#記憶に残ってる学校の先生 | gazyu

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2020年10月健康診断で左副腎に腫瘍が発覚。
2022年5月検査入院をしてサブクリニカルクッシング症候群と診断2023年4月無事手術が終了。
経過を踏まえ、日常のことを綴る。

記憶に残ってる学校の先生

小学校1年生の時の50代ぐらいの国語の男の先生。

歌手の”松崎しげる”さんみたいな感じで、色黒だった。

 

とにかく人見知りだったので、

教室で手を挙げて積極的に答えるということが出来なかった私。

 

でも何故か漢字が好きだったので、

クイズで漢字を良く出題されたのは得意だった。

それで正解だったら”ホームラン”とかかれた野球ボールの

シールをもらったので、ノートの表紙に貼っていって、

友達と競ったものだった。とても楽しく覚えられた。

 

その先生は担任の先生だったので、体育の時間もその先生が担当だった。

水泳の時間、25mにあともうちょっとというところで、

私はいつも最後まで泳げなかった。足が着いてしまった。

 

何回しても泳ぎ切れなかったので、

先生がゴールのところから迎えに来て、

伴走ではないが、声を掛けながら歩いてくれた。

その時、初めてクロールを25m泳ぎ切ることができた。サーフィン

 

その時参観日で母親が見に来ていた。

めったに保護者に話しかけない先生が、

自分から母親に”この子はやればできるのに、

消極的だからできない。”と言いに来たという。

ほかの保護者の人は、

この先生が積極的に保護者に話をしにくるのは珍しいと

驚いていたという。

 

きっと、私は個性的だけど、

先生は良く私の個性を見ていてくれたんだろうな。

私はいつも学校の先生には恵まれている。

有難いことである。ベルニコニコ

 

 

 

 

 

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