九州ライドを前にして九州を舞台にしている本を読みたいと考えて出会ったのが、別府駅前に銅像がある油屋熊八さんの本でした。寒村の温泉だった別府(まだ鉄路が無かった時代)に様々なアイディアを出して日本有数の温泉地に育て上げます。こういう親父の話好きですね。面白く読ませてもらったので、同じ作者さんの本を探すと、2019年に発行されたこの本が有りました。他にも戦国時代末期の三浦按針の本も読ませてもらっています。

 

 

 

  設計はフランク・ロイド・ライト

 

日本に海外にもないような立派なホテルを建設しようと考えて、白羽の矢が当たったのが、アメリカの建築家のフランク・ロイド・ライトです。この建築家の情熱でホテルは建設されるのですが、そのこだわりが凄すぎて予算は大幅にオーバー。なんと当初150万円だった予算が6倍の900万円にまで膨れ上がったと言うのです。

 

これだけを取っても、建築家というより、芸術家さんなんだろうなぁ~は分かりますよね。これだけ予算オーバーをしても建築を続行した施主側にも問題あるような気がしますね。

 

明治期から海外の専門家をお抱え技術者として雇い入れる事が有りました。ライト氏もその延長なのでしょうね。まぁ立派な物が残ったのですから、それはそれで良かったのでしょうが、予算6倍増はねぇ~。

 

別府の油屋熊八さんや戦国時代の三浦按針が波乱万丈な人物で面白く読ませてもらったのに対して、こっちは少し欲求不満が溜まる本になりました。そりゃ近世の事ですから、歴史作家としてもそれほど想像の翼を自由に拡げる訳にも行かないなぁ~と思いました。

 

  明治村とサイモン&ガーファンクル

 

この本を選んだ理由は他にも有ります。この本で登場する帝国ホテルはもうそのままの形では存在しません。取り壊しになって玄関部分だけですが、愛知県の明治村に保存されています。(帝国ホテルは大正期の建物ですから明治村は変って言えば変ですが)

 

 写真もここから拝借しました。

 

この明治村には子供たちを連れて何度か遊びに行ってました。この移築された帝国ホテルは入口付近に有りました。

 

それと、私にとって懐かしいのは、サイモン&ガーファンクルの楽曲です。

最後のアルバムになるのが

名盤「明日に架ける橋」です。wikiによると、1970年1月に本作がリリースされると、多くの国のヒット・チャートで1位を獲得。本国アメリカでは、10週に渡ってBillboard Pop Albumsで1位となった。

このアルバムに「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」(原題: So Long, Frank Lloyd Wright)が入っているのです。当時中学生だった私はアルバムを買って聞いてました。たしかアルバムには「アメリカの著名な建築家」と書かれていたように思います。実は帝国ホテルを設計したのが、フランク・ロイド・ライト氏なのです。

 

  帝国ホテルの困ったエピソードが有りました

 

帝国ホテルではクリーニング部門を持っていたのです。割と最近まで完全に自前で運営されていたのですが、今は白洋舎さんが肩代わりされていると聞いています。

 

当時の帝国ホテルのクリーニングはそれはそれは真心がこもっていて、ワイシャツのボタンが取れかかっていたり取れていたら、新しく付け直す、というサービスなどは序の口でして、ワイシャツのエリの固さが選べたり、人によっては首に接する所だけは柔らかにして他は固くなどと言う注文を実現していたと言うのです。(この話は五木寛之氏の本にも登場していたと思います)

 

こういうエピソードを本で読まれたのでしょうね、当社のような薄利多売の会社に要求された事があります。当社でもワイシャツのボタン付けはやっていたのですが、首の所だけ柔らかな糊っていうのは実現不可でしたね。まぁそういうサービスに尾ひれが付くような格式のあったホテルだったのです。

 

 

 

  植村三十里さんの本

 

これは最初に紹介した別府温泉を日本有数の温泉地に育て上げた親父のお話です。

 

 

そして、九州一周ライドを前にして、キリスト教禁教を扱っている本も読んで置きたいなぁ~と図書館で検索すると

家康に外交顧問としてアドバイスをしたのが、三浦按針(ウィリアム・アダムス)しかし、最初から家康の顧問として勤めようと考えて来日した訳ではありません。当時の揺れ動く日本の外交が少し分かる気分になりました。

 

歴史上の人物を扱っています。書いてあることが全て記録として残っているとは思えないし、作者さんの想像力がより「本当にこうだったんだろうか」と思えるように肉付けしてくれています。