禁煙という言葉は、私の中で単なる言葉に過ぎないと感じられるようになったので、もう禁煙という言葉は私的には解禁できます。しかし、これから禁煙しようとしている人は絶対にこの言葉を使わないでください。
禁煙してから14日目を迎えました。よく言われていることですが、ニコチン禁断症状がなくなる1週間を過ぎたあたりから、苦しさから解放された気がします。ただ、今でも食後に、「たばこを吸わなければ」という一種の条件反射というか強迫観念みたいなものが、頭にぽっと浮かびます。その度に、「いやいや、何考えてんだ」と思うんですが、形だけの幻想に過ぎないので、すぐに消えていきます。
喫煙者当時の記憶があるうちに、非喫煙者になって変わったことを書き留めておきたいと思います。
まず、喫煙者だったときは、吸いたかろうが吸いたくなかろうが、取り敢えずタバコに火をつけるというのが、習慣になっていました。そして、自分の中で最も大きかったのが、コンビニへ行ってタバコを買い、コンビニの外の灰皿のあるところで、左手にコーヒーを持ち、空を見ながら右手でタバコを一服するというのが、この上ないささやかな幸せでした。
どこに出かけるときも、ライターは忘れてないか?と異常に気にかけていました。そして、出かけるとまず、どこでタバコを吸おうか?という思考にロックオンします。イメージは、コンビニへ行ってタバコを買って、タバコをふかしている自分の姿があり、それが現実となります。そして、その繰り返し作業が延々と続くわけです。まるで、たばこをふかしている行為の合間に現実があるかのように。タバコをふかしている行為の合間に仕事をしているかのように。
つまり、タバコに思考も行動も支配されていたのです。喫煙者にとっては、それで幸せならばそれでいいのです。私も敢えて否定はしません。それで幸せであるなら、それでいいじゃありませんか。
独裁者に支配されていて、涙を流すくらいありがたいと思っている弱小核保有国もあれば、そんなの嫌だと一部の人間は言っているものの、その方が安全だし、なにもわざわざ危険を冒してまで支配から逃れなくてもいいし、もう自由は忘れますと言っているお隣の数だけ巨大国家もありますから、その人が幸せと感じているのなら、周りが何を言ってもダメなんです。それに、内から変わっていなければ、また元に逆戻りです。これは禁煙だけではなく、ダイエットにも言えます。一時的に痩せても、正しい健康思考が定着していない限り、何かのきっかけでまたリバウンドしてしまいます。そうなんです、正しい思考があれば、楽なんです。何事も。トレードも。
今では外に出かけても、あれほどの幸福感を得ていた、「コンビニ立ち寄り一服」をしようと思いつかなくなったのですから、いかにあの幸福感は幻想であったのかが深く理解できます。行くまいとしているわけではありません、そういう発想が心から消えているんです。自分でも本当に不思議なことです。どんなことをしてもやめられなかったのですから、当たり前の驚きだと思います。禁煙を試みたのは数えきれず(たぶん数十回)、ファイザーの禁煙CMを見て医者にまで行ってもダメでしたから、もう何やってもダメだと諦めていました。だから、禁煙7日目は本当に嬉しかったことを覚えています。でも、14日目の今は、もう当たり前になりつつあるので、それほどの有り難さは感じなくなってきてしまっています。これじゃいかんですたい!何かのお導きでタバコを吸わなくなったことに対して感謝し続けたいと思います。
タバコを吸わなくなったことで、その他感じたことと言えば、
バナナってこんなに美味しかった?