がんばろう!日本!
『朝ごとにむかふかがみのくもりなくあらまほしきは心なりけり』
一緒にがんばろう!
東北のみんな!
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【我勝道】
(がしょうどう)
自分の弱い心、怠け心に負けないこと
【凡事徹底】
(ぼんじてってい)
誰にもできることを
誰にもできないくらいに
続けること
【格闘塾三柱】
warm heart = 思いやりを実践する人間力
cool head = 逆境を順境に変える脳力
strong body = 鋼の如く鍛え上げた体力
目指すは、文武両道を体現する日本男児、大和撫子!
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【 あれから19年 】
今日、1月17日は私にとってはとても大切な日です。
阪神淡路大震災が、起こった日です。
私が死ぬ時に振り返っても、これほどの日はなかったと思うような日です。
現在の塾生は、阪神淡路大震災後に生まれ、経験した者の義務として、きちんと語り継いでいかなければいけない!と意を新たにしています。
今日も、授業の大半を費やし、震災の経験を淡々と語ります。
来年も、再来年も、私が生きている限り、語り継いでいきます。
19年前の今日は、大阪の淀川の近所に住んでいました。
当時、毎朝4時過ぎには起きて、淀川の堤防をマラソンをしていました。
その日も前日と同じように起きて、堤防に上がると・・・
ちょっとした異変に気づきました。
空がいやに明るいのです。
曇っていたようでしたが、雲間から見えるその奥がいやに明るくて、走る時間を間違えたのかなぁと時計を見直したほどでした。
マラソンを終えて、5時過ぎに帰宅し、シャワーを浴び、テレビのスイッチを入れました。
関西ローカルの朝の番組にチャンネルを合わせて、食卓に座り、コーヒーを入れて、飲んでいたときでした。
テレビの画面では女性アナが何やら話していたとき、部屋の外からゴーっという不気味な音が聞こえて来たと思ったら、キャーとテレビから悲鳴が聞こえ、電気が切れました。
https://www.youtube.com/watch?v=LV_qnch2Bgg
(その時の画像がありました。)
その途端、至近距離から全力で背中を押されているかのような揺れを感じました。
私の田舎が北海道の十勝地方で、結構大きな地震は経験しているのですが、今回のヤツは、それを明らかに超えていました。
強烈な横揺れを感じたと同時に、部屋の電気が消え、聞こえてくるのは、食器が割れ、何かが倒れた音だけでした。
地震の後、大阪では数分で電気も回復し、部屋を見回すと、蔵書2000冊は私の布団の上にばら撒かれていました。
パソコンは倒れ、タンスは移動していました。
食器棚の食器はほぼ全壊し、床の上は靴をはかないと歩けない状態でした。
部屋の中だけを見ると、大変な地震とは思いましたが、
まさか神戸があんな風になっているとは・・・
テレビを見ていると、ヘリコプターからの報告があり、
「神戸で高速道路が倒壊した!」
「神戸のあちこちで火災が起きています」
のニュースを知りました。
幸いにも、大阪に住む友人たちは何ともなかったのですが、
神戸の友人には全く連絡がつきませんでした。
ニュースで惨状を見て、「助けに行かないとあかん!」と大阪に住む友人4人で、米と水だけを担げるだけ担ぎ、ハンマーとバールを持ち、動きやすい体勢を整えて、神戸の友人の安否を確認しに出かけました。
尼崎、西宮、芦屋、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨
あの光景は、目に焼きついて離れません。
墓石が転がり、木造家屋は傾き、潰れていました。
マンションも、途中の階が潰れていました。
一階が駐車場の二階建ての家は、平屋になっていました。
毛布をかぶり、大声を出して泣いているお年寄り、火災を不安な眼差しで見つめるだけの人たち・・・
道路は渋滞し、歩道は人の波、
町じゅうに、どこから漏れたのかガス臭さが漂い、時折襲う余震に怯える人々・・・
須磨に行くまでに、十数名の人たちを潰れた家から助け出すことが出来ました。持参したバールが役立ちました。
また、それ以上の人たちの遺体を倒壊した家から出すことにも遭遇しました。
幸いに、友人たちはみな無事でした。
人の生死を数多く目の当たりにしたせいでしょう、人生観がガラリと変わってしまいました。
いつ死ぬかわからないなぁ・・・という気持ちが、心の土台に根を張ってしまいました。
やりたいことは先延ばしにしなくなり、あの世に持っていけないものを貯めることに価値を見出せなくなりました。
そして、2011年3月11日、あんなに大きな地震が東日本を襲い、原発事故まで引き起こすとは・・・
日頃から、防災対策はしておきましょう。
3日分くらいの食料は備蓄しておくべきです。
あと、アウトドアライフに精通すると、被災したときに
比較的快適に過ごすことが可能になるかと思います。
そして、基本は、体力です。精神力です。
運動は続けて、いつでも動ける身体にしておきましょう。
阪神淡路大震災で、亡くなった方のほとんどは、建物や家具の倒壊に寄るそうです。
大きなたんす、書棚など倒れそうなものは、今日にも、処置をするべきです。
ただ生存者は、大きなタンスやベッドの隣の隙間で生存していました。
東日本大震災で亡くなった方のほとんどは、溺死です。
今日、1月17日は私にとってはとても大切な日です。
阪神淡路大震災が、起こった日です。
私が死ぬ時に振り返っても、これほどの日はなかったと思うような日です。
現在の塾生は、阪神淡路大震災後に生まれ、経験した者の義務として、きちんと語り継いでいかなければいけない!と意を新たにしています。
今日も、授業の大半を費やし、震災の経験を淡々と語ります。
来年も、再来年も、私が生きている限り、語り継いでいきます。
19年前の今日は、大阪の淀川の近所に住んでいました。
当時、毎朝4時過ぎには起きて、淀川の堤防をマラソンをしていました。
その日も前日と同じように起きて、堤防に上がると・・・
ちょっとした異変に気づきました。
空がいやに明るいのです。
曇っていたようでしたが、雲間から見えるその奥がいやに明るくて、走る時間を間違えたのかなぁと時計を見直したほどでした。
マラソンを終えて、5時過ぎに帰宅し、シャワーを浴び、テレビのスイッチを入れました。
関西ローカルの朝の番組にチャンネルを合わせて、食卓に座り、コーヒーを入れて、飲んでいたときでした。
テレビの画面では女性アナが何やら話していたとき、部屋の外からゴーっという不気味な音が聞こえて来たと思ったら、キャーとテレビから悲鳴が聞こえ、電気が切れました。
https://www.youtube.com/watch?v=LV_qnch2Bgg
(その時の画像がありました。)
その途端、至近距離から全力で背中を押されているかのような揺れを感じました。
私の田舎が北海道の十勝地方で、結構大きな地震は経験しているのですが、今回のヤツは、それを明らかに超えていました。
強烈な横揺れを感じたと同時に、部屋の電気が消え、聞こえてくるのは、食器が割れ、何かが倒れた音だけでした。
地震の後、大阪では数分で電気も回復し、部屋を見回すと、蔵書2000冊は私の布団の上にばら撒かれていました。
パソコンは倒れ、タンスは移動していました。
食器棚の食器はほぼ全壊し、床の上は靴をはかないと歩けない状態でした。
部屋の中だけを見ると、大変な地震とは思いましたが、
まさか神戸があんな風になっているとは・・・
テレビを見ていると、ヘリコプターからの報告があり、
「神戸で高速道路が倒壊した!」
「神戸のあちこちで火災が起きています」
のニュースを知りました。
幸いにも、大阪に住む友人たちは何ともなかったのですが、
神戸の友人には全く連絡がつきませんでした。
ニュースで惨状を見て、「助けに行かないとあかん!」と大阪に住む友人4人で、米と水だけを担げるだけ担ぎ、ハンマーとバールを持ち、動きやすい体勢を整えて、神戸の友人の安否を確認しに出かけました。
尼崎、西宮、芦屋、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨
あの光景は、目に焼きついて離れません。
墓石が転がり、木造家屋は傾き、潰れていました。
マンションも、途中の階が潰れていました。
一階が駐車場の二階建ての家は、平屋になっていました。
毛布をかぶり、大声を出して泣いているお年寄り、火災を不安な眼差しで見つめるだけの人たち・・・
道路は渋滞し、歩道は人の波、
町じゅうに、どこから漏れたのかガス臭さが漂い、時折襲う余震に怯える人々・・・
須磨に行くまでに、十数名の人たちを潰れた家から助け出すことが出来ました。持参したバールが役立ちました。
また、それ以上の人たちの遺体を倒壊した家から出すことにも遭遇しました。
幸いに、友人たちはみな無事でした。
人の生死を数多く目の当たりにしたせいでしょう、人生観がガラリと変わってしまいました。
いつ死ぬかわからないなぁ・・・という気持ちが、心の土台に根を張ってしまいました。
やりたいことは先延ばしにしなくなり、あの世に持っていけないものを貯めることに価値を見出せなくなりました。
そして、2011年3月11日、あんなに大きな地震が東日本を襲い、原発事故まで引き起こすとは・・・
日頃から、防災対策はしておきましょう。
3日分くらいの食料は備蓄しておくべきです。
あと、アウトドアライフに精通すると、被災したときに
比較的快適に過ごすことが可能になるかと思います。
そして、基本は、体力です。精神力です。
運動は続けて、いつでも動ける身体にしておきましょう。
阪神淡路大震災で、亡くなった方のほとんどは、建物や家具の倒壊に寄るそうです。
大きなたんす、書棚など倒れそうなものは、今日にも、処置をするべきです。
ただ生存者は、大きなタンスやベッドの隣の隙間で生存していました。
東日本大震災で亡くなった方のほとんどは、溺死です。
津波で溺れてしまったのです。
これからわかることは、地震に遭遇した場所で対処は違うこと。
海のそばなら、津波を考えて、高台に逃げること。
1階を約3mと考えて、津波の警報を聞き、それ以上の高さのビルなどに避難すること。
常に防災意識を忘れないこと・・・
「死ぬときは死ぬからね・・・」なんて言っていないで、自分でやれることはやっておく。
これが一人前の大人としての基本です。
最後に、19年前の阪神淡路大震災の年に、神戸の小学校の先生が作られた素晴らしい歌があります。
「しあわせ運べるように」という歌です。
https://www.youtube.com/watch?v=oIfMOPz8s98
♪地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう♪
これを聴くと、自然と涙が流れてしまいます。
我々は、いつ何があっても、力強く前を向いて生きていかねばなりません。
「教訓を活かすこと」、そして、「語り継いでいくこと」
これが、亡くなった方への最大の供養になると思います。
合掌・・・
さぁ、先に逝かれた方々の分まで、今日をしっかりと生き切ろう!
常に防災意識を忘れないこと・・・
「死ぬときは死ぬからね・・・」なんて言っていないで、自分でやれることはやっておく。
これが一人前の大人としての基本です。
最後に、19年前の阪神淡路大震災の年に、神戸の小学校の先生が作られた素晴らしい歌があります。
「しあわせ運べるように」という歌です。
https://www.youtube.com/watch?v=oIfMOPz8s98
♪地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう♪
これを聴くと、自然と涙が流れてしまいます。
我々は、いつ何があっても、力強く前を向いて生きていかねばなりません。
「教訓を活かすこと」、そして、「語り継いでいくこと」
これが、亡くなった方への最大の供養になると思います。
合掌・・・
さぁ、先に逝かれた方々の分まで、今日をしっかりと生き切ろう!
当然、加速をつけて、爆走あるのみ!
押忍
『キミの未来は今日作られる』
今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。
そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。
今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!
『いってらっしゃい!』
「ポン!」(肩を叩いた音)
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今日も、我勝道を極め、凡事徹底を貫き、文武両道を体現しよう!
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今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)
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