日本の本当の姿が、見えたんだが・・・ | ロバ耳ブログ 

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王様の耳はロバの耳

 
 昨日、見えました。この事が。私たちの国(世界)が、どの様な構造になっているのか。どう認識されて来たのか。明治以降と以前で、何が変わってしまったのか。


ちょっと何を言い出したの、このオヤジは、って思った貴方。大袈裟に聞こえるでしょうが、まあ聞いてください。これがネットの時代で良かった。せいぜい居酒屋で話して終わるところを、何百人かには伝わる。
テキサス州では、難民が強行突破で軍を振り切って雪崩れ込んで来た。こんな終末的な話題もありますが、今はこっちの方が先だ。ヌーランドのプレゼントとか、オバマがイギリスに行ってるタイミングで、チャールズ死亡説が出るとか、色々とありますけれども。



 ここ暫く、何回も擦っている神社ネタ。これに関して動画を漁っていても、やっぱり違う。神社の鳥居の向こうは、境内だけど、神の世界に入って行くのでは無くて、そっちに出て行ってしまうって認識。これは一般に、真逆の発想なんだけど、なんで、こっちの方が正解だと思うのか。素直に、こう考える方が、あらゆる事柄に説明がつくからなんですけどね。

それを今から説明していきます。



 日本人は、とにかく世界から不思議な民族だと言われています。昔から不思議ちゃん扱いで、今では、オンラインゲームで日本人と遭遇すると、まるで妖精を見つけたかの様にはしゃぐ外国人たちがいます。「KAWAI I」は知っているので、一生懸命にコミュケーションを試みようとします。柴犬みたいな扱いです。

ポーランド在住の日本人の話では、今年度になって、それまでも人気だった日本学科が、定員50名のところが、千人以上の応募があったそうです。コペルニクスが卒業したって言ふ、700年以上のある欧州きっての名門校らしいです。それくらいに注目され始めている。
最大の謎は、「何故、日本人は秩序を保っていられるのか」です。

これだけ税金が上がって、生活が苦しくなっても、犯罪をやるのは外国人ばかり。デモも暴動も起こさない。そして自殺して行く。イルミナティに、完全に洗脳された民族だ、くらいに思われてる。でも、果たしてそうなのか。



 一番のきっかけは、東日本災害ですね。日本では、災害が起きたら暴動、窃盗、掠奪が起きて、二次災害が人によってもたらされる、なんて考えもしません。とにかく、皆んなで、どうやって乗り切ろうかって顔を見合わせるでしょう。その時に目が合った人に、奪われる、殺される、なんて全く思わないでしょう。考えつく事もない。
だけど海外は違うんです。大災害が起きたら、周りの人に対して身構えなければならない。


これが通常で生きて来た海外の人にとって、日本人の姿は余りにも非現実的だったんですよ。キリスト教圏の人は、「日本人はイエスだ」、イスラム教圏の人は「日本人はアッラーだ」って言ってました(笑)



 これがでも、何が私たちと彼らの違いなのか、分かった人はいますか。日本人だけに多く見られる、ヤップ遺伝子が、協調性やら優しさの遺伝子だから、それで日本人はこうなんだ。そんな説明しか無いと思いませんか。しかしそれだと、人間は遺伝子で決まってしまう。海外の人に会って、協調性が無いとか、思いやりが無いとか、そんな風に感じますか。
日本人の中にも、思いやりも協調性もない人間はいますよ。これも遺伝子の違いでしょうか。

そうだとしたら、話はここまでで、あとは良き遺伝子を持つ人間を残して、その他は滅ぼすしかないでしょう。優生思想は、そう言ふものですよね。ナチスの思想です。



 過去を遡れば、日本は、聖徳太子の時代に大宝律令を定め、法治国家に変わっていきます。支那の唐の国から学んだものです。そして同時に、仏教も取り入れて行く。ここで、土着の信仰と、仏教の対立が発生するも、やがては一体化して行きます。明治になるまで、仏教と神道は一体でした。

唐からもたらされた仏教は、寺も立派で、体系化されたもので、それが神社にも影響して、今の形に変わったと言われています。この辺は、小名木善行先生が、研究して来た話です。

そして、遣隋使や遣唐使で、支那から多くのものを学びつつも、独自の国家体制を築き上げます。その一番大きなところに、実は神社が存在しています。




 小名木先生の話によると、確かに唐から律令制は取り入れたものの、実は中身は決定的に違いがあると言います。唐のそれでは、皇帝は、天と直接の繋がりがあって、皇帝が「あれは馬だよなあ?」って言ったら、鹿でも牛でも「馬です」って話になる。天と一体化した皇帝は、神様そのものなので、逆らっては行けません。
そこから、ピラミッド式の行政制度が作られて行く。そしてこれは、今の中国でも変わっていません。

一方で日本は、天皇はトップの存在ではあるけど、あくまでも神様に対して、日本人を代表して向き合う神官の立場。だから大災害や飢饉が起きたら、その時代の天皇が、ちゃんと神様と話が出来てない、って昔は考えられていたそうです。それはあるな。


ネットには、古代中国の思想として、「大御宝」(おおみたから)が紹介されていますが、日本もそれを取り入れて、国民は、朝廷の宝なんだと、そう言った思想が形成されたと言います。
私や、恐らく小名木先生も、大御宝の思想は、日本独自のものだと思っていますよ。じゃないと説明がつかない。


岸田は、外国人が日本の宝だと言っていますが、日本の宝は、日本人です。そして、そこに神社が関わって来る。と言ふのも、律令制度の中に、日本にはあって、支那にはないものがある。それが神社庁。昔は神祇官と呼ばれた官職。

この官職は、太政官に並ぶ役職であるにも関わらず、日本の歴史や教科書からは、一切触れられる事もありません。太政官は、今で言ふ内閣府で、その下に、各省庁が、今は乱立しています。

内閣府が、どれくらい権力があるのか、見ての通りです。では、一方で、神祇官は、どの様に力を持っていたのか。


それが神社の存在であり、そして神社はまた、仏教と一体化しながら、深く、私たちの生活全般に、広い繋がりを持っていた。これが何を意味するのか。



 官僚機構は、巨大なピラミッド型の組織であるため、私たちの声や思いが、上に届く事はなかなか大変な事です。ワクチンの被害に遭った人も、役職や推進した大臣らが邪魔をするので、申請書類を用意するだけで、多くの人が脱落していきます。役人は、失敗を隠すんですよ。

支那の律令体制では、そうやって腐敗が止まらない。だから何度も国が勃興しては滅びる。これを繰り返す。しかし、日本の場合、太政官、内閣府、総理大臣の上に天皇がいて、その天皇は、神祇官を通して、民の様子を掴む事が出来た。何層にもなった役人たちを飛び越えて、神社の神主たちをとおして、庶民の暮らしがどうなっているのか、いつも気にかけていたんです。何故なら、日本人が日本の宝だったから。


 神社と仏教は、同じ敷地や隣りあって存在していて、そこで皆んなが集会をするし祭もする。読み書きそろばんを、寺子屋である。そんな体制が、江戸時代まで続いた。それが明治になって破壊された。そして戦争の時代から今に至る。

天皇は、役人たちが、ちゃんと政治をやっていないと、神祇官を通して知る事が出来た。従って、トップの役人と言えど、朝廷との間に、緊張関係が存在したわけです。今の政治家に、なんか緊張関係はありますか。天皇陛下の首にされる事も無く、陛下も私たちの生活の様子を知る事も無く、気にかける振りはするけど、明治以降は怪しいもんです。
今の政治家に、なんの緊張感もないのは、誰の目にも明らかです。もう隠そうともせず、「あれは多文化共生です」とか言って議員を続けられるんですよ。普通の人間なら、恥ずかしくて出て来れませんよ。自民党議員は凄い。



 私たちの日本は、明治になって、ここを壊された。発想を変えましょう。鳥居をくぐると、そこは神々の領域に、私たちが出て行くって事です。そして、そこは運だけが支配する、生殺与奪の領域。この領域を、逆に信じ込まされているから、全ての災いが起きている。

今の私たちは、神社の中に神様がると思ってる。しかしそこは、宇宙と繋がっている外の世界。私たちは、こんな世界を、神社の中に治めて、管理していているつもりになってる。この精神の傲慢さが、全ての災いの元です。逆なんです。そんなの、私たちに管理できる世界じゃない。

神社の奥にいる神々に畏怖の念を抱く事で、私たちは恐らく、常に謙虚で、奢る事なく生きてこられたはずです。それが、世界でも稀に見る、江戸の平穏な時代です。世の中が、運に任せたものであったら、それを何とか努力で乗り換えようとして来ました。そうやって、運より努力が報われる世界を、私たちは積み上げて来ました。
七五三を神々に感謝しに神社に行くのは、それまで子供は多くが死んでしまったからです。七歳迄の子どもは、ちょっとした風邪でも死んでしまう。今はそうじゃ無いけど。これも、努力で運を克服した成果ですよ。

つまり、運の要素を、人生から如何に遠ざけるのか。これが人の歩んで来た歴史と言っても過言じゃないですよ。だから運の要素で振り回される時代、人々は神々に「やめてくれませんか」と、お祈りをする。


 これは、明治の日本が、何で列強に肩を並べて、アメリカに負けるまで勝ち続けたのか。その答えにもなると思います。要は、それまでの日本人が、努力で運を跳ね返せると信じていたからでしょう。そして、そこにあるのは謙虚な姿勢。運の要素に対する畏敬ですね。神社が存在する世界観が、日本人の強さの源泉になっています。おお!運命の神よ!って歌い出さないでしょう?



努力が信じられる国民性は、神社ありきの世界観から来てる。でも、今はそれが無くなってる。もう社会のシステム全体が、運で全てが決まってしまうレベルになっています。


 それでも暴れないでしょう。暴れてどうなる、って多くが思っていて、それは正しい。解決策がそこじゃ無いから。海外の者から見て、日本人が何故、この状況で暴れないのか分からないんですよ。向こうは運が支配する世界だから、一か八か暴れて打開するんですよ。
今の日本人が、戦前の日本人と全く違って見えるのは、努力を信じて頑張っても、報われない現実に直面したからです。どうしたら良いのか分からなくなって、引き篭もるか、最悪は自殺してしまう。
欧州のように、犯罪や麻薬に走らない。



 じゃあ、もう一度、神社を復活させて、律令体制を取り戻せば良いのか。私はそうだとは思いますよ。変な民主主義よりはよっぽど良い。でも、もっと現実的な話をすると、先ずは認識を変えて、神々、つまり運命に対して、もっと謙虚に向き合うべきだと思います。運命を、自分の力で捩じ伏せた。この様な考え方から離れるべきです。人は、どれだけ力を持ったところで、神にはなれないのですよ。死ぬ運命なんだから。

WEFの連中の傲慢さ。こんなのは遠ざけないと。



 日本に来たイスラム教徒がね、カツ丼を食べてしまうんですよ。旅行で来たくらいのものh、絶対に食べない。だけど、住んでいる者はトンカツを、食べてしまうんですよ(笑)

そして大丈夫なのかを聞くと、「ここは神様は見て無いから大丈夫」って言ふわけです(笑)


これは大きなヒントですよね。そうなんです。ここ、日本の社会は、神様も目が届かない人の隠れ家なんですよ。神社が無いから、断食しろとか、一日に何度も頭を下げろとか、日曜日には教会に必ず来い、牛は食うな豚は食うな鯨は食うなって強制して来る。
フランスだと、アッラーを風刺画にしたら殺される。神様が人の世界に入って来たら、自由は無くなるんですよ。


人の世界は、本来なら人しか文句を言って来ない。戒律が無いから、外国人が日本に来ると楽に感じる。自由にかんじる。また「日本に帰りたい」って言ふ。

ああ、文字数制限が来たわ。