フランクリン・ルーズベルト(以下 FDR)の政敵ともいわれたハミルトン・フィッシュ(1888~1991、共和党下院議員:1920~1945)による、1976年に出版された著名な本書(原題「FDR:The Other Side of the Coin」)が邦訳・出版されたのは2014年のこと。

その文庫版が2017年に出たので買っておいたものの、なかなか読む時間がなくて今日に至ってしまいましたが、先日読了しました。訳者は渡辺惣樹氏。

 

 

FDRが第二次大戦で英国を助けたいがために、戦う必要性の薄かった日本を徹底的に挑発し、議会にも最後通牒(ハル・ノート)の存在を秘匿して日本に開戦の一撃を撃たせ、裏口から欧州戦線への参入を狙ったという事実は、現代の日本においてはほぼ定説になっています(残念ながら米国では未だにFDR神話が根強く、ハル・ノートの存在すら知らない国民が殆どらしい)。

本書でも当然、章を設けてその事は触れられています。

FDRが国民との公約を破って欧州戦線に参戦しないよう、米国の非干渉派の代表格であったフィッシュはFDRを監視・牽制していました。しかし日本による真珠湾攻撃という事態に、彼はFDRの議会と国民への対日宣戦布告を求めた演説に呼応して、対日宣戦布告容認スピーチの演台に立ちます。

やがてフィッシュは、FDRの死後、ハル・ノートの存在やヤルタ会談における戦後処理の実態を知って愕然とするのでした。以下、太字は本書からの引用。

 

私たちは、日本が和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。(中略)私は、今、その演説を強く恥じている。(中略)日本がもしあの最後通牒にもかかわらず、わが国と戦わないことを選択していれば、日本の指導者は国民に射殺 (暗殺) されていたに違いない。

 

議会の意向を無視して日本を挑発し、日本に開戦を仕向けたのである。これは我が国憲法の精神にも、我が国民の意思にも反した行為だった。政治屋の権化でもあるFDRは、日本に対する最後通牒(ハル・ノート)の存在を隠し続けた。一般国民は今現在においても、(我が国が送り付けた)最後通牒の存在さえ知らない。

 

スチムソン長官がFDRと、その後の対日政策を協議したのは、ハル・ノート手交の二日後のことである(11月28日)。この時点でFDRは、最後通牒を受けた日本が直ちに軍事行動を起こすかどうかはわかっていなかった。そのため、FDRは、さらに最後通牒の性格を持たせる文章が必要であるかを確認したかった。つまり、アメリカが対日戦争を仕掛けることになる条件をより明確にすること、あるいは、そんな面倒なことをせずとも対日戦争がアメリカ側から一方的に仕掛けられないかを検討していたのであった。ここで注意しなくてはならないのは、「最後通牒の性格」という言葉が使われていることである(このことはハル・ノートそのものが最後通牒の性格を持っていたことをFDRが認識していたことを示すものである)。

 

余談ですが、悔やまれるのはフィッシュのような非干渉派政治家が米国議会にも多数存在し、米国民も大多数が戦争を望んでいなかったという実情を、日本側も外交センスの無さで利用する事が出来なかった事です。ハル・ノートを手交された際、もし日本側が内外の記者を集めてその内容を公表したならば、どうなっていたでしょうか?

参照記事→「日本は伝統的に積極外交が下手な国」(2017/01/15)

 

またフィッシュは、FDR政権がハル・ノート手交後の日本の動きを暗号電文の解読により察知していながら、真珠湾防衛の陸海軍責任者(ショート将軍、キンメル提督)に何も伝えず、防衛失敗の責任を彼らに押し付けて更迭した事も、激しく糾弾しています。

FDRは自身に都合の良い人選で調査委員会を設置し、調査がハル・ノートの内容やFDRがその後の日本の動きを察知していた事に及ぶのを徹底的に避けました。ショートとキンメルは軍法会議での弁明を望みましたが、FDRはそれを拒否しています。もし軍法会議が開かれれば、二人の被告を糾弾する証人に対して反対尋問が行われる過程で、FDR政権が隠していたハル・ノートの件が露呈する可能性があったからです。

 

まあ、本書は発表が元々は古い事もあり、日米開戦に関するFDRの陰謀について梅之助が現在知っている事実以上の事はありませんでしたが、それにしても1976年の原書がやっと2014年邦訳出版っていうのは、少し遅すぎない?

 

ハミルトン・フィッシュ (Wikipedia より)

 

さて、本書の邦題からイメージするに、「この本は日米開戦に関するフィッシュの見解」が主題かとイメージしがちですが、実はそうではなく、日米開戦よりも1939年の第二次大戦勃発(ドイツによるポーランド侵攻)前夜の事に多くの頁が割かれていました。それらを通して、FDRが大統領就任以降、欧州情勢に対しどのような思惑をもって政権運営に当たっていたかが明らかにされています。

第二次大戦は対米開戦以降、日本も主要な当事国なので、とかく自国の状況に意識が行きがちとなります。その為、日本の一般人は、当時のドイツとポーランドの事情や、チャーチル以前の英国政権(例えばチェンバレン政権)がなぜヒトラーに宥和政策を行ったのか等は、その理由をほとんど知らないのではないでしょうか?梅之助もこの本を読むまで、ブログ記事に出来るほどの知識はなかったですねぇ。

フィッシュも「私は第二次大戦前に何があったかを読者に伝えたい」と記しています。

次回以降はその辺や、FDR政権がいかに容共的であったかなどを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

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