一旬驕話(れ):玄海原発プルサーマル裁判ニュースから:原発の危険性は鳥瞰では測れない+工業製品としての原発の改良不適性、寄り道「汝自身を知れ」
原子力ムラに取り込まれる知事たち
九州電力は佐賀県玄海町に4基、鹿児島県薩摩川内市に2基、計6基の原発を持っています。このうち川内原発については、運転延長の是非を問う県民投票を実施スベシの条例を鹿児島県は制定するべきだという趣旨の請求が10月4日に提出されました。知事は20日以内に県議会に条例案を提出しなければならないそうですから、10月末までには知事の立場は明らかになります。
https://www.asahi.com/articles/ASR9V7KNHR9VTLTB001.html によると、塩田康一・現鹿児島県知事は「知事選公約で「必要に応じて県民の意向を把握するため、県民投票を実施する」としていた」が「当選後は(・・・・・・)県民投票を実施しないと表明した」のだそうです。
三反園訓・前鹿児島県知事も選挙前は脱原発市民運動を理解する言動を装い、当選後してしばらくしてから装いを脱ぎ棄てました。政治には清濁併せ呑む度量は必要ですが、多くの政治家にとっては「越後屋、お前も悪よのう」の世界が憧れにして、アコガレであり、AKOGAREたるようです。
「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の「玄海プルサーマル裁判ニュース」40号
川内原発を巡る政治の話題は離れまして、玄海原発反対を進めています「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」2023年9月4日発行の「玄海プルサーマル裁判ニュース」40号をいただきました。「この「会」も「ニュース」もよく知っている。他愛ないブログで何を今さら!」の方も多いと思いますが、他愛ない話題の拙ブログですので、分相応、とお読みください。
プルタークによりますと・・・・・・
「分相応」と書きまして急に思い出したことがあります。河野与一訳『プルターク英雄伝(十)』(岩波文庫、昭和三一年)の「デーモステネース」伝で、「汝自身を知れ」について訳者は「ソークラテースの無知の知と結び付いている有名なデルフォイの神託。但しこれはアポルローンの神に願を掛けたものに対して『自分の分際を弁えろ。』というだけの意味で、自覚を促す意味となったのは後の解釈によるものである。」と註をしています(123ページ)。私の「分相応、とお読みください」は「分際を弁えろ」の反応を呼んでいるかとも思います。しかしプルタークは「汝自身を知れ」、すなわち「分際を弁えろ」が、「誰にでも容易な事だとすれば、恐らく神の命令とはならなかったであらう」(同上ページ)と付け加えています。「分相応」と書きましてもプルタークに免じていただけますように。
玄海原発稼働中止請求裁判での意見陳述
その40号から:玄海原発は1号機は2015年4月に、2号機は2019年4月に運転停止しています。廃炉です。3号機、4号機は稼働しています。その稼働を中止するように、玄海原発の認可を取り消すように、住民が求めている裁判が福岡高裁で行われていまして、5月31日にその6回目の裁判があったのです。そこで松原学さんとおっしゃる方が意見陳述をしております。その記録が9月のニュース40号に掲載されていました。(これはhttps://saga-genkai.jimdo.com/%E8%A6%81%E8%AB%8B%E6%9B%B8-%E7%99%BA%E8%A1%8C%E7%89%A9/%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/ からたどれます)。
平均値、全体像から直ちに判断することの危険性
その意見陳述の中に「(原発の)安全装置は、原子力発電所に無数に走る配管がすべて健全であることが大前提となっていて、地震の振動によって、配管が破断してしまえば、制御できなくなるのは当たり前ではないのでしょうか」という一文があります。原発配管、大きい管もあれば細管もありますが、の事故をウエブで調べると数え切れない数の事故が記載されています。それは地震が原因という訳ではありません。配管が高圧、高温の水にさらされていることから疲労ゆえの事故もあれば、長期間の未点検という人災もあります。細管一つの破砕で原発が安全でないとなれば安全な原発は一つもありません。すなわち、この意味での原発安全は誰も保証しえないのです。
松原氏の意見陳述では、このような平常時についてではなく、地震勃発時の配管破砕について言及しています。少し敷衍してみますと、松原氏は平均的数値に基づく評価と局所的数値によって現れる弱点について述べているように思えます。
シリンダーに入れた水にシリンダーの内径にピッタリの落とし蓋をして上から圧力を加えれば、少しの力でもシリンダーは壊れます。穴の開いた落とし蓋を水に浮かべてその蓋に少々の力を加えてもシリンダーは壊れません。ヘイッチャラです。開いている穴から水が漏れるからです。逆にその落とし蓋の下に釘が打たれている場合にはピッタリの落とし蓋の場合には少々の圧力でも針は底には届かないのでシリンダーは安全です。蓋に穴がある場合には針は直ぐにそこに届くので底を傷つけます。時にはシリンダーを壊してしまいます。
電力会社、行政、裁判所、多くの学者は、多くの場合、蓋には穴はない、蓋の下には針は付いていないのを前提として圧力計算をして原子力安全を公言します。それに疑義を差し挟む人を白眼視し、素人に何が分かるかと言います。しかし現実は穴も開いていれば針も付いているのです。通常時における管の事故を見ればそのように考えざるを得ないのです。原発被害については行政、電力会社、司法、時には研究者も、すべからく俯瞰的に判断し、市民は虫観的に現実を見つめる、と松原氏は指摘しているのです。
平均値や全体論で議論を押し通す人がおっしゃることには眉に唾を付けて聞かなければならないのです。
原発と住宅の耐震性比較:安全性向上を目指せない施設としての原発
松原氏は意見陳述ではいくつもの視点に言及しているのですが、その一つとして工業製品の安全性に欠くことの出来ない失敗の原因追求に基づく改善がなされていない点を挙げています。この論点でしばしば挙げられる例は航空機の事故です。飛行機で機体の欠陥に基づくとみなされる事故があった折には同系の飛行機はすべて一旦飛行を取り止め検査をして必要があれば改善するプロセスです。原発はこれに類する対応が取れません。40年もあるいはそれ以上の期間、大幅な手直しのチャンスがないままに働き続けなければならない発電工場はお引き取りください、と言いたくなるのも無理はありません。
このように、この裁判では玄海原発の安全性の観点から稼働中止を求めているのですが、「ニュース」40号には脆弱な耐震性の図が掲載されています(6ぺージ)。この図は以前の拙ブログでも掲載したことがあるのですが、改めて借用、掲載します。
この図によりますと、玄海原発の耐震対策は民間住宅建設会社耐震住宅の14%、建築基準法で定める耐震性から見ても41%です。上記の工業製品の改善こそが安全性向上を保障する視点から見ると、原発は安全性に欠けているのではなく、安全性向上には適していない発電工場であることが明らかになります。すなわち住宅の耐震性は地震の強さとその影響に基づいて見直されているのですが、原発にはそれが出来ないのです。ですから70年代、80年代の比較表を見れば41%、14%という劣等感も甚だしい数値ではなく、今少しは原発の顔の立つ数値であった可能性があります。
原発の耐震性は住宅耐震性と同レベルです
耐震性についてにわかサーフィンしてみました。たまたま行き着いたページhttps://nakajitsu.com/column/47096p/ によりますと、耐震性については1950年、1981年、2000年の基準がありまして、震度6レベルで見ると1950年基準では100ガル、1981年基準では600ガル。それまでは予測していなかった自然力の現出に対して6倍の強度が求められているのです。2000年基準ではガルについては変わりませんが建物の基盤などについての条件が高くなっています。
この数値では上記に転載しました「ニュース」40号の図で見ますと、原発は1981年基準の住宅の耐震強度と同レベルと見えます。なお(1) この図では「建築基準法の耐震性」の項目がありますが、私はこの数値の出どころ、出典を探し出すことは出来ませんでした。なお(2) 住宅建設会社はこの基準よりも高いれべうを求めて建設しています。原発の対地震の一般住宅の最低レベルの強度です。
いずれにしましても航空機を例とする複雑なメカニズムやシステムに基づく工業製品の改良体制、建築基準を例とする大自然の潜在力への対応、原発はこれらに順応できない設備なのです。
「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の「玄海プルサーマル裁判ニュース」40号を見ての感想とにわか調べの報告でした。
