一旬驕話(も):変転する序破急江戸時代の序破急観    

 

      620日に「一旬驕語():世界観としての序破急」を申し上げましたが、今回は江戸時代の序破急観の一端を申し上げます。

 

  時代は下がりまして……    

  世阿弥は15世紀前半に活躍した能役者にして謡曲作者です。『風姿花伝』は1400年ごろ成立とされています。これは足利義満の時代ですが、以降応仁の乱があり、戦国時代に入ります。その後、織豊時代を経て江戸時代も約150年経ち、明治維新までまだ100年ほどの頃のことです。西山松之助、渡辺一郎、郡司正勝 校注「近世芸道論」(「日本思想体系 61」岩波書店、1972年)所載 西山松之助「近世芸道思想の特質とその展開」(585ページ以下)によりますと、大衆芸能の分野では、すなわち街中では曲芸、琵琶、太平記読み、足芸、馬芸、物まね、舞踊、話芸、狂言、にわか芝居、歌舞伎浄瑠璃、曲独楽、居合抜きなどが流行り、それぞれの分野、流派で多くの師匠が活躍していました(598ページ以下)。

 

  順四軒の浄瑠璃指導書『音曲口伝書』    

  その一つ浄瑠璃で知られていた順四軒(ジュンシケン、17191785)という人が1773年に指導書『音曲口伝書』を出版しています。『風姿花伝』執筆から350年以上経っています。このご仁は素人の名手にして大阪順慶町四丁目に住んでいたので順四軒と号したそうですので、人を食ったところもあったのかもしれません。

  浄瑠璃も知らなければ語りもしない身のブログ子には『音曲口伝書』の内容はサッパリ分かりません。例えば関羽の出てくる浄瑠璃の一部について「(関羽の道行)……墨絵の唐山水、草筆(ソウヒツ)に書たるやうに語るべし」(435ページ)とあります。「墨絵」は分かりますが、唐山水草筆のように語る、とはどういうモノなのかサッパリ理解できないのですが、ともあれ浄瑠璃の一節を語るコツを絵の雰囲気で説明しているのです。どなたかに、カルメンが登場する時の演奏はエル・グレコが「聖家族」のマリアに描いたように演奏するべきです、と言われても事柄の当否、雰囲気も全く分かりません。「音色」と言いますから「音」と「色」とは相関連しているのでしょうし、分かる人には分かるのでしょうが、私には「分かった! 」感が湧いてきません。

 

  ところが、同じページにですが、「すべてがてんのゆかぬ文句あらば、作者にとくと尋ねて……、作者に手よりなくば、物知り学文ある人にたずぬべし」とあります。理解できない表現があったら作者に訊くのがよい、作者に訊く手立てがなければ近くの物知りで学問のある人に聞いてごらんなさい、というのです。浄瑠璃の声の出し方を絵で説明するのに比べると実に分かり易いプラクティカルなアドヴァイスです。しかし、です。お師匠さんのこの分かり易い教えを守れない/守れないお弟子さんがいるものです。ですからこの後ですぐ「問(トウ)は当座の恥、とはぬは末代までの恥」と付け加えています。子どもが言うことを聞かないのを親は心配し、弟子が独善的な謡い方に満足しているのをお師匠さんが心配しているのです。

 

  「悔しかったらやってみな!」    

  この順四軒というお師匠さんは可成り肝の座った浄瑠璃語り、と言いますか、自信家でして「浄瑠璃きらひな人、此書(コノショ)を見て、必笑(カナラズワラ)ふ事なかれ。言(イフ)には及ぶ(オヨ)ばねども、浄瑠璃が無(ナイ)とて世界の歎(ナゲキ)にもならず、たかがなんでもなし。しかし、かたられるなら語って見やれ」、浄瑠璃が嫌いな人はこの本を見て、だから何だって言うんだ、などと笑ってはいけません。言わずもがなですが、浄瑠璃が無くても世界は悲しむわけではありません。たかが浄瑠璃です。しかし語れるものなら語ってごらんなさい、とこの本の最後で啖呵を切っています。浪速芸人の心意気でしょうか。

 

  義太夫(浄瑠璃)の序破急   

  この「口伝書」の冒頭に師匠二代目竹本義太夫の「口伝」が載っています。その一節に、自分の若かったころに浄瑠璃には井上流と宇治流とがあって両派では謡い方が違っていた、私は両派のよくない箇所を削り、発声の表裏を工夫し、長く歌うところと短く切り上げるところのバランスをよく取り、「序破急をさだめ」たとあります(419ページ)。ここ以外にはこの本で序破急について言及している箇所はありません。このように竹本義太夫の世界では序破急は一つの浄瑠璃を語り始めてから語り終わるまでの構成要素として位置付けられています。

 

  時間的な距離と世界観的な距離    

  『音曲口伝書』の時代は『風姿花伝』執筆時から350年も経っているのですから、『風姿花伝』の考えが変化したからと言って不思議なことではありません。しかも、モノの本、と言いますか、ページ)によりますと、『風姿花伝』が広く読まれるようになったのは明治末でそれまではほとんど知られていなかったそうです。しかし序破急の一面は能や謡曲の分野で伝わっていたのです。すなわち芸術的に解されたる序破急は『風姿花伝』から350年後にも600年後(、すなわち現在)にも、紙の上にしても電子的にしても、このような序破急理解が一般的です。私も起承転結から序破急を思い出したのですから、この流れの中で生活し続けていたし、いるのです。

 

  実践から抽象的世界観、さらに技術論へ転化した序破急  

  この審美的序破急が世阿弥の名とともに続いているのですが、世阿弥は序破急は鳥のさえずり、虫の声にも存するとする形而上的、世界一元視的な観点から人間の技を眺めています。この視点は、順四軒にとは言わず、私たちの中にも見られないのです。そう言われるとそんな気もする、と言えないことはありませんが平生では思いつきもしない見方です。私たちが持っていない感性、と言うよりも、文明の進行とともに人間(が、と言いますか、日本人が、と言いますか、)が失ってきた感性ではなかろうかと思います。

  感性の変化に応じて序破急観も変転しているのです。

 

  おわりに

  小泉八雲『蚊』に見られる起承転結ぶり(当ブログ2023810)に触発されまして序破急につきまして今年110日の「一旬驕話(る):芸術としての序破急」、620日の「一旬驕話(し):世界観としての序破急」、そして今回と3回見ていただきました。「そうか、これも序破急か ! ?うことがありましたら4回目を投稿します。それがなければ、実践から世界観に展化し技術論に落ち着いた序破急論は今回で幕です。