輜重兵第一連隊、輜重兵学校の建物配置図について | gayasan8560のブログ

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目黒区の大橋二丁目には、かつて陸軍の輜重兵第一連隊、輜重兵学校がありました。現在、その跡地には東邦大医療センター、大橋住宅、都立駒場高校、目黒第一中学校などが建てられています。
その一角、駒場高校のグランドと大橋住宅の間に天覧台という石碑があります。石碑の脇にある由来記によれば、騎兵学校の卒業馬術をご覧になるために、明治天皇と大正天皇が何度もこの地を訪れたことを記念して昭和3年に輜重兵第一大隊が建立し、その後終戦により放置状態にあったものを昭和56年に復元・修理したとあります。

今回のテーマは、その石碑の脇にある「輜重兵第一連隊跡、陸軍輜重兵学校跡」とある輜重兵第一連隊、陸軍輜重兵学校の建物配置図についてです。この図は、関係者が「秘蔵」していたものを、天覧台石碑の修復完成式典の際に列席者に配布したという説明があります。残念ながら、いつ時点の配置図なのか不明ですが、厠とか馬糞捨場とかも記入されている、当時の状況を知る貴重な資料です。

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ところが、最近この図にそっくりな図面を旧軍関係の資料からみつけました。それは「陸軍輜重兵学校状況説明書」という昭和20年9月に作成された文書に掲載されていたものです。
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たぶん進駐軍に説明するためのものと思われるのですが、輜重兵学校の歴史、復員前の状況、復員に伴う処理の概要という3項目で構成された報告書です。その最後に上図が添付されていました。
天覧台脇の図と比較すると、一部の建物に相違がみられるものの、かなりの部分で一致しています。相違箇所については、図面作成時点の違いによるものなのか、どちらかの図面が間違っているのかは定かではありません。
いずれにせよ、このことから天覧台脇の図は、単に関係者が当時の記憶を頼りに作成したものではなく、輜重兵第一連隊や輜重兵学校が存在していた当時の資料を元に作成されたものであることがわかりました。

どちらの図を見ても、現在の大橋交番の裏には馬糞捨場が存在していたようです。交番勤務のお巡りさんは、自分の勤務場所の過去を知っているのでしょうか?