写真撮影がデジカメ・スマホ時代になってからの写真データはPC等にきちんと整理・保存していますが、それ以前のフィルム時代のものはアルバムに整理しているものもあれば、プリントしたまま無造作に段ボール類の中に放置してしまっているものもあります。

先日、1994年に台湾旅行に行った際の写真が段ボールの中から出て来たので(おい、おい、せめて海外旅行の写真ならば整理しておけよ)、きっちりスキャンしてPCにも保存しておこうと思いました。

フィルム時代のものは当然年代が古くなりますから、色々と記憶があいまいになり、旅行写真でも「この写真の具体的な地名は何処だ?」状態になってしまいます。

この際、わずかな当時の記憶とネット検索時代の恩恵を利用して、きちんと調べてみます。

 

1994年の台湾旅行は残っていた当時のビジネス手帳によると、9月9~12日まで。

この頃の台湾は2020年に亡くなられた故・李登輝総統の時代です。

旅行は当時関わっていた事業関係の研修・懇親を目的としたものでした。

30年近く前の画像なので、画質の劣化等はご容赦を。

 

 

台北市の故宮博物院です。

左側の女性は札幌の事業所の人。北海道からの参加者は当然、道内エリア会議等で顔見知りでしたが、全国研修なので道外の方はこの時に初顔合わせとなる人も多数いました。写真の2人は共に20代。当時の参加者の中では、かなり”若手の部類”だったはずです。加えて梅之助もまだ独身。風で髪が大きく乱れるほどの毛量があります!

因みに右側の赤い女性は偶然写り込んだ現地のオバサン。まっ、そういう関係だし、昔の写真なのでモザイクまではいいでしょう。

 

 

歴史好きな梅之助にとって故宮博物院はとても楽しみにしていたのだけれど、展示物が青磁器だったり中国書画だったりが多く、東洋芸術に疎い自分には正直、感動!とまではいきませんでした。

台北市内では写真は残っていませんが、他に中正紀念堂や龍山寺、忠烈祠の衛兵交代式などを見物しました。

 

 

現在は新北市になっている烏来(ウーライ)区の烏来瀑布にて北海道メンバーと。

烏来区は14部族あると言われる台湾原住民のうち、タイヤル族が多く住んでいるそうです。

大東亜戦争期、高砂義勇軍としてここの勇猛果敢なタイヤル族の若者も多く出征したんでしょうね。日本人の梅之助としては本当に感謝の思いです。

 

 

ちょっと画質が悪いですが、タイヤル族の民族舞踊。

 

 

この写真、ずっと龍山寺だと思っていたものの、どうも違うみたい。

龍山寺は当時の記憶ももっと観光客が多く、ケバケバしい(と言ったら失礼だが)印象でした。ちょっとここは静かな感じ。

自由行動の際、北海道メンバーと台北市内の孔子廟に行った記憶があるので、多分そこだと思います。

 

      

 

孔子廟は日本で言うと菅原道真を祀った天満宮みたいな場所なのでしょう。

しかしこの場所は台北市内としてはマイナーな観光地です。

 

 

宿泊先だった「来来大飯店(ライライ・シェラトンホテル)」にて、東京本部、大阪メンバー、北海道メンバーと。

中央の清朝(?)服の女性2人はホテルのスタッフです。決してコスプレイヤーではありません。ホテルのロビーで優雅に民族舞踊を舞っていた彼女らを見て、梅之助が「一緒に写真を撮りたい!」と強硬に主張して、このような記念写真へ。

彼女らを除いて他の人はモザイクかけていますが、原画像では梅之助だけがニヤけています。

現在、来来大飯店は経営権が変わって「台北喜來登大飯店(シェラトングランド台北ホテル」と名称が変わっているようです。

 

 

旅行中の何日目か忘れましたが、早朝に一人、台北市内の散策に出かけました。

団体旅行なのでそう多くの時間は費やせないものの、目的は日本統治時代の建造物の傑作・台湾総統府を見物する為です。

目的地を目指して歩いていると、大きな公園みたいな所に出てきました。

当時は分からなかったのですが、現在のグーグルマップで調べると「二二八和平公園」のようです。上の写真は公園内の露天音楽台と判明。

当地の皆さんは朝早くから太極拳(?)か何かの健康舞踊を踊っていました。

 

 

公園内から台湾総統府の中央塔が見えたので、撮影。

デジカメ時代ならばその場で撮影画像を確認出来ますが、当時はフィルム時代なのでシャッターを押した後にさっさと帰ってしまいました。時間をかけすぎてホテルで心配されても全体に迷惑をかけるのでね。

帰国後、現像プリントを見てガックリ。安カメラのファインダー像と、実際に撮影される画像との遠近感の違いをあまり留意しませんでした。もっと接近すればよかった。

 

 

総統府の反対方向には1993年12月に竣工し、三越百貨店が入る「新光摩天ビル」(高さ244.15m)が見えます。確か夜にそこの展望台から台北夜景を眺めたっけ。

 

 

恐らく最終日、台湾の空港か成田での写真。

隣の方は当該事業で一番実績を出していた人で、下の名前が梅之助と同じであった事から東京研修などでもよく可愛がってくれました。その隣は同じ北海道の人。右端は大阪の方で、旅行中に梅之助とホテルの同室でした。梅之助の先輩格でありながらとても気さくな人で、「夜の露店で蛇の皮むきを見に行こうよ!」と、しきりに梅之助を誘ってくれました(気持ち悪いので梅之助は行かなかったけれど)。

皆で「この後、それぞれガンバロー」写真です。

 

当時の日本-台湾間の航空航路は日本アジア航空という日本航空の子会社が担っていました。いわゆる大陸チャイナが主張する「一つの中国」に対する配慮の産物です。

その後の経緯は詳しくは知りませんが、現在は日本アジア航空は日本航空に吸収され、その後の路線は日航が就航しています。

 

さて。

無造作に残っている昔の写真のうち、日常生活の範疇にあるものは整理する気にはならないけれど、こういった大きな旅行のものはすっかり忘れていた出来事が整理過程で色々と思い出されて、とっても懐かしく、楽しいです。

あと写真プリントの際、光沢仕上げにしたものは色調鮮やかですが、経年変色したものもある一方、絹目仕上げのものは全体的な色調が暗めなものの、変色の度合いは少ないですね。

 

最後に。

台湾にはもう一度、行ってみたいな。

特に、台中、台南方面へ。そこには現代の日本人が忘れ去ってしまった日本統治時代の「何か」が色濃く残っています。

 

東石副瀬富安宮「義愛公」(嘉義(かぎ)県東石郷副瀬村) サイト「nippon.com」より

 

鎮安堂「飛虎将軍廟」(台南市) 「あおい情報システム株式会社HP」より

 

鳳山紅毛港保安堂(高雄市) 「聯合新聞網」より

 

 


 

評論家の山際澄夫氏がリツィートしてくれたツイです。