神仏分離の時限爆弾 | ロバ耳ブログ 

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 川勝知事が辞職するだって? もっとグダグダと居座るかと思っていましたよ。岸田の息子なんて、こっそり秘書に戻っていましたし。これは徐々に、日本の政治が正常化に向かっている兆しなのでしょうか。色んな事が分かりやすくなって、人狼がボロを出す機会も増えていますからねえ。後は、国民のどれだけが、これを問題だと捉えるのか。

私なんかは、実はちょっと冷めてしまって、今のネットの盛り上がりに乗っかる気は無いです。目に見えて、外国人が問題になったり、太陽光パネルで国土が荒廃したり、もう遅えんだわ。こうなる前に、10年前から同じ事を言っていたので、今になって怒りを顕に政治で盛り上がられてもねえ、って感じです。


 それでも動き出しただけ良かった。奈良の県知事も辞めさせないとね。安倍晋三暗殺の直後に、維新の候補で出て来た山下。こいつも中国人かも知れませんよ。住民を騙し討ちにしてメガソーラー事業ですよ。維新の道州制は、中国の日本分割案で、竹中平蔵と高橋洋一が裏で指南しています。こいつら最低です。



 もう大昔の話と思われる様な事が、今も継続的に日本を壊している。明治維新は、やはり国家転覆のスタート地点であります。前に書き置いた廃仏毀釈が、鹿児島で最も猛威を振るった。全国的にも、万を超える仏閣が破壊され、この事件は、想像以上に深刻な破壊を日本にもたらせています。政府が指導したわけではない、と一般には説明されていますが、確実にやっていたと思われます。
中でも、鹿児島が酷かった理由は、あくまでも想像ですが、薩英同盟が関係しているのではないでしょうか。例えば、鹿児島にも田布施の地名があって、そこは元朝鮮部落だと言われています。

そこの出身が小泉純一郎の系譜だとしたら、イギリスのユダヤ人が、ここをテコに日本の破壊工作を行った、って仮説は成立しますよね。

現在で言えば、イラクを破壊した後に、少数派だったスンニ派を支援して政権を取らせた。この様な話ですよね。スンニ派とシーア派の対立など無かったのに、日本では昔から対立があったと宣伝される。パレスチナとユダヤの対立が、昔からあったと宣伝しているのとも、同じ構図です。


 連中が文化の研究する理由は、人間に対する興味として同じですけど、最終目標が基本的に私たちとは真逆です。少なくとも、明治維新で日本が大混乱に陥ってから、9年間は皆んな気が付かなかった。その間に日本社会はボコボコになる。

おそらくザビエルが信仰を広められなかった理由は、神仏習合と言ふ、日本の独特の国家体系があったからなのでしょう。イエズス会は報告で、この日本は必ず破壊しなければ、将来的に自分が危ういと言ったとか言わないとか・・・。400年来の計画を、現在進行中って事になるのでしょうか。



 神仏分離令は、もちろん皇室にまで影響を与えます。明治政府が、帝にまで命令を与えて、それを実行させる権力を持っていた。しかし、その強大な権力は、一体どこから来たものなのか。普通に朝敵ですからねえ・・・・。これって、ウクライナが、アメリカのユダヤ人らが仕掛けたクーデター政権なのと同じなのでは?


 今では教科書からも削除されている聖徳太子。十七条憲法以外にも、多くの改革をやる。その一つが、まさに神仏習合です。三経義疏(さんぎょうぎしょ)って三つの書物に、神も仏も矛盾しませんよって著したそうです。この聖徳太子は、別名が厩戸王子(うまやどおうじ)。馬小屋で生まれます。これが聖書のイエスと被ってる。
和を以て尊しとなすって言葉も、社会的な認識が元々あったから、それが受け入れられたのでしょう。仏教も、この時から日本独自の仏教になっていると言って間違いないでしょう。インドや中国では滅亡してるね。タイだけが仏教国だけど、あっちはどんな国家体制なのでしょうか。

タイと日本に共通しているのは、植民地時代において、この二国だけが西欧の支配を免れた。

色々と日本だけは破壊したい理由はありそうだ。



 孝徳天皇の時代、聖徳太子のすぐ後ですね。寺を作ったら補助金を出すってやったみたいです。この辺、ちゃんと勉強してないけど、今だったら再エネ事業費ですね。それで仏教が拡大していく。天皇自体が、仏教を柱に国を納めるぞって方針になった。でも始まりからして、神仏習合なので、仏教が国教になったのとは、少し違いますよね。
ただ、ここから幕末まで、日本が独自の宗教国家だったのは間違いない。それで伴天連は追放されるわけです。


 この国家体系の破壊こそ、西暦勢力の第一目標だった。よって、クーデター政権は、天皇家にも神仏分離を強いる事になる。天皇家は京都御所を離れ、江戸に皇居を置く事になります。この時に問題になったのが、京都御所にあった、歴代天皇の位牌。
天皇家は、代々仏教で供養されて来たので、御寺(みてら)を持っていました。京都の泉涌寺(仙遊寺)855年。これも廃仏毀釈で廃れる事になるのですが、ここで葬式をやっていたらしい。
そして、京都御所に、黒戸(くろど)って位牌を収めるところがあって、神仏分離令でそれが廃止される。だから泉涌寺に移したとか、そんな感じです。ごちゃっとしてますが、大混乱になったって事です。

この歴代天皇の位牌は、当時の明治政府は、一部で燃やしてしまえとの声もあった。それが今では、泉涌寺の霊明殿に残された。神仏分離なので、天皇家は、ここに線香をあげに行けなくなる。


 明治9年、流石に廃仏毀釈が行き過ぎだと政府内からも声が出始めて、それは収束していきます。しかし、天皇家が泉涌寺に行く事は、宮内庁が認めなかった様です。上皇陛下が、見学なら許してやるって言われて、やっと行けたって話の様ですよ。宮内庁って、何者の集まりなのでしょうねえ。何で帝が命令を聞かないと行けないんだよ。その権威はどこにあるってんだ?


 令和元年、大嘗祭を迎えて、始めて少し変化の兆しが現れたそうです。今上陛下が、泉涌寺でゆっくりして来たんですって。大嘗祭には、その式典が卒なく終わりましたよ、って、歴代天皇に報告する儀礼がセットになっているのだとか。
親謁の儀(しんえつのぎ)って言ふそうです。これが、四代前までの天皇に報告するって話になっているのそうなんですよ。じゃあ、今回は、不敬極まりない話ですけど、上皇陛下は生きてますでしょう。だから、昭和天皇、大正天皇、明治天皇、孝明天皇で四代。それで良いけど、問題はその次です。孝明天皇までは、霊明殿に位牌があるけど、明治天皇からは、皇居にある、皇霊殿に位牌が収められている。

ここで、完全に皇室は仏教との縁を切るのかどうか。歴代天皇は、明治からは完全に別物の扱いにしてしまって良いのか。そういう問題が浮上しているのだとか・・・。

しかし皇霊殿は、霊明殿の分祠の扱いなので、その関係性も壊れてしまいます。いや、親謁の儀が、四代前までの天皇の御魂にだけ報告って、それもう、仕掛けられた時限爆弾でしか無いと思いますよ。国民が何もかも忘れてしまって、日本人にして、明治以前の日本人の心を理解できなくなった頃を見計らって、ここで完全に終わらせる。

もともと明治天皇が、孝明天皇の血を引いているかは怪しいんですよ。でも、泉涌寺に行きたがった上皇陛下は、こっそり元の血筋に戻っている可能性もあります。


皇室の本当の話は、中で是非とも解決して欲しい。しかし、本当の先祖と違うかも知れないってのはヤバいですね。宮内庁、明治維新、維新ってとにかくヤバいのでは?明治を境に、日本人は逞しく独立しては来ましたけど、明治維新を美化する風潮は、見直さないと不味いのでは?


日本史上、最悪なクーデターが、今も継続中なのでは?