一旬驕話(ゆ):他人に使う「バツが悪いから」:セミたちのパンタメロン(6)五木さんの見た手紙文:岡本かの子の芥川観から

 

  セミも暑がりなのです   

  カフェ「モクレン」の木立でセミたちの会話は続いています。モクレンのシェフはセミ語を解読(聴解)出来るのですが、セミ語にはセミ語の文法もあれば表現法もあり、テニオハも単語も日本語とは異なるので短い会話でも意味の通る日本語にするのは手間暇のかかる作業です。先日はその成果を久しぶりに見せてくれました。

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  三木さん:今日も暑いネ~。五木さんとここで会う約束をしていたのだけど、まだのようね。

  他のセミ:五木さんはさっき、アレッ三木さんはまだ来てないナ~、別の木に行ってみるわ、と言って向こうに飛んで行ったよ。

  三木さん:ソウ?  会う約束はこの木だと思っていたけど……、ア、来た来た。帰って来た。ここよ、ここよッ。

   五木さん:暑い暑い。やっと来てくれたね、三木さん。元気?

   三木さん:元気だけど、何かあったの?

   五木さん:私には変わったことはないのだけれど、定宿にしているお家の人の書いていた手紙を報告したくてネ…。

 

  岡本かの子の『鶴は病みき』   

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 xxxxxx さん、

 

  暑い日が続いていますが、お元気でお過ごしのことと思います。先日本棚を見ていましたら岡本かの子の作品を掲載した本がありまして広げてみました。定本限定版 現代日本文学全集 74 岡本かの子・林芙美子・宇野千代 集(筑摩書房、昭和42年)です。私はいままで岡本かの子の名前は知っていますが、小説も評論も随筆も読んだことはありませんでした。その本に『鶴は病みき』が掲載されていました。

 

  これは読み易いドキュメントです。ドキュメントというのは私の評言でして小説ではあります。小説の主人公の名前は麻川荘之介ですが、ドキュメントの主人公は芥川龍之介です。報告者は芥川が自殺する5年前に偶然ながら避暑の宿として芥川龍之介と同じ宿で過ごした折の見聞と報告者のその評価が主な内容です。

 

  芥川に『枯野抄』という芭蕉の死の場での弟子たちの心理を絵解きした小説がありますが、『鶴は病みき』では芥川の病気や(昔は浮気と言い、現今は不倫と称されるようになった)女性交流や自殺を絵解きしています(と言いましても病気や女性交流については作者の推測の範囲を出ない書きぶりですので、こうですよ! と断定して紹介するわけではありません。ご留意ください)。

  

  芥川龍之介の言葉      

 この本の65ページに次のシーンが書かれています。芥川は自分がその女性と交流していることは誰も知らないと思っており、(作者の推測している)芥川のお相手のある女性の着ている着物の話題が微妙に進んでいる時に作者が芥川に

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「あの方には無地で小豆色だけなのが好いでせうね」と云った。すると麻川氏の顔に見る見る冷笑が湧いた。「あなたの主張はさうですかな――あなた、あの人の衣装持ちにヤキモチ焼いて居ませんか」 終りの一句(これは普通の目鼻を持って居る同志が面と向かって云い合う言葉では無い。氏は気違ひじゃないかな。と私は咄嗟の場合思った。)は私(中略)をむしろ吃驚させて氏の顔に目を集めさせた。

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というのです。小説ではこの後、芥川が思わず口にしたこのヤキモチという言葉をめぐって分析が続くのですが、それは省略します。私は岡本かの子の「これは普通の目鼻を持って居る同志が面と向かって云い合う言葉では無い」に感心しました。

  

  彼女がそのように感じただけではなく、この表現を口にした芥川も同じように感じたのであり、直後の芥川の狼狽ぶりを数行書きこんでいます。このような出来事があったとは言え、芥川に対する作者の尊敬はいささかも減じたわけではありません。

 

  「自分だけではバツが悪くて」   

  xxxxxx さん、

  レベルもシーンも異なるのですが、「これは普通の目鼻を持って居る同志が相手に向かって使う言葉では無い」と感じた経験があります。ずいぶん前のことです。本を作るのにメールですべてを済ますようになった頃ですから25年位前かと思います。

 

  知人お二人と私の三名で共著を出すことになり、原稿はほとんど出来上がっていました。最後のツメの段階で、そう言えばプロフィールのことを忘れていたと思いついて、追加ながら私自身の紹介文をお二人に送付しました。共著(予定、と言った方が妥当かと思いますが)者のAさんから、ご自分は掲載しない旨の連絡がありました。今お一人の共著(予定)者Bさんからは著者紹介(案)が届きました。

  三名揃えた方がよいのではないかとかメールで意見交換をしている中で、Aさんから、なぜ著者紹介を載せたいのですか、というお尋ねメールがあり、著者紹介掲載はごくありふれた対応ですし・・・・・とたまたま手許にあった三名共訳書の訳者プロフィールを、こんな形ででは如何でしょうか、と紹介しました。それからしばらくして、Aさんからメールがありました。その趣旨は、自分のことを自慢したくてプロフィールを提案したのでしょう、という点のあったのですが、その中に「あなたは自分だけではバツが悪いので二人に声をかけたのです」とありました。

 

  口頭とメールの違いはありますが    

  渋川氏が口頭で述べた「ヤキモチ焼いて居ませんか」は「普通の目鼻を持って居る知人間で面と向かって使う言葉では」ありません。同じように「あなたは、自分だけではバツが悪いので」も相手に向かって使う言葉ではありません。

 

  このように、意味や使い方を心得てはいても使わない、と言うよりは、恥ずかしくて使えない表現というものが人にはあります。例えば

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  五木さん:……

  三木さん:……、終わり?

  五木さん:そうなんですよ。ここまで書いて「昼ご飯にしよう」と言って中断したのです。

  三木さん:午後は続けて書かなかったの?

  五木さん:午後はクーラーを入れて窓を閉めていて、外からは手紙は見えなくなってしまいましてね。

  三木さん:それは残念。人間て、どんな単語を恥ずかしくて使えないのか聞いてみたいけどネ。

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   モクレンのシェフは、私はお聞きしていないセミの会話からこの手紙の書き手がどのような方なのか推測できるかもしれませんが、私は分かりません。しかしこの手紙を書いた方は「文ハ人ナリ」を座右の銘とされているのかもしれません。