朝と夕方に一回ずつ、放射線をうった。首と右足大腿部から管がつながっていていて、自由がきかないし転んだら一大事なので、移動は毎回車椅子。とは言っても管がなくたって私の体力は科学治療のせいで体力も筋肉も落ちてしまい、長くは歩けない体になっていた。体重なんかは10キロ近く減り、元々痩せ型の私は骨張った骸骨みたいになっていた。 

 放射線室に移動し、放射線を当てるために台に寝そべる。その後からだが動かないように固定され、目に放射線が当たらないように私専用の型を取ったコンクリートみたいなのを目の前に置く。5分か10分だろうか放射線にさらされ、すぐに終わった。 

 なんてことはない。これを後数回繰り返すだけだった。 

 放射線の副作用は思ったほど出なかったのは幸いだった。ただ28日から始まった抗がん剤はかなり強めで、それによる副作用はすぐに現れた。 

 放射線治療が終了した後も、抗がん剤の副作用により吐き気や気怠さが増え、匂いに敏感になった。 

 トイレで自分のする尿の匂いがキツい。何もしていなくても次第にトイレに入っただけで、その特有の匂いを感じる。トイレットペーパーさえ匂う気がした。 

 匂いの強い食事なんてのはもってのほかだ。看護師さんが持ってきてくれる無菌室用のラップが消された食事。一つでもラップを剥がすと強烈に濃い食事の匂いが吐き気を誘う。看護師さんには食事を返し、食べられないの一点張り。すると看護師さんがタンパク質の取れる「プロッカゼリ-」というのなら食べられないかと言ってくれ、私は朝と昼にそれらを一所懸命に食べた。 

 ゼリーが食べられることを父に報告するとウィダインゼリーなどの差し入れをくれた。 

  

 まだ体は動く。吐き気も強いので、寝て過ごす。まだなんとか余力があるので看護師さんに手伝ってもらいながら体を拭く。無菌室中はシャワーにいけなかったので、泡状の石けんを購入し、それと病院でもらえる体ふきで体を拭いた。 

 夜に元気があるときは母と妹にテレビ電話をかけた。今日は道だったとかくだらない話をして30分程度で電話を切り眠りにつく。 

 

11月2日ついに移植の時が来た。とは言っても移植事態はすぐに終わった。14時頃主治医とともにぞろぞろと医者が入室し、先生が妹の造血幹細胞が入った注射を首の管から入れた。事前に言われてはいたが、磯の香りがした。濃厚な磯の香りが私の鼻孔にまとわりつくように、漂う。 

 10分程度で移植が終了し、大変なのはここからだと言われた。このあとこの体に妹の細胞が生着するまで1週間から10日ほどかかるとのこと。その間妹の細胞が私の体を攻撃しまくるので粘膜という粘膜が荒れるのだ。 

 本当に地獄のような日々がこの日から始まった。 

 

 

 

 

 

 

10月21に予定通り首に管が挿入された。首に管を入れるときの緊張や恐怖は以前のままだが、挿入後の首の違和感にはずいぶん慣れた。嫌な慣れだった。 

 問題はその3日後に行われた足の付け根への管の挿入だった。 

 その日、処置の時間になり私は個室の近くにある処置室に呼ばれる。たくさんの医者が私を見てる。何人か医師になりたての人がいたり、よく見る医者がいたりした。当然看護師さんもいるのだが、担当の先生が見当たらなかった。 

「あの、先生は?」 

訪ねると看護師とほかの医者が「忙しいからこれない」とのことだった。 

首の管はいつも主治医が行ってくれていたため足の付け根への管も主治医の先生がしてくれると思っていただけに一気に不安になった。しかも管を挿入するのはよりによってベテランではなく新人だった。 

 大丈夫だろうか。はち切れそうな不安の中始まった手術。ズボンとパンツを脱がされ台へ上がる。大腿部なので陰部はほぼ見えている。申し訳程度に陰部にはタオルを掛けられる。 

「剃ってないの?」 

唐突に先生から言われ頭に疑問符が浮かぶ。 

「範囲的に被るから剃ったほうがいいね」 

その言葉を聞いて看護師が至急剃刀を取りに行き、私の陰毛の一部を剃る。 

 正直恥ずかしさが半端ではない。盲動にでも鳴ればいいとさえ思う。たくさんの人に囲まれ見られる。しかも下半身はほぼ丸出しで右側の陰毛を剃られている問い状況はなんともいたたまれなかった。広範は恥ずかしさよりも虚しさが勝り、なんでこんなことに、なんでわたしがこんな目にとさえ感じた。 

 剃り終わった後新人の先生に代わり、まず大腿部へ麻酔を打つ。 

 痛い。首よりも皮膚が薄いのでなおさら痛い。そのあと管を入れるための針を刺し、管を入れる。だがここで問題が起こった。 

「痛っ」 

痛みとともに新人の先生が「あれ、あれ?」と汗を流し不安そうにしている。 

 なにやってるんだよ!痛いんだけど! 

 声には出さないが苛立ちが募る。 

 どうやら私の血管に管を挿入した際途中で何かに引っかかって管が止まるのだそうだ。 

 新人の先生は指導医の指示に従って、抜いてまた管を指すのを繰り返す。 

「痛い!痛いって・・・」 

 ごめんねとは言うものも目の前の状況に混乱する新人医師。どう頑張っても入らなく、結局指導医に変わるが指導医も引っかかって挿入できない。 

「主治医の先生呼んできます」 

 気の利いた看護師が主治医を呼んできてくれた。その間指導していた医師が私の血管に凹凸がありそれに引っかかってうまく入らないと説明してくれた。 

 正直何を言っているんだと思った。麻酔なんて役に立たず足がズキンズキンと痛む。 

 主治医の先生がやっと交代に来て、先生はすぐに管を通した。処置室がほっとしたのを感じたが私ははやく主治医の先生に変えてほしかったと苛立ちが止まらなかった。 

 首と右足大腿部に管がつながり、レントゲンで管がしっかり入っていることを確認。 

個室に戻るが麻酔が本格的に切れ、痛みが2倍3倍にも膨れ上がる。右足を地面につけるだけで大腿部に激痛が走る。さらには大腿部に長い管と首にも管があり体からたくさんの選がつながっているので引っかからないように動かなくてはいけないので動きにくい。 

 最悪だ。 

 この痛みはいつまで続くんだ。トイレに立つことすら激痛で苦痛。つらい。そして明日から始まる放射線治療。最悪だ。もうどうすればいいのか私には全くわからなかった。 

 

 

 




一度は考えた事がある『死』

私は病気になる前から考えた事がよくあって、曽祖父母が亡くなるとやっぱり『死』は怖いものだと思っていました。

自分は今『死』んだら、どうなるだろうと考え、特に後悔はないなとか、自分の『死』に対してあまり恐怖は感じていませんでした。

ですがこの白血病になり死を身近に感じた時、きっと皆さんが思っている以上に恐怖が皆さんを襲うと思います。

病室で1人の時、特に夜なんかは雰囲気もあり考えてしまいます。

自分が死んだらどうなるんだろう?魂になるのかもしれませんがそんなことよりも、もうこの世には居られない。居ないんです。今手にしてる携帯なんかも触れない。大切な人に言葉も伝えられない。ほんとに終わりなんです。仮に死後の世界があるとしても、この世界に干渉は出来ない。

美味しいご飯も楽しい体験や思い出も作れない食べれない触れない。

ニュースで自分より若い人が亡くなった時、この人の人生はもう進まないんだな、と思います。それが自分に起こると思うと怖くてたまらないんです。

怖くてネットで死を受け入れる方法や、死ぬことへの恐怖を和らげる方法を探しましたが無駄でした。死を怖がるほど、死んだら今自分の身近にあるものへ干渉出来なくなるんだと感じ恐怖が増します。

死を看取る仕事もしてるある医者が、『死にゆく自分を愛しなさい。死は怖くない』と言うような本を出したのですが、本人が死を目の前にしたときのインタビューでは自分の死を受け入れられなかったそうです。自分で書いた著書を全否定したらしいですね。
きっと人は死の恐怖から逃れられないのかもしれません。

長々と話しましたが、私が死ぬかもしれないと分かったとき後悔した事が3つあります。

1つはもっと美味しいものを沢山食べればよかった。
2つ目はもっと友達を増やしておけばよかった。
3つ目はもっと旅行しとけばよかった。

病院の食事は半年もいれば飽きてしまいます。とびきり美味しいのなんて出てきません。贅沢すれば良かったと思いました。
心配してくれる友達がもっと欲しかったです。大切な友人は数人居るので満足ですが、病院はなにぶん静かで退屈です。話し相手が欲しくてたまりません。お見舞いに来てくれるような友人を作っておけば良かったと思いました。
ちなみにお見舞いにくる患者と来ない患者では、後者の方が死亡率が上がるそうです。話すだけでストレス解消になりますしね!
病院は退屈だし何も変わりません。長期入院になれば、変わるのは窓から見える風景です。春が来て夏が来て秋が来て冬が来る。
病院は肌でそれらを感じられません。すごく虚しいです。
もっと美しい景色とか劇とかみとけば良かったと思いました。

割と死を身近にした人は似たようなことを思う事が多いそうです。もしこれをみて、皆さんが少しでも後悔のないように行動してくれたら幸いです。
でもあくまで参考程度で…(*´∀`)
たくさん美味しいものを食べて、旅行して、友達や大切な人をたくさん増やしてください。

私も絶賛そうしてます(*´꒳`*)

これを見てくれている皆さんに幸がありますよう願いますm(_ _)m

そして私は明日上げなきゃいけない原稿に手をつけますね...
まだ続きを何も書いてない…
こんな事を書いてる場合では無いんでしょうけど!

それではまた明日の夜頃UPさせてもらいますね!