『神の選択』 第二章 二 実体界・時間  その4 | 真実を求めて

真実を求めて

人は何故、この世に生を受け、一体何の為に存在しているのでしょうか。

その意味を、探求していきたいと考えています。

 
 地球人として、魂を内に宿しているわれわれは、自身の魂を育むために、生老病死という人生の孤独、不安、絶望など、最も過酷な肉体行を自ら選択しました。しかし、今やその実体界(霊界)での決意を忘れ去り、悟らなければならない神のアガペーの愛とは正反対の保身に奔り、物欲(金銭欲)でこの世界の苦行から逃れようとし、魂の育成どころか、魂を矮小化しています。
 矮小化した魂が実体界に還元すると、実体界そのものも矮小化します。特に、産業革命以降、物欲による魂の矮小化が急激に進んでいて、地球実体界に大きな歪みを生じさせ、多くのサタン等を呼び込んでしまっているのです(サタンの存在については後述します)。

『神の選択』より抜粋


 この一節には、身をつまされる思いがします。

 楽しいこと、面白いことに興味を惹かれ、ついつい楽な方を選んでしまうのは人の性、とでも言ってよいのでしょうか。


 日々ストレスを受け、そのままにしていれば精神的に参ってしまいかねず、息抜きは誰にでも必要なものです。

 ただ、息抜きだと自分に言い聞かせて、いつも楽してばかりでは、人としての進歩を期待しようもありません。


 辛い境遇に陥り、

「なんて不運な巡りあわせなんだ」

と感じてしまうこともあります。


 しかしそんな時、その事態は自分自身の人間性を磨くために与えられた試練なんだと受けとめ、前向きに対処する様にしています。


 身のまわりに起こる事象は、すべて自らの選択の結果でもあり、自ら挑まなければ、何ら問題の解決にはなりません。


 その問題や試練を乗り越えることが、至らない自分に課した行であり、自らの魂を大きくする行であることに他ならないのです。

 

 拝金主義者や唯物主義者が人類社会を席巻していて、彼らの思想が正当化され、そのまま人類の価値観となってしまっています。

 経済的に裕福になり、快楽を欲しい儘にすることが人生の勝者であるかのように言われます。


 そんなことが人生の目的では、決してない筈です。


 人生は一度きりではないこと、また、人の笑顔を見られる喜び、人に幸せを感じていただくことの喜びを、多くの方に思い出してもらいたいと感じています。