梅之助が映画の記事を書く時は基本、監督や出演者、あらすじ、個人的感想・考察を順序立てて書いているのですが、今回はざっくばらん、好き勝手に書かせて頂きます。

 

1980年夏に公開された東映の「二百三高地」で、監督は舛田利雄氏、脚本が故・笠原和夫氏となっています。

公開当時、梅之助は中学生でしたが、この映画に凄く興味を持ったので、さだまさしさんが歌う主題歌「防人の詩」を買っちゃいましたよ。ほぼリアルタイムで作品を観て、それ以来、何度観たかなぁ。

「君の祖国は日本と呼ばれる」は宣伝動画のキャッチコピーです。

 

 

日露戦争の大激戦地・二百三高地は、旧帝国陸軍第七師団が攻略を担当しました。梅之助の地元・旭川市はその第七師団のあった街。

そう、梅之助らのリアル父祖達が血と汗と涙を大地に染み込ませて戦った史実があるので、この映画は特別に情がいきます。

 

 

ヒロイン・佐知を演じる、故・夏目雅子さん。

 

 

おお、美しい。

 

 

嗚呼、美しい。

 

 

相手役は、小賀武志を演ずるあおい輝彦さん。

夏目雅子さんが美し過ぎて、「小賀よ、佐知を泣かすな、必ず生きて帰ってこい!」と誰もが思わざるを得ません。初めて観た時は、その結末ばかりが気になっていました。

 

 

そしてもう一人、必ず生きて帰ってほしい人、米川乙吉。

妻に先立たれ、男手一人で子供二人を育てている身寄りのない染物職人の彼は出征の早朝、子供たちをひとまず寺に置いていきます。

 

 

旅順要塞攻撃を担当した第三軍は当初、軍主力を要塞正面の東鶏冠山、盤龍山、松樹山の各堡塁へと向けます。

 

 

おびただしい死傷者の累積。

 

 

第一回総攻撃が失敗に終わった後、第三軍は内地から対艦攻撃用だった二八センチ榴弾砲を投入して、第二回総攻撃を行います。しかしこの総攻撃も所定の成果を得られずに頓挫。

 

ここで、この映画を初めて観た時に驚いた事を(十代の中高生の頃ですよ)。

当時は定期的に日本側とロシア側とで停戦時間を設けて、その間に兵の遺体回収などを行っていたという事でした。いや、それだけならそんなに驚きはしないけれど、時にロシア兵と日本兵とが酒や食料を交換していたというのですね。

作品中では「当時は武士道と騎士道の名残が残っていた」と説明されていましたが、この頃までは正規軍同士の戦闘が戦争であって、「戦争とは外交の延長」という言葉を実感させる一コマでもありました。

その様相が一変し、国民生活をも巻き込んだ総力戦になるのが、第一次世界大戦からになります。

 

 

第三回総攻撃は、「白襷隊」という志願者らによる決死隊の突撃から開始。

 

 

長男・勝典(南山の戦いで戦死)に続き、第三回総攻撃中に次男・保典が戦死した事を伝えられ、ランプを消す第三軍司令官・乃木希典。

 

 

目に浮かぶ涙の反射光と、小刻みに震える軍刀の音で息子を失った悲しみを演じた乃木役・仲代達矢さんの演技は凄いと思いましたね。多分、俳優の演技に驚嘆したのはこの時が初めてだったと思います。

 

 

この映画の名シーンの一つ、故・丹波哲郎さん演じる児玉源太郎(満州軍総参謀長)が第三軍幕僚らを叱責する場面。この映画で最も魅力的に感じたのは、この丹波・児玉源太郎でした。男なら誰でもそう思うでしょうねぇ。

第三軍はこれを機に、軍の主力攻撃目標を二百三高地へと転換させます。

ここら辺の描写は、故・司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」と似たような設定。

 

 

 

これは梅之助が好きなシーン。

朝日(夕日?)に手を合わせて祈る乃木司令官。

 

 

山頂に到達しても、軍旗(連隊旗)を掲げようとする日本兵にロシア兵が次々に襲いかかり、何人もの日本兵が斃されるものの、激闘の末、遂に「第二十八連隊集成第一中隊 二百三高地東北山頂占領」というテロップが入ります。

ビリビリに破れた軍旗が胸を打ちますね。

後年、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で二百三高地争奪戦の場面がありましたが、この映画の方が強烈な印象が残りました。

 

 

二百三高地占領。

「そこから旅順港は見えるか!?」

「見えます。各艦、一望のもと見下ろせます!!」

この後、山頂に設けられた観測所を利用して、日本軍は湾内の旅順残存艦隊に砲撃を開始するのですが、史実ではロシア艦隊の大部分がこの時点で既に破損しており、要塞攻防戦の補充のためにロシア側は乗員、搭載火砲も陸揚げして、艦隊としての戦力を事実上、喪失していたそうです(その事は映画では触れられていません)。

 

二百三高地を奪取した事で、旅順の主要塞もほどなく陥落し、ここに日本側約6万人の死傷者を出した旅順攻囲戦は終結するのでした。

 

 

日露戦争終結後、宮中に参内して自筆の復命書を奉読した際に泣き崩れる乃木。

このシーンを最後にエンドロールが流れて、映画は終了します。

 

 

出征前にヤクザとして牢屋に入っていて、召集を受けても「天皇なんて知らん、会った事も見た事もないわい」と反抗的だった故・佐藤允さん演じる牛若寅太郎。

エンドロールが流れる中、戦場で誰よりも米川を気遣っていた彼の大講演会(ただしお祭りの路地にて)の姿が印象的でした。そして反社会的な存在だった彼の胸にも勲章が。

 

さて。

戦後になってからも、明治以降の戦争の映画は製作されていたものの、丁度この「二百三高地」の頃は戦争映画が途切れていた時期だった、という記憶が梅之助にはあります。

それは戦後教育が行き渡った時期でもあったと思うのですが、それ故、この時期に戦争映画となると、「右翼?」と思われがちでもありました。

まあ、作品的に右なのか左なのかはさて置いて、この作品において一つ言える事は、当時の「政府の焦燥」「軍司令部の苦悩」「市井の人間(前線の兵たち)の悲劇」を3つの重層的な人間ドラマとした構成でよく描いていた、という事です。

これは従来の日本の戦争映画には、あまり見られなかった事ではないでしょうか?

 

映画「二百三高地」のヒットを受けて、東映はこの後に「大日本帝国」の製作を決定。東宝は「連合艦隊」を1981年に公開します。

またTV版「二百三高地」も1981年に放映されました。こちらの方は、乃木役に故・田村高廣さん、小賀役に永島敏行さん(映画版では乃木保典役)、佐知役が故・坂口良子さんでした。

勿論、リアルタイムで観ましたよ。

 

最後に、梅之助が戦争映画を子供の頃から好んで観る理由を一つ申し上げると、イデオロギー云々ではなく、仮に自身がその時代に身を置くことになったとして、その時どのような心情を持ち、どのような行動が取れるであろうかという問いかけを、自身に課していたいと思うからです。

だから梅之助はストーリーという観点でも、戦争映画には感情移入をしてしまう方ですね。

そして、それらを通して、もし究極の環境に置かれた時(まあ、戦場という事態はないでしょうが)に、どのような選択をするのか、あるいは出来るのか・・・自身に常に問い質せる人間でありたいと願っているつもりです。

あの時代に生まれざるを得ず、戦い斃れた先人たちに限りない尊崇の念を併せ持ちながら。

 

ああ、これが本当に最後です。

小賀武志のバカヤロー!