10月11日の10時ごろには病院に到着した。

 案内されたのは大部屋だったので、またあの喧騒の中、ストレスを溜めながら過ごすと思うと憂鬱だった。 

 送り届けてくれた父は一度帰宅し、16時ごろ再び母と病院にきて今後の治療方針を先生から聞いた。 

 病棟のナースステーションの裏側に隣接している個室で先生といつも話すのだが、毎回どうしても緊張するしいい気がしない。 

 その日入院してすぐいろいろな検査を受け、まずはその検査結果の報告で、それ自体は問題ないとのことだった。予定通り放射線治療を行った後に移植ということに変わりはないとのことだった。そして明日には放射線の先生から詳しい説明があるとのことで、15時ごろ両親の都合がつくなら来てほしいとのことで解散となった。 

 翌日の放射線治療の話の中では、主に副作用の話が中心であった。 

放射線治療をするにあたって、今回するのは『全身照射』といって、体全体に放射線を当てて、体の中の悪い細胞を減らすのが目的だ。しかし放射線と聞いてわかる人もいるが、放射線自体、浴びすぎると人体に様々な影響(副作用)が出る。説明の中で今回の放射線量を、目に何も保護しない状態で当てると白内障のリスクが上がること。ほかには放射線によって将来的に発がんする可能性があること。

 ちなみに目への放射線量を減らすために私の目の形に合った、放射線をカットするためのブロックみたいなのを作るという説明も受けた。そうすることで白内障のリスクを下げるらしい。だが、放射線を数日当てることによって吐き気などの症状が出る場合もあるらしい。そういった放射線治療における副作用の説明や、放射線治療がどのような感じで行われるかという説明を受けた。 

 そのなかで一番ショックだったのが生殖器官への影響だった。今回の放射線量からすると私の生殖機能は不全となり、いわゆる不妊になるとのことだった。 

 別に結婚の予定とか強く子供が欲しいといった願望はなかった。しかし、それでも人間として備わっている機能の中で「子孫を残せない」ということはなぜだか自分の中で『生き物失格』なんじゃないかとさえ思えてきた。 

 テレビやYouTubeや体験談などで聞く「不妊」だが、自分がいざなると、自分がいざ、今からそうなりますよと言われると恐怖とか悲しみとか衝撃というか、そんなものが渦巻く。自分はまだ18歳で、将来どうなっていくかもわからないし、子供を欲しいと思う日が来るかもしれない。そう思っていてももう子供を自分から作ることはかなわないのだ。 

 その事実というのは案外ダメージが大きかった。だが、入院してすぐに主治医の指示で精子の凍結保存を行っていた。それさえあるので体外受精などを行えば自分の子供を作ることは可能だが、体外受精にも費用は掛かるし、自然にできないという事実は変わらないのだ。 

 

 精子を採取し、凍結保存する際、そういう個室に案内され、説明を受ける。その部屋の中で、用意された容器の中に精子を出して、部屋の中にある呼び出しボタンで呼ぶ。部屋の中にはアダルト雑誌がおいてあり、そこでしろということだった。 

説明を受けた後、その人は出ていって私一人になる。何とも言えない哀しさがあった。 

ただ、その時精子を採取し保存しているからこそ、まだ将来自分の子供を作ることはできる。そう思うとやむを得ないのかもしれない。 

精子を採取した後、担当の先生を呼びそれを渡した。その時ふと先生に 

「恥ずかしかったり、そういうのはないんですか?」と聞いてみた。すると先生は顔色一つ変えずに、「ここには子供が欲しいって人だったり、治療で不妊になる人だったり、そういう人たちが来るところだからね」と言ってい他のが強く頭に残っている。 

 

 治療の説明が終わって、10月21日から本格的に移植前処置に向かいはじめる。まず、その日に首に管を入れ、24日に足の付け根に首よりも太い管を入れる。そして25日から、放射線治療が始まる。 

 あと10日。

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。

 

最近はエッセイのストックが切れて毎週締め切りに追われている作家の気分です。

 

池江選手が気功?に頼っているそうで、それによってみんな心配を寄せているようですね。

 

私は治療中であれば気功だろうと宗教だろうとなんでも頼っていいと思っています。

 

結構治療中って精神的にもきつくて、ネガティブになりやすいです。

 

私も神社とかでお参りしたり、「病気平癒」のお守りを各地で買っています。

 

『病は気から』というように気の持ちようも大事だと思うので、それで池江選手の気の持ちようがいい方向に

 

なるなら全然ありだと思いますけどね。でも治った後とか、「依存」の形になると少し危ないですけど。

 

池江選手の回復も願っています!

 

小説は予定通り明日上げる予定です。今書きあげました。間に合いました…( ;∀;)

 

エッセイ、つたないですが多くの人に読んでもらえたら嬉しいです。

 

もし拡散?とかあるならお願いします。

 

これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 退院できることが決まった後、父にすぐさま連絡を入れた。地方に営業に出かけていたがすぐに来てくれるとのことだった。

 父が病院に着くと父とともにすぐに退院の準備を始め、13時過ぎには帰宅できた。だが今回はなるべく外出を控えようと思っていたのでその日はそのまま眠りについた。

 次の日には昼に行きつけのラーメン屋さんにまた行きたくて父とともに訪れた。混雑してはいたが無事に着席できたし、完食することもできた。夜には久々の母の手作り料理。病院食とは違う家の味がやっぱり一番染みるし、よく食べられる。体調も不具合を起こすこともなく満足の行く一日だった。

 

 10月5日には昼過ぎに友人が一人遊びに来てくれて、昔話をしたり共通の趣味の話で盛り上がった。やはり長い付き合いの友人といると笑顔が自然に溢れるし、何よりも楽しい。

 その二日後にはまた友人二人と一緒に、夜ピザパーティーをした。散々ピザを食べた後は、三人でテレビゲームに白熱する。時間いっぱい友人とゲームをして、また今度!という話をした。

 次の日は父と本屋巡りをして好きな本をたくさん購入した。そのときはまっていた声優さんのDVDを購入したりもし、退屈しない日だった。

 

 血球が普通の人より低い私は「コンビニおでん」というのが食べられない。血球がもっと上がれば別なのだが、そのときの私はまだ「コンビニおでん」が食べられなかった。

 理由としては作ってから「2時間以上経過している」ことだ。

 一般的に作ってから2時間以上経過すると菌が発生するらしい。普通の人には害はないが私のような弱った人ではその菌から感染症を起こすなどの危険がある。それに「コンビニおでん」だと蓋を開け閉めしているし余計に菌が付いている可能性が高いのだ。だからコンビニおでんを食べることができない。正確には食べることはできるだけ控えた方がいい。

 しかし最近ではおでんの具とつゆを別売りしてくれるところもあり、おでんが食べたいときはそれを利用していた。

 母がコンビニで購入した後、夕方少し前くらいからぐつぐつと煮込み、晩ご飯でおでんを食べる。

 父と母が考えてその案を出しいてくれ、退院しているときに何度かそのおでんを楽しむことができた。

 

 退院が決まってから1週間後が最終日だった。

 10月10日、戻るのが嫌だった。

 これからは自分の知らない未知の世界。どうなるかも、どんな痛みや苦しみが待っているかもわからないのだ。それに戻ったらまた首に管を入れられる。管を入れられる時の麻酔の痛みや、管が血管を伝う感覚。管を糸で止めるときに感じる、皮膚jが引っ張られる感じ。すべてが鮮明に思い出せるし、それが途轍もなく嫌だった。

 最後の夜には母の手作り料理をお願いした。

 ご飯にハンバーグ、もやしのお味噌汁など自分の好きな料理ばかり出てきた。

 またこのご飯が食べられるのはいつになるだろうか。恐怖に不安。いつも感じる。

 夜に布団の中に入り、やっぱりまた戻りたくないと思う。柔らかい枕とか、布団とかマットレスとか家の匂いとか、天井とか静けさとか、全部手放したくない。ここから離れたくない。いつもいつも思う。寝たくない。でも、私には頑張るしかないんだ。そう覚悟した夜だった。