すごく楽しめました

 

 

第172回直木賞の候補作だったそうです。受賞は伊予原新さんの「藍を継ぐ海」です。私は現在、図書館の予約待ち中。伊予原さんの理科をエッセンスにした本も楽しそうなのですが、この本、私はすごく楽しめました。

 

楽しめた要素は三つ

  1. 主たる舞台になっているのが月に一回開催している「読書会」。音読をして、参加者がその感想を言い合うっていう読書の楽しみがある事を知りました。
     
  2. 登場人物の多くが「高齢者」92歳を筆頭に平均年齢が85歳の読書会では、様々な高齢者の「あるある」が満載です。
     
  3. そして、この物語の読書会では一冊の本を数か月に渡って読むのですが、それが、「だれも知らない小さな国」なのです。この本、大好きな有川浩さんが続編になる「コロボックル物語」「だれもが知っている小さな国」を書いておられて、この物語が立体的に読めた気分でした。
     
そして、それぞれが絡み合って、このお話が出来ていて、上手な(巧妙な)物語の「しかけ」を感じました。
 

  あらすじは

 

 

小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。

 月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉は今年で20年目を迎える。

 最年長92歳、最年少78歳、平均年齢85歳の超高齢読書サークル。

 それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡は一度だけで伝わることもない。

 持病の一つや二つは当たり前で、毎月集まれていることが奇跡的でもある。

 なぜ老人たちは読書会を目指すのか。

 読みが語りを生み、語りが人生を照らし出す。

 幸福な時間が溢れだす、傑作読書会小説

 

↓文春オンライン(公式かな)のサイトから拝借しました。

 

 

 

  私が刺さった「読書会」

 

 

読書会っていう事を具体的には知りませんでした。勿論参加したこともありません。図書館の小部屋でなにやら集まっておられるのを見た事は有るかな?程度。

 

一冊の本を音読するのです。区切りの良さそうな数ページを順番に読んで、そして皆でその読みっぷりと本の解釈の二つの点で、あれこれ感想を述べたり持論を展開したりされます。

 

たしかに、こうした形の「読書」だと私の読書よりはずっと深く一つの作品を理解することになりそうです。しかし、ちょっと面倒臭そう。自分はリタイヤしてから本を読む時間が出来ました。図書館で借りては、読んで、感想文をblogにすることで、単に「読みました」よりは頭を働かせれば「ボケ防止」になるのでは?と考えています。

 

市の図書館の蔵書は多く(当たり前)、またblogでフォローさせてもらっている方からも「こんな本はいかが」とばかりに紹介してもらえます。なので深く読むっていうよりは、沢山読みたくなります。分からない漢字が登場しても、前後の文脈から「こんな意味だろう~」と勝手に解釈するっていう読み方を小さい時からしていたように思います。

 

なので、この本に登場する「読書会」すごく新鮮な気持ちで読ませてもらえました。おそらく、本を趣味にされている方でも、こうした「読書会」に参加されている方って少数派でしょう。自分の読書の形を再考させてもらえました。

 

 

  次に「高齢者」

 

 

まぁ平均年齢85歳の読書会のメンバー六名です。あちこちに高齢者ならではの挙動が登場します。感想を言い合うシーンでも、脱線は日常茶飯事。どこからこんな話に飛んでしまったのか不明になります。人の話も聞いているのか、聞いてないのか?各自が自分勝手にしゃべっているようにすら思えますね。

 

そして、各自が年齢相応にあちこちガタも来ています。「検査すると、なにかしら出るから嫌」というセリフはしばしば登場しますし、病欠の参加者も出てきます。読書会では、大量のオヤツが集まります。各自なにかしら持参するからです。これが糖尿を抱えているメンバーには障害です。主治医からそれを理由に参加を見送るように、とまで言われても、言うことを聞きませんね。あげくは「入院」そして、病院でも暴れます。

 

この糖尿を抱えているのが、会長なのです。彼は地元の元人気アナウンサーさん。奥さんの病気を機に退職されて看病。そして、今は独り身です。もう奥様の元に行きたいって望んでいるのかな、と思えるほど。

 

会長以外にもメンバーが居て、一読目(実は二読した)では、「ちょっと登場人物ゴチャゴチャするなぁ~」と思っていたのですが、それぞれこの物語の中では、大切な役割があります。

 

会がちょうど20周年を迎えます。記念誌を作ることになって、それぞれの原稿が集まります。その端っこに自分の今までの生き様が出ます。これだけ年齢を重ねてきているし、誰もがなにかしらの辛さを抱えているのですが、それが少しづつ解れていく様子が、この物語の魅力のひとつでもあるかと思いました。

 

 

  そして「だれも知らない小さな国」

 

 

この本はコロナ明けの春に読書会が再開されて、秋の20周年記念イベントの公開読書会まで、一冊の本をすこしずつ読んでいきます。この本が「だれも知らない小さな国」なのです。私、この本を知ったのは有川浩さんの「だれもが知っている小さな国」です。読書会で使われている原本の「だれも知らない小さな国」は、昭和34年(古いんだぁ~)に佐藤さとる氏が自費出版されて、長く愛されている児童書ですね。その後に数冊の続編が出版されているのですが、原作者さんと有川さんのインタビューをきっかけで、続編を書かれていて、それが「だれもが知っている小さな国」になります。

 

私の感想文です。

 

 

私は先に有川さんの「だれもが知っている小さな国」を読んでから、原作のい「だれも知らない小さな国」を読みました。この読書会で次々とお話が進んでいく中で、各自が解釈をされますが、どうも二つの物語が混ざって記憶しているようでして、なんか混乱しました。

 

私の頭の中では、どちらの本にしても、子供たちに向けて、素直な気持ちで他人と接しよう、とか、ちゃんと誰かが見守ってくれているよ、などの前向きなメッセージが込められているように感じてました。

 

ところが、ところが、この読書会では、いきなり会長が「コロボックルは死の象徴」的な発言をします。「へぇ~」でした。そんな本だったかよぉ~と思いましたね。

 

こぼしさまが機嫌よく小山に棲んでいるために、村人は死をごく自然のものと受け入れることができた、つまり死は格別の不幸でも、飛っきりの悲劇でもなかった。それゆえ村人は明るい目をしたまま瞼を閉じて永遠の眠りについた、というのが不肖あたくしの読みでして・・・・

 

この後、会のメンバーの解釈はこの方向に傾いてしまいます。会長にこの発言をさせた作家さんの意図は?と思いました。高齢者だからなにかにつけ「死」に結び付けてしまう、って何?

 

 

 

  読書会の未来は?

 

彼らには時間がありません。20周年事業前にも一つの不幸が訪れてしまいます。病気を抱えているメンバーも多いです。しかし、この会にもちゃんと未来が描かれています。特に、会場の喫茶店の雇われ店長の安田君と謎めいた登場のしかたをする井上さんとの関係は、コロボックル物語をベースにしているかの様。彼らは、故郷の小山を守るコロボックルの様に、ちょっと古典的な読書会を守り続けてくれることを予想されます。(ここも考えられたプロットになっているんだぁ~)

 

 

  こっちも楽しめそう

 

 

 

 

作家さんのインタビュー記事とか沢山です。読後にどうぞ。