自分を見極める | さあ、いってみよー

さあ、いってみよー

北海道滝川市在住。

ランニングや子どものこと、介護事業に関連したことなんかを書いています。 5Kから100K、トレイルランも楽しんでいます。
2018.4.23から、にゃんこが登場しています。

本ブログでも紹介しているが、私は年始に1年間の目標を掲げ、1か月ごとに評価をしている。


今年もあと少しとなり、来年の目標についても毎月の評価をふまえて、少しずつ考えているところだ。


そのような中で、10月18日付の栗城史多(くりき のぶかず)さんのフェイスブックの投稿内容が頭の片隅にある。



栗城さんは、1982年生の道産子で登山家であり起業家だ。


2012年にエベレストのアタックに失敗した際に凍傷を患い、9本の指の第二関節から先を切断することを余儀なくされた。



フェイスブックの内容を一部引用する。(途中省略しているところもあるが、主訴は変えていない)




「なぜ指を失っても、復帰できたのか」



僕が尊敬する山の先輩から


「大きな事故の後に、いい山登りができるようになるよ。だから栗城くん大丈夫だよ」


なぜこのような事故に遭ってから、いい山登りができるようになるのか、僕は考えていました。


それは、若さ故の一つの壁かもしれません。


実は世界の山に向かっていき、事故に遭って亡くなった登山家で一番多いのは、20代後半から30代前半だと言われています。


それは、ちょうど僕の世代です。


その壁とは何なのか。


それは「山を見て、自分が見えない」ということでした。


向かうべき山ばかりを見て自分自身が見えなくなり、いつの間にか心のキャパシティを超え、超えてはいけない一線を超えてしまったということです。


山の先輩は、「自分を見極めろ」と言っていました。


おそらくこれは僕だけではなく、見えない山を登る全ての人達に通じる話だと思います。


目標に向かっていくことは、素敵なことです。


しかし、どこかで大切な何かを見失っているかもしれません。


たまに立ち止まって、その大切な何かに向き合ってみる必要もあるかもしれません。



(引用終わり)



私の今年の目標は、家族関係のほか、マラソンレースや資格取得、仕事など、栗城さんと違い命に関わることではないし、大けがを伴うものではない。


来年立てる目標も同様だと思う。


だから、引用文がそのまま自分に当てはまるものではないが、氏の言うとおり通じるところはある。



一見達成することが難しい目標を立てることで、そこに向かって努力し続けることは大切なんだと思う。


高い目標を掲げ、そこにいくつくまでの小さな目標を設定することもある。



ただし、忘れてはいけないのは目標ばかりに目を向けるのではなく、今の自分を見極めることが大前提である。



家族の状況や仕事、健康状態や体力、習慣、資金力、時間の配分等、その時の状況によって評価するポイントや評価値も変わってくるだろう。


今も目標達成にむけて努力していても、他の大切なものを犠牲にしているかもしれない。


家族関係でいうと、子どもの成長を感じたり配偶者への気遣いが疎かだったり・・・両親が健在だったとしてもいつまでも健康ということではない。


仕事では目の前のお客様へのサービスやビジネスパートナーへのフォローが十分だろうか・・・


自分のやりたい事を優先し、地域への貢献が後回しになっていることがあるかもしれない。


いま取り組むのではなく、もう少し年月が経ってから取り組んだ方が良いものがあるかもしれない。




今一度自分自身を振り返り、バランスよく充実した目標を設定したいと思う。




おわり