アメリカ裏歴史⑩ | ロバ耳ブログ 

ロバ耳ブログ 

王様の耳はロバの耳

 BISは銀行家たちから「中央銀行の中央銀行」と呼ばれていた。その会合はすべて非公開で行われ、そこに世界中の中央銀行のトップが参加する。また、BISは独立の存在として特権を有し、政府の規則を免除されている。


 ジョージタウン大学教授の歴史学者、キャロル・キグリー著『悲劇と希望』の1975年版には、この中央銀行の設立について次のような記述がある。
 「金融資本の影響力は実に広く、それが目指すところは民間による世界的な金融支配のシステムを創出し、あらゆる国の政治制度や世界経済全体の支配を可能にすることにほかならない。このシステムは、協調して動く世界の中央銀行が頻繁に会合や会議を開いては密約を結ぶという封建的な方法で運営されることとなった。
 このシステムのトップはスイスのバーゼルにある国際決済銀行のはずだったが、この民間銀行を所有し、支配していたのは世界各国の中央銀行だった。そして、これらの中央銀行自体もまた民間企業だったのである。


 中央銀行はそれぞれに自国の政府を支配することを望み、そのために財政融資や為替の操作を行って国家の経済活動の水準に影響を及ぼした。また、実業界での経済的な見返りを約束することで、協力的な政治家に影響力を与えた」


ほんの一握りの米国上院議員が、アメリカを国際決済銀行の影響力から守ろうと戦った。しかし、アメリカがこの世界中央銀行を拒んだにもかかわらず、連邦準備制度理事会はスイスの会合に理事を派遣し続けた。そして1944年、アメリカは正式にこれに引きずり込まれたのである。



1944年
 アメリカのニューハンプシャー州ブレストン・ウッズで、国際通貨基金(IMF)と世界銀行が、アメリカの完全参加の上で承認される。
 IMFと世界銀行のやったことは本質的に、1913年の連邦準備法がアメリカに確立したことを世界規模で再現したものである。
IMFと世界銀行は、世界が非公式に所有する中央銀行を含む銀行カルテルを作り出した。それは徐々に、あらゆる国の銀行の融資政策を指図する力を持つようになる。 連邦準備法が連邦準備券と呼ばれる、国内向けの新たな不換紙幣を作ることを認めたのと同じように、IMFは「特別引出権(SDR)」と呼ばれる世界向けの不換紙幣を発行する権限を与えられていた。加盟国は圧力を加えられ、最終的には自国の通過をSDRと完全に交換可能とせざるを得なくなる。