敬語と敬意 | 中学受験を見直したい(隊)+α

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私は子どもに、取って付けた様な敬語を使わせたくない。

こう書くと、それは違う!

あんただけそんな事したら他が困る・・・

と、言われかねない。


ただ、言葉はため語でも、

行動を見ていればその子の中に敬意があるかどうかわかる。
穿った見方かもしれないが、“自分は先生である。だから敬語を使え”

というのは、傲慢以外の何物でもない。

ある学校でこんな“事件”があった。

教えている子が私のところにやってきて、こう話しかけた。
“クマやん、あのノート来た?”
“まだだよ。”
“うん、わかった…。じゃ、あとでね…”
発注していたノートが届いたかどうか確認に来たのだ。

 

私には何の引っ掛かりもなかったのだが・・・

その子が私の席を離れ、部屋から出て行こうとした時、

“えらい”先生がその子を呼び止めて、こう言った。
“○○さん、先生とお話する時はもっと丁寧な言葉で話しなさい…”と。
その子は、『はい』と言いながら、うな垂れて部屋を出て行った。

私は、可哀相な目に遭わせたと猛省した。


このえらい先生は立場上、そう言わざるを得なかったのはわかる。

ただ、私とその子の間にある信頼関係とその子が私に抱く敬意を理解できなかったのだ。

とにかく、先生との会話は敬語を使え…という立ち位置なのだ。


私はこう思う。

敬語は腹の中に敬意がなければだめだ。

そして、不自然な、窮屈な敬語を子どもに使わせる必要はない。
機が熟せばちゃんと敬語を使うようになる。


因みにこの子はノートを私に見せるとき、

『見てください』と言い、きちんと正面をこちらに向けて見せてくれる。
私に対する敬意はちゃんと払っているのである。

それを知らず、えらい先生は見かけだけでこの子を叱った。
注意したかったのは、本当は私だったのだろう。
二重の間違いをおかしている。

この“学校”のセンセイ、

実は保護者としゃべる時

ため語なのだ。

そして、親の前で子どもを呼び捨てにする。

英語に力を入れているのは結構だが

日本語と英語はちゃんと切り替えるべきである。

 

センセイに敬語を使えと子どもを叱るなら、

保護者にため語は絶対NGだろう。

最近は学校の先生にも

親に対して、子どもの名前を呼び捨てにするセンセイが居るようだ。

 

日本語は世界でも類稀なくらい

敬語が発達した言語だ。

それくらいは私でも知っている(笑)

 

ちゃんとした日本語を喋れないなら

英語教育に力を入れるんじゃなく

オールイングリッシュでやってほしい。