対英米開戦の火ぶたが切って落とされたのが、80年前の本日。

今回は12月8日に因んだ記事になります。

 

今年の4月、足かけ13年にも及ぶ一つのプロジェクトが終焉しました。

「零戦里帰りプロジェクト」

日本国内にも靖国神社遊就館などで零戦が幾つか静体展示されていますが、このプロジェクトは世界で5機程度しかない”稼働できる機体”を、何とか日本人の手で国内にて保持・保全しようというプロジェクトでした。

しかし武漢中共疫病騒動で関係者の資金が尽きてしまい、正式にプロジェクトの終わりがこの春に告げられました。

このプロジェクトの概要や現在に至る経緯などはどうか、上のプロジェクトHP(青リンク先)でお読み下さいませ。

下2つの動画は、プロジェクト対象機体が日本の大空を舞った動画になります(米映画「パールハーバー」でも使用された機体だそうです)。

 

2017年6月「レッドブル・エアレース千葉2017」での零戦22型

 

2017年11月21日 大阪・八尾空港から飛び立つ零戦22型

 

 

零戦は開発元が三菱重工で、加えて中島飛行機でもライセンス生産されました。

対英米開戦当時は無敵の戦果を挙げた零戦ですが、戦争期間中の事ですから当然、幾つも改良が加えられています。

ここで主な零戦の型式を簡単にいくつか紹介しましょう。

型式の2桁の数字は前が機体の形式、後がエンジン形式を意味します。

 

2020年7月まで国立科学博物館にて展示されていた零戦21型 (筆者撮影)

 

● 21型 

昭和15年(皇紀2600年)に制式採用され皇紀の末尾を取って「零式」と名付けられた11型を基に、空母搭載を前提として本格的に量産された型式になります。中島製の栄12型エンジン(空冷複列星型14気筒:離昇馬力940hp)を搭載。昭和16年12月の真珠湾攻撃で実戦に参加し、昭和19年初めまでに三菱740機、中島が2821機を生産ししています。大戦初期における日本海軍快進撃の立役者でした。

 

福岡県筑前町立大刀洗平和記念館の零戦32型  (wikipedia より)

 

● 32型 

エンジンを栄21型(離昇馬力1130hp)へと換装。21型の翼端折り畳み部分を切り落としたように50cmづつ短縮し、四角い翼として成型しているのが特徴です。昭和17~18年、主にソロモン諸島の戦線で戦いましたが、ラバウル~ガダルカナル間の長距離往復飛行には航続性能が足りない欠陥がありました。343機を三菱でのみ生産。

現存する機体は上画像のものだけだそうです。

 

● 22型 

32型の航続力不足を補う形で開発され、主翼を21型と同じ翼幅に戻して翼端折り畳み機構も復活しています。エンジンは32型と同じ栄21型。本機は32型系統に位置付けられているようですます。昭和17年末~18年8月までに560機を三菱でのみ生産。

「零戦里帰りプロジェクト」の機体は本型式となります。

 

靖国神社遊就館の零戦52型 (筆者撮影)

 

● 52型 

零戦を象徴する最も一般的なモデルと言われています。22型を基に翼折畳み構造を撤廃し、32型と同じ翼幅へと短縮しつつ、翼端を21型や22型のように丸型に成型しています。エンジンは栄21型。昭和18年8月から三菱、12月から中島も生産を開始して終戦まで約6000機が生産されました。主に中部太平洋戦線で戦っています。

小説「永遠の0」で主人公が学徒飛行兵と交換した零戦は、21型とこの52型になりますね。

 

さて。

「零戦里帰りプロジェクト」の22型なんですが、実はオリジナルの栄エンジンは修理できる状態ではなかった為、代わりにPRATT&Whitney社製R-1830エンジンを搭載しているとの事です。

 

零戦21型エンジン部分 (筆者撮影)

 

上は先に画像紹介した国立科学博物館にて展示(現在は科博廣澤航空博物館に移動)されていたもの。もちろんこれは動きません。

 

そして、世界で1機だけ栄エンジンを搭載した飛行可能な零戦が存在するようで、以下がその動画となります。

 

 

カリフォルニア州チノのプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館が所有する52型です。

上の動画の撮影日時はちょっと分かりませんが、この機体はこれまでに計3回日本に里帰りしています。

 

 

一番最近の里帰りは2012年12月1日~2013年8月まで埼玉県・所沢航空発祥記念館の特別展展示です。動画は2012年12月1日、10分間だけエンジン始動を行ったもの。この時の里帰りでは実際に空を飛行する事はありませんでした。

「17年ぶりに里帰り」とありますので、前回は1995年になりますが。

 

 

1995年5月3日、茨城県・竜ケ崎飛行場でのデモフライト動画を発見。

投稿主さん、GJです。どうか興味のある人は、オリジナル零戦のエンジン音に聴き入って下さい。

因みに最初の里帰りは1978年だったそうです。

 

最後に。

冒頭の「零戦里帰りプロジェクト」の目的である“動態零戦の保存を国内で“という夢は潰え、主導した関係者には莫大な借金のみが残りました。

そして現在、この零戦22型は米国内のとある財団にて静かに眠っているそうです。日本人の梅之助としては何とも無念の思いが残ります。

関係者のこれまでのご苦労の数々、本当にありがとうございました。