(そして胸一杯)には異論も有ると思う。
それから、小さな声で『ウー』(どんな言葉でも良い)と声を細く長く出し始める。できる限り、細く長く出す。丹田から声を出すようにイメージして出す。息が続く限り出す。とにかく息が続く限り出す。
個人差があるが、始めは20秒ほどしかできない。毎日行うと2ヶ月で40秒、50秒、60秒出せるようになることも多い。
これは時間も場所も取らない。なるべく毎日行うこと。丹田から声を出すようにイメージして出すこと。
丹田は吐気の始めは最も膨らんでおり、吐気の終了時に最も凹んでいる。
ストップヲッチを片手に行っても良い。時計を見ながら行っても良い。何も見ずに行っても良い。
座位にて、椅子位にて、立位にて、行って良い。しかし、立位は疲れ、呼吸が浅くなる欠点がある。
吐気の終了時に身体が前屈みになるのはやむを得ない。とにかく息が続く限り声を出す。
また、吸気のとき、吸えるまで吸うこと。
これを一日何回も十何回も何十回も行うこと。できる限り毎日行うこと。
『吸えるだけ吸い、できる限りゆっくりと、声を出せるだけ出す』がポイント。
声は鼻から出して良い。筆者はこのとき『声を鼻から非常に小さく出している』。
そのなかでも『できる限りゆっくりと』が最も重要。
筆者は弾力のある椅子の上で始めて行った。非常に巧く行った。
【竹刀法】☆☆☆☆☆☆☆
竹刀を振り下ろす動作を呼吸法とともに行う。竹刀は無くとも竹刀を握ったつもりで(両手を合わせて、または片手で)行えば良い。また、新聞を丸めたものを竹刀代わりにしても良い。
振り上げるときに胸を大きく張って大きく吸気する(または、胸を大きく張って大きく吸気するとともに手を振り上げる)。このとき両腕・上半身の力はできる限り抜いておく。
振り下ろすときに(少しずつ)吐気を行う。その吐気は筆者は鼻から行っている。口から行っても構わない。2回目以降の振り上げるときは吸気は行わない(そのときは止気である)。始めは4回ぐらい振り下ろすのが精一杯である。慣れるに従い、10回、20回と振り下ろすときの吐気を行うことができるようになる。つまり、(少しずつ)(少しずつ)吐気を行う。
振り下ろすとき、丹田からのイメージで(少しずつ)(少しずつ)吐気してゆく。胸は大きく張ったまま。そして完全に吐気するまで行う。
以上を繰り返し行う。
両手でなく、片手で行っても良い(両手で行うと早く疲れるという欠点がある)。
筆者は両手で行うと早く疲れるので片手で行っている。右手でも左手でも良い。右手が疲れると左手に変え、左手が疲れると右手に変えている。
掌は力を入れず、半開きが良い。完全に開いたり握り締めると力が入ってしまいがちである。
筆者は椅子に座ったまま行っている。立位で行うよりも楽であるし、座ったまま竹刀無しで片手にて行うと本を読みながら行える故である。
簡単で強い効果が有る故、筆者はよく行っている(いつも竹刀無しで、片手で行っている。本を読みながら行っている)。
これは一つの気功と考えて良い。調和道の村木先生が開発されたものと記憶している。
呼吸法として、最も人に勧めているのが、この竹刀法である。
【走る歩く丹田呼吸法】☆☆☆☆☆☆☆
(筆者の独創では無いようである。他の人がもっと早く唱えられたようである。)
走りながら歩きながら行う。胸を張って大きく吸気する。4吸4呼、5吸5呼、6吸6呼、7吸7呼、それ以上でも良い。また、吸気と吐気の数が一致しなくても良い。吸気と吐気の数はどんな数でも良い。深く大きく呼吸をすることが要点である。女性の場合、高齢者の場合は歩きながら、が良いと思われる。また、この場合、呼気の数が多いほど良い。
ゆっくりと走りながら行う。速歩でも構わない。歩きながらでも構わない。これは体力を付けるという相乗効果がある。
『下腹部を膨らむ限り膨らませ吸気する。下腹部から声を出すようにゆっくりと吐気する。胸は大きく張ったまま。丹田を中心として大きく息を吸う。丹田からゆっくり息を出してゆく。』
この呼吸法を行いながら走ると次第にランナーズハイと呼ばれる状態に入りやすい。特に夜に走るとその状態に入りやすい。過去の様々なことがフラッシュバックのように蘇ってくる。そして精神疾病の軽症化が起こるらしい。
この呼吸法を行わずに走るとランナーズハイと呼ばれる状態に入りにくい。
胸を張って走る・歩くことが大事である。胸を張って大きな呼吸をすることが大事である。
呼吸法のみを行っていると、体力の減退がどうしても起こってしまう。呼吸法の達人にならない限り、運動は必要と思われる。筆者もできる限り、運動を行うことを心懸けている。
【鳩尾(みぞおち)呼吸法】☆☆☆☆☆
正座または座位にて行う。鳩尾(みぞおち)に両手を当て、息をゆっくりと細く吐きながら上体を前方に倒してゆく。これを繰り返す。固い体を柔らかくする効能が大きい。
【仰ぐ丹田呼吸法】☆☆☆
(筆者の独創と思う??)
両手を上方に上げて大きく一気に吸気する。できる限り、胸を大きく張って一気に吸気する。
吐気は両手をゆっくりと下げながら自然にゆっくりと吐く。
以上を繰り返し行う。
丹田をなるべく意識して丹田呼吸法で行うべき。丹田に落とし込むように息を吸う。
立って行っても座って行っても良い。
胸を大きく張ることが重要。
両手の下げ方は個人々々の好みで良い。
また、両手でなく、片手で行っても良い。筆者は片手で行っている。立ったまま、大きく息を吸いながら行っている。このとき、『竹刀法』の要領で吐気している。
【ツボ指圧丹田呼吸法】☆☆☆☆☆
これは筆者の独創と思う。
椅子に座って、坐位にて、臥位にて、どれでも構わない。目を瞑って行った方がこの方法では非常に効果が高い故に立位にて行うのは止めた方が良い。
片方
丹田呼吸法とは丹田を大きく膨らませて吸気し、丹田を凹ませながら息を吐いてゆく呼吸法である。吐気に重点を置く。吐けるだけ吐く。それも長時間かけて吐く。吸気はなるべく急速に鼻より行う。胸を大きく張って大きく吸気した方が良い。
丹田呼吸法は万病を癒すと言っても過言ではない。
丹田呼吸法は特にうつ病性障害に特異的に効能がある。それは何故か? 未だ、研究は行われていない。
丹田呼吸法は、吐息に重点を置き、できる限りゆっくりと吐けるだけ吐く。吐けるだけ吐けば、自然と吸気する。吸気は鼻腔よりできる限り一気に大きく行う。
怒りは呼吸を浅くする。ゆっくりと吐息をできるようでなければ(ゆっくりと声を出すことをできなければ)丹田呼吸法とは呼べない。
下腹部を膨らむ限り膨らませ鼻腔より一気に吸気する。下腹部から声を出すイメージをもって、できる限りゆっくりと吐息する。胸は大きく張ったまま。次に丹田へのイメージをもって大きく吸気する。更に次に丹田からのイメージをもってゆっくり吐息して(声を出して)ゆく。
力まずにゆっくりと吐息することは難しい。また声を出さずにゆっくりと吐息することは難しい。故に声を出しながら吐息している。1分間に3回ほどの呼吸になっている。
胸を大きく張って行う。胸を大きく張ったまま大きく吸気する。
胸を張って大きな呼吸を。吸気を丹田に落とし込むように。
力んではいけない。疲れると呼吸が力んでしまう傾向がある。故に疲れたらそこで中止する。呼吸法で心を変えることができる。呼吸法で交感神経過緊張状態を改善することができる。
身体の重心は臍下丹田。
腹部の筋肉の攣縮を取り除き、長年の病を癒すことができる。
第1章(呼吸法との出会い)(丹田呼吸法で自律神経失調症を治す)
筆者は昨年の5月に丹田呼吸法を始め、始めたその日に3年来の“うつ病”が寛解した。そのときは、胸を張って大きな呼吸を心懸け、下腹部(丹田)を凹ませて吐気し、下腹部を膨らませて吸気していた。
少なくとも自分にはその方法が合っていたのだろう。
本により(流派により)丹田呼吸法の行い方、考え方が様々である。本を読むよりも実践し、自分に合った丹田呼吸法の行い方を見つけ出す方が良いと思う。また、実践しながら、本を読み(日本で現在、販売されている丹田呼吸法の本は10冊を簡単に越える)、丹田呼吸法の行い方を学んでゆくのが良いと思う。
しかし、共通して述べられていることは『呼気をゆっくりと、できるだけ長く出す』ということである。
吸気のとき下腹部から膨らませ、そのあと(両腕を拡げ、胸部をも膨らませる)という方法を採っていたことがある。しかし(両腕を拡げ、胸部をも膨らませる)は難しく、現在、行っていない。
『吸気のとき、吸気を丹田に落とす感じで吸気する。』これがコツであることが解った。
例え、その自律神経失調が、脊椎の歪みに由来するとしても、丹田呼吸法により自律神経失調を癒すことができる。そのとき呼吸法により頑固な長年の脊椎の歪みが軽度化または解消していることを知ることができる。脊椎の歪みはその一部分の筋肉の攣縮から来ており、呼吸法によりその部分を流れる経絡の流れを円滑化させると、その部分の筋肉の攣縮が解れる。
以前、ある鍼の先生が言った。『歪んだ身体は歪んだままで一つの恒常性を保っている。それを強制的に歪みを正そうとするのは邪道だ。』これは筆者が当時、熱中していたテンプレート療法を指して言われたことと記憶する。筆者は現在、テンプレート療法を否定している(テンプレート療法の先生方、すみません)。しかし、骨を鳴らさない整体は肯定している。
ストレス、疲労は腹部の筋肉を硬くし、丹田呼吸法を行い難くする。丹田呼吸法を行うときはリラックスすることが非常に重要である。例え、ストレス、疲労が有っても、巧く丹田呼吸法を行えるよう練習を積み重ねることが重要である。また、ストレス、疲労を取り除くものが丹田呼吸法でもある。
深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷が腹部の筋肉を硬くする。深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華するには催眠が最も有効で簡単とされているが、日本には信頼できる催眠療法士が数えるほどしか居ない。しかもどの人が信頼できる催眠療法士かを判断することはインターネットの宣伝では不可能と思う。口コミが信頼できる判断情報と思われる。そして他者催眠は高額である。金銭的に余裕のある人のみに勧める。
自己催眠で深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華してゆくしかない。または丹田呼吸法によりそのストレス、心的外傷を昇華してゆく。丹田呼吸法は気功と同じである。
深層無意識に蓄えられたストレス、心的外傷を昇華するのに最も有効な方法は丹田呼吸法と思う。
丹田呼吸法に於いて、疲れ切ったにもかかわらず更に丹田呼吸法を行うことは良くない。疲れたら休むか休憩するか睡眠または仮眠を取るべきである。疲れているのに無理に丹田呼吸法を続けると腹部の筋肉が硬くなり丹田呼吸法ではなくなってくる。毎日少しずつ前進、という考えでゆくべきである。丹田呼吸法は気功と同じく無理は良くない。
呼吸で心と身体を支配する。
胸を弛め腹部を弛め意を丹田に沈めることによって自然に下腹部を充実させてゆくこと。
『下腹部を膨らむ限り膨らませ、(そのあと更に胸を張って)吸気する。』この呼吸法を研究中である。これは伝統的な丹田呼吸法とは異なる。(そのあと更に胸を張って)という項目は伝統的な丹田呼吸法には存在しない。これは『丹力』に現在、興味を持ってきた故である。『丹力』ではこの項目がある。
(これらは実際に行ってみて効いたもののみを書いている。理論的には非常に効くように思える方法も、実際行ってみると全く無効なものが良くある。そういうものはこのページに記載していない。)
インターネットで「丹田呼吸法」を検索してみると200あまりヒットし、その100番目ぐらいに「丹田呼吸法」で“うつ病性障害”が簡単に治った例が多数有ることが書かれてある。そこには“うつ病性障害”のみが治り、他の精神疾患は治ってはいないようである。それほど「丹田呼吸法」は“うつ病性障害”に特異的に効果が有るのであろう。
しかし他の精神疾患にあまり効果が無いという記載もあり、それには失望した。
丹田呼吸法は中国医学的にどの経絡に作用して効果を出すのかは未だ研究されてないようである。全ての経絡は連関している故に、どの経絡と断定することはできないようである。
“うつ病性障害”に対し鍼治療によって完全寛解したという報告を時折、鍼の専門誌で見掛ける。その報告で使用した経絡は様々であり、経絡はお互いに連関している故と思われる。また、どの経絡であっても、“気”の滞りは“うつ病性障害”など様々な疾患を生む。
呼吸のときのイメージとして「両足の先から息を吸い、丹田へと持ってゆく。そして両足の先から息を吐く」とある(これは不眠のときに勧められるイメージ呼吸である)。
丹田呼吸法の要点として少しずつ少しずつ吐いてゆく(吐気する)ことである。これには少なくとも初心者の場合は声を出すこと(つまり声帯という吐気の出る場所を細めること)により可能となる。声を出すこと以外に少しずつ少しずつ吐いてゆく(吐気する)ことは難しい。一回の吐気で40秒以上を目指そう。また、このとき、下腹部に力を入れ、喉に力を入れてはいけない。下腹部より発声する感覚で行う。
第2章(丹田呼吸法についての雑記)
『下腹部を膨らむ限り膨らませ吸気する。下腹部から声を出すようにイメージしてゆっくりと吐気する(声を出す)。胸は大きく張ったまま。丹田を中心として大きく息を吸う。丹田からゆっくり息を出してゆく。』(胸を張って大きな呼吸を。)
中国の気功法では
『意識的に腹圧をかけてゆくのではなく、胸を弛め腹部を弛め意を丹田に沈めることによって自然に下腹部を充実させてゆくこと。
吐息とともに意念や腹圧を力を込めて行えば内臓や自律神経に不調を来すこともある。』と説く。
腕を上げて吸気すると大きく吸気できる。このとき、両手でも片手でも良い。そして腕を振り下げながら、少しずつ少しずつ吐気してゆく。これは『竹刀法』である。
日常生活に於いても、胸を張って大きな呼吸を心懸けるべきである。前屈みになってはいけない。
運動を日頃から心懸け、身体を柔らかくしておき、また身体を丈夫にしておく。すると丹田呼吸法により“うつ病性障害”の劇的な寛解が起こる。
上半身の力を抜くこと。肩、胸、首、背中、それらの力をできる限り抜いて行うこと。すると丹田が充実する。
心を呼吸すなわち丹田でコントロールしようとするのが丹田呼吸法である。心を心でコントロールしようとするのがカウンセリングや催眠療法である。
心を薬物あるいは脳神経外科的手術でコントロールしようとするのが西洋医学である。
どのような種類の動きを行うときも、上半身が虚になっていないと(上半身の力が抜けていないと)“気”が途中に引っかかり、丹田に力が集まってこない。
気合いを込めようと気負うと、どうしても目に力を入れて前方を睨んでしまう。そうすると上半身が力んでしまう。ゆっくりと目を見開きつつ柔らかい視線を投げかけることができるようになると、肩や背中や胸に滞っていた“気”が丹田に向かって流れ落ちる感覚が得られる。
吸気は吸うのではなく身体を拡げる(胸郭・腹部など)ことによって自然に流れ込むようにすることが基本となっている。
肛門を閉めながら深呼吸を数回すると“気”が下がり冷静になれると書いてある本が数冊ある。
笑うことは呼吸筋をリラックスさせ、自然と大きな吐気を行うことができる。それ故に笑うことは健康に非常に良いのであろう。
カラオケも、詩吟も、笛などの管弦楽器も、自然とゆっくりとした吐気を行わせる故に健康に非常に良い。吐気をできる限り細く長くすることが健康の秘訣である。
龍村修氏は深い呼吸を行うためにヨガを行い、呼吸に関する筋肉を柔らかくすることの重要性を説いておられる。
そして龍村修氏は下腹部のみでなく、肋骨を上下・左右・前後に最大限に拡張・収縮するように呼吸することの重要性を説いておられる。これは筆者と同意見である。
呼吸法は食後直ぐや体調の悪いとき、疲労の激しいときは行わない方が良い。このときは呼吸に関係する筋肉がどうしても硬くなるためである。
しかしストレスが掛かっているときは、筋肉は硬くなっているため、呼吸法を巧く行い難いが、筋肉を柔らかく解すためにも呼吸法を行うべきと信じる。
またストレスが掛かっているとき、筋肉を解すため、運動を行うことが良い。走ることや水泳が良い。
ストレスに対し交感神経が過剰に緊張する。そうして自律神経失調症・不安障害・不眠性障害・肩凝り・背部痛など症状を招くことが多い。
細く長い吐気で副交感神経を刺激し、身体をリラックスさせれば症状を緩和できる。
息は必ず鼻から吸う。口から吸ってはいけない。
吐気のときはどちらから出しても良い。
呼吸に関係する筋肉群の柔軟性を高めることにより深く呼吸ができる。そのためには呼吸法の練習のときに動作を入れる(つまり気功法)ことが大切なようである。
また、簡単な筋肉を柔らかくする方法として(歩く・走る)などの運動を行うことである。(歩く・走る)を行うことにより深い呼吸が容易くできるようになるようである。(歩く・走る)は簡単で修練は必要でない。また(歩く・走る)ときに4吸4呼、5吸5呼などの深い呼吸を心懸けると日常生活でも深い呼吸を行えるようになるようである。
気功や呼吸法で運動が必要なくなるまで上達するには少なくとも数年の修練が必要なようである。そこまで上達するまでは運動は身体を柔らかくし、呼吸を深くするためにも欠かせないようである。
吐気に重点を置く。吐気はできるだけ長く、できるだけ完全に吐ききるよう努力すること。
丹田呼吸法の練習時には下腹部(また胸をも)を締め付けない、ゆったりとした服装が望ましい。それは日常生活時に於いても同様である。
呼吸にも力を入れてはいけない。下腹部を凹ませながら吐けるだけ吐くと自然と吸気する。
気功の呼吸は楽な呼吸が基本と言われている。呼吸に力を入れてはいけない。
気功病というものがある。これは気功を行い過ぎて罹る病気である。すなわち疲労し呼吸に関係する筋肉が硬くなっても気功(呼吸法)を行い続けることにより“気の上衝”を来たし精神的疾患に罹患することを言う。
病気とは「気が病む」ということで、身体内部の気が不足したり気の流れが滞ることに原因があると考えられている。
気功(呼吸法)を行うことにより“気”の過不足が調整され、内臓から全身に至るまで“気”が巡る。“気”が巡ると新陳代謝や自然治癒力が高まり病気は自然と消えてゆくという。更に、気功(呼吸法)中の深いリラックスは心身をくつろがせ自律神経を調和させ精神を安定させる。
ストレス病の人や慢性病を病んでいる人の多くは呼吸が速く浅くなっている。これは首や肩、胸、腹など上半身の緊張が原因で、気が上がり上焦(内臓の上部)に滞っていると考えられる。
胸を弛めゆったりと自然呼吸を続けてゆけば、自然と腹式呼吸になってくる。上肺部での浅い呼吸から下肺部を中心とした横隔膜による深い呼吸になる。息を吸ったときに下腹部が膨らみ、息を吐いたときに下腹部は凹む。徐々に腹部の前後動を大きくし、呼吸を長く深くしてゆく。このときに腹部や呼吸に無理な力を入れないように充分に注意する。内臓は横隔膜による上下運動と腹部の前後運動により柔らかくマッサージされる。これによって血液の循環が盛んになり内臓の蠕動が促進される。
呼吸の落ち着きは精神を深い安静状態へと導いてくれる。劉貴珍の内養功は腹式呼吸に意念を集中しながら心身を深いリラックスへ導いてゆく優れた静功である。
『丹田呼吸法は丹田を凹ませながら息を吐くことにポイントを置き。息を吸うときは息をただ入るに任せる呼吸法』となっている。
しかし筆者の場合は『大きく吸気すると効果が大きい』。これは筆者の腹部の筋肉が非常に硬くなっているためではないかと考える。
また、全身の筋肉を弛めるためには運動することが重要である。「走ること歩くこと」でそれは充分である。運動不足およびストレスは筋肉を硬くする。
また、あらゆる書籍には丹田呼吸法を行うときに胸を張ることは記載されていないようであるが、筆者の場合は胸を張ることが大きな効果を生む。これは筆者が猫背であることに由来すると思われる。
瞑想と呼吸法を一緒に行う方法(瞑想呼吸法)が書籍に多く記載されているが、筆者が唱える(丹田呼吸法を心懸けた勤行唱題)もほとんど同じようなものと思われる。
一日千回、丹田呼吸法を行うと非常に効果が有ったと記載されている書籍があるが、それを行った著者は身体が硬くなかったため、一日にそれだけの回数を行うことができ、また、非常に効果が有ったのであろう。筆者は体が硬いため一日千回(10時間)行うと逆効果を生むようである。
丹田呼吸法を心懸けていると自然とタバコを止めることができると書かれている書籍が多い。その理由については、しかし書かれていない。
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第3章(様々な呼吸法)
(最も勧められるのを7つの☆。☆が少なくなるに連れあまり勧めない。しかし、人によりどの方法が向くかは様々である。呼吸法は個人差が大きい。また、人により、どの方法が行いやすいか、かなり別れる。)
【唸る丹田呼吸法】☆☆☆☆☆☆☆
最も勧めるものの一つ。
『吸えるだけ吸い、できる限りゆっくりと、声を出せるだけ出す』
言葉は何でも良い。『ウ』でも何でも良い。胸を張って上体をできる限り仰け反りながら(上体を仰け反らなくても良い)下腹一杯(そして胸一杯)息を吸う。(そして胸一杯)には異論も有ると思う。
それから、小さな声で『ウー』(どんな言葉でも良い)と声を細く長く出し始める。できる限り、細く長く出す。丹田から声を出すようにイメージして出す。息が続く限り出す。とにかく息が続く限り出す。
個人差があるが、始めは20秒ほどしかできない。毎日行うと2ヶ月で40秒、50秒、60秒出せるようになることも多い。
これは時間も場所も取らない。なるべく毎日行うこと。丹田から声を出すようにイメージして出すこと。
丹田は吐気の始めは最も膨らんでおり、吐気の終了時に最も凹んでいる。
ストップヲッチを片手に行っても良い。時計を見ながら行っても良い。何も見ずに行っても良い。
座位にて、椅子位にて、立位にて、行って良い。しかし、立位は疲れ、呼吸が浅くなる欠点がある。
吐気の終了時に身体が前屈みになるのはやむを得ない。とにかく息が続く限り声を出す。
また、吸気のとき、吸えるまで吸うこと。
これを一日何回も十何回も何十回も行うこと。できる限り毎日行うこと。
『吸えるだけ吸い、できる限りゆっくりと、声を出せるだけ出す』がポイント。
声は鼻から出して良い。筆者はこのとき『声を鼻から非常に小さく出している』。
そのなかでも『できる限りゆっくりと』が最も重要。
筆者は弾力のある椅子の上で始めて行った。非常に巧く行った。
【竹刀法】☆☆☆☆☆☆☆
竹刀を振り下ろす動作を呼吸法とともに行う。竹刀は無くとも竹刀を握ったつもりで(両手を合わせて、または片手で)行えば良い。また、新聞を丸めたものを竹刀代わりにしても良い。
振り上げるときに胸を大きく張って大きく吸気する(または、胸を大きく張って大きく吸気するとともに手を振り上げる)。このとき両腕・上半身の力はできる限り抜いておく。
振り下ろすときに(少しずつ)吐気を行う。その吐気は筆者は鼻から行っている。口から行っても構わない。2回目以降の振り上げるときは吸気は行わない(そのときは止気である)。始めは4回ぐらい振り下ろすのが精一杯である。慣れるに従い、10回、20回と振り下ろすときの吐気を行うことができるようになる。つまり、(少しずつ)(少しずつ)吐気を行う。
振り下ろすとき、丹田からのイメージで(少しずつ)(少しずつ)吐気してゆく。胸は大きく張ったまま。そして完全に吐気するまで行う。
以上を繰り返し行う。
両手でなく、片手で行っても良い(両手で行うと早く疲れるという欠点がある)。
筆者は両手で行うと早く疲れるので片手で行っている。右手でも左手でも良い。右手が疲れると左手に変え、左手が疲れると右手に変えている。
掌は力を入れず、半開きが良い。完全に開いたり握り締めると力が入ってしまいがちである。
筆者は椅子に座ったまま行っている。立位で行うよりも楽であるし、座ったまま竹刀無しで片手にて行うと本を読みながら行える故である。
簡単で強い効果が有る故、筆者はよく行っている(いつも竹刀無しで、片手で行っている。本を読みながら行っている)。
これは一つの気功と考えて良い。調和道の村木先生が開発されたものと記憶している。
呼吸法として、最も人に勧めているのが、この竹刀法である。
【走る歩く丹田呼吸法】☆☆☆☆☆☆☆
(筆者の独創では無いようである。他の人がもっと早く唱えられたようである。)
走りながら歩きながら行う。胸を張って大きく吸気する。4吸4呼、5吸5呼、6吸6呼、7吸7呼、それ以上でも良い。また、吸気と吐気の数が一致しなくても良い。吸気と吐気の数はどんな数でも良い。深く大きく呼吸をすることが要点である。女性の場合、高齢者の場合は歩きながら、が良いと思われる。また、この場合、呼気の数が多いほど良い。
ゆっくりと走りながら行う。速歩でも構わない。歩きながらでも構わない。これは体力を付けるという相乗効果がある。
『下腹部を膨らむ限り膨らませ吸気する。下腹部から声を出すようにゆっくりと吐気する。胸は大きく張ったまま。丹田を中心として大きく息を吸う。丹田からゆっくり息を出してゆく。』
この呼吸法を行いながら走ると次第にランナーズハイと呼ばれる状態に入りやすい。特に夜に走るとその状態に入りやすい。過去の様々なことがフラッシュバックのように蘇ってくる。そして精神疾病の軽症化が起こるらしい。
この呼吸法を行わずに走るとランナーズハイと呼ばれる状態に入りにくい。
胸を張って走る・歩くことが大事である。胸を張って大きな呼吸をすることが大事である。
呼吸法のみを行っていると、体力の減退がどうしても起こってしまう。呼吸法の達人にならない限り、運動は必要と思われる。筆者もできる限り、運動を行うことを心懸けている。
【鳩尾(みぞおち)呼吸法】☆☆☆☆☆
正座または座位にて行う。鳩尾(みぞおち)に両手を当て、息をゆっくりと細く吐きながら上体を前方に倒してゆく。これを繰り返す。固い体を柔らかくする効能が大きい。
【仰ぐ丹田呼吸法】☆☆☆
(筆者の独創と思う??)
両手を上方に上げて大きく一気に吸気する。できる限り、胸を大きく張って一気に吸気する。
吐気は両手をゆっくりと下げながら自然にゆっくりと吐く。
以上を繰り返し行う。
丹田をなるべく意識して丹田呼吸法で行うべき。丹田に落とし込むように息を吸う。
立って行っても座って行っても良い。
胸を大きく張ることが重要。
両手の下げ方は個人々々の好みで良い。
また、両手でなく、片手で行っても良い。筆者は片手で行っている。立ったまま、大きく息を吸いながら行っている。このとき、『竹刀法』の要領で吐気している。
【ツボ指圧丹田呼吸法】☆☆☆☆☆
これは筆者の独創と思う。
椅子に座って、坐位にて、臥位にて、どれでも構わない。目を瞑って行った方がこの方法では非常に効果が高い故に立位にて行うのは止めた方が良い。
片方
「走る」
----太古の自然に還れ----
【抄録】
薬を使わず,「走る」ことにより精神疾患を寛解させることを目標に筆者は努力してきた。患者は安易に薬に頼ろうとする傾向性があるが,薬に頼らず自力で治そうとする傾向性も持っている。
「走る」ことで今まで約3例の患者が自力で寛解してきた。それは患者自身のたゆまぬ努力の結果である。また,疾病を治したい強い願いの結晶である。1日のみなら誰にも実行可能であろう。しかしこれを長期間続けるには強い克己心を要する。短期間で「走る」ことを中止したものは非常に多い。「走る」ことを始め症状が軽症化した故に「走る」ことを中止し、疾患が再燃した者は多い。
「走る」ことは身体を「太古の自然」に帰し、これがこれらの疾患の寛解を促すものと確信する。
【key words】 running, walking, relative hypoglycemia, anxiety disorders, affective disorder, schizophrenia, mental disorders
【始めに】
不安障害、気分障害、そして統合失調症の最善の治療法は「走る」ことである。そして太古の昔に帰ることである。できる限り1日1時間以上、そして1週間に一度で良い、できる限り長時間「走る」ことである。「走る」ことによって全身の自律神経は調整され安定化する。その理論的根拠は交感神経過緊張を解消し東洋医学で言う「気の流れの円滑化」に由来すると説明される。
【症例】
[症例1]33歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]幼少時より自律神経失調が激しかった。中学1年時,痙攣性発声障害(疑)発症。高校1年時,小学生時代よりの吃音が重症化。高校3年時,社会恐怖発症。22歳時,精神科受診。それ以来,抗不安薬を主とした治療を受けてきた。
[現病歴]初診時,症例はbenzodiazepine系の抗不安薬なしには仕事および日常生活が極めて困難であった。2週間に一度は仕事を早く終えて来院することが可能と言う。体格の良い頑強な男性であるが,気弱いところが感じられた。「過去が暗かったんです」と嗄れた声で言う。
症例の要求する抗不安薬の量は以下のように比較的大量であった。flunitrazepam 4mg/日,bromazepam 20mg/日, etizolam 3mg/日, cloxazolam 12mg/日,そして湿布も強く希望する。
現在まで複数の精神科・心療内科を渡り歩き,その4剤そしてその量がベストであると言う。症例の要求どおりに処方。症例は自身の「交感神経過緊張」を是正したいため,様々な民間療法を試みてきたが全て徒労に終わった。症例は自身の病気を「交感神経過緊張」と言う。それは過去,症例は星状神経節ブロックを多数回受けており,そしてそれが一時的ながらも奏功し,星状神経節ブロックに非常に共鳴し,また星状神経節ブロックに関する専門的な書物を多数読んできた故である。
筆者が走ることを勧めると「今まで夜,走ることを行ってきたことは良くある。体調は良くなるが自身の「交感神経過緊張」には効果がなかった。雨の日でない限り,夜,風呂に入る前に15分走るのを日課にしてきた」と言う。
2日に一度,1時間,比較的ゆっくりと走ること,しかも胸を大きく張って走ることを強調する。しかし始めの2週間は今までのように毎日15分走る。しかしそれではほとんど効果はなかった。
2週間後の来院時,2日に1度,1時間走ること,それも大きく胸を張って走ることを再び強調する。症例は2日に1度,1時間走るよう努力し始めた。前夜に1時間走ることを行うと翌日は抗不安薬が全く必要ないことを経験する。その経験以来,仕事が終わって夜の走ることを2日に一度,1時間行うようになる。前夜に1時間走ることした翌日は抗不安薬が必要でない経験を重ねる。しかし2週間ごとの来院は続ける。「ストックがあるというだけで安心する」と言う故に今までの処方どおりの処方をする。しかし1時間の走ることを始めて2ヶ月近く経ったとき「もう当分,抗不安薬は必要ありません。今でも,ときどき,緊張するときなどには少し服用しますが,今は以前と違い,僅かな量で充分に効きます。有り難うございました。また,もし,抗不安薬が必要となったときは来させて貰います」と言って帰院後1年余り経つが再来院無し。現在は抗不安薬を全く必要としない健康な日々を送っている。現在も週に一度,1時間以上走ることを行っている。
[症例2]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃から性格も明るく人気者であった。高校卒業後,陸上自衛隊に入り3年間何の問題もなく過ごし除隊後,地元の商社に入社。しかし生来の倦き易さのため2年間でそこを辞め,その後,様々な職を転々とすることになる。
[現病歴]やっと居付いたと思われた会社の営業の仕事中,自動車を運転中に心臓が早鐘のように打ち,すぐ近くにあった内科を受診。そこで自律神経失調症と言われる。それが何回も続けて起こり退社せざるを得なくなる。
症例はいろんな健康法を渡り歩く。整骨院にも通ったが椎骨が歪んでいることを指摘されたのみで痛むところは存在しないため通院を中止する。
本院受診。症例は「こうなったのは夏,会社の同僚とビアガーデンでビールを飲んでいたとき,近くにいた人が突然倒れ,それを見ていた女性が悲鳴を挙げた。そのためと思う。」と解釈していた。今でも酒を飲もうとするとそのときの情景と女性の悲鳴が思い出されて来るため酒を飲むことができない。
走ることを指導。薬剤は一切処方せず。彼は走ることを始める。復職を急いでいたため彼は真面目に毎日走った。1日2時間に達することも有ったと言う。
次第に彼を覆っていた女性の悲鳴が鳴り響く恐怖の光景は気にならなくなってゆく。酒も少しづつ飲めるようになってゆく。心臓が早鐘のように打つこともなくなってゆく。
1ヶ月後,彼は新しい職場へ就職した。以来,2年が経過しているが健康な日々を送っている。現在も週に一度は1時間以上走ることを行っている。
[症例3]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃より著患無し。スポーツは得意であったという。近親者に精神疾患の罹患者はない。
地方においては有名大学の部類に入る大学を留年など無しで卒業後、地方においては大手である会社に就職。40歳時、その会社の中間管理職に昇進するとともにうつ状態発現。“昇進うつ病”の診断のもとmianserin 2ヶ月間投与(最大投与時60mg, 夕食後のみ投与)で効果無し、setiptiline maleate 2ヶ月間投与(最大投与時 6mg 夕食後のみ投与)で効果無し、 trazodone 2ヶ月間投与(最大投与時 200mg 夕食後のみ投与)でも効果無し、sulpiride 2ヶ月間投与(最大投与時 600mg 朝夕投与)でも効果無し、 maprotiline でも効果なし。しかし会社には真面目に通勤していた。うつ状態の出現以来、会社から帰ってくると風呂に入り、簡単に夜食をしてすぐに床に就いていた。休みの日は一日中布団の中に寝ているという状態が続く。
治療開始9ヶ月経過後、患者自身、薬剤による治療に見切りを付け、毎朝、山の頂上まで走って登りこの病気を治すと決意する(これは筆者が元より運動することを勧めてきたことに依る。しかし患者は薬剤で治ると思い、ほとんど運動は行わないできていた。)。
性格は非常に頑固、一徹なところがあり、また真面目であった。
そして毎朝、山の頂上まで走り登り始めた。(その山の頂上へ走り登るには1時間半ほど懸かる。降りるのに40分ほど懸かる。かなり負担の懸かるものであったが一度決めたことはやり抜く性格であった。また少なくとも男性の場合はこれほど負担の懸かるものの方が良いと思われる。)仕事が午後1時から午後9時までのため、夜走らず、早朝走ることを行っていた。走り終わった後、風呂に入り仮眠を取って出勤していた。(この患者の場合、午後および夜間は比較的調子が良く、朝の倦怠感が激しかった。しかし、内科的精査上、肝機能は正常、甲状腺ホルモンも正常など全く異常はなかった。)
走り始めて1カ月後、気分障害、完全寛解。この症例は“軽症うつ病エピソード”がもっとも適した疾患名と思われる
[症例4]30歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいないと主張する。
[既往歴]小さい頃より大きな病気や怪我はない。しかし2年前,左手の血圧が計れないことを就職のときの健康診断で指摘された。症例自身も最近左手の脈が触れず,しかも軽い痺れを感じることに気付いていた。そして大学病院にて動脈造影したところ左肩のところに狭窄があり大動脈炎症候群疑いということで手術。しかし手術後,胸郭出口症候群だったのではないかと整形外科の先生からは言われていた。
[生活歴]小さい頃より社交的ではあるが性格が円満でなく独りよがりなところが強く存在し,周囲から変人扱いされ敬遠されていた。
患者は一浪して入学した一流大学であるはずのW大学教育学部を自分の希望したところではなかったと2年で辞め,元から入りたかったJ大学英文科を受け直した。しかし入学試験勉強をほとんど行なわずに受験したためJ大学には落ち,またT外国語大学にも落ち,第3志望にしていたO外国語大学モンゴル語学科にモンゴル語が好きで興味があるからということで自ら進んで受験,合格し入学した。
O外国語学科では一年留年するだけで卒業し,大阪の新聞社に新聞記者として就職。そこで3年間働いた。しかし仕事に対する不平不満強く,上司や同僚との不仲があったわけではないが,親元である長崎で働きたいという思いがあり,長崎へ帰ってくる。そして実家から自動車で2時間ほどかかるところにある佐世保の銀行に就職し,その銀行の社宅に住み始める(彼は独身で,結婚歴はない)。
しかしその銀行も一年足らずで辞め,実家に戻って来る。その後,オランダ村が開かれたとき,そこへ就職した。しかしそこは実家から通うのは困難であり,アパートを借りて生活を始めたが再び3ヶ月あまりで退社。そして今度は実家から自動車で40分あまりの長崎市の中心域にあるN新聞社に再び新聞記者として入社。そして現在に至る。
[現病歴]将来に対する漠然とした不安感を主訴として来院。彼が訴えるその不安に対し,薬物は投与せず。帰宅後など,できるだけ毎日30分以上走るよう指導する。症例は素直に実行することを誓う。
彼は一夜にして不眠障害が寛解する。そして雨の日以外は会社から帰ってくると30分ほど走るようになる。
彼の漠然とした精神不安は次第に消失してゆく。
しかし初診より3ヶ月を過ぎた頃,彼は「走るのは面倒」とある精神科クリニックを受診。そこで症状を非常に大袈裟に言い,大量の抗不安薬と催眠鎮静剤を処方される。そしてそれ以降,彼は大量の抗不安薬と催眠鎮静剤に頼って生きる日々を開始する。走っていたのは夏の3ヶ月間だけであった。現在,彼は大量の抗不安薬と催�ー鎮静剤無しには生きてゆけない状態になっている。
[症例5]30歳,女性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]結婚を目前にしている女性。しかし手掌多汗症を苦にして受診。近日中,相手方の母親と一緒に食事をすることになっている,その一緒に食事をしなければいけないときが目前に迫っている,と言う。症例は漢方療法など様々な治療法を試したが効果が出ず。自身の病気は精神科の病気と考え精神科を受診。
筆者が予診をとったが上級医が「不眠症」という診断のもとに追い返す。これは森田療法のような方法で治すようにとのことであったと思われる。しかし筆者はこの病態が星状神経節ブロックにより比較的容易に寛解した報告例を幾つか読んでいた。筆者は症例があるところの受付などをしていることを知っていたため,後日,症例に星状神経節ブロック療法の資料とそれを施行している医院の場所をコピーして持っていく。1ヶ月ほどして症例とその星状神経節ブロック療法を施行している医院で偶然出会う。症例は星状神経節ブロックをすでに6回ほど受けた,しかし一時的にしか効かない,と言う。症例は星状神経節ブロックを週2回の割合で受けていた。その医院の麻酔科医は星状神経節ブロックは週に2回程度が適当と思っていたらしい。しかし星状神経節ブロックはでき得る限り毎日行うべきである。症例は軽度のalprazolam 依存になっていた。その麻酔科の医院よりalprazolam を1日2.4mg 投薬されていた。しかしその量のalprazolam では不足であった。
症例は筆者に受診する。星状神経節ブロックは中止とする。 alprazolam の量は1日2.4mg のままで,症例に走ることを勧める。
しかし症例は走ることを怠っていたため最初の1ヶ月ほどは一進一退であった。そのため症例自身考え走ることを始める。走るのは1日30分ほどであった。そしてそれからは一週毎に良くなってゆくのが症例自身解るようになる。
3ヶ月後,alprazolam の服用量は1日1.2mg に減る。この頃,薬剤にてコントロール困難な手掌多汗症に対し胸腔内よりアプローチする胸部交感神経節切除術で完全寛解させる安全な手術法が確立され急速に普及しつつあることを筆者が麻酔科の雑誌より知る。懇意にしている麻酔科の医師に紹介状を書く。症例はやがてその手術を受け長年の手掌多汗症が完全寛解する。
[症例6]37歳,男性。
[家族歴]母親が統合失調症の診断のもと通院中である(入院歴もある)。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]大型トラックの運転手。性格は明るく友人も多い。深刻に物事を考えるようなことはしない性格である。
2年ほど前,休日,自家用車の運転中に突然心臓が早鐘のように鳴り出し,救急車を呼ぶエピソードがある。それ以来,トラックの運転中にもその発作が起こるようになる。内科を受診し心電図・心エコーなどを撮ったが異常はなく,パニック障害と言われる。そのため精神科を受診。alprazolam の投与を受け始めた。alprazolam の投与量はすぐに1日量3.2mg に達した。2年近く,このような状態が続いた。症状は軽快傾向も重篤化傾向も示さず。alprazolam なしにはトラックの運転が恐くて行えない状態が続く。
筆者が当直中の夜10時頃「今から東京までトラックを運転していくが,クスリがない」と言って来院することが2回連続する。2回とも14日分,処方されていたのを10日間程で服用終了していた。筆者が前主治医と交代して主治医となる。
初診時より走ることを強く勧めたが症例は不真面目な性格であるため消極的であった。それ故,症状は一進一退であった。症例が走ることを始めたのは筆者が担当となって4ヶ月経過した頃であった。2日に一度,20分ほど走ることを始めた。alprazolam の服用量は少しずつ減少してゆき,以前の3分の2ほどに減少。しかし筆者が担当となって8ヶ月経過した時点で高速道路をトラック運転中に居眠り事故を起こす。このとき alprazolam を服用して運転していた。路肩に接触し前方の車輪が外れるのみの単独事故であった。事故は軽いものであったがalprazolam を服用していたことが会社に知れ解雇処分となる。
その後,不況のため,再就職口が見つからず,大阪に就職してゆき,連絡が途絶える。
[症例7]27歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきものなし。
[現病歴]大人しい,真面目,素直。母親から分離していない。
大学卒業の年である4年時(22歳時),12月頃,発症。このとき,片思いの末の失恋などストレスが重なっていた。
発症して2年間は多少重篤な社会恐怖と診断され,その病名どおりに治療されてきた。前医で様々な変薬の後,sulpiride 150mg/日を2ヶ月間服用。体重が62kgから95kgへ増加。
1999 年8月,体重が急増したため筆者の処に転医してくる。前医と同じく,多少重篤な社会恐怖と診断し治療開始。初診時,ジョギング,自然食を行うことを勧める。処方は(bromazepam 12mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3,fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) )
とする。
1999 年9月,患者自身,免許証の更新へ行くことを不可能と考え,診断書の依頼あり。更新に行くことを引き延ばしても結局行くことができない,それ故, bromazepam を4錠でも5錠でも服用して良いし,みんなから離れたところに座って講習を受ければ良いから行くよう,考える余裕が無いよう更新の直前30分前に電話し強く説得し行かせ,免許証の更新は無事できる(免許証の更新の場所はすぐ近くに有った)。
母親が仕事の終わった夜10時頃より,15分ほど母親とジョギングを行っていた。薬は母親が取りに来るか,筆者がアパートまで持って行くか,患者はほとんど病院まで来ることはない。病院に来ると強く緊張するためである。
ジョギングは母親が疲労するためと思えるが,一回15分ほどであった。「26歳にもなって母親としかジョギングしない,母親が疲労し病気になるから自分一人で走れ」と言うと電話を切る。母親にも同じことを言うと,ここでも同じく「私の息子は病気ですから」と電話を激しく切る。また自然食は行おうとしない。
「15分しか走らなかったら,病気は治らない。30分は走らないといけない」と厳しく言うも「母親が疲れてしまう」と弁明する。
fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) 投与は昼間眠くなるということで最初の2回のみの処方にて中止。3回目の処方より fluvoxamine 75mg 眠前投与に変更。昼間の眠気こそ無くなったが,しかし全身倦怠感で苦しいと訴えるため(僅かでも息子が具合を悪くすると,母親はヒステリーを起こし,訴えるなどと逆上する。治療の過程で薬の試行錯誤は必要であること,また薬には必ず副作用があることを説明しても納得しない。また息子も薬の副作用の�ャさな苦しさを母親に告げる)1999 年10 月 8 日より fluvoxamine 50 mg 眠前投与に変更。しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため 10 月 22 日より fluvoxamine 25 mg 眠前投与と更に減量。この処方で落ち着くかに�vえたが,これでも全身倦怠感で苦しいと訴え,結局,2000 年2月 9日の処方を最後に fluvoxamine の投与を中止する。
また,一番良く効果があると患者自身が言っていた bromazepam を服用すると夢幻様状態になる,精神的に高揚する,故に bromazepam の投与を中止して欲しい,と言い始める。 bromazepam も中止する(1999 年11 月24 日)。そして bromazepam の代わりに clonazepam の投与を始める。
2000 年2 月23 日,clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3のみの処方となる。
2000 年6 月28 日,患者自ら,抑肝散のみの処方を希望し,抑肝散 7.5mg 3× のみの処方となる。夜,母親と軽いジョギング(15分ほど)は続けているが,食事療法は行っていない(しかし,夜のジョギングができないほど,昼間仕事に励むよう指導していた)。現在,父親が経営し,父親と母親で行っている魚屋の手伝いをしている。客と接すると緊張してしまう(緊張して顔が強張り客から変に思われるようだ,と言う)ため,できる限り店の奥の力仕事をし,客と接しないようにしている。最初は2日に1度,午前または午後のみ,働いていたが,筆者が毎日働くよう強く説得し次第に毎日しかも1日中働くようになってくる。魚市で朝,魚を選ぶのが楽しいと言う。
2000 年7 月19 日,「息子が調子が悪くなった」と母親が来院し, clonazepam 一日量3mg を14日分,受付で貰って行く(調子が悪くなったのはclonazepam を一気に絶ったこと,漢方薬のみにしたこと,例年にない暑さ,以上の3つの理由が考えられる。体重が最近急激に6kg 減ったという)。
2000 年7 月21 日,たまたま患者に掛けた電話で調子が悪いことを知り(このときに始めて母親が 19 日に clonazepam を取りに来たことを知る), etizolam 1mg 10回分, flunitrazepam 2mg 10回分, haloperidol 1.5mg 6回分,以上3種類の処方を造り患者のアパートへ持って行く。
2日後,電話すると,「flunitrazepam を飲むと鬱状態になる」と言う。「flunitrazepam は精神を落ちつかせる作用が極めて強いため自宅で服用するとそういう状態になり得る,flunitrazepam は人中に出てゆくときのみに服用すること」と flunitrazepam を最初渡したときと同じ説明を行う。
2000 年7 月28 日,電話あり。「flunitrazepam を1mg 働く前に口腔内で飴玉のように溶かして服用したところ,抑えが効かなくなった,つまり燥状態になった」と言う。(clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3)のみの処方に定着する。 flunitrazepam と bromazepam で軽度の夢幻様状態,精神的抑制の解除(脱抑制)が起こることから統合失調症を疑う。
2000 年8月,隣家の一人暮らしの老人に大学卒業時より被害妄想を持っていることを手帳より知る。しかし社会恐怖としての治療を続ける(漢方およびclonazepam の投薬のみ)。
2000 年11 月,急性精神病状態となる。risperidone 1日 3mg 服用にて3週間後,寛解状態となる。
2001 年7月,再び急性精神病状態となる。9ヶ月前の急性精神病状態の寛解より最初の半年間はrisperidone 1日 1mg,その後は risperidone を1日半錠(0.5mg)のみ服用していた。risperidone 1日 3mg 服用にて2週間後,寛解状態となる。
現在はrisperidoneを1日4mg から6mg 服用している。risperidoneを服用しても眠くならない故,朝・昼・夜と1日3回服用している。眠前は服用しない。
現在,家の仕事(鮮魚小売り)を手伝っている。筆者のアパートのすぐ近くに住んでいる故,夜,3日に1度ほど一緒に走っている。
【考察】
太古の原始時代の生活に戻ると不安障害など精神疾患が激減することは確実なことである。
走れば軽症化する。また寛解することも有り得る。これは西洋医学的には自律神経が整うためと説明される。東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
「走る」ことにも限界があり,脊椎の強い歪みなど原因が他に依るものに対しては効果は弱い。
20分程度の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用は弱く,50分以上の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用が強い。症例1は強い交感神経過緊張であったため1日1時間の走ることを勧めた。他の症例は交感神経過緊張は多少存在するのみであったため1日20分程度で充分と指導した。(しかし,症例2は1日1時間以上,ほぼ毎日走った。)
「走る」ことには交感神経過緊張を平常状態へ導く作用が存在する。
運動,および玄米自然食を心掛けることにより,中国医学的に言う全身の「気の流れ」の円滑化が起こり,自律神経が安定化してゆく。
今までレセプターの過剰によると推定されてきた病態も,また中国医学的に「気の上衝」として捉えられてきたものも,単なる運動不足および不健康な食生活に由来することであることが判明する。
ほとんどの精神疾患は不安障害のみでなく気分障害・統合失調症をも「気の流れ」の円滑化を図ることにより治癒または軽快に向かってゆく。
必要とする薬剤の量は次第に減って行き,最後には必要でないようになる。世の中には様々な健康法がある。しかし最高の健康法は「走る」ことである。そしてまた玄米自然食を心掛けることが第2に必要である。
精神科の病気は治らない,一生付き合ってゆく覚悟が必要だ,と一般に言われている。しかしそれは「走る」ことにより寛解する。また玄米自然食を行うと更に寛解しやすくなる。それは全身の「気の流れ」の円滑化によるものと信じる。
以上の7症例のうち,1症例も玄米自然食を行おうとはしなかった。玄米自然食を行うことにより,それのみでも血糖値は大幅に安定化し,「反応性低血糖」によると想定される自律神経および精神状態への悪影響を避けることができる。「反応性低血糖」と呼ばれる症候群が存在するはずである。それは精製された白米・小麦を摂取することにより起こる現代病である。しかし玄米自然食より「走る」ことの方が自律神経安定化への寄与は大きいと思われる。
太古の原始時代の生活に戻ると精神疾患は激減することは確実なことである。しかし統合失調症はあまり減少することはない,と考える。それは統合失調症は大脳基底核の先天的な病変に由来するものがほとんどであると筆者は推測しているからである。
整体療法を併用した。急性期の精神疾患の患者には後頚部の激しい凝りが非常に頻繁に見られ,その患者は頚部だけでなく胸椎部もまた石のように固くなっている,よって整体療法を行った。この整体療法には大部分の患者が従った。この整体は肘による圧迫を用いる。カイロプラクテック的手法は用いない。日本古来の指圧に則って行う。患者は始め(初回)は強い痛みを訴えるが,凝りが解れてゆくと痛みはほとんど訴えなくなる。しかし凝りが極めて強い患者(特に統合失調症急性期に多い)は初回は痛みを訴えず,2回目以降より筋肉が解れてゆくとともに痛みを訴えるようになることが頻繁にある。
精神疾患が寛解することは東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
1回の走る時間はできる限り長い時間が望ましい。短時間で終わらせる者は寛解することは少ない。
毎日行う必要はない。週に1回でも効果は強い。若く体力の有る患者以外,毎日のように行うと疲弊し,1回の走る時間が短くなる傾向がある。1回の走る時間が長いことが重要である。週に何回走るかは年齢などの要素によって決めて良い。
速く走ると交感神経が過度に緊張し,ゆっくり走ると交感神経が適度に緊張する故と思われる。ゆっくり走ることにより交感神経過緊張が解消してゆき,病気が寛解してゆくと考えられる。
1回に1時間以上「走る」者は驚くほど早く寛解してゆく。幼い頃からの頑固な不安障害さえ,1回1時間以上の「走る」ことにより寛解した例も存在する。
そのときの状況,状態などにかなり左右されるが,一般に走り始めて20分を経過するとランナーズハイの状態になってくる。様々な過去のことが思い浮かんできたりする。そしてそれは何故かその精神疾患を起こす直前の出来事が非常に多い。
走る。その途中で脱落してゆく者は多い。それは長距離走(マラソン)のようなものである。走り抜いて病気を克服する者は確かに少ない。筆者の指導に従順に従う者はやがて寛解してゆくことが多い。しかし筆者の指導に従わず,走ることを怠り,精神疾患が慢性化する者は非常に多い。「走る」ことは全身の「気の流れ」を円滑化し,統合失調症にも効果があると確信する。
【終わりに】
寒い季節になると室外を「走る」ことが非常に億劫になる。そのときは防寒着を着るなど耐寒対策を充分にして「走る」方法がある(特に手先が冷たくなる。他の部分は走るにつれて次第に暖かくなってゆく。自動二輪車を運転するときの長いグローブを着用して走ると非常に効果的である)。また室内施設のあるところでは室内施設を積極的に利用するのも良い。その他にも寒い季節には自宅で自転車漕ぎをするのも1つの方法である。また喉頭や気管支などの弱い人では寒い季節に室外を走ると喉頭や気管支の炎症を起こしてしまうことが非常に頻繁にある。
自宅でのトレーニングは気分転換が不充分になりやすい欠点がある。また室内での運動ではランナーズ・ハイの状態に成り難い。しかし防寒着を着て「走る」方法を用いても寒さに億劫になる場合,および室内施設も無い場合,自宅での自転車漕ぎを行うことなどは仕方のないことと思われる。その自転車漕ぎも長時間行うことが重要である。3日に1度,4日に1度でも良い。不安障害,感情障害,統合失調症の患者の交感神経過緊張状態を改善するためには緩やかに長時間行うことである。
「走る」ことは太古の自然に還ることを目標とする治療法であり,強い克己心(あるいは家族の協力)が必要であるかもしれない。しかし,習慣性など副作用のない自律神経の平衡を整える最良の治療法と思われる。
現在は,心疾患患者など走ることを避けなければならない患者、45歳以上の患者、体力減退が極めて激しい患者には丹田呼吸法を勧めている。丹田呼吸法は自律神経の安定化に非常に効果が高い。それは「走る」こと以上の効能を持っていると言っても過言ではない。丹田呼吸法の効能は別稿をもって報告する。
【参考文献】
1) 石河利寛:走る本.徳間書店、東京、1989.
2) 入江正: 経別・経筋・奇経療法.医道の日本社,東京,1988.
3) 本間祥白:難経の研究.医道の日本社,東京,1983.
4) 郭 金凱:鍼灸奇穴辞典.風林書房,東京,1987.
5) 神川喜代男: 鍼とツボの科学.講談社,東京,1993.
6) 小高修司: 中国医学の秘密.講談社,東京,1991.
7) 首藤傳明: 経絡治療のすすめ.医道の日本社,東京,1983.
http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html
----太古の自然に還れ----
【抄録】
薬を使わず,「走る」ことにより精神疾患を寛解させることを目標に筆者は努力してきた。患者は安易に薬に頼ろうとする傾向性があるが,薬に頼らず自力で治そうとする傾向性も持っている。
「走る」ことで今まで約3例の患者が自力で寛解してきた。それは患者自身のたゆまぬ努力の結果である。また,疾病を治したい強い願いの結晶である。1日のみなら誰にも実行可能であろう。しかしこれを長期間続けるには強い克己心を要する。短期間で「走る」ことを中止したものは非常に多い。「走る」ことを始め症状が軽症化した故に「走る」ことを中止し、疾患が再燃した者は多い。
「走る」ことは身体を「太古の自然」に帰し、これがこれらの疾患の寛解を促すものと確信する。
【key words】 running, walking, relative hypoglycemia, anxiety disorders, affective disorder, schizophrenia, mental disorders
【始めに】
不安障害、気分障害、そして統合失調症の最善の治療法は「走る」ことである。そして太古の昔に帰ることである。できる限り1日1時間以上、そして1週間に一度で良い、できる限り長時間「走る」ことである。「走る」ことによって全身の自律神経は調整され安定化する。その理論的根拠は交感神経過緊張を解消し東洋医学で言う「気の流れの円滑化」に由来すると説明される。
【症例】
[症例1]33歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]幼少時より自律神経失調が激しかった。中学1年時,痙攣性発声障害(疑)発症。高校1年時,小学生時代よりの吃音が重症化。高校3年時,社会恐怖発症。22歳時,精神科受診。それ以来,抗不安薬を主とした治療を受けてきた。
[現病歴]初診時,症例はbenzodiazepine系の抗不安薬なしには仕事および日常生活が極めて困難であった。2週間に一度は仕事を早く終えて来院することが可能と言う。体格の良い頑強な男性であるが,気弱いところが感じられた。「過去が暗かったんです」と嗄れた声で言う。
症例の要求する抗不安薬の量は以下のように比較的大量であった。flunitrazepam 4mg/日,bromazepam 20mg/日, etizolam 3mg/日, cloxazolam 12mg/日,そして湿布も強く希望する。
現在まで複数の精神科・心療内科を渡り歩き,その4剤そしてその量がベストであると言う。症例の要求どおりに処方。症例は自身の「交感神経過緊張」を是正したいため,様々な民間療法を試みてきたが全て徒労に終わった。症例は自身の病気を「交感神経過緊張」と言う。それは過去,症例は星状神経節ブロックを多数回受けており,そしてそれが一時的ながらも奏功し,星状神経節ブロックに非常に共鳴し,また星状神経節ブロックに関する専門的な書物を多数読んできた故である。
筆者が走ることを勧めると「今まで夜,走ることを行ってきたことは良くある。体調は良くなるが自身の「交感神経過緊張」には効果がなかった。雨の日でない限り,夜,風呂に入る前に15分走るのを日課にしてきた」と言う。
2日に一度,1時間,比較的ゆっくりと走ること,しかも胸を大きく張って走ることを強調する。しかし始めの2週間は今までのように毎日15分走る。しかしそれではほとんど効果はなかった。
2週間後の来院時,2日に1度,1時間走ること,それも大きく胸を張って走ることを再び強調する。症例は2日に1度,1時間走るよう努力し始めた。前夜に1時間走ることを行うと翌日は抗不安薬が全く必要ないことを経験する。その経験以来,仕事が終わって夜の走ることを2日に一度,1時間行うようになる。前夜に1時間走ることした翌日は抗不安薬が必要でない経験を重ねる。しかし2週間ごとの来院は続ける。「ストックがあるというだけで安心する」と言う故に今までの処方どおりの処方をする。しかし1時間の走ることを始めて2ヶ月近く経ったとき「もう当分,抗不安薬は必要ありません。今でも,ときどき,緊張するときなどには少し服用しますが,今は以前と違い,僅かな量で充分に効きます。有り難うございました。また,もし,抗不安薬が必要となったときは来させて貰います」と言って帰院後1年余り経つが再来院無し。現在は抗不安薬を全く必要としない健康な日々を送っている。現在も週に一度,1時間以上走ることを行っている。
[症例2]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃から性格も明るく人気者であった。高校卒業後,陸上自衛隊に入り3年間何の問題もなく過ごし除隊後,地元の商社に入社。しかし生来の倦き易さのため2年間でそこを辞め,その後,様々な職を転々とすることになる。
[現病歴]やっと居付いたと思われた会社の営業の仕事中,自動車を運転中に心臓が早鐘のように打ち,すぐ近くにあった内科を受診。そこで自律神経失調症と言われる。それが何回も続けて起こり退社せざるを得なくなる。
症例はいろんな健康法を渡り歩く。整骨院にも通ったが椎骨が歪んでいることを指摘されたのみで痛むところは存在しないため通院を中止する。
本院受診。症例は「こうなったのは夏,会社の同僚とビアガーデンでビールを飲んでいたとき,近くにいた人が突然倒れ,それを見ていた女性が悲鳴を挙げた。そのためと思う。」と解釈していた。今でも酒を飲もうとするとそのときの情景と女性の悲鳴が思い出されて来るため酒を飲むことができない。
走ることを指導。薬剤は一切処方せず。彼は走ることを始める。復職を急いでいたため彼は真面目に毎日走った。1日2時間に達することも有ったと言う。
次第に彼を覆っていた女性の悲鳴が鳴り響く恐怖の光景は気にならなくなってゆく。酒も少しづつ飲めるようになってゆく。心臓が早鐘のように打つこともなくなってゆく。
1ヶ月後,彼は新しい職場へ就職した。以来,2年が経過しているが健康な日々を送っている。現在も週に一度は1時間以上走ることを行っている。
[症例3]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃より著患無し。スポーツは得意であったという。近親者に精神疾患の罹患者はない。
地方においては有名大学の部類に入る大学を留年など無しで卒業後、地方においては大手である会社に就職。40歳時、その会社の中間管理職に昇進するとともにうつ状態発現。“昇進うつ病”の診断のもとmianserin 2ヶ月間投与(最大投与時60mg, 夕食後のみ投与)で効果無し、setiptiline maleate 2ヶ月間投与(最大投与時 6mg 夕食後のみ投与)で効果無し、 trazodone 2ヶ月間投与(最大投与時 200mg 夕食後のみ投与)でも効果無し、sulpiride 2ヶ月間投与(最大投与時 600mg 朝夕投与)でも効果無し、 maprotiline でも効果なし。しかし会社には真面目に通勤していた。うつ状態の出現以来、会社から帰ってくると風呂に入り、簡単に夜食をしてすぐに床に就いていた。休みの日は一日中布団の中に寝ているという状態が続く。
治療開始9ヶ月経過後、患者自身、薬剤による治療に見切りを付け、毎朝、山の頂上まで走って登りこの病気を治すと決意する(これは筆者が元より運動することを勧めてきたことに依る。しかし患者は薬剤で治ると思い、ほとんど運動は行わないできていた。)。
性格は非常に頑固、一徹なところがあり、また真面目であった。
そして毎朝、山の頂上まで走り登り始めた。(その山の頂上へ走り登るには1時間半ほど懸かる。降りるのに40分ほど懸かる。かなり負担の懸かるものであったが一度決めたことはやり抜く性格であった。また少なくとも男性の場合はこれほど負担の懸かるものの方が良いと思われる。)仕事が午後1時から午後9時までのため、夜走らず、早朝走ることを行っていた。走り終わった後、風呂に入り仮眠を取って出勤していた。(この患者の場合、午後および夜間は比較的調子が良く、朝の倦怠感が激しかった。しかし、内科的精査上、肝機能は正常、甲状腺ホルモンも正常など全く異常はなかった。)
走り始めて1カ月後、気分障害、完全寛解。この症例は“軽症うつ病エピソード”がもっとも適した疾患名と思われる
[症例4]30歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいないと主張する。
[既往歴]小さい頃より大きな病気や怪我はない。しかし2年前,左手の血圧が計れないことを就職のときの健康診断で指摘された。症例自身も最近左手の脈が触れず,しかも軽い痺れを感じることに気付いていた。そして大学病院にて動脈造影したところ左肩のところに狭窄があり大動脈炎症候群疑いということで手術。しかし手術後,胸郭出口症候群だったのではないかと整形外科の先生からは言われていた。
[生活歴]小さい頃より社交的ではあるが性格が円満でなく独りよがりなところが強く存在し,周囲から変人扱いされ敬遠されていた。
患者は一浪して入学した一流大学であるはずのW大学教育学部を自分の希望したところではなかったと2年で辞め,元から入りたかったJ大学英文科を受け直した。しかし入学試験勉強をほとんど行なわずに受験したためJ大学には落ち,またT外国語大学にも落ち,第3志望にしていたO外国語大学モンゴル語学科にモンゴル語が好きで興味があるからということで自ら進んで受験,合格し入学した。
O外国語学科では一年留年するだけで卒業し,大阪の新聞社に新聞記者として就職。そこで3年間働いた。しかし仕事に対する不平不満強く,上司や同僚との不仲があったわけではないが,親元である長崎で働きたいという思いがあり,長崎へ帰ってくる。そして実家から自動車で2時間ほどかかるところにある佐世保の銀行に就職し,その銀行の社宅に住み始める(彼は独身で,結婚歴はない)。
しかしその銀行も一年足らずで辞め,実家に戻って来る。その後,オランダ村が開かれたとき,そこへ就職した。しかしそこは実家から通うのは困難であり,アパートを借りて生活を始めたが再び3ヶ月あまりで退社。そして今度は実家から自動車で40分あまりの長崎市の中心域にあるN新聞社に再び新聞記者として入社。そして現在に至る。
[現病歴]将来に対する漠然とした不安感を主訴として来院。彼が訴えるその不安に対し,薬物は投与せず。帰宅後など,できるだけ毎日30分以上走るよう指導する。症例は素直に実行することを誓う。
彼は一夜にして不眠障害が寛解する。そして雨の日以外は会社から帰ってくると30分ほど走るようになる。
彼の漠然とした精神不安は次第に消失してゆく。
しかし初診より3ヶ月を過ぎた頃,彼は「走るのは面倒」とある精神科クリニックを受診。そこで症状を非常に大袈裟に言い,大量の抗不安薬と催眠鎮静剤を処方される。そしてそれ以降,彼は大量の抗不安薬と催眠鎮静剤に頼って生きる日々を開始する。走っていたのは夏の3ヶ月間だけであった。現在,彼は大量の抗不安薬と催�ー鎮静剤無しには生きてゆけない状態になっている。
[症例5]30歳,女性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]結婚を目前にしている女性。しかし手掌多汗症を苦にして受診。近日中,相手方の母親と一緒に食事をすることになっている,その一緒に食事をしなければいけないときが目前に迫っている,と言う。症例は漢方療法など様々な治療法を試したが効果が出ず。自身の病気は精神科の病気と考え精神科を受診。
筆者が予診をとったが上級医が「不眠症」という診断のもとに追い返す。これは森田療法のような方法で治すようにとのことであったと思われる。しかし筆者はこの病態が星状神経節ブロックにより比較的容易に寛解した報告例を幾つか読んでいた。筆者は症例があるところの受付などをしていることを知っていたため,後日,症例に星状神経節ブロック療法の資料とそれを施行している医院の場所をコピーして持っていく。1ヶ月ほどして症例とその星状神経節ブロック療法を施行している医院で偶然出会う。症例は星状神経節ブロックをすでに6回ほど受けた,しかし一時的にしか効かない,と言う。症例は星状神経節ブロックを週2回の割合で受けていた。その医院の麻酔科医は星状神経節ブロックは週に2回程度が適当と思っていたらしい。しかし星状神経節ブロックはでき得る限り毎日行うべきである。症例は軽度のalprazolam 依存になっていた。その麻酔科の医院よりalprazolam を1日2.4mg 投薬されていた。しかしその量のalprazolam では不足であった。
症例は筆者に受診する。星状神経節ブロックは中止とする。 alprazolam の量は1日2.4mg のままで,症例に走ることを勧める。
しかし症例は走ることを怠っていたため最初の1ヶ月ほどは一進一退であった。そのため症例自身考え走ることを始める。走るのは1日30分ほどであった。そしてそれからは一週毎に良くなってゆくのが症例自身解るようになる。
3ヶ月後,alprazolam の服用量は1日1.2mg に減る。この頃,薬剤にてコントロール困難な手掌多汗症に対し胸腔内よりアプローチする胸部交感神経節切除術で完全寛解させる安全な手術法が確立され急速に普及しつつあることを筆者が麻酔科の雑誌より知る。懇意にしている麻酔科の医師に紹介状を書く。症例はやがてその手術を受け長年の手掌多汗症が完全寛解する。
[症例6]37歳,男性。
[家族歴]母親が統合失調症の診断のもと通院中である(入院歴もある)。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]大型トラックの運転手。性格は明るく友人も多い。深刻に物事を考えるようなことはしない性格である。
2年ほど前,休日,自家用車の運転中に突然心臓が早鐘のように鳴り出し,救急車を呼ぶエピソードがある。それ以来,トラックの運転中にもその発作が起こるようになる。内科を受診し心電図・心エコーなどを撮ったが異常はなく,パニック障害と言われる。そのため精神科を受診。alprazolam の投与を受け始めた。alprazolam の投与量はすぐに1日量3.2mg に達した。2年近く,このような状態が続いた。症状は軽快傾向も重篤化傾向も示さず。alprazolam なしにはトラックの運転が恐くて行えない状態が続く。
筆者が当直中の夜10時頃「今から東京までトラックを運転していくが,クスリがない」と言って来院することが2回連続する。2回とも14日分,処方されていたのを10日間程で服用終了していた。筆者が前主治医と交代して主治医となる。
初診時より走ることを強く勧めたが症例は不真面目な性格であるため消極的であった。それ故,症状は一進一退であった。症例が走ることを始めたのは筆者が担当となって4ヶ月経過した頃であった。2日に一度,20分ほど走ることを始めた。alprazolam の服用量は少しずつ減少してゆき,以前の3分の2ほどに減少。しかし筆者が担当となって8ヶ月経過した時点で高速道路をトラック運転中に居眠り事故を起こす。このとき alprazolam を服用して運転していた。路肩に接触し前方の車輪が外れるのみの単独事故であった。事故は軽いものであったがalprazolam を服用していたことが会社に知れ解雇処分となる。
その後,不況のため,再就職口が見つからず,大阪に就職してゆき,連絡が途絶える。
[症例7]27歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきものなし。
[現病歴]大人しい,真面目,素直。母親から分離していない。
大学卒業の年である4年時(22歳時),12月頃,発症。このとき,片思いの末の失恋などストレスが重なっていた。
発症して2年間は多少重篤な社会恐怖と診断され,その病名どおりに治療されてきた。前医で様々な変薬の後,sulpiride 150mg/日を2ヶ月間服用。体重が62kgから95kgへ増加。
1999 年8月,体重が急増したため筆者の処に転医してくる。前医と同じく,多少重篤な社会恐怖と診断し治療開始。初診時,ジョギング,自然食を行うことを勧める。処方は(bromazepam 12mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3,fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) )
とする。
1999 年9月,患者自身,免許証の更新へ行くことを不可能と考え,診断書の依頼あり。更新に行くことを引き延ばしても結局行くことができない,それ故, bromazepam を4錠でも5錠でも服用して良いし,みんなから離れたところに座って講習を受ければ良いから行くよう,考える余裕が無いよう更新の直前30分前に電話し強く説得し行かせ,免許証の更新は無事できる(免許証の更新の場所はすぐ近くに有った)。
母親が仕事の終わった夜10時頃より,15分ほど母親とジョギングを行っていた。薬は母親が取りに来るか,筆者がアパートまで持って行くか,患者はほとんど病院まで来ることはない。病院に来ると強く緊張するためである。
ジョギングは母親が疲労するためと思えるが,一回15分ほどであった。「26歳にもなって母親としかジョギングしない,母親が疲労し病気になるから自分一人で走れ」と言うと電話を切る。母親にも同じことを言うと,ここでも同じく「私の息子は病気ですから」と電話を激しく切る。また自然食は行おうとしない。
「15分しか走らなかったら,病気は治らない。30分は走らないといけない」と厳しく言うも「母親が疲れてしまう」と弁明する。
fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) 投与は昼間眠くなるということで最初の2回のみの処方にて中止。3回目の処方より fluvoxamine 75mg 眠前投与に変更。昼間の眠気こそ無くなったが,しかし全身倦怠感で苦しいと訴えるため(僅かでも息子が具合を悪くすると,母親はヒステリーを起こし,訴えるなどと逆上する。治療の過程で薬の試行錯誤は必要であること,また薬には必ず副作用があることを説明しても納得しない。また息子も薬の副作用の�ャさな苦しさを母親に告げる)1999 年10 月 8 日より fluvoxamine 50 mg 眠前投与に変更。しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため 10 月 22 日より fluvoxamine 25 mg 眠前投与と更に減量。この処方で落ち着くかに�vえたが,これでも全身倦怠感で苦しいと訴え,結局,2000 年2月 9日の処方を最後に fluvoxamine の投与を中止する。
また,一番良く効果があると患者自身が言っていた bromazepam を服用すると夢幻様状態になる,精神的に高揚する,故に bromazepam の投与を中止して欲しい,と言い始める。 bromazepam も中止する(1999 年11 月24 日)。そして bromazepam の代わりに clonazepam の投与を始める。
2000 年2 月23 日,clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3のみの処方となる。
2000 年6 月28 日,患者自ら,抑肝散のみの処方を希望し,抑肝散 7.5mg 3× のみの処方となる。夜,母親と軽いジョギング(15分ほど)は続けているが,食事療法は行っていない(しかし,夜のジョギングができないほど,昼間仕事に励むよう指導していた)。現在,父親が経営し,父親と母親で行っている魚屋の手伝いをしている。客と接すると緊張してしまう(緊張して顔が強張り客から変に思われるようだ,と言う)ため,できる限り店の奥の力仕事をし,客と接しないようにしている。最初は2日に1度,午前または午後のみ,働いていたが,筆者が毎日働くよう強く説得し次第に毎日しかも1日中働くようになってくる。魚市で朝,魚を選ぶのが楽しいと言う。
2000 年7 月19 日,「息子が調子が悪くなった」と母親が来院し, clonazepam 一日量3mg を14日分,受付で貰って行く(調子が悪くなったのはclonazepam を一気に絶ったこと,漢方薬のみにしたこと,例年にない暑さ,以上の3つの理由が考えられる。体重が最近急激に6kg 減ったという)。
2000 年7 月21 日,たまたま患者に掛けた電話で調子が悪いことを知り(このときに始めて母親が 19 日に clonazepam を取りに来たことを知る), etizolam 1mg 10回分, flunitrazepam 2mg 10回分, haloperidol 1.5mg 6回分,以上3種類の処方を造り患者のアパートへ持って行く。
2日後,電話すると,「flunitrazepam を飲むと鬱状態になる」と言う。「flunitrazepam は精神を落ちつかせる作用が極めて強いため自宅で服用するとそういう状態になり得る,flunitrazepam は人中に出てゆくときのみに服用すること」と flunitrazepam を最初渡したときと同じ説明を行う。
2000 年7 月28 日,電話あり。「flunitrazepam を1mg 働く前に口腔内で飴玉のように溶かして服用したところ,抑えが効かなくなった,つまり燥状態になった」と言う。(clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3)のみの処方に定着する。 flunitrazepam と bromazepam で軽度の夢幻様状態,精神的抑制の解除(脱抑制)が起こることから統合失調症を疑う。
2000 年8月,隣家の一人暮らしの老人に大学卒業時より被害妄想を持っていることを手帳より知る。しかし社会恐怖としての治療を続ける(漢方およびclonazepam の投薬のみ)。
2000 年11 月,急性精神病状態となる。risperidone 1日 3mg 服用にて3週間後,寛解状態となる。
2001 年7月,再び急性精神病状態となる。9ヶ月前の急性精神病状態の寛解より最初の半年間はrisperidone 1日 1mg,その後は risperidone を1日半錠(0.5mg)のみ服用していた。risperidone 1日 3mg 服用にて2週間後,寛解状態となる。
現在はrisperidoneを1日4mg から6mg 服用している。risperidoneを服用しても眠くならない故,朝・昼・夜と1日3回服用している。眠前は服用しない。
現在,家の仕事(鮮魚小売り)を手伝っている。筆者のアパートのすぐ近くに住んでいる故,夜,3日に1度ほど一緒に走っている。
【考察】
太古の原始時代の生活に戻ると不安障害など精神疾患が激減することは確実なことである。
走れば軽症化する。また寛解することも有り得る。これは西洋医学的には自律神経が整うためと説明される。東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
「走る」ことにも限界があり,脊椎の強い歪みなど原因が他に依るものに対しては効果は弱い。
20分程度の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用は弱く,50分以上の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用が強い。症例1は強い交感神経過緊張であったため1日1時間の走ることを勧めた。他の症例は交感神経過緊張は多少存在するのみであったため1日20分程度で充分と指導した。(しかし,症例2は1日1時間以上,ほぼ毎日走った。)
「走る」ことには交感神経過緊張を平常状態へ導く作用が存在する。
運動,および玄米自然食を心掛けることにより,中国医学的に言う全身の「気の流れ」の円滑化が起こり,自律神経が安定化してゆく。
今までレセプターの過剰によると推定されてきた病態も,また中国医学的に「気の上衝」として捉えられてきたものも,単なる運動不足および不健康な食生活に由来することであることが判明する。
ほとんどの精神疾患は不安障害のみでなく気分障害・統合失調症をも「気の流れ」の円滑化を図ることにより治癒または軽快に向かってゆく。
必要とする薬剤の量は次第に減って行き,最後には必要でないようになる。世の中には様々な健康法がある。しかし最高の健康法は「走る」ことである。そしてまた玄米自然食を心掛けることが第2に必要である。
精神科の病気は治らない,一生付き合ってゆく覚悟が必要だ,と一般に言われている。しかしそれは「走る」ことにより寛解する。また玄米自然食を行うと更に寛解しやすくなる。それは全身の「気の流れ」の円滑化によるものと信じる。
以上の7症例のうち,1症例も玄米自然食を行おうとはしなかった。玄米自然食を行うことにより,それのみでも血糖値は大幅に安定化し,「反応性低血糖」によると想定される自律神経および精神状態への悪影響を避けることができる。「反応性低血糖」と呼ばれる症候群が存在するはずである。それは精製された白米・小麦を摂取することにより起こる現代病である。しかし玄米自然食より「走る」ことの方が自律神経安定化への寄与は大きいと思われる。
太古の原始時代の生活に戻ると精神疾患は激減することは確実なことである。しかし統合失調症はあまり減少することはない,と考える。それは統合失調症は大脳基底核の先天的な病変に由来するものがほとんどであると筆者は推測しているからである。
整体療法を併用した。急性期の精神疾患の患者には後頚部の激しい凝りが非常に頻繁に見られ,その患者は頚部だけでなく胸椎部もまた石のように固くなっている,よって整体療法を行った。この整体療法には大部分の患者が従った。この整体は肘による圧迫を用いる。カイロプラクテック的手法は用いない。日本古来の指圧に則って行う。患者は始め(初回)は強い痛みを訴えるが,凝りが解れてゆくと痛みはほとんど訴えなくなる。しかし凝りが極めて強い患者(特に統合失調症急性期に多い)は初回は痛みを訴えず,2回目以降より筋肉が解れてゆくとともに痛みを訴えるようになることが頻繁にある。
精神疾患が寛解することは東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
1回の走る時間はできる限り長い時間が望ましい。短時間で終わらせる者は寛解することは少ない。
毎日行う必要はない。週に1回でも効果は強い。若く体力の有る患者以外,毎日のように行うと疲弊し,1回の走る時間が短くなる傾向がある。1回の走る時間が長いことが重要である。週に何回走るかは年齢などの要素によって決めて良い。
速く走ると交感神経が過度に緊張し,ゆっくり走ると交感神経が適度に緊張する故と思われる。ゆっくり走ることにより交感神経過緊張が解消してゆき,病気が寛解してゆくと考えられる。
1回に1時間以上「走る」者は驚くほど早く寛解してゆく。幼い頃からの頑固な不安障害さえ,1回1時間以上の「走る」ことにより寛解した例も存在する。
そのときの状況,状態などにかなり左右されるが,一般に走り始めて20分を経過するとランナーズハイの状態になってくる。様々な過去のことが思い浮かんできたりする。そしてそれは何故かその精神疾患を起こす直前の出来事が非常に多い。
走る。その途中で脱落してゆく者は多い。それは長距離走(マラソン)のようなものである。走り抜いて病気を克服する者は確かに少ない。筆者の指導に従順に従う者はやがて寛解してゆくことが多い。しかし筆者の指導に従わず,走ることを怠り,精神疾患が慢性化する者は非常に多い。「走る」ことは全身の「気の流れ」を円滑化し,統合失調症にも効果があると確信する。
【終わりに】
寒い季節になると室外を「走る」ことが非常に億劫になる。そのときは防寒着を着るなど耐寒対策を充分にして「走る」方法がある(特に手先が冷たくなる。他の部分は走るにつれて次第に暖かくなってゆく。自動二輪車を運転するときの長いグローブを着用して走ると非常に効果的である)。また室内施設のあるところでは室内施設を積極的に利用するのも良い。その他にも寒い季節には自宅で自転車漕ぎをするのも1つの方法である。また喉頭や気管支などの弱い人では寒い季節に室外を走ると喉頭や気管支の炎症を起こしてしまうことが非常に頻繁にある。
自宅でのトレーニングは気分転換が不充分になりやすい欠点がある。また室内での運動ではランナーズ・ハイの状態に成り難い。しかし防寒着を着て「走る」方法を用いても寒さに億劫になる場合,および室内施設も無い場合,自宅での自転車漕ぎを行うことなどは仕方のないことと思われる。その自転車漕ぎも長時間行うことが重要である。3日に1度,4日に1度でも良い。不安障害,感情障害,統合失調症の患者の交感神経過緊張状態を改善するためには緩やかに長時間行うことである。
「走る」ことは太古の自然に還ることを目標とする治療法であり,強い克己心(あるいは家族の協力)が必要であるかもしれない。しかし,習慣性など副作用のない自律神経の平衡を整える最良の治療法と思われる。
現在は,心疾患患者など走ることを避けなければならない患者、45歳以上の患者、体力減退が極めて激しい患者には丹田呼吸法を勧めている。丹田呼吸法は自律神経の安定化に非常に効果が高い。それは「走る」こと以上の効能を持っていると言っても過言ではない。丹田呼吸法の効能は別稿をもって報告する。
【参考文献】
1) 石河利寛:走る本.徳間書店、東京、1989.
2) 入江正: 経別・経筋・奇経療法.医道の日本社,東京,1988.
3) 本間祥白:難経の研究.医道の日本社,東京,1983.
4) 郭 金凱:鍼灸奇穴辞典.風林書房,東京,1987.
5) 神川喜代男: 鍼とツボの科学.講談社,東京,1993.
6) 小高修司: 中国医学の秘密.講談社,東京,1991.
7) 首藤傳明: 経絡治療のすすめ.医道の日本社,東京,1983.
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