青の心 | ロバ耳ブログ 

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 為替、今日くらいに、どうなるかなあ、って思ってました。155円らへんですね。一時、150円まで変動するとか、こんな乱高下が起きたら、企業は計画なんて立てられないでしょうね。為替で一番マズいのは、乱高下で計画が立てられない事。高くても安くても、そこで安定していれば、そこから活動できる企業は出て来るものです。

まあ、勢いで200円まで行ってしまう可能性はあるけど、もちろんもっと時間を掛けて。だけど、この辺である程度は変動しながら安定するかも知れません。対外純資産で4〜5百兆円はあるでしょう。ドルで持ってる外貨準備も170兆円とか、この辺が自動的に増える。当然、利息で得たドルを円に換金したら、円安分だけ資産が増える。
岸田政権は当初の所得倍増計画を、ちゃんと実行していますよ。所得って言っても、金融所得ね。だから黙っているけど、これで喜んでる人は大勢います。それが岸田を支持している。



 日本国家として見た場合、プラスもマイナスもあるから、その辺の落とし所が為替水準になる。ただ、二極化した国民経済は、富める者はより自動的に所得が増え、そうでない者は体を張っても得られる所得が減って行く。そんな北朝鮮か中世ヨーロッパみたいな経済に変化して行ってます。時々、一発当てて、上位に食い込むチャンスを与えていれば、まあ、割とこの体制でも多くの人は受け入れていますよね。要は、その匙加減が問題。いや、本当の問題は、私たちの経済が、パチンコを打ってるのと変わらない事ですね。日銀から玉を借りて、始めて参加できるのが資本主義経済、ですからね。
それを返せって私たちは迫られている。



 今日は青の心について話したいと思います。情け無い話をして、これが凄く大事な事だと思うました。何より、情けって何だと思いますか。温情を掛けるとか、憐れみを掛けるとか、男女や親子の間の情もありますよね。これをもっと噛み砕いて説明するとしたら、それは、誰かの、或いは何か別の、発信する思いに向けたら心の在り方、だと言い換えられると思うんですよ。
誰かの思いに応えるのでは無くて、あくまでも、それらを認知している状態。これを情と定義しましょう。


そうするとですよ。誰かの思いなんて無数にあるから、それに応えるも良し、無視するも良し、裏切るも良し、いや裏切るのは良くないか。とにかく、受け止めた段階で、次にどうするかを、自分で決めて行くわけですよ。そしてその時に、その人となりが現れる。その人の生き様になる。


親の希望も、周りの期待も、先祖からのメッセージも、先生や宗教家の言葉もそうかも知れません。そういったものに、心が開かれた状態。これが、情。


 子供って、懸命に親や周りの期待に応えようとするでしょう。だから葛藤も激しいし、直ぐに悩んだり落ち込んだり。でも求められるハードルが最初は低いから、応える事で喜びもありますよね。だんだん成長して、求められるハードルが高くなると、超えられる達成感も凄い反面、超えられない落胆も大きい。それが最終的には、心を閉ざす事に繋がる。


出来る限り、誰かの思いや願いに向き合おうとする心。青い心。青いんですよ。青臭い。



 おそらく青い心は、哺乳類や鳥類が持つ自然にものなのでしょうね。特に哺乳類は授乳するので、母と子の情が強くなる。母の思いに、子供は自然に応えようとする。それは社会の絆になり、過去の人間との繋がりにもなる。人が社会や文化を守ろうとする根源がここにあるのでしょう。

ならば、ここの関係を断てば、その社会を壊して富を奪えるかも知れない。生まれた子供は直ぐに引き離し、出来れば母乳は止めた方が良いと説得する。夜は一人で寝かせて、抱っこもしない様にして、子供の自立心を育てましょうと説得する。徐々に子供の情は閉ざさる。


 責任感って重要ですよね。責任。これが強い人は尊敬されます。しかし、この責任って、社会やシステムを守る為には大事な心なだけで、これじゃあ人は育てられないでしょう。社会を守り維持する為には責任が必要。だけど人としての在り方は、情が無いと守られないし、維持もされないでしょう。責任感で子育てすると、やがてギクシャクして破綻するでしょうね。

私たちはおそらく、明治になって情を忘れて、責任だけで生きて来たんですよ。ご婦人が大好きな昼のメロドラマ。忠臣蔵の時代劇でも良いです。これらは、責任と情の葛藤を描くから、共感されて楽しまれる物語ですよ。しかし、情を失った者には、これらはただただ退屈なものに見えるでしょう。そして責任も無くなれば、もう何の葛藤も感慨も生まれない。


情を失った者には、何もメッセージが届かない。ただ、その時その時の馬鹿騒ぎだけが理解できる。そんな人間になって行くでしょう。何を見ても、金に換算したら幾らになるのか。それしか基準を持たなくなるでしょう。そんな人間が増えれば増えるほど、数字が力を持つ様になるのでしょう。
伝統文化は観光客への見せ物になり、街並みは商品になる。だから洗濯物はベランダに干したらダメ!って話が常識になる。この街を、この国を守ろうとした人たちは、情でそうして来たはずなのに、現代日本人にはそれが伝わらない。高く買ってもらえるなら、外国人に売っても良いし、山や古墳が太陽光パネルで覆われても、電気が取れるから良いじゃない。

情け無い話です。



 YouTubeでは、登録者が何万人もいる人気者がいますよね。ホロライブとか、Vチューバーってアイドル?もたくさん居ます。見ていて面白いし、コメントが届くこともある面白い企画です。日本で始まり、これまた世界が真似をし始めた新しい文化コンテンツ。

配信者は常に、自分へ送られて来るコメントを同時に見ている。自分の発言や行動が、ウケたり非難されたり、直接的な関係性がある。配信者にとって、登録者や視聴者が、情によって結ばれた関係性になっている。コメントは、まるで天からの声の様になっています。


でもね、これが天の声なら、私たちは皆、無数のフォロワーを持っているんですよ。この青い心は、死ぬまで開いておいた方が良さそうだ。繋がれて来た命は、思いそのものだから。