いつもブログを見て頂き、誠に有難うございます。
「障害は不憫であるが、不幸ではない」
ヘレンケラー
この言葉は、
余命三カ月を過ぎ、腫瘍マーカーが安定してきた頃に出合いました。
以前申し上げましたように、
私は、左半身不随になり、一時ねたきりの状態までいきました。
しかし、
何か分かりませんが自分の力ではない大きな自然界の力によって
ドンドン回復させて頂きました。(人間も自然界の一部ですからね)
今では自力歩行もしっかりでき、
更に、「一生動かない」と言われた左手も
UFOキャッチャーのように動き始めました。
(毎日、100円を入れずにUFOキャッチャーを楽しんでいます!(笑))
ヘレンケラー女史のお言葉は、
ここまでの状態にされないと気付けなかった内容だと思います。
本当に、病気にして頂いたことに感謝です。
最後までお読み頂き誠に有難うございました。
最近、多くのご病気の方々の相談をお受けします。
どんな病気であっても、
共通点があります。
それは、必ず「不安」を持っておられることです。
「あたりまえやろ!」と思う人は多いと思います。
しかし、
①「病気」になったから、「不安」なのか?
②「不安」があったから、「病気」になったのか?
の二点を考える必要があると思います。
私が、発病後4年近く、病気の方と触れてきて中で
多くの場合、②が言えると思います。
そもそも、
『病気』という言葉の由来を考えると一目瞭然です。
じつは『病』を『気』にするから、『病気』になるのですね。
古人は、統計学から漢字の意味を考えてきたようです。
長い間の言い伝えや経験からそれを分かっていて、『病気』と名付けたようですね。
つまり、
どんなに不摂生をしていても『病』を『気』にしなければ、
お空の天候のように、雨から晴れに自然の法則に沿って経過していくのですね。
(なんてったって、人間も自然界に一部ですからね。(笑))