抗がん剤治療中は快適に過ごせるよう父がいろいろなことを提案してくれる。スマホやモバイルWi-Fiを契約してくれたり、電源タップが少ないだろうと拡張用の電源タップを要してくれたり、暇しないように常に何か欲しいものはないか聞いてくれた。おかげで入院生活は退屈しない日々だったし、夜は母が来て今日あったことやくだらない話に花を咲かせていた。二人のおかげで大部屋でも退屈はしのげたし、体調が悪いときは父が特に気を遣ってくれた。

 あと少し、あと少し、そう思いながら抗がん剤治療を耐えた。

 

 9月26日。一通り治療も落ち着き後は採血の結果次第で帰れるはずだった。だがその日先生からは「一時退院延期」の言葉が出た。ショックだった。今まで順調に入退院を繰り返してきていただけに、ここに来て、という感じだった。今退院できたら長い間家に入れたのに、そう考えると悔しくてたまらない。

 先生が部屋から出て行った後父と母に延期の報告をした。どちらも残念がっていて、悔しかった。

その日は結局退院できず、いよいよ移植の前段階である移植前処置の日程が決まった。日付は来月の12日だった。約2週間後。

 抗がん剤治療は何度もやってきたので外泊から戻ってくるたびに自分の体調がどうなるか予想は付いていたが、「移植」という言葉とこれからどうなるかわからない「未知」というものが凄く怖かった。

 死ぬかもしれない移植。それまであと2週間。私は怖くて仕方がなかった。

 しばらく血球が上がらず、帰れない日々が続いた。大部屋のためほかの人たちの生活音がどうも気になる。咳や痰、いびきに加えて気を遣い生活音を出さないようにと気を配ったりするのでストレスも溜まる。今は血球が上がれば、移植前の最後の一時退院ができる。それまでの辛抱と思いつつも、首に管も刺さっていないし抗がん剤などの投与もしていないので調子はいいからなおさらだ。血球が上がっていますようにと願うばかりだった。

 結局退院できたのは移植前処置をする11日前の10月3日だった。

なんとか退院はできたものの、前のような不調になるのが怖かった。退院前大部屋で過ごしていたとき、向かいにいたおじさんが一時外出していたようなのだがすぐに酸素ボンベを連れて戻ってきた。外出先で肺の疾患が悪化したらしかった。それを母とみていてとても怖くなったのだ。最後の退院くらいは余計な不安など抱えたくない、なるべく外出は控えようと思った。

 

 

 

 

 

 

【父親について】

 

父は親族経営の会社で役職持ちの営業マンです。

そのせいもあり私が入院している間も比較的自由に動けるのでお見舞いや退院の際はいち早く駆けつけてくれます。

 また父は子供好きで病気になる前から土日は遊びに誘われていました。でも高校生だった当時の私は家の方が好きだったので断っていたのを今更申し訳なく思います。

 なので入院中は父が一番動いたり病院での生活を快適に過ごせるようにと奔走してくれました。

 お菓子を一つ頼むとたくさんの種類のお菓子をたくさん買ってきてよく母に怒られていました。

 私を思っての行動なので嬉しいですけどね!

 作中で父の登場が多いのは父が昼からお見舞いに来て夕方帰るので父とのエピソードの方が多いことと、この随筆を書くにあたって父の日記も参考にしているので父の登場が多めです。

 

 

【母親について】

 

 母は昼から夕方までパートをしている主婦です。

学生の妹もいるので朝昼夕のご飯の準備含め家事にパートにと忙しい人です。

なので入院中にお見舞いに来られる時間が夕方から閉院時間の2時間しかないのであまり作中では多く出てきませんが主婦として家の方でとても頑張ってくれてます。

 また基本的に母は明るく賑やかです。

 高校時代部屋に籠もっていても夕食は一緒に食べるのでそのときよく話していました。

 くだらない話やもしも話でよく盛り上がります。あまりにくだらないし、話の内容は覚えてないので作品には書いてません。2時間の間で話すのは、今日病院であった愚痴や妹の様子とか今日の体調とか最近のニュースとかを話して終わっちゃいます。

 割とこの時間が好きだったりします。

いつもは明るい母ですが、母としての教示みたいのがちゃんとあって書きましたが子供の前ではなるべく動揺しないとか、そういうところも母として尊敬しています。

 

 

【妹について】

 

 

 妹は当時高校生で習い事としてバレエをしていました。

 反抗期も重なっていて家で母は相当苦労していました。

私と妹は、妹が反抗期というのも有り余り仲良くはありませんでした。

 唯一会話していたのは夕ご飯の時くらいです。でも母と話すことが多かったので結果的に妹とはあまり話していません。

 ただ妹は結構、はつらつとしたタイプで、感情の起伏が激しいです。気分がいいと私や母にくっついてきたり

「大好き、大好き」と言ってくる可愛い部分もあります。

 

 

 

私の家族はこんな感じです。

少しでも作品の想像が広がったらいいなと思い公開しました<(_ _)>

いかがでしたか?

 

 

 

 

 

 

 

 検査結果を含め、先ほどの先生が結果を伝えにきた。先生からの判断は、主治医の先生の配慮もあり、今日明日明後日の3日間点滴を打ちに来るなら帰ってもいいよというものだった。

 その報告を聞いた私も父も一緒になって涙を流して、よかったね、よかったと泣いた。

 私はその時人生で初めて『うれし涙』というものを流した。

 

 病院から帰宅後、パートから帰った母に無事に帰れたことを伝えると、割とあっさりとした反応をされた。父はもっと喜べよ、とか、もうこっちは号泣だったんだぞ!とか、感情がないなーなんて口々に言っていたが案外そういう日常が私にとって凄くありがたく、また嬉しかった。

 相変わらず圧迫感などはあったがそれでも久しぶりに安心して眠れた夜だった。

 

 次の日には父と医大で採血と点滴を済ませ、診察では最近出てきた喉の違和感について話すと、合併症の影響で食道が炎症を起こしているらしい。そのせいで唯一の楽しみである食事をめいいっぱい楽しむことができない。それは寂しかったがまだあと数日も家にいられると思うとそんなものは苦痛ではなかった。

 最終日には行きつけのラーメン屋さんで一杯ラーメンを食べきることができて満足感と満腹感で満たされた。

父も母も喜んでくれ、自分も何だか恥ずかしいような、嬉しいような気恥ずかしさがあった。

 また明日から入院。入院を控える前夜はいつも、帰りたくないと思う。このまま今日が続けばとか、寝るのがもったいないとか、そしてまた首に管を入れるのか、という恐怖と不安。複数の感情が入り乱れる。

 家の匂いが染みついたベッドに枕、重みのある布団。病院とは全く違う。

ああ、嫌だな

 

 

 10時半には家を出て病院へ着いた。部屋が大部屋でがっかりした。大部屋だと声を潜めたり、寝息がうるさかったり、好きに音を鳴らせなかったり、最悪だと看護師さんに文句ばかり言う患者がいたりストレスが溜まるから嫌だった。だが仕方ないのだ。早く結果を出して家に帰ろう。そう意気込む。

 次の日から治療が始まった。”また”首に管を入れ、たくさんの薬が私の体を巡る。

 ”また”、抗がん剤治療が始まる。