まだまだ堺市訪問シリーズ続きます。
自衛艦の公開イベントから南海本線の堺駅に戻ってきました。ここから、南海高野線の堺東駅近くにある堺市役所まで歩くことにします。
千利休屋敷跡など寄り道しながら、紀州街道(大道筋)まで歩いてきました。
ここには阪堺電車が走っています。今日は堺祭りで自動車が通行止めになっているので、車に邪魔されずに電車が撮影できるかと思ったら、交通整理の人が要所要所に立っていて、思ったよりも撮影に苦労して中途半端な写真しか撮れませんでした。
大小路の交差点を曲がり堺市役所に続く道路を歩きだすと、ここも自動車が通行止めになっていて、ちょうど祭りのパレードが始まったところでした。パレードは堺市に縁のある歴史上の人物が、年代の古い順に登場するようです。なにしろ堺市は、古墳の時代から長い歴史のある土地なので、題材には事欠かないようです。
あいにくの雨で参加者には少し気の毒なパレードを眺めながら歩いていると、途中の広場に山車のようなものが置かれていました。よくみると太鼓が置かれている台のようで、御神輿のように担いで練り歩くようです。特徴的なのは屋根の部分が布団になっていることです。あとで調べてみると、ふとん太鼓と呼ばれるもののようで、大阪府や兵庫県の一部に伝わっているとのこと。しかし、ふとんだと雨に濡れたら後で乾かすのが大変じゃないかと心配になります。
堺市役所はパレードのスタート地点近くにありました。さっそく中に入って21階にある展望室に上がることにします。
21階の展望室からは、堺市最大の観光名所である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を斜め上から眺めることができます。私が学校で習ったときは仁徳天皇陵という呼び方でしたが、実際には仁徳天皇の陵であることが疑問視されていることから、最近は大仙陵古墳という呼び方になっています。しかし、地元堺市の人は、長年呼びなれている仁徳天皇陵という呼び方が定着しているようで、堺市の書いた説明なども「仁徳天皇陵」が採用されています。また、地元では単に「御陵」というと仁徳天皇陵のことを指すようです。
上の写真は、展望室から南海高野線の電車を撮影したものですが、後ろにみえる木がこんもりとしている所が仁徳天皇陵です。しかし。古墳というのは航空写真のように真上から見ないと、なかなか古墳とはわからないもので、21階の高さから見下ろしても、なんか小高い丘がある、くらいにしか見えません。
そんな古墳に対する問題に応えるために、展望室にある喫茶コーナーでは、このようなカレーを提供したいます。名づけてGORYOカレー。さっそく注文したのですが、世界最大級の大きさのカレーライスが運ばれてきたらと少し心配しましたが、普通の大きさのカレーライスで安心しました。