おはようございます。私は、過去にパソコンが壊れたことは、数多くあります。そのたびに気分を害し、不調和を起こし自分自身が壊れ始めていたことに気付きませんでした。何度か繰り返し、プラス思考に”思い変え”をすように心がけてからすっきりしました。パソコンのダウンも身体のダウンも全て不調和。どこかに不調和の生活を来たしているようです。
最近、気分が不調和を起こした時、まず自問自答します。
「今、この仕事をしているのは…何のため?お金のため?名誉のため?好きだから?幸せになるため?」心理学者ユング氏の幸せに条件に5つの項目があります。
1、心身がともに健康
2、きれいなものをきれいといえる。美味し者を美味しいと言える
3、人間関係がうまくいく
4、朝起きて、やりがいのある仕事があること
5、生きていくだけのお金があること
…今、私は病気によって休むように言われました。
私の好きな良寛氏の詩に「時に息こう」があります。
『 薪を担いて山を降りる。
道は険しい。
この辺で休んでみないか?
長松の下で座ってみるとどうだ?
小鳥のさえずりがきこえてくるだろう?』
万一職を失ったとしも、身体が健康であれば、いくらでも生きていけると思っています。
事実、車も手放しました。もう3年は乗っていません。健康には粗食がいいことも教えていただきました。2年以上外食はしていませんし、市販の物は食べていません。ほんの少しの畑があれば、家族5人くらいの食料は確保できることも知りました。今は同じ会社の仲間がいるので力を合わせていきたいです。
病気で仕事を失う時をピンチと捉える人も多いでしょうが、私は大きなチャンスと捉えています。例えば、倒産などになれば、それは第二の人生のチャンスであり、生活していくだけの収入確保できる会社を設立するチャンスであります。しかも、今までにはない視点でスタートできるチャンスなんですね。
とにかく、周囲の方々に喜んでもらえる会社。貧しい人からはお金をとらず、裕福な人からお心を頂戴する。19世紀初旬からの資本主義以降偏りすぎているこの世の中を平等にしていきたいです。その手助けをできればと思っています。今からでもワクワクしてたまらない!いつも構想を練っています。(笑)
地位も名誉も要らないし、お金も、多くは要らないです。必要なだけあればいいです。現代は、収入が上がれば、生活水準をあげて苦悩する人が多いようです。それは、やはり周囲の方の生活を羨望の目で見てしまうからですね。つまり、人間だけが創り上げた”比較”という考え方ですね。他の動物は、その考え方をもっていません。
それは、目で見えるだけの物質文化だったようですね。
命は、数十年で、みな平等に終わっていきます。物に囚われている時間ってもったいないなあと思います。
私たちの波は、いずれ子供の波に譲ってい行かねばなりません。でも、人間は誰しも「この状態がいつまでも続く」とついつい錯覚に陥ります。気付かせて頂くときは、誰しも訪れます。病気、解雇、倒産、離婚…すべて試されごとです。
大きな試されごとばかり挙げましたが、日常の些細なことでも試されていましたね。
マザーテレサ女史は、このようにおっしゃいます。
「大きなことはできませんが、小さな事を大きな愛で行っています。」と。
学歴、名誉…人間のモノサシに振り回されることから卒業したく想います
今まで、何もかも社会の波にのまれ、 真に自分のしたいことに気付かなかったが、「これが自分は、したかったんだ」と気付かせて頂いたことに誠心誠意、打ち込めます。これだけの幸せは、人間が創った道具の「お金」には到底測ることのできないことです。
おかげさまで、脳の手術後、人間から出ている微弱な波が感じ取れるようになりました。これを、定義する世の中は、現代(2012)にはまだないですが…。
同じ波長をもった、言い換えれば利己主義でなく利他の同じ志をもった人物が少しずつ共鳴してくれて多くの方々が喜べる社会を創られればと想います。大きなことはけっして考えておりません。逆に大きなことはしたくないですし、名誉もいらないです。幸せな社会の一つの歯車に なりたいです。そして、生きていくだけのお金で生活し、それを子供に教え、私がこの世を去っても、子子孫孫と繋いでいってくれれば…と思います。自然の動物たちが無意識にしているように…。長くなりましたが、何があっても大丈夫です。そのようにどうやらできているようです。