日本の文化大革命 廃仏毀釈 | ロバ耳ブログ 

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 私たちが立ち止まって、社会のあり方を見つめ直すべき時代。その分岐点が見えて来ました。やはり明治維新ですね。そして廃仏毀釈。


明治元年が、1868年の9月であるにも関わらず、神仏分離令は、その数ヶ月前、3月に御触れが出されています。岩倉具視、大久保利通など使節団のメンバーです。教科書では、王政復古による、祭政一致を目指して、新しい国家を目指した事になっています。天皇は現人神とされ、神祇官に大鉈が振るわれます。



その後、確かに日本は急成長し、先進国の仲間入りは果たしますよね。しかし、それ以降の日本の悲劇は、今も継続中ですよ。子供が自殺してしまう社会になり果てたんですから。そこに何も感じない大人が、今の日本の中枢に居座っています。



 この様な国を、私たちは身近に知っています。非常に冷酷になった中国人。私たちは彼らを観察する事が出来る。文化大革命を経て、何もかも自分たちで破壊してしまい、その後に急成長して経済大国へ。今では戦争でも何でもやる国に変わってしまいました。抵抗する異民族、人民を、ただ殺しては勿体ないからと、臓器移植のストックにしている。国民全員の身体データを駆使して、必要な時に必要な臓器を集める体制まで完成させています。


かつて人類が経験した事がない高いレベルで、人が成せる悪行の、更に上を行く世界が構築されています。


 日本では、ここまでの鬼が蔓延らない。この国は、もの凄く守られていますよね。しかし、廃仏毀釈は、日本の国の在り方そのものを破壊した、中国の文化大革命に匹敵する大事件だった、と思い始めています。考えても見てください。例え天皇に国家を任せて、大政奉還をしたからと言って、それが国の体制を完全にひっくり返す事に繋がるのか。何故に神仏分離をしなければならなかったのか。




大政奉還が1867年11月。そして、王政復古の大号令が年明けの1月。神仏分離令は、その3月ですよ。それまでの日本の、ある意味で民主主義を排した、カルト的な独裁国家が誕生した。そして日本は、どんどん戦争の世界に巻き込まれて行きます。イギリスの都合の良い様にね。

いや、イギリス人の仮面を被った、いつもの人たちの都合の良いようにね。


 平田篤胤ら、当時の国学者の思想云々は良いんです。こんなところを研究しても空振りです。明治新政府の、岩倉具視ら、使節団のメンバーの背後にいた外国人勢力が問題なんです。まず、龍馬も含めて、彼らの活動資金の出どころが問題なんです。

現在、アメリカでめちゃくちゃやってる裁判官。全員がソロスの資金での成り上がりです。ソロスの資金も、詐欺で得た犯罪資金ですが、それが元手でアメリカが基盤から破壊されて行く。金儲けじゃないんです。目的は国家の破壊。



 フランスだったらフランス革命、アメリカだったら建国そのもの。日本は廃仏毀釈に立ち返る。じゃないと滅ぼされる。これが結論です。では廃仏毀釈で、何が変わってしまったのか、ですよね。単純に、神仏習合から、神社と仏閣を分けた、なんて話じゃない。もう、めちゃくちゃに社会の体制が破壊されてしまっています。


小名木善行先生が、この辺の歴史を詳しく解説していますね。特には、私の様に廃仏毀釈が、最大の闇だとは申してはおりませんけどね。



 今は多くの人が神社や古代に関心を持ち、今まで以上に日本の在り方を模索する様になっています。そして古代まで遡って考察する。その割には、律令国家から明治までの、神仏が習合して行く、世界的にも稀な社会形態について、あまり話をしないんですよ。一応、羽賀ヒカル氏、この研究者は、日本の仏教は、日本独自のものだって言ってはいますけど、なんか神社と仏教を分けて話すんですよ。



 知ってか知らずか、神道と仏教を切り離した考察がネットの主流になっています。しかし、神仏習合の歴史はざっと1200年。神社の形態も、神道の在り方も、双方が非常に密接に絡み合っていて、それで一つの立体的な国家像を作り上げています。本地垂迹説とか聞きますよね。テストに出るやつ。平安時代から鎌倉時代、それ以降でも、神が先か、仏が先か、なんて議論が続いて行く。

その思想的背景の上で、日本社会は作られて行きます。寺社仏閣の在り方も、私たちが残す習慣も、これとは切り離せないはず。何故か理由は分からないけど、近所や街を掃除したりするでしょう。それが、明治政府によって切り離され、今に至る社会の混乱をもたらしている。


間違いないと思います。



 誰がそうだって言ったわけじゃないけど、作られた物の在り方を見れば、そこに作って人の考え方がが見えて来るんですよ。車とか、ゲームでもそうです。絵や音楽だけじゃない。そして当然ですが、神社や社会形態も、作り手の考えや思想が反映される。それで行くと、明治以前の日本の社会形態は、極めて哲学的で、極めて合理的です。



 日本人なら、ほとんど毎日の様に「ありがとう」を使いますよね。何かにつけて、それらを態度で示す。何に対しても有り難がる姿勢。これは完全に仏教の思想から来ています。全てが有り難い。これが基本です。


 余談ですが、私の母は勉強は出来たはずですが、ありがとうを漢字で書けませんでした。よって、ありがとうの反対語が分かりませんでした。その時、ああ、母が何かと不幸まとわりつかれるのは、この辺に原因があるのだろうなあ、って思いましたよ。


 有り難いとは、読んで字の如く、有る事が難しいって意味です。有る、とは、この世の全てを指します。全ての事は当たり前ではない。だから諸行無常なんだよと。だから何にでも有り難がる国民性になる。仏教がどれだけ形骸化しても、ありがとうの意味さえ押さえていれば、日本人は救われる、とさえ思っています。


そしてこの、有り難い世界ってのが、神社のこっち側の世界、いわゆる俗世の事なんですよ。ここは聖域で、色んなものに守られた世界です。守られているから、存在する事が可能なんです。宇宙空間に、ぽつんと存在する地球そのものですよ。そして、陸上の生命は酸素があるから生きられる。この酸素だって、植物が億単位の年月をかけて作り出したものです。強烈な紫外線から、私たちの目や皮膚を守るオゾン層も、この酸素があるから作られています。



 神社は、神域と俗域を分けた領域です。神域なので、そこの物に簡単に手を加えては行けません。しかし、こんなものは、あくまでも人が作り上げた設定です。そう考える人は、簡単に木は切るし、駐車場は作るし、観光地として商業化してしまう。だけど、そこが聖域だと思う人は、神社を守ろうとしますよね。

これは、実は両方とも間違っていて、神社の外も中も含めて、全て聖域なんですよ。守られている側が、守っているつもりでいる。



 宮沢賢治の、狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすともり)って話を覚えていますか。中学の国語で習ったでしょう。何をするにも、森や山にお伺いを立てる。

「この木を切って良いかー!」

「良いよー」


何処から、承諾が得られる。


この感覚です。これくらい慎重に日本人は生きて来た。何故なら、この世界が聖域だから。


 仏教において、この聖域に存在する事は、ある意味で奇跡的で、だから毎日が有り難い。自分の肉体であっても、それは、この世界に具現化する為の借り物であると。だから当たり前と思うなかれ、と。粗末に扱うと、故障したり病気になって、急に自分ではどうにもならなくなる。そんなものですぞ、と。


 その様な俗世にあって、仏教は救済を説きます。しかしそれは神じゃない。仏様ですよね。仏様は人間です。俗世で助けてくれるのは、あくまでも人間なんですよ。だから私たちは、自然と人間を信じています。神は信じる信じないの対象ではなく、存在そのもの。感じるもの。

何か不思議と感じた時、それが神を感じた時と言って良いと思います。どこまで科学が発展しようと、この世の神秘はなくならない。人がそれを感じる以上、いつでもどこでも神は存在するわけです。


 日本人は、神も仏も混在して受け入れたわけではありません。ちゃんと長い時間をかけて、宇宙全体を通して、この世界の在り方を体系化して認識して来ています。これが廃仏毀釈の前の日本に見られる構造的な社会の特徴なんです。

外国人から見て、一見矛盾だらけの日本人の行動は、実は非常に合理的で哲学的で、深い思慮に基づいたものであります。



 今は、大和魂とか、日本人とは何ぞや、って言われて、それを説明できる人が全く居ないでしょう。だけど、神仏分離前の日本の在り方を見れば、その思想、考え、思いが分かると思います。これは私が言っている事では無くて、過去に作られたものが、それを物語っています。そしてそれらは、文化大革命で破壊されて、今の日本社会に至る・・・