アメリカ裏歴史⑨ | ロバ耳ブログ 

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 かくして、銀行家やその友人たちが、みな既に承知していたとおり、8月、連邦準備制度理事会は貨幣供給の引き締めを開始した。そして10月24日、ニューヨークの大手銀行家たちは24時間以内のコールローン(短期貸付)回収を要求した。これは、仲買人と顧客がどちらも、売値にかかわらず、ローンの弁済のために市場に株を放出しなければならないことを意味する。
 株式市場が暴落した結果、その日は歴史上「暗黒の木曜日(ブラック・サーズデイ)と呼ばれるようになった。
 1920年から1931年まで銀行通過委員会の委員長を務めた共和党の下院議員、ルイス・T・マクファデンは、ユダヤ人銀行家に対して妥協のない批評家だったが、この恐慌を引き起こしたのが誰かについて、次のように率直に述べている。

 「偶然ではない。慎重に仕組まれた出来事なのだ。(中略)国際銀行家は、ここに絶望的な状況を作り出すことを望んだ。そうすれば、私たち全員の支配者として君臨できるからだ」

 不況やインフレから国を守るために連邦準備制度理事会がとるべき手段を訴える声はあったが、同行はさらに貨幣供給の引き締めを続けた。1929年から1933年の間に、貨幣供給はさらに33%減少している。ノーベル賞を受賞した経済学者、ミルトン・フリードマンでさえも、1996年1月のラジオ・インタビューで次のように語った。

 「連邦準備制度理事会が1929年から1933年の間に貨幣の流通量を三分の二に引き締めたことによって、大恐慌は起こりました。これは明らかです」

 暴落の日からわずか数週間で、30億ドルが消えた。1年がたつ間には、400億ドルが消滅している。しかしながら、これは単に消えたのではなく、富がますます少数の者の手に集約されていったわけで、予定通りのことだった。ジョン・F・ケネディーの父親、ジョセフ・P・ケネディーがいい例である。彼の資産は1929年には400万ドルだったが、アメリカ史上最大の不況の後の1935年には1億ドル以上に増えていた。
 これが不況の起きた原因である。少数者の利益の為に、大勢の人間の手から金(かね)が取り上げられたのだ。


1930年
ロスチャイルド家、最初の「世界銀行」である「国際決済銀行(BIS)」が、スイスのバーゼルに設立される。
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