梅鉢鉄工所引込線跡(堺市訪問その4) | gayasan8560のブログ

gayasan8560のブログ

趣味の鉄道、街歩きネタを中心としたブログです。鉄道については、主に歴史的視点からの記事が多いです。

堺といえば戦国時代に鉄砲製造が盛んに行われてことで有名です。今でも堺の代表的な鉄砲鍛冶屋だった井上関右衛門の屋敷が残っており、内部は非公開ながら外観を見ることができます。堺観光の最後に鉄砲鍛冶屋敷を見ようと思い、南海本線を堺駅から浅香山駅までの1駅乗車しました。
何気なく浅香山駅前にあった地図を見ると、駅から北西方向に不自然にカーブした道路のあることに気づきました。

イメージ 1

こういうカーブを見たら、かつてここに線路があったと考える方が自然です。とりあえず、カーブの先から浅香山駅方向を振り返った写真を撮っておきました。

イメージ 2

上の写真の道路の先が浅香山駅になります。
このあと、予定通りに鉄砲鍛冶屋敷を見たあと、高須神社駅から天王寺駅
まで阪堺線に乗って帰路に着きました。

イメージ 3

(写真)鉄砲屋敷

家に帰ってから、さっそく浅香山駅について調べてみると、想像通りにあの道路は引込線の跡のようです。戦前、浅香山駅の北西側に梅鉢鉄工所の工場があり、そこから浅香山駅まで引込線があったそうです。(下地図参照)

イメージ 4
出典:今昔マップ京阪より抜粋

梅鉢鉄工所といえば戦前における鉄道車両メーカーとして有名ですね。その後、工場は移転したものの、戦争中に帝圀車輛工業と名称を変え、戦後は合併により東急車両製造、そして平成15年に事業譲渡で総合車両製作所和歌山事業所となり現在に至っています。
梅鉢鉄工所は、もともと堺で冶金業を営んでいた梅鉢さんが明治20年代に創業した会社で、明治村に保存されているN電も梅鉢鉄工所で製作されたものです。堺では、鉄砲鍛冶の伝統を引き継ぐ形で冶金業が盛んだったようなので、鉄砲鍛冶屋敷の近くに梅鉢鉄工所の工場があったのは、まったくの偶然だったわけでもないようです。